第6話 神風

「クッヘッヘッヘッヘッヘッヘッヘ」

 薄気味悪い笑い声を立て、男は水を掻き分ける。

「俺様が生きていることなど、すっかり忘れているだろう。ローレンも死んじまったと思っているはず。ククク、俺様が影で暗躍して、てめえを王座から引き摺り下ろしてやる」

 男は、金色の髪をふさっと掻き揚げた。

 バーナである。

 あの後、密かにローレンやアデュらを暗殺するために、機会を覗っていたわけだが、何せあのビーストを倒した相手である。うかつに接近することが出来ない。

 そこで、うおがた魚型偵察ビースト:チョウテンガン。略称、クロデメを使って、水路を行くアデュたちを観察していたのだ。

 手の平に納まる、黒い小型ビーストで、それ自体に攻撃する力はない。だが、両眼が大きく左右に突き出していて、水面から任意の者を偵察することができる。目に映し出された映像は随時、電波として放出している。その電波を吸収する補助ビースト:レシーバァを脳内に埋め込むことで見ることができる。

 変なピエロが出てくるは、色っぽい姉ちゃんが出てくるは、おまけに消えてしまうはと奇怪なことが続いていた折である。

 突然、空間が裂け、黒い隙間が伸縮したと思ったら、ピュッと吐き出すようにアデュが飛び出し手来たのだ。その時、頭を壁に強く打ったらしく、意識を失ったみたいだった。

 そんなチャンスを逃すはずがない。

 バーナは、あらかじめローレンの研究施設から拝借していたビーストを率いて、水路の中を突き進んでいた。

 クロデメは、そこに待機させている。見るとまだ気を失っている。

「オイ、グズグズすんな」

 後ろを歩くビーストに叱責を飛ばす。

 計三体。

 少数精鋭部隊であるが、先のサイザーに比べ後半に製造された物で、作りがかなりよくなっている。一体の力は、サイザー5体は軽く行くだろう。自動修復システムの向上や目的以外の全ての行動に命令を入力した。その結果、自分の意思で戦うことが出来るようになった、もちろん、指揮者には絶対服従、裏切りに関する情報は入力しているわけない。

「クッ、気絶してるくせにプレッシャーだけは消えてねえ」

 腕の毛が逆立つのを感じ、苦々しく歯を噛んだ。

「さすがに恐怖を知らないヤツラだ。知ってたらとっくに尻込みしてるゼ」

 後ろを振りかえって、薄く笑う。

 一つは、猿人型ビースト:ダ・ドゥーン。略称、ヒヒ。

  大人の男を越す背丈で、吻が著しく長く、犬に似た顔つきである。犬歯が長大で鋭く、手足には壁を上るのに適した吸盤が付いている。足が長く、地面を直立して歩くことが出来る。雑食性で、気性が非常に荒い。人間に近い猿のようなものだ。

 もう一つは、人と鳥を合わせたちょうがた鳥型ビースト女形:ヒューム・ローラー。略称、きんしじゃく金糸雀と言う。

 人間を土台にして作ってある。

 通常、耳がついている所からオレンジがかった黄色の羽が生え、つま先まで垂れ下がった長く大きな羽だ。身体の所所にも羽毛が生え、美しい裸体を隠している。

 このビーストの特徴は、唯一、言葉を紡ぐことが出来ることだ。薄いピンク色の唇から流れる声は甘い色気を持っていて、耳にするとその場から逃れられない。声の中に人には聞こえない超低周波が混じり、相手の知らない内に脳を破壊する。

 美しさの裏に残忍な心を隠したビーストだ。

 だが、本来このビーストが創られた理由は、ローレンが唄を鑑賞するために作ったもので、任意に超低周波を使うか使わないか決めることかできる。

 最後に水面をぬらりと滑走するへびがた蛇型ビースト:ブルー・レーサー。略称は、スネェクである。

 成人男性二人は、余裕に飲み込むことが出来る、巨大な身体の持ち主。全身を蒼穹の青に閃く硬質の鱗で覆い。大きく裂けた口からは、皮膚を突き抜け、発達した長く鋭利な牙が身を現していた。ただ一つ違う色――赤を持った舌は、耐えず震え、見開かれた瞳は真っ青な殺気に染まっていた。

 攻撃性が高く、入力された命令を受けつけなくなり、暴走する時もある。触れようとすれば、刃のような鱗を一気に立てて切り裂こうとする。扱いにくいこと、この上ない代物だ。

「ん?」

 バーナーは、視界に異変を感じた。

 薄暗いはずの水路の先に、白い明かりが見えてきたのだ。

 クロデメに意識を集中して、感覚を接続する。

「うぎぇへぇ!」

 強烈な閃光が瞳孔を貫いて行く。太陽を直視した時の数十倍の光がそこにあった。

 即座にクロデメの視覚を変化させ、普通の視覚にする。

 クロデメは、真っ暗な水路の中でも、昼間と同じように見える二つ目の眼を持っていて、今はそれにしていたため、通常見ても平気な光を直に見て、面食らったと言うわけだ。

 一旦、クロデメとの接続を解除し、まだシパシパする眼を擦りながら、白い光に向かって走り出した。

 

 その光景に我を忘れてしまった。

 水面に漂っているクロデメを蹴り壊してしまうほどだ。

 さっきまでアデュのいた場所には、白く光る蝶の蛹に似たものがあった。

「んだ、コレは?」

 恐る恐るそれに近づきながら言った。ある一定の距離に近づくと妙な力が加わって来た。

 それに近づかせないように、外に押しやろうとする圧力。一歩踏み出すごとに強くなって行く。

 たまらず弾かれ、分厚いヒヒの胸にぶつかった。

 圧力の範囲外から、よく観察するとそれは蛹ではなかった。

 純白の翼を二枚掛け合わせて、中身を包んでいるのだとすぐにわかった。もちろん中身が何かも……。

「アデュめ。無意識の内に危険を感じて、翼を盾にしたか」

 その翼にも見覚えがあった。

 昨日、危うく殺されそうになった時、こいつの背に生えた奴だ。

「とにかくチャーンス。ここで一気に殺しちまえば、あとはローレンだけだ」

 歓喜の声を上げ、妖しく唇を歪ませた。

 ――ヤメテ! コレ以上、犠牲ヲ増ヤサセナイデ!

 オネガイダカラ……!

「オラ、てめえらぼさっとしてないで、こいつに止めをさせ!」

 バーナの命令を聞き、三つのビーストは動き出した。

 その歩みは翼に近づくにつれてどんどんゆるくなり、やがて動くことすら出来なくなった。

 そうしている内に、ヒヒと金糸雀が弾き飛ばされ、悲鳴を上げながら壁にぶつかって行った。

「なにやってんだ! 遊んでないでちゃんとやれ!」

 バーナは罵声を上げ、二つのビーストを思いっきり蹴った。

 苦痛に顔を歪ませながらも、二体は勢いをつけて、突進して行った。

 結果は同じ。また圧力に負けて弾かれ、バーナに蹴られて突進する。そんなことが何回も何回も起こった。

 横目で見ることすらせず、戦うと言う本能の欲求で圧力に耐え、ジリジリとアデュに迫るスネェクの姿があった。

 バーナはそれを見て、今一度へたり込む二体を蹴りつけ、ことの成り行きを見つめる。

 圧力の壁を押しやって、スネェクの舌が翼に触れようとしている時だ。

 ドクン!

 ぐっと舌は喉の穴に押しつけられ、反動と苦しさでスネェクの身体は努力も虚しく、壁に叩きつけられた。

「ちぃっ! 役立たずどもめが!」

 ドクン!

 スネェクを蹴ろうとしていた時だった。奇妙なものを見てしまったのは。

 ドクン!

「ハッ? ハア?」

 バーナの身体を不吉な戦慄が駆け巡った。

 アデュを包んでいると思われる純白の翼は、白い血管を浮き出させ、激しく脈を打ち鳴らしていた。

 ドクン! ドクン!

 それは、徐々に打つ周期が速くなっていった。

 まるで早鐘を打つように高速で乱打されて行く……。

 ドクン! ドクン! ドクン!

 その振動は空気を伝い、バーナの耳を強く打つ。音は鼓膜を擦り、激痛を走らせる。両耳を手で強く塞ぎ痛みから逃れようとするが一向に治まろうとしない。

「ガああああああ!」

 狂気に満ちた呻き声を上げ、薄汚れた水路の水に頭を突っ込ませる。しかし、音は水面からは聞こえなくなったが、今度は頭の中に爆音を轟かせ始めた。逃げることを許されず、壁に頭を打ちつけ、横転しのたうち回る。

 その間も、ドクン! ドクン! と唸りは止まらず、耳から、頭から痛みを訴える信号が全身に流れ、より混乱させてくる。

 ドクン! ドクン! ドクン! ドク! ドクン! ドクン! ドク! ドク! ドクン! ドク! ドク! ドク! ドク! ドク! ドクドクドクドクドクドクドクドクドクドクドクドクドクドクドクドクドクドクドクドクドクドクドクドクドクドクドク!!

 ド……!

 最後、中途半端な鼓動を打ち終え、翼は脈を打たなくなった。

 苦しみにのた打ち回っていたバーナも、激痛から逃れられ、ひとまず落ち着きを取り戻しつつあった。といっても、今度は自分の心臓が力強く打ち出し、息が切れ、とても正常とは言えないのだが……。

 バーナは何とか立ち上がり、なにが起こったのか知ろうと顔を上げて見た。

 ちょうどその時だ。

 アデュを包んでいた二枚の翼が開かれようとしていたのは。

 ゆっくりと開かれる翼の中にそれはあった。

 ソファーにくつろいで、だらしなく座り、瞼を固く閉じて眠っていた。

 だが、その外面の変化は眼に見えて明らかだった。

 短く切り揃えてあったあか紅みがかった茶髪は、根元から銀色に染まり、腰の辺りまで伸びていた。眉毛まで銀色に変わっている。

 確かに明らかである。変わっている外側はコレだけだからだ。

「へックシィ!」

 くしゃみを目覚ましに瞼が重そうに持ちあがる。

 もう一つの変わった所があった。瞳孔も銀色に変化しているのだ。

「うう。寒い、なんだ? ずっと水に浸かっていたのかなあ」

 と自分の下半身を探る。

「おお! なんだこれは! って、ただの羽か……なるほど、コレが濡れてたのかあ」

 羽に力を入れて、バサバサと羽ばたかせる。

「っくそお! オイ、お前らぼけえっとしてないでこいつを殺せ!!」

 気の抜けた登場で、あ然と眺めていたバーナは、気を取り戻し自分の頬をどつき、ビーストに指示を与えた。

 だが、その指示に答えて動き出したのはスネェクだけだった。

 ほかの二体は、度重なる圧力と壁との対決や、執拗に蹴ってくるバーナの攻撃で体力の限界に来ていたのだ。

 そんなことはお構いなし。バーナの命令を聞かない奴には、キックが飛んで来て、無理にでも動かされるのだ。

 二体もキックをくらい、どうにか次を避けようと気力を絞って、攻撃態勢に入った。

(愚かだよ。

 自分で何も行動できない奴が、ローレンを倒して、ましてや王になろうなんて……。

 絶対、ムリだよ……)

 アデュの哀れみの視線を感じるはずもなく、バーナはヒヒのケツを蹴っていた。

 スネェクはその間も、身体をくねらせ、戦う意欲を掻き立てていた。

 極太の鞭なる身体を水中に沈め、底を蹴って上体を高く持ち上げる。それに連れて尻尾までもが空中に飛びあがり、竜のような頭をアデュに向けた。

 顎が極限まで開かれ、大量の唾液が流れ落ちる。濃い緑色の唾液は毒素を含み、牙に絡み付き妖しく鋭利な光を放つ。

 身体を水路のアーチに添わせ、上へ向かう力を急旋回させ下にし、加速をつけて突っ込んで来た。

 見す見す、それを見逃す訳もなく。

 スネェクの牙が後もう少しで届く。と言う所で思わぬ邪魔が入ってしまった。

 黄色の羽根が横から割りこんできて、スネェクの全身をめった刺しにしたのである。

 頭から垂れた翼が大きく開き、一部の羽根が狙いの定まらない内に撃ち出された。

 金糸雀である。

 バーナに命令された通り、アデュを殺そうとした攻撃だったが、体力がなくなりかけ足取りも覚束ない状態だったため、なかなか狙いが定まらない。意を決して撃った羽根がたまたまスネェクに命中したのだ。

 普通の羽根だったら、スネェクの硬質の鱗に弾き返されるところだが、さすがはローレン作、と言った所か。

 軟質性の羽根でありながら、骨や、それにつながる毛までが細い鋭利な糸で作られていて、ある意味、飛び道具になるためスネェクの鱗より危ない武器であろう。

「あやや?」

 アデュは、戸惑いはするが直ぐにペコリと金糸雀に頭を下げ、微笑んで見せる。

 ポ……!

「『ポ』、じゃねえ!」

 頬を赤らめて、うつむき加減になった金糸雀の頭を飛び蹴りで突っ込み、イラだった叫び声を上げる。

「くそう! 役立たずが!」

「おやおや。

 自分は楽して、王座に就けるとでも思っていたのですか……?

 役立たずは、むしろあなたの方ですね」

「んがああああ!」

 何か言おうとするバーナだったが、天井がZZZと重い音を立てて、岩を落として来てそれをさせない。

「ん~っ」

 アデュは腕を組み、何か考える動作をしたと思ったら、直ぐに頷き、純白の翼を羽ばたかせて見せた。

 シャアアアアアアアア!

 息の抜ける唸り声を発しながら、隙を突いてスネェクがアデュに飛びかかった。

 ぬめりを帯びた牙が、白い翼を貫き、左右に振りながらむしり千切ろうとする。

 しかし、不思議にも翼からは、何も流れ出て来ない。鼓動していたはずの血管からは、赤も黄も緑さえも流れて来ない。

しつこく食らいついて来るスネェクを、振り解こうともせず銀色の眼を隠し、静かに時の流れを感じていた。

「言ったよな。自分は何もしてないって!

 今、やってやるぜえ!」

 バーナは、水を蹴りながら走り出した。手には背中に隠し持っていた、短剣が握られていた。

 バーナに続き、ヒヒも巨漢を活かして、突進してくる。

 ただ金糸雀だけは、どちらについていいものか、どちらが勝った方がいいのかと悩み、動けずにいた。

 アデュは瞼の裏から、気を探り、相手の位置をスローで見ていた。

 この状態を待っていたのだ。

 スネェク、ヒヒ、バーナの三体が自分に近づいてくるのを。

 自分に危害を加えようとする者、戦う者と、戦意を失った者、未ているだけの者を分別していたのだ。確かに、翼は痛いけれど、無関係になった者まで壊す必要はない。

 次に瞼が開かれた時、アデュの反撃が開始される。

 瞼を閉じたのはバーナを誘うため、その役割は完璧に果たせた。

 ゆっくりと開かれた瞼の中に、余裕の色をした瞳があった。

 鬱陶しいまでに食いつくスネェクを、翼の羽ばたきだけで軽々と持ち上げ、バカ正直に正面から突っ込んでくるヒヒとバーナに向かって、突き飛ばしてやった。

 意標をつかれた二体は、もろにぶつかって行く。

 もちろん、スネェクの鱗は立っている。

 腹や顔面を斬り刺され鮮血が飛ぶ、一瞬、足が止まる。

 そこへ、アデュの攻撃が来るのだ。

「レイ・カウント!」

 力強い口調で生まれた光の珠は、手の平の中で徐々に力をためていった。

「ブレイクタイプ、レディ――」

 アデュの考えたレイ・カウントの違う形の物である。

 通常の巨大な筒の奔流であった物を一つの球体に凝縮し、その力を更に溜めて行く。いずれ許容範囲を越えた球体の外壁は膨らみ、何らかの力を加えることによって、破裂させる。風船のようなものだ。

 凝縮されていたエネルギーは一気に噴出され、あらゆる物を粉砕する。

 しかし、それにも欠点がある。

 攻撃範囲だ。

 爆発的な攻撃力はあるのだが、全方向に向けて噴出するので、遠くに行くにつれ効果が弱まって行く。

 と言っても狭い水路だ。端の壁にいるアデュがそれを放てば、反対側の壁にいる金糸雀にも確実に光の熱波が襲い、焼き焦がしてしまうだろう。

 そのための壁がバカな三体である。

「ゴー!」

 こうきゅう光球を掲げ、思いっきり水底に叩きつけた。

 否、実際は底にたどり着く前に水面で爆発していた!

 水面がクレーターを作り、強烈な閃光が弾け飛んだ。

 水に反射した光も混ざって、いつもの二倍の力を秘めた烈閃は、間近にいた四人を突き刺し、爆鳴する蒸発音を立てて、皮膚が溶けそうなくらいの熱が突き抜けていく。

 撃った本人も自滅しそうなくらい凄まじい物だったが、アデュには全然痛みを感じない仕組みになっている。いちいち、自滅していては、きりがない。

 それらは、エリアルのように声すら上げることなく、光に侵食されていった。

 身体中に穴が開き、流れ落ちる血は光線の熱に焦がされ消し飛ばされる。

 自分に攻撃の影響は来なかったが、血が蒸発する臭いや皮膚を溶かして行く鼻を突き刺す臭いで、ひどく噎せ返った。


 ローレンは、置物の騎士のサーベルを掴み構えた。

 紅い唸りを上げて繰り出されるシーザーの剣を流れる動作で交わし、閃きに似た神速で反撃する。

 技量はほとんど変わらない。豪胆な中に巧みな技術を混ぜて戦うシーザー。対照的なローレンの切っ先は流麗な鋭さを持って正確に狙ってくる。どちらも卓越した剣術であった。

「ふむ、コレこそ準備運動に違いないな」

 旋風を巻き起こす紅き刃を巧みに避けながら、感心した口調で呟いた。

 小さい動作で横凪ぎされる刃を半歩下がって見切ると、気合一閃強烈な突きのカウンターがシーザーの顎を冷たく攫った。

 剣の先の方に、伸びかかった小指の先の長さもない髭の粉が、ハラハラと落ちて来た。

「私の勝ちだ。

 不精髭くらい剃っておいた方がよろしいかと……」

「何ぃ!?」

 凄みを持つ閃きを見た。

 全身が震える。おののきを持った物と、ワクワクと言う気持ちに。

 こんな時に何だと思ってしまう。だが、久しい剣と剣もぶつかり合い。パリスとの時は変な力を使われたが、今回は技量も何もかも近く、一瞬の隙をつかれるだけで負けてしまう。

 どうしようもないスリルで興奮し全身を熱くした。

 真剣勝負、そして、隠してあった本気を出せる相手がそこにあった。

「さて、準備運動、二開戦。勝利の女神はどちらに微笑むか」

「無論、ワシだ」

 命のやり取りはしていない。

 いずれどちらかが殺されなければならない、一旦それは何所かに置いといて、今はこの決闘とも呼べる物に両者とも集中していた。

 端から見ているエレハイムにとっては、考え深い物であったのだ。

 先に動いたのはローレンだった。

 攻守交替したように行きつく暇もない連撃が突き出され、シーザーがそれを捌いて行く。

 三段突きと言う大技を使う者がどこか遠くの世界にいると聞く。

 一瞬、まばたきをする五分の一の内に三回攻撃されて来ると言う。それをローレンは実際に見せてくれる。

 生け花に使う剣山のように眼が回るほど残像と本物が入り乱れ、残像すら触れれば切れる剣気が残っているようだ。

 風を裂く音はまったく聞こえない。代わりに、連続で鳴り響く金の音が聞こえてくる。

 捌く、捌く、捌く、捌く。

 最初の内は見なれぬ技と剣気に押されて、肌を切る思いをして来たが、さすが亀の甲より年の功、キャリアの違いで瞬時に相手の次について来る所を見抜く。

 それでも、見抜いた物を実践で判断、確認して、回避して行くと言うことは、それはそれで凄いことであり、マネの仕様がない。

 まさに神業。

 慣れて来ると直線的な攻撃だけに次の一手が読みやすい。

 これまで防がれたことがなかったのか、ローレンの顔には驚きと焦りが、手に取るように浮かんで見えた。

 左横腹に突いて来た、切っ先を刃を返して、引き寄せ相手の力を利用して流す。

 サーベルはアッサリ、シーザーの巧みに負け、床に突き刺さる。

 そこを狙って、極みを持つ体術が光る。

 両手で持っていた柄を左手に任せ、右半身を二人の間に捻り込ませる。

 ローレンの身体に瞬間的な稲光が波と襲い、激震に震わせる。

 手から剣が離れ、ローレンは強烈な痛みを腹に訴えながら、壁まで転がり飛んだ。

 シーザーは捻り込ませると同時に身体を物凄い勢いで打ち出し、先に肩、飛んで行くローレンの腹に続けて肘鉄の二連撃を食らわせたのだ。

「二開戦。

 ワシの方に軍配が上がったようじゃな……

 どうじゃ三開戦、行って見るかい」

 シーザーが勝ち誇った笑みを見せるとローレンも『やる』と意思表示で笑みを見せる。

 床に突き刺さったままのサーベルを抜き、放り投げる。

 ガシッと回転していたサーベルの柄を掴むと一振りして構えた。

 しかし、その瞳が異様な光に姿を変えつつあった。

 突き刺さった部分から光の気配を感じる。

 柄を握る手の平を厚く熱し、約束と言う物を感じた。

 穴。

 突き刺した所。

 そこから、薄い光の粒子が漏れてきている。幾つもだ。思わず自分の闇が不安定に暴れて来た。

「終わりだ……!」

 誰にも聞こえない、聞かせようとしていない薄っぺらい囁きが唇を抜け出て、風にさらされた。

 先手を取ったのは、またしてもローレンだった。

 しかし、先の二戦と比べて何かが違っていることは、そこにいた三人にも何となく、直感でわかっていた。

 勝負は一瞬。

 シーザー、エレハイムともローレンが踏み込む動作までは見えていた。だが、それ以降は……

「きえ……た?」

 エレハイムの表現は正しかった。そう、その場から漠然と姿が消えた。常人が目で追える速さではない。埃が所々、浮き上がるのが見えてる。動きまわっているのだろう。部屋中を駆け回り、時を待っている。殺す時を……。

 流石に常人離れしているシーザーは目で追っている。端から見ればそうだろう。目は動いているが本当は二、三歩遅い、気配を読みながらやっと見つけられそうでいるだけだ。

 静寂。

 沈黙。

 ……破!

 精神を集中していたシーザーに容赦なく強襲が攻めて来た。

 最初は右、次に左、前、後、上、そして浮かび上がった所に更に連続攻撃。エレハイムの目からは、シーザーが一人で飛び跳ねたり、反復横飛びしたりして、避けているようにしか見えていない。

 木葉が風に煽られるように見も蓋もない、全方向から風が吹いて一点に縫い付けられているようだ。もちろんただ縫われているわけではない。

 身体が目にも止まらぬ速さで振動している。それほどの攻撃と言うことだ。

 何時間経っただろう、もう長い時間攻撃されて気がする。

 遠くから見るシーザーの顔は、濃い紫色に変色して、痛々しい痣だらけだ。

 ――止まった。

 それはシーザーの首を掴み、宙に浮き上がっていた。

「もう限界か」

 ローレンは、シーザーを壁に投げつけた。

 呻き声すら上げることが出来ない。眠ったように息を潜めている。

 いつの間にかサーベルが床に突き刺さっていた。どうやら、殴る蹴る、タックルで嬲り者にしていたようだ。

 それを抜き放つと手の上で刃を上下させて、挑発的な動作をとる。

 無論、答える力はシーザーには、欠片すら残っていないだろう。その証拠にぐったりと壁に寄り掛って、もうどうにでもしてくれと言っているようだった。

「さて、殺すか。

 邪魔だし」

 マズイ、マズイ、マズ過ぎだ! エレハイムは何も出来ない自分にイラ立ちながら、今すべきことを考えた。

 何かないかと辺りを這いずり回る。

 ポロリと落ちる黒い影が一つ。

 エレハイムの下に金属の響く音がした。

「お!? お守りかァ」

 落胆に終わった。もしかしらら神様の思し召しかと期待したのだが、アデュに貰った、『お守りのくせにお守ってくれない』役立たずのお守りだった。

 いや、閃いた。

 それをじっくり観察して見ると、穴の開いている部分には爪のような突起物がついていた。

 こんな物でも、殴って、捻って、抉れば、ローレンの気を引くことができると踏んだエレハイムは静かに立ち上がった。

 気を引いてどうなる。そう言う自分がそこにあった。だが、誰が何と言おうとも気を引く。見す見す、殺されるところを眺めていることなどできなかった。どうせ殺されるのなら、皆みたいに戦って死のうと決意した。

「さよーなら、国王どの」

 最後の一振りを掲げたローレンにエレハイムが背後から掴みかかった。

 もう自分に攻撃する者はいないと余裕をぶっこいた結果の始末だ。

 振り解こうとすらしない。ローレンはそのままサーベルを振り下ろそうとした。

「こんのお!」

 気合と共に黒いお守りを肩口に叩きつけ、ねじりこんだ。

 ヴゥン。

 叩きつけたのがよかったのか、捻ったのがよかったのか知らないが、お守りは低い唸りを上げた。

「ニギャアアアアアア、いっでぇえええ! あぢぃい!」

 ローレンは悲鳴に染まった叫び声を上げた。

 近くにいたエレハイムは鼓膜が張り裂けそうな痛みをともない、裂帛のような耳鳴りで、頭が揺らめいて、態勢が緩んだ。ローレンがちょっと肩口に手を伸ばそうとしただけで床に落っこちた。

「んな、なんなのよ!」

 尻を払いながら、起き上がる。

 お守りを持っていた手に異様な振動が伝わり、見た。ジィーっと見た。

 ? 謎、それが感想だ。

 お守り。黒い筒の穴の開いていた方から淡い赤と言うべきか、ピンクと言うのか、そんな色の光? がすうと伸びていた。

「こんの、クソアマァァ!

 な! それは、プラズマ・ブレード! 何でクソアマのお前がそれを……?

ア、 アデュゥか! くそう、そう言えばアイツに一本やったっけか!」

 プラズマ・ブレードとは、これもまた、ローレン作の兵器の一つである。

 難しく言えば、筒の尻から空気中の原子を吸いこみ、中を超高温にし、電子と陽イオンに電離させる。それを強い精神はをスイッチにして、先端の穴から放出――。

 簡単に言うと、ビリビリっとする電気の剣を作るである。

 怒りに震えるローレンは、エレハイムに近づくやいなや、みぞおちをつま先で蹴りつけた。

 手から離れたプラズマ・ブレードの刃発信装置を剣でちょんと一突きした。

 すると低い唸りをあげていた物が止まり、刃が粒子になって空気中に散漫して言った。

 製造者本人である。もし、敵の手に渡ったとしても、緊急停止させるための秘密の部分が取りつけられていても不思議ではない。

「てんめえから、捻り殺してやる」

 エレハイムを真っ向から見て、キレた目つきで声を絞り出した。

 ズゴ。

 ズゴゴゴゴ。

 そうはさせまいと、ローレンの立っている所の床が重い音を立てて、揺れ始めた。

 音は次第に強くなり、床には深い亀裂が無数に入った。

 エレハイムは少しのまじろぎもせずそれを見ていた。

 ローレンの足元付近一帯をまるで彼を逃がさないかのように亀裂が広がり、少しずつだが沈んで行く。

 ローレンは、ジャンプして逃げようとするが力を入れれば床はもろく砕け、何とかバランスをとっているだけだった。やがて、もうこれ以上いたら危険と言う所まで来ると、意を決して足に力を入れる。

 がくんっと全身が沈み、ジャンプしそびれて前のめりに倒れこんだ。

 結果的に、手が亀裂の外に飛び出して、匍匐して切りぬける。

 ローレンのジャンプミスは不安定に崩れていた床を一気に落とし、そこに小さな穴を作り出した。

 もくもくと煙と埃が舞い上がり、ポチャポチャと石が水に落ちる音がした。

「けほ、けほ。力の加減、間違えたよう

 おおい、金糸雀ゥ、ダイジョーブゥ?」

「……(大丈夫じゃないって)」

 埃を掻き分け、聞こえて来た苦しそうな声は、部屋にいる全員が聞き覚えのある声だった。

 どうやらローレンの部屋の下は、水路になっているようだ。

 立ち上がる煙がおさまる前に姿が現れた。

 エレハイムに近いの穴の縁から、手が伸び、すうっと身体を持ち上げて登ってくる。もう片手には、金糸雀が掴まっていた。

「ん?

 よう、エリィ。何してるの、こんな所で……」

「アデュ! つーか見てわかんないか? 戦ってるんだ。周り見てみな、ついでにそれ誰?」

 エレハイムはアデュの隣にいるそれを顎で指した。

「へえ~。

 皆、ボコボコにやられちゃってるねえ。でも、俺が来たからもう大丈夫、ヒーローは最後に来るものからね」

「金糸雀だ。私が歌を鑑賞するために作ったビーストだ」

 エレハイムのそれと言う問いに答えたのはローレンだった。

 まともに、アデュの顔が引きつった。

 不機嫌そうに振り返り、ローレンの顔を真っ直ぐに見据えた。

 最初は複雑だった。しかし、今はなんとなく戦いたい欲求がこみ上げてくる。『いつからこうなったか?』と考えて見ても、はっきりとした答えは求められない。大体の予測はルチアであろうと思っていた。彼の死ぬ理由は、わからない。でも、死なせたのは自分に語ったことが原因だろう。アデュに勝ってもらいたいのか。ローレンとの戦いに。

「待ちかねたぞ。オカマ小僧君」

「カマじゃないって……」

「そうだ。そんなこと関係ない。

 さあ、目覚めたのならわかっているだろう。今、何をすべきか?」

 コクッとアデュが首を縦に振った。それを見るとローレンの胸に熱いものが広がって行った。

「ククク。

 始めようか。殺しあいを。生き残る者はどちらか一人だけでいい。

 私が栄光の翼を手に入れてやる! 翼……そう言えば、貴様、翼はどうしたのだ」

 アデュの背中に翼が生えていないことに気づくと不信な視線を送った。

 本来、覚醒した者は、翼が生えているはずなのだ。光と闇、アデュとローレンに力が分れた時、光の方に翼が行ってしまったのだ。そのため、アデュの背中に翼がないと言うことは、またもや、力が引っ込んだと言うことになる。

「ああ、これ?」

 言うとローレンに後ろを見せた。服の背中が二箇所、破けていた。そこから、ぶわっと純白の翼が生え、羽ばたいて見せた。

「出し入れ可能なんだ。力を残したまま、しまうことができるの。

 翼なんて、俺から言わせてもらえば、アクセサリーみたいな物。でも、たまにシールドとして使えるから、出す時もあるけどね」

「そうか……。

 そうとわかってしまえばもう良い。始めよう」


 ローレンは冷笑した。

 力を使えるようになって、まだ、まもないがアデュの戦闘能力は、自分の遥か下を行っていた。これでは、なぜ待っていたのかわからない。楽々、殺せてしまう。

 アデュは、レイ・カウントを唱え、眩い黄色に光る二本の剣を作り出した。前に作らされた物より格段にパワーアップしている。

 まるで空より落ちる雷のように暴れるエネルギーを握り絞めて、言うことを聞かせる。空気中に黄色い粒子が絶え間なく放出され続けるが、剣自体なくなることはなかった。物凄いエネルギー量である。

 ローレンもレイ・カウントを唱え、漆黒の大剣を一本作った。

 それは、作り出した者の心を現しているかのように禍禍しい形であった。

 アデュの剣と違い、ローレンの作った剣はきちっとした形を持っていた。アデュより力の強いローレンは、膨大なエネルギーを結晶化し、放出さえさせない。

 いくら二刀流だからと行って、結晶化され、頑丈になった剣を砕くのはムリだった。反対に、アデュの剣は一太刀でなぎ払われ、何度も作り直さなければならなかった。

 ローレンは、アデュの剣を消し、続けさまに切り裂いた。

 身軽なアデュは何とか交わし、新たな剣を作る。

 作るたびに形が整って行き、数十回の後、頑丈な剣が作り出されていた。

 漆黒の剣を片方の剣で防御し、もう一方で攻撃する。おしくも腹を霞め、服を切り裂いただけで終わった。

 防がれて射るのに、有無をいわず剣を押し、アデュの剣を砕こうとするが、うんともすんとも言わない。だが、力で負け数歩下がる。

 またも、ローレンは冷笑する。

 成長してはいたが、全然ダメだ。

 剣技、力、スピード、漆黒の剣の威力、どれもローレンは半分しか出していない。スタミナもばっちり残っているし、本来の剣以外の力さえ出していない。

 どうしてこうも弱いのか。自分が強すぎるだけなのか……? 自分の考えていることを頭を振って捨てた。余裕を持って戦うことはいい、しかし、余裕と慢心は同じにしてはならない。最後まで、気を抜かず戦う。

 アデュにとって、それは不利だった。

 本当に力の差が違い過ぎる。そのせいで、隙でも見せてくれれば、まだ勝機があったのだが……。

 相手は、確実に仕留めようとして来る。

 見たこともない。ローレンのこんな動きは……。

「うぎっ!」

 歯を力の限り噛み絞め、特上の痛みをこらえる。

 シーザーの時に使った技。超高速移動で一瞬にアデュの背後に回り、背中を薙いだ。

 それ目掛け、アデュも剣を振るうが、またしてもローレンの姿が掻き消える。

 腰を回して切ったせいで、傷口が捻り開き、鮮血が背中を伝う。もともと、赤い服だったので、周りの人はそんなに切れていないと見ているだろうが……。

 痛みで動きが止まり、そこへ容赦ない剣撃が繰り出された。シーザーの時とは違い剣を使っているから、血は飛び散り床を濡らして行く。

 本当なら、腕や足、首が飛んでいてもおかしくない状況だが、アデュに絡む薄い光が、シールドとなってローレンの攻撃を弱めていたため、それを免れていた。

 

 エレハイムが誰にも気づかれずに動いた。

 当たり前である。そこにいる全ての者が二人の死闘を真剣に見ていたのだ。

 マチスも動くことが出来ないシーザーも、空宙で審判官を務めている二人もだ。

 エレハイムは、ローレンに隙を作って、アデュに何とかして勝ってもらおうと近くにあった、プラズマ・ブレードに手を伸ばした。

 ブレードの発信装置に外傷はなかった。余程の技量を持っているのだろう。緊急停止させた時、剣で突いたのに傷一つ見当たらない。

 いや、そんなことを考えている暇はない……。エレハイムは自分を叱り、黒い棒を力強く握り絞めた。そして、心の中でこう叫んだ。

 お願い、動いて!!

 ヴゥン。

 棒は、低い音を立てると淡いピンクの光を伸ばした。

 ブレードは、ただ停止させただけである。強い精神波を送ればついて当たり前。

「はう……」

 エレハイムはそれを見て、少し安心した。ついでに緊張もした。

 自分に勝利の命運がかかっているのだ。

「いけない。

 お前は、ここから逃げるべきだ。

 もうすぐ、この城全体が崩壊してしまう……」

 エレハイムからプレードをひょいと奪い。目の前に手をかざした。

 何も言えない。言う前に何かに押されるような、引っ張られるような力が働き、その場から消えていた。

「怪我人はもちろん、逃げてもらおう」

 それはエレハイム同様、マチス、シーザーも消した。

 男だった。銀色の髪の持ち主。死んだはず、殺されたはず、殺したと言われたはずの男。ルチアだった。

 形は一緒だったが、黒い闘気を持っていた。

 ルチアは、審判官が気付く前に虚空に身を躍らせた。

「終焉は近い」と、言い残して……。


(このままじゃ、ホントに負ける……

 イチかバチか、全エネルギーをぶつけて見るか? でも、ミスったら、通じなかったら、やっぱり……マズイかも……)

 アデュが思考を巡らしているときも、ローレンの攻撃はしつこく続いていた。

 もはや、痛みを伝える機関が支障をきたし、どこを斬られているのかすら感じなくなってきている。

 気力、体力の失いは、身体を覆い守っている、シールドの効力も半減させて行く。

「ア……! ウゥ」

 ローレンの漆黒の剣は、とうとうシールドをぶち破り、右太股を貫いた。

 流血はだくだくと足を伝い、床に血溜りを作る。

 故障していた神経が急に活動し始める。

 痛い、と言う思いが輪になってぐるぐる回っている。

 いや、本当はあまりの痛さに神経が殺ぎ落とされ、壊れて来た。

 視覚のせいである。

 自分の太股に突き刺さっている漆黒の剣、足を伝って流れ落ちる血、それらが頭の中にある記憶の箱を開け、これは痛い、物凄く痛い、死ぬほど痛いと言う信号を送っているのだ。

 ローレンは剣を抜くと、更に追い討ちで下から斬り上げた。

 胸が切れた……。

 血が顔に付着する。構わずその裂け目を目掛け、蹴りつけた。

 アデュにはもう何がなんだかわからなくなっている。考えると言う思考が止まってしまったのだ。

 宙に浮いている?

 落ちて壁にぶつかった?

 身体が伝える感覚すら、わからなく疑問形になってしまう。

 視界の隅から霞んで行く。

 目の前にローレンが立った?

 少なくなっていく、瞳の光が映し出しているものは、ローレンが心臓に狙いを定め、突き刺そうとしている様子だった。

 『死』と言うものに何も感じられなかった。もしかしたら『死』と言う単語の意味を忘れてしまったのかもしれない。

 どちらにしてもアデュは、命を失うことに涙を流すことさえ出来なかった。

 シュッ!

 漆黒の剣は、風を斬った。

 もうすでに審判は終わった。

 アデュと切っ先の間に銀の粒が集まって来た。

 空間が歪み、どんどん湧き出してくる粒は突かれる剣を喰っていき、存在を消して行った。

「審議は終わりだ。全ては無になってしまった」

 粒子は人の形を象っていき、やがてルチアの姿になった。

 険しさと虚しさ、失望感で埋まってしまった心を現している表情だった。

「てめぇなんでココにいる。精神の中でしか生きれないお前が、なんで実体を持っているんだ!?」

「いえ、その前に私が葬ったはず!?」

 口々に言いながら、風に乗って二人はローレンの後ろに立った。

 消え去った前の形のままそこに現れたのは、黒いローブを着たパリスと翼を生やしたエリアルである。

「そう。ルチアは死んだ。お前の攻撃で。

 そして、我はルチアではない。ルチアの殻を被っているがな。お前たちには言っていなかったからな、気付くわけもなし」

 言い終わると身体から、口を覆いたくなるような暗黒を出した。

 絵の具を全て均等にぐちょぐちょに混ぜたような、崇高? な黒。

 それを見るなり、肩膝を折り二人は頭を下げた。悟ったのだ。自分たちの前に降臨した者の正体を。

「俺たちの主、カオス。なぜ、このような所にお出でになったのか?」

「審判。

 そして、覚醒を促すためルチア本人の中には入り操っていた……だが、全て無駄に終わってしまったな」

「はあ?」

 カオスと言う者の言葉に反応したのはエリアルだった。

「無駄とおっしゃいますと……?」

「伝達者の資質を持つ者はここにはいなかった。と言う意味だが、何か問題でもあるのか?」

「ちょっと待てよ! てめえの目の前にいるだろうが!」

 カオスのいなかったと言う言葉に反論の声を上げたのはローレンだった。

 ずいっと三人の間に割りこんで、カオスに自分がいることを思い出させようとさせる。

「はい、その者の言う通り、ルシファの闇を持つローレンがそこに……」

「……?

 そう言えば知らせてなかった。教えなかったと言うか。

 そのローレンと言う奴はただの審判の道具に過ぎないのだよ。アデュがローレンに打ち勝つことが出来ればいいと言う最低水準でしかない。

 アデュ自信すでにルシファの光と闇を持っているのだ。本人の性格上だろう。光の方が勝っているため、一つの属性しか見えないのであって」

 真実を教えられ、ローレンの怒りが臨界点を越えた。

 自分のもっている力全てを噴出させる。力は大地を揺らし、部屋の壁を砕き空に舞い上げる。

 振動は街全体を揺るがし、立ち並ぶ家を破壊し、穏やかに陽を浴びていた木々を薙ぎ倒していった。

「どうだ! これだけの力があると言うのに……なぜ、だめだと言う!! 答えろ!!」

「根本的にダメだと言うのがわからないのか。お前は、生きることを許されていない道具でしかない! 期限が過ぎれば滅ぶべき存在。どれだけ力を持っていたとしても、無意味でしかない!」

 パッチーン!

 ローレンの中の何かが弾けた。

 グツグツと悲鳴を上げて胃液がわき立ち、全身が怒りに痺れ震え出す。

「主、アデュはどうするんだ? このままほーちするのか?」

 パリスの言葉にカオスは一つ頷き、血を垂らしながら虚ろな視線を送っている少年を見た。

 もう朽ち果てようとしている。瞳の灯火は消され、生きているふうには見えないが心臓は、今だ低い鼓動を轟かせている。

「この者の存在理由はもうありません。しかし、これには仲間と言う者があるようです。人、一人の命。亡くなれば悲しむ人もいよう」

「と言うことは……生かす」

「そのとーり、でも、力は使えないようにしておかないといけないな」

 男の瞳はぬらりと閃き、怪しくくぐもっていた。

「ふざけるな……」

 ――ふざけるな。

 ローレンの呟きに合わせるかのように、彼に住む闇も言う。

「誰も生かして、帰さない……」

 ――スベテヲハカイスル! ハカイシロ!

 二つの意識がリンクした。

 お互いを利用し、道具だと思っていた。しかし、真実を聞けばどうだ。自分は存在する意味がない、ただの試験道具。怒りが爆発し、二人の意見が一致した時、更なる力が得られようとした。

「グオオオオオオオオ!」

 今までと比べ物にならなかった。

 唸る咆哮は、空気を揺るがし衝撃波となって辺りに吹き荒れた。街全体が黒い渦に飲み込まれ、地震で崩れた家々は塵となって消滅して行った。

 ローレンの知られざる力が目を覚ました。ルシファであるはずがない、道具として作られ、本当の力など無いはずだった。

 だが、それは動き出した。

 ローレンの身体から、放出された闘気は空に巨大な黒い竜を描き出していた。

 それはまぎれもなく、ルシファの闇の化身、ティアマト魔竜の姿を現している。

「どうなってんだよ。アイツは道具じゃなかったのか!?」

「間違いない。奴は我が作った物。このような力、つけた覚えは全然ない。

 ……もしかしたら。奴の持てる負のエネルギーが闇に共鳴し、本当にルシファの闇を取り込んだのかもしれない」

「どうすんですかあ! アイツが魔竜なら、俺らじゃ止めらんないぜ!」

 頭を抱えながらパリスは呻いた。

 パリス、エリアルの間に入り、均衡を司る者、ルシファ。例え、闇の力一つといえど、パリスらを凌ぐことは出来る。

「あのな、パリス。ここに我がいるだろう」

 カオスは宥めるように背中をたたいた。

「しかし、主よ。貴方様の力は、ルチアの身体で使うにはあまりにも巨大です。力を使う前に器自体が崩れてしまうのではありませんか?」

 魔竜が閃光の息を吐いて、城や街を破壊しているのを見ていながら、焦ることもなく、落ち着いた物越しでエリアルは言った。

「大丈夫だろう。

 それ、お前たちは巻き添えをくう。とっとといなくなりなさい」

 二人は苦々しく笑いながら、虚空に身を躍らせた。

 魔竜がカオスに目をやったのは同時のことだった。そして、閃光を吐いたのも。

「さて、行くかぁ!」

 閃光を目の前にカオスがにやりと細く笑った。

 次の瞬間、力と力のぶつかり合いで光が飛び散り、そこにあるもの全てを包んだ。

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