第5話 血族

 地平線に薄く光の線を作り、朝が訪れた。

 まだ、抜けていない夜の中を三つの影が足音を忍ばせ、風のように走る。

 アデュとエレハイム、マチスの三人だ。

 彼らは街の裏通りを駆けぬける。

 それぞれ思いを抱き、王座打倒のため石畳をふむ。

 ローレンは、先の戦いで死体の山となった宮殿を捨て、人が住む大きな街の中にある城に移って来た。

 城自体は宮殿と変わらず真っ白な壁と緑、青の流れが入っていた。

 家を五件積んだくらいある城壁は、街と城内を完全に隔てていた。

 唯一の出入り口である正門も巨大な花崗岩を磨いて、頑丈に補強して出来ているため、容易に侵入することが出来ない。

 一つあるとしたら、入ってくれと頼んでいるように手薄な水門のみ。

 三人はその水門から城内に侵入し、一気にローレンを倒す。

 外でシーザーたちが騒ぎを起こして気を引くと言う在り来たりな物だった。

 だが、在り来たりな物でも裏の裏、意表をつけるかもしれないと考えたのである。

 クイッとアデュは手を振り、一人、足を速めた。

 住宅の立ち並ぶ街の中にある公園が見えて来た。

 アデュは人並み外れた跳躍力で木の葉の茂みに入り、更に突き進む。

 アデュの身体を這っていた勲章は、昨夜の一件の後、不思議と姿を消していた。

 ラッキー、その一言で済ませてしまった。何も不可思議な現象に驚くこともなく飄々として、ようやく本来の動きを取り戻したことを喜び、今日の決戦に参加したのだ。

 参加しなければいけない。

 ローレンを打倒するために……。

 ほんの数日でアデュの意思は、百八十度変わってしまった。

 何もしていない少女を殺す者を見たり、街に火を放ち、メリックの人たち百数人を殺した事件。

 二つとも別の集団が関与しているのだが、アデュにとっては迷いを振り切るべき出来事だった。

 平凡でもいいから、穏やかな暮しをさせたい。

 まだ、王制に支配されていた方が気楽でいい、他人と関わりあう生活はいつもゴタゴタが起るから面倒、と言う意見も存在を残しているが、明らかに自分の能力を他人のために使いたいと言う思いが強くなっていった。

「見張りがいない?」

 遠くの方に見えてきた水門には誰も人は立っていない。周りをうろついている人はおろか、いる存在する気配すらない。

 慎重に辺りを見渡すが、だーれもいない。

 物音立てずに水門に向かって木を蹴る。

 腰につけた剣を抜き放ち、スカートがめくれあがるのも気にせず、門の鉄格子を斬り裂いた。

 アデュの服装は、前日の物と変わっていなかった。

 思いっきりイヤだったが、あの火事で乾くどころか灰にされ、しょうがなく着ていた。少し違った、人間? と言う物は不思議で、一昼夜着ていただけで普通のイヤになってしまうのだから……。

 剣も何処かに行ってしまい、片刃の剣一本に下した。

 もともと剣の腕は一級品だったため、問題はないが二刀流の癖がついて動きが少し変だった。もう一本使えばいい話だが、同じ物が二つなく、同じ物を使うポリシーがあると言うアデュは一本で戦うことにした。

「アデュさん、もう少しあのう、そのう――」

 後から来たマチスは頬を赤らめ、口をモジモジしていた。

 どうやら、まだアデュのことをアクティブ活動的な女の子と思っているようだ。

「行くわよ、ほらマチス男なら前に行きなさい」

 エレハイムに押されようやく足を進め出した。

 暗い中、火をつけずにゆっくりと進んでいった。もし、敵がいた時それが目印となってしまうからだ。

 それはただの言い訳に過ぎない、燃やす物は持って来ていたのだが、火をつける道具を忘れてしまったのだ。いまさら取りに戻っている時間はなかった、作戦は始まっている。

 入口から少しは、足場があったのだがすぐになくなり、水に浸かりながら進むことになった。

 水はひんやりとしていた。

 壁に振れる手から不快な肌触りが伝ってくる。ジメッと湿気を持ったコケらしい。

 日の射しこむとのないトンネルの中はまだ春の風が行き渡っていない。

 そこは冬のような冷たさで充満していた。

 がらぁん、がらぁん……。

 今日の始まりを告げる鐘のね音が重い身体を振るい、一つの幕を上げようとしていた。


 アデュたちが水門に到達した頃、シーザーたちも行動を開始していた。

 昨夜、アデュがマチスに言い寄り、ジロンド派の大軍が手を貸してくれることになった。

 もともと、王座を打倒するために結成された派閥だったので、兵たちは二つ返事で了解した。マチスも、アデュに寄り添われたじたじになって承諾した。

 アデュへの恨みも、自分たちの仲間が侵した不正が原因だったと知り、一緒に戦うことに異義を言う者は誰一人としていなかった。

 むしろ、かわいい子が来たと喜ぶ始末だ。

 アデュもイヤがるどころか楽しんで、そのまま女のふりをし通した程だ。

 ヴァンデ公国最大の街、ディ・ナンド。

 街をぐるりと取り囲む壁は、見張りや、弓などで攻撃する場所が取り付けられていた。

 総人口約一万をこす人が住みつき、そのほとんどは兵隊の家族であった。

 そこを東西南北、四方の入り口から一気に攻め込み、城の城壁を壊す。もちろん護衛の兵隊が出てきて騒ぎを大きくすることも目的だが。壁を壊すことも出来ればしたいと思っていた。

 シーザー、カニカが攻め込む所は南入り口、丁度、城の正門のある表通りだった。

 シーザーは、埃のついたローブを全身に被り、内には革で出来た軽めの鎧を着込んでいる。背には大剣を背負っている。身長までは行かないが長身の太い剣である。

 カニカはいたってシンプル、極めの細かい布の服。

 空を仰ぐシーザーに彼は話しかけた。

「いよいよだね」

「ああ……ああ?」

 シーザーは声の主を見て悲鳴を上げた。

 茶色い髪、愛らしい瞳を持った、今から戦と言う場に似合わない少年がいた。

「フェルト! なんでこんな所にいるんだ!」

 カニカも厳しい表情で言った。

「ここが最後の戦場でしょ。僕も一緒に戦うよ」

「しかし……」

「邪魔だなんてヤボなこと言わないでよ。ひ弱なカニカや、女の子のエリィだって戦うんだ。僕だけのほほ~んと待ってるだけなんでヤダ」

 いたずらっぽく愛くるしい眼差しを飛ばす。

「へーへー、ひ弱でわる悪うございました」

「仕方がない。エリィから、来そうだって聞いていたしな。カニカお守りは任せるよ」

「お守りって何だよ!」

 噛み付いて来る少年を見てシーザーたちは楽しそうに笑い声を上げた。

 戦い直前の緊張しきった気持ちを和らげてくれるようだった。

「そいじゃ……行くぞお!」

 シーザーが声を高らかに上げると、歓声が沸き起こり、今、本当に始動した。

 太陽は姿を現し橙の光を投げかけ、朝の始まりと出撃の時を告げる街の鐘が重く鳴り響いた。


「来たか……」

 ――そのようだ……が、奴は力の存在に不安を持っていよう。

「いずれ、受け入れなければならない時が来る」

 ――ふふふ、存在するは絶望のみ。他のもの存在など殺してしまえ。

「審判を下すのは我々ではない。我々はただ、戦うことで自分を見つけるしかないのだから……」


 暗闇の中を進むマチスの足が止まった。

 妙な気配、何処か背筋か張りそうな、淀んだものを感じ動きを止めざるおえなかった。

「どうかした?」

「……」

 立ち止まり辺りを見るマチスに、後ろを歩く二人もつられて辺りを探り出した。

「なんか感じねぇか?」

「いるよ、何か」

 即座にアデュが確信した声で答えた。

 アデュの瞳は獣のような鋭い光を放ち一点を見つめていた。

 見ている先は壁だった。

 難の変哲もない壁で、コケの湿った空気がまとわりつき、素手で触りたくない、汚そうな物だ。

(イヤだなぁ。こうゆー雰囲気)

 その時だ、天井に幾つもの炎が飛び出して来た。青白く、肝試しに墓地や死体の周りを浮かんでいそうな怖がらせるための道具。

 炎の脇から手が出て来た。壁から、恐ろしく見せている演出をしている。

 炎に照らされた手はぬらりとした黒と紫色の手袋をしていた。

 出て来たのはピエロの服装をした人間の形を象っている者だろう。暗いのではっきりはわからないが……。

 人を楽しませることを仕事とする明るい服の普通のピエロと違い、それは全身を薄気味悪い黒装束で統一し、顔には暗い色で模様を描いている。

「――ぇぇぇっ!?」

 アデュは思いっきり不満そうな声を上げた。黒ピエロの笑っていない眼を見ていると、何かを訴えてくる視線を発見したのだ。

 確信した。しかし、まだ断言は出来ない。

 ゆっくりと行動させないと二人は殺される。

 殺戮を好み、苦しむ姿を楽しんで眺める殺人者の狂った目に似たピエロから、眼を離さずさまざまな思いを巡らした。

「二人とも、どうやら彼は僕に用がありぃみたいだし、ゆっくりと逃げてくれない」

「はあ!? 一人で戦うってーのアデュちゃん、……さん」

「危険だよ」

「いいや、大丈夫ね」

 根拠は気分だけ、一人でいないといけない気がする。

 不安定な根拠もない説明だが、何処か説得力のある自信を持っていたため、二人は黒ピエロを刺激しないよう足を進めるしかなかった。

「エレハイム!」

 静かに歩いているのをぶち壊す一喝をし、アデュは呼びとめた。

「護身用に持って行きな」

 ひょいと黒い棒を頬り投げた。

 黒ピエロはそれをムシしてアデュだけを睨み付けている。他には興味がないと言う意思表示だろう。

 エレハイムは受け取ると黒い棒をまじまじと見た。先端らしき所に穴が開いているだけで何の秘密兵器らしきものは見えない、セラミックスの筒だった。 

「なにこれ?」

「お守り、お守り」

「お守りぃ……?」

「さあ、行きな。お邪魔虫だからね」

 二人は取りあえず足を速め、ここから立ち去ることにした。

 水を掻く音が遠ざかって行くのを聞いて黒ピエロは、紫色にぬめる唇を歪めた。

(あーあ、やっぱり、二人っきりになってみると怖かったねぇ)

 少しは後悔したが取りあえず、楽観的に笑って見せ、相手を直視した。

 黒ピエロは笑い返すこともなく無表情に空中に静止していた。

 見えない糸に縫い付けられている人形は、何も感じることを知らないのかもしれない。

「ようこそ、神聖な場においでくださいました。感謝します」

 女の声は水を揺らし辺りに反響して消えて行く。

 色気を振り撒いている声ではなかった。

 聞いていて不快に感じはしないし、心地良くもない、氷のような冷たさと存在が全身を震わせる物である。

 声の主は、先に出て来た黒ピエロと同じ物を二体引き連れて、水の中から浮かび上がって来た。

「見事な判断です。彼らは審査の邪魔になるので殺そうかと思っていました」

 オンナ? 見た目は人間の女である。

 水に濡れて黒光りする漆黒の四枚の翼さえなければの話だが……。

 滑らかな曲線を描く体はバランスよく整っている。翼と正反対の純白の衣をまとい、水面につま先を降ろしちょんと立つ。

「驚いて結構ですよ。今からあなたに危害を加えるのですから」

(こんな物見たことないよ。新しく創ったのか? もしそうだとしたら、女、白鳥二羽、カラスだろうけど……。水面に立つなんて、アメンボ水黽でも混ぜたの?)

「言っておきますけど、私たちはローレンに創られたもの存在ではありませんよ」

『ワレラ、オオイナルモノニツ――』

「それ以上言ってはなりません。彼にヒントを与え過ぎることは、あの御方の真意ではありません」

 揃えて固まった声を出す黒ピエロ三人を優雅な口調で咎めると、水面を滑走しアデュに近づいて来た。

 体温を感じない手が、アデュの顎を掴み、顔を引き寄せた。

 男性と女性が逆転した。アデュよりも頭が高い位置にある女は、冷血の瞳で覗き込んできた。

「美しい顔ですね。あの方の物ではありません、あなたのお母様の方が強く影響している容姿です……(だから覚醒が遅くなったでしょう)」

「彼ら、彼、あの御方、あの方、代名詞使わないではっきり名前言ってほしいな」

「彼ら、エレハイムとマチス。彼、アデュ。その他はあなたが知る必要はありません。でも、一人はわかるでしょう。一度、お会いしているはずですから」

 女は、変わらぬ口調を守ったまま、答えた。

「一つ、いいかな」

「なんでしょう」

「名前……教えてほしいな」

 女は始めて表情を変え、凍った瞳を笑わせた。

「失礼しました。私ともあろう者が名前も名乗らずにいたなんて……でも、それを忘れさせるほどの魅力を持っている、あなたがいたせいでもありますね」

「母ナル者ノ代弁者」

 黒ピエロたちは尊敬と峻厳の混じった機械口調で述べて行く。

「みっ三ツノしゅ主ノ一人」

「知恵ヲ授カル者」

「美シキ方」

「全テヲ理解スル者」

「あー、皆さん。いちいち自己紹介するのに前置きは照れますから、いいと言いましたよね」

「……」

 困った顔でピエロたちを見ると、言った本人たちは無言で口をきつく結んでしまった。

「ふう……。私は審判官、エアリアル」

「エ、ア……」

「長いでしょう。アリエルで構いません」

「アリエル……」

 漆黒の翼を狭いトンネル内で大きく広げ、表情を険しく変えた。

「さて、お話はここまでにしましょう。あの御方も次のハトが現れることを待ち望んでいますからね」

 ピキッ。

 アリエルが翼を震わすと空気が悲鳴を上げ、大きく亀裂を入れた。

 亀裂の隙間から、黒い影が伸びアデュの体を縛り上げ、声を上げる間もなく取り込んだ。残る四つの影も跡を追って滑り込んだ。

 まもなく、亀裂は空腹を見たしたのか、その姿を無に返していた。

 後には、静かな時を刻む平凡な空気が満ちているだけだった。


 静かな時を騒がす害虫を眺め、少しだけ歯に力がこもった。

 ローレンは、城の正面に取り付けられたバルコニーで飄々とした面持ちで、暴動を起こす者と、取り締まる兵の諍いを摘まみに血のように赤いワインを勢いよく喉に押し流した。

 野心と言う物は今はなかった。

 あるのは正当? な決闘のみ。

 幼い頃、下級農民の子として生まれ、ひもじい生活をして来たローレンにとって、貴族は大っキライで消えてほしい種類の人間であり、あこがれる存在だった。

 いつも優雅に何の不住もなく暮せる人間がいる。比較すればするほど、イラ立ちが募る。

 十歳になる前だろう、閑静な住宅街の大屋敷に侵入したのは、幼いローレン少年はあまりの豪勢さに瞬きすることを忘れてしまった。

 床には、綺麗な赤、黄、オレンジの模様が刺繍されていて塵一つ落ちていない絨毯、壁には絵画が所々飾られ、天井には自分の体より大きいシャンデリアが幾つもあった。その中で、一番浮いている者。場所に溶け込めない汚れた害虫。

 自分自身の存在がわからなくなって来た。

 例えきれない憎悪が体の中を駆け回り、びくん、びくんと痙攣を起こす。

 速く逃げ出したい、自分を打ち消すこの場から一刻も速く、速く。

 その後だ。もう一人の自分がいることを知ったのは……。

 それは、ローレン少年の吹き出す憎悪を餌にどんどん膨らんで行き、いつしか消すことのない、悪意と執念が現れた。

 お互いを利用し、自分を確立して来た。

「私の城をどこまで壊せば気が済むのか。ムシケラどもは」

 ――今は、そう思っていない。

 それは薄ら笑いを浮かべながら言った。

「いや、聖域を汚されてイラだっているぞ。今から始まる約束の戦いの場で、騒ぎまくられているんだ」

 ――長かったな。待つと言う物は、あの小僧を見つけて今まで何年かかった。

「十数年だ。渾沌も正々堂々などと抜かしたおかげで……」

 ――まあ、いいではないか。戦うことに張り合いがあって。

 音は立たない。

 背後のドアは、ゆっくりと気配を察知されないように開かれた。

 ローレンは気づいていたがお目当ての人物でないから、振り向かず害虫どうしの戦いを虚ろな眼で眺めていた。

 ぶわっと、感情を露わにしたそれは息を止めて、一気に突っ込んで来た。

 属に踏ん張ったと言うべきか?

 ぴち。高速で振り下ろされた物は鋭利な刃物だった。それをローレンは吸い付くように指で挟み動きを封じ、力を入れる素振りも見せず、挟んだ物を圧し指をくっつけた。つまり、刃を割ったのだ。

「あら、やっぱ剣はダメだったか」

 苦く吐き、剣を放り投げた。

「絶好のチャンスだったのに、マチス……真面目にやったの?」

「やりました! でも、もともと俺は剣を使わない主義者だから……」

 後から入って来たエレハイムの叱責を受け流しマチスはシュ、シュ、シュと拳を振るった。

「貴様らか……」

 ――誰でもいいけど。

 しょんぼりした声で肩をすくめると持っていたワイングラスをテーブルに置き、二人を真っ直ぐ見た。

「あなたを倒させてもらうわ」

「王座を打倒する! ジロンド派、マチス!」

「王座がほしければ、あげるさ。今の私にとってそんな物は肩書きでしかないからな」

「なんですって!」

「私が今求める物は自分、二つ目の自分を取り込むこと。存在を確認し、統治者になる、王座より面白いものだ」

 いまいちエレハイムは理解できなかった。大体、権力を持った者の考えることなど理解したくなかったが……。

 存在を確認すると言う。――マチス自信も今の発言に対し、怒りを感じた。今までこの戦いに出すことをさせなかった思い。させてはダメな私的なことだった。

 立ち止まっている二人の背をローレンは押してやった。

「私と戦うために来たのだろ? 早く始めよう、私には用事があるのでな」

 ――デモンストレーション。

「デモンストレーション」

 ローレンはそれに重ねて言った。

「冗談じゃない。デモだと。あんたの力を見せるために俺らはいるわけじゃない!」

「じゃ、準備運動と訂正させてもらおう」

 鼻にかかった、小バカにした口調で言う。

「そこのお嬢さんは、いてもいなくても変わらないけれど――」

 ローレンの声を掻き消すように地鳴りがした。

 外を見ると空中に黒い人影が見えた。

 ――まったく、渾沌どのも役に立つ部下をくれて、感謝したいね。あの二人だけでビースト数十体分はあるからな。

 それは面白いほどに皮肉をくくった。自分の作った最強兵器をいとも簡単に破壊できる奴が部下になったことを喜んだ。

 あの二人以外知らなかった。ローレンも、ローレンの中にいるそれも、自分の力を過大評価している内は見えてこないものだった。

 渾沌に渦巻く世界を……。


 シーザーたちは、朝日に後押しされ一気に城壁までたどり着いた。

 途中、街の中には兵隊たちはいなかったが、さすがに城壁まで来ると、護衛の兵がわんさか出て来た。

 しかし、ジロンド派の荒れ者たちは戦うことに死力を尽くしてくれたため、大半の兵隊はすぐに片付いた。始末されていない者も倒されるのは時間の問題だ。

「やけにアッサリ、してますね」

 日の位置はほとんど変わっていない。一時の間に片付けたことにカニカは、不信と不安を感じた。

「ワシもそう思う」

「うん、子供の僕でもわかるよ。脂身がたんない」

 三人のいけ好かない雰囲気を知りもせず、ジロンド派は最後の戦いを楽しんでいた。

 誰もが思っていた。この戦いに勝てば王制が廃止され、自由に平等に生きられる平和が来ると、ただ暴れまわっているジロンドも、戦いがなくなるのはイヤだったが、王に支配されているのはもっとイヤだった。

「とにかく、中に入った三人の援護しないといけない。何せあのローレンだ。また昨日のむしカマキリでも出されたら、たまったもんじゃない!」

 そう言うと、少なくなった兵士たちを数人に任せ、城に突入する準備にとりかかった。

 頑丈な城壁や門を壊すのは容易ではない。だから、先端にカギヅメをつけたロープを引っ掛けて登ることにした。それも、簡単にはいかなかった。一戸建ての家五つ、つまり五階以上の高さのてっぺんを越え更に引っ掛ける芸当は一回で出来るものではなかった。投げ縄のうまい人が挑戦してもうま上手くいかず。落下して来たカギヅメが、脳天に直撃して、重傷をおう者が続出して来た。

「いやあ、難しいもんだなあ」

「そですね……」

 カニカとシーザーの二人も十回以上もチャレンジしているが、一向に引っ掛かる気配すら感じられない。

 痺れを切らしたフェルトが、カニカからカギヅメを奪い取り、ブンブンと投げる態勢をとった。

「ムリムリ、止めときなって」

「怪我するぞ」

「コツがあるんだよ」

 一度もやったことがないフェルトだったが、偉そうに言うと説得力がある。

 ようは、信じる者は成功するである。

 ひょいっと無造作にほう放ると一本の棒のように垂直に上がって行った。

 手元を揺らめかせるとロープはうねりを帯び、ヘビか龍に見えた。

 先端のカギヅメは大きく揺さぶられ、城壁目掛け傾いて行った。まだ伸びる距離はとうの昔に壁の高さをクリアしている。後は反対側に折れ引っ掛かってくれればOKだった。

 ガキ、ガキ。

 カギヅメは引いても外れない所に引っ掛かってくれた。

「うっそぉ」

「へへへ、どう、カニカより役に立ったでしょ」

「ああ! 役に立ってる立ってる。すごいぞフェルト、これなら投げ縄選手権で優勝もののできだ!」

 運も実力の内と言う。

 ただ単に傾いていただけのロープは引っかかることなく落ちてくるはずだった。運。頂点に達した所で思わぬ突風が吹き、ラッキーで向こうに折れてくれたのだ。

 勘違いでも、なんでも、侵入路が開けたことに喜ぶとすぐに縄を伝い登り出した。

 空気が陽炎を帯びた。

 頭に熱が上った気がする。

 一瞬の出来事は、地面を揺らし、爆発的地鳴りが耳を破って来た。

 その振動でカギヅメは外れ、半ばまで登りかけていたシーザーたちを地面に叩きつけた。

 シーザーたちは幸運だった。落ちた地面は真一文字に切り裂かれ、周りは衝撃で圧し潰れていた。近くにいた人は体を歪め、埃のように吹き飛び。ほとんど直撃をうけた者は、壊れたオモチャの人形のように腕、脚の皮膚が捻じ曲がり、異様な形になっていた。

 辺りに擦れる呻き声は、悲痛に身に染み込んでくる。

「ダメだよお。反則して入っちゃ。審査する前に失格にしようかなあ」

 緊張感の欠片もない、子供の声が上から聞こえた。

 少年、少女とも見えない黒い者があった。

 鼻先下まで真っ黒なフードを被っている。全身を黒で覆い、唯一口だけが笑っているのが覗えた。

 それは、妖しいの一言で済ませられる。

 見えない糸に乗っかっているようにツンと空中に立ち、地べたを這う人を薄っぺらく、眺めているようだった。

「なんだよ、お前!」

 フェルトは声を張り上げ、謎の生物に問い掛けた。

「パリス。審査官パリスさ」

「審査……?」

「何の審査する」

 カニカも珍しい物を見るキラキラした好奇の瞳で見ていた。

「君たち、人間を審査し、合否を決めるのだ」

「合否?」

「そう、存在するに値するかどうかを決めて、値する物なら助ける。しなければ、いずれ訪れる、滅びを早くすんの」

「つまり、敵? ローレンの手の者?」

 パリスは指を振ると頬を膨らませた。

「違う違う。あんな奴の部下になったわけじゃないよお。まあ、あいつは部下だって思ってる見たいだけど……。誤解だあ。オレらは、ただのレフリー、決闘を審判するだけにここに来ている。ちなみについで、君らの管理もしてんだ」

「よくわかんないけど……」

 腕を組み、頭を傾げるフェルトの脇にパリスが残像すら残さずに降り立った。

「簡単。ローレンの部下じゃない。君らはオレに存在を示すために戦う」

「子供をいたぶるのは大キライだ」

 シーザーがそっぽを向いて呟いた。

「じいちゃん。オレ、子供じゃないの。身なりは子供に見えても、有に十万年以上生きてるんだから」

「十、十万―!!」

「ふう」

 驚きの声がまだ目覚めていない街に響き渡った。それをパリスは溜め息で、うざったく流した。

「いちいち、メンドーなんだよな、業とらしく驚くのも。とっととかかって来てよ。イライラすんだよ、この間が」

 そう言うと、漆黒の布から細い手がぬっと出て来た。空気が揺らめくと同時に手には鎌が納まっていた。麦を刈る時に使う、大きめの奴だった。

「年寄りであったとわな、しかし、人間でないのなら容赦はせぬ、妖怪のたぐいめ」

(本気で潰すぞお!)

 妖怪と言われ腹を立てたパリスは、鎌を軽々と振る回すとゆらりと動いた。自分の体、ニ倍くらいの大きさの鎌を髪の用に扱う。

 シーザーもローブをはためかせ、背負っていた大剣を抜き放った。

 炎が波打つ刀身は淡い金色に閃き、重量のある物だ。

 巨大な刃は、足から胸くらいの長さで、一振りすれば、なんびと何人も止めることが出来そうにない。切り裂くことに絶大な破壊を生み出す。

「火炎剣だね、面白い。(アデュに貰ったな)」

 剣から発せられる波動を感じ、彼方に悠々としている太陽を思い出させる。

 パリスの呟きが耳に流れ込み、シーザーは、にやっと笑い返した。

 この剣の波動を感じる者の存在が、シーザーの戦う欲求を沸き立たせた。

 二人は身動ぎせず、息を潜め一撃をいれるタイミングをはかった。最初の一手が肝心だ。どのように押え込むか、隙を作らせるか、どちらも経験を積んでいるため、気迫でピリピリ髪を散らすほどの眼差しのぶつかり合いだ。

 長い沈黙を破って動き出したのはパリスだった。

 姿が左右にぶれ、掻き消えた。地面を蹴った時の踏み込みの余波が、砂を舞い上げていた。

 何百分の一秒で、光を反射させる鋭い刃が振り下ろされるのが、シーザーの目に捕らえられた。

 首を切り裂こうとする流れを途中で塞き止め、足を払った。

 全ての動作は金属音が轟く前に行われていた。

 烈しく甲走る震音のぶつかりは拮抗し、辺りの空気を一点に吸い込み、爆発的速さで吐き出した。

 払われた足の代金は、お釣りを返されないまま、パリスの着た布に吸い付かれた。動きが一瞬止まる、そこを狙って鎌の柄の部分を笹のようにしならせ、逆側から攻撃する。

 スリをするようにシーザーは自分のベルトから短刀を引き抜くと、向かい来る鎌の刃の根を切り裂いた。

 繋げる点がなくなった凶器は、プーメランみたいに飛んで行った。

 無論、戻ってくる。

 二人は一旦脚で蹴り会い、間合いを長くとって対じした。

 手に納まった元鎌の刃を、手刀で精製し始めた。幾度か叩くと、剣の柄の形になり、曲刀に姿を変えた。

「強いね、じいちゃん」

「そうでもない、歳寄りの冷や水だ」

 初老近い、シーザーの力は普通の同じ歳の人とは、かけ離れていた。剣の使い方、体術、技の見切りまで基盤が固められて、応用まで効いている。基礎が出来ているからこそ、ここまで力が衰えなかったと言えよう。

 若い頃、剣術など戦争で使えそうなことは、率先して訓練して来た。自国が弱い国だったことで、強さを求めた若き日の思い出である。

 今度はシーザーが動いた。一度剣を交えた二人は、ほとんど相手の実力を知っている気がしていた。

 風が唸りを上げるより速く、強烈な突きが繰り出されて行く。残像が残る。どれも触れれば切れる本物、十以上の切っ先は全てが生きていた。

「ひょぅ! いいね! おもしれーよ!」

 一つ一つ確実に交わしながら叫んだ。

「人間にしちゃー上出来!」

 でもね……。

 パリスの動きが変わった。完璧な動きで避け続け、剣を軽く振って明るく笑っていた口元がほくそ笑んだ。

 一気に後ろに下がると強く言った。

「レイ・カウント!」

 胸の前に現れた光の珠は、空に浮かぶ太陽の輝きが満ちていた。

「アデュと同じ、呪術!」

「ちげー。これは呪術じゃない。魔導さ、魔を導く者だけが使うことを許された全ての境、最強の万能兵器だかんね。勘違いしてほしくないね」

 光の珠は中心から生まれた黒に侵食され、その姿を真っ黒に変えてきていた。

 ぱちんっ。シャボン玉がはじける音がすると黒球は幾つにも分散し、パリスの周りに飛び散った。それは生きているかのように震え、主人の号令を待っている犬の存在に見えた。

 シーザーは、引くことをせず、勢いをそのまま乗せて剣を突き放った。

「アロー」

 パリスの声が轟く。

 ビクッと震えたかに見えた瞬間、シーザー目掛けて、黒い雨音を立てた。幾つあるか数えるのが困難なくらい無数の黒閃が映し出されていく。

 下手に避けるより、前進した方が受けるダメージが少ないと踏んだシーザーの感は見事にはずれた。砂嵐のように避けることすら出来ない攻撃は、体を突き抜けて行き虚空に消える。

 全身から力が抜け、ひどい脱力感が襲ってくる。立っていることも出来ず、剣に支えている力すら取り削がれ、シーザーは地面にへたり込んだ。

「どう、なんか疲れたでしょう」

 新たに作り出した漆黒の珠を手に遊びながら、パリスは見下ろした。

「今のレイ・カウントは精神的効果をもたらす物なんだ」

 レイ・カウントの効果の一つ、精神攻撃。

 その威力は術者の意識内にある感情、本質など複数に基づいて構成されている。

 例えば、感情の爆発した時に放つと、冷静に判断した時と違い、全てのエネルギーが直接目標物の脳内を刺激し、混乱、記憶の消滅、自分もしくは他人への不満、不安など意味なく脳内を駆け巡り、いつしか許容範囲を越え廃人とさせてしまうこともありえる。

 感情に流されないで使うことが出来れば、目標の気を失わせたり、精神的無気力、体を動かす機関に影響を及ぼすこともでき、使い易いこともある。

「――」

 口を動かすこともままならない状態で何とかして立ち上がるため、シーザーもなくなった気力と取り戻そうと歯を食いしばる。

「へえ、ガンバんねぇ。でも、腰に来るから止めときなって……」

 嘲笑うような笑みを浮かべ、パリスが漆黒の珠を空高く放り投げた。

 軽快な音を立てて落ちてくる珠に向かって、かるうく脚を蹴り上げ蹴りつける。

 パカンと弾ける音がすると、花火のように破裂して柳の葉を作り出した。

 黒い流れ星になって降り注ぐ粒は、周りにいた人ローレンの兵、反乱軍とわず触れて行きその闘争本能を奪い取って行き、力なく倒れていった。

 その光景を見ていたパリスは、勝ち誇った表情で辺りを見渡した。結果、勝ったのはパリスであろう、血を流してはいないが、戦意を失わせることによって敵を蹴散らしたのだ。

 その表情も、数秒とてもっていなかった。

「そんなぁ、アイツが起きたのか……?」

 情けない声でうめき、頭を垂らした。

「オオオオオオオオオ!!」

 そこへ、気力をじわじわ回復して行ったシーザーが唸り、剣を高らかに掲げた。おぼつかない足取りであった、強襲といえない強襲をしかけた。

 パリスは耳を傾けていたが無視して立ちつくしていた。

 構うことなくシーザーは火に波打つ大剣を振り下ろした。刃は頭から胴を真っ二つにして斬り刻まれた。

 何の反応もない。

 断末魔さえ上げることもなかった。

 ただ、黒い光となって薄っすらと存在を消して行った。

 シーザーも気力を使い果たしたか、前のめりに倒れるといびきをかいて眠りこけてしまった。当たりには、倒れる人のいびきが満ち満ちていた。

 正門襲撃部隊。

 ……全滅?


「暗いな……」

 アデュは雲のようにふわり浮きながら暗闇の中を漂っていた。

 いつもの夢に出てくる黒い海。

 冷たい風が吹き身体を震わせる。黒い海は波打ってはいるが沈黙を守っていた。

 いつも……とは、なんだろう。そう自分に問いかけて見た。本当にいつも見ていたのだろうか。どうしていつも見ていると言えるのか。本当にこれは自分が見ている夢なのか?

 なぜだろう……不安になって来る。

「なぜ……」

「なぜだ! なぜ貴様がここにいる!」

 アデュの呟きに重なるようにして叱責が飛んだ。

 自分に対して言われたのかと、辺りをじっくり見るがそうではないようだ。耳に二人の声が聞こえてくる。どうやら口論中のようだ。

「なぜ貴様がここにいると聞いている!」

 聞き覚えがあった。前、投獄中に出て来た吟遊詩人とか自称する変な奴、ルチアの声だ。

「あなたこそ、どうしてこんな所にいるのですか? 離反した者がいるべきところではありませんが……」

 これは四枚の黒い翼を持った女、エリアルのものだ。

 アデュは、手で波を掻きながら声のする方に向かって泳ぎ出した。

「離反したからこそ、次なる者を作ろうとここにいるんだ」

「……あなた、実体はどうしたのです」

「捨てたさ。ある意味これも罪滅ぼしと言う奴だ」

「だったら、最初から裏切らなければいいものを……。いいえ、もう過ぎたことです。主もあなたのことなど忘れたことでしょう。そして、ここから一刻も速く出て行きなさい、覚醒は私たちが促します」

 何を話しているかは聞こえるのだが、いまいちアデュには飲み込めなかった。

「ダメだ。貴様たちは強引過ぎる。私が全てを話し、彼に決めさせる。『イヤ』と言う時はあきらめて、他を探す」

「それこそダメです。もうこれは決定事項です。アデュは覚醒させます。自分で出来ないのなら……」

「それが傲慢だって言う!」

 耳元で聞こえる声であったが、全然二人の影も形も見えて来ない。

「ン? 丁度来た。邪魔はさせない」

「んな?」

 右手を掴まれて、引きこまれる感覚が頭を襲う。力強い引っ張りではなかった。優しくほんわかした引っ張りだった。

「アデュ話の続きだ!」

「おおう?」

 いきなり肩を掴まれ目の前にルチアの顔が浮かび上がった。

「ルシファは三つの柱の内均衡を重んじ、全てを統治して来た! 全てをだ! 何もかも、他の二つの柱も、渾沌に浮かぶ界もだ!」

 ――聞いてはなりません!

 頭の奥で微かに悲鳴を上げるのが聞こえるが、ルチアの声に押されて擦れている。

「柱って……?」

「前に言った伝達者のことだ。一つは峻厳、一つは慈悲、最後に二つに挟まれた均衡、これらは、渾沌によって生み出された存在だ。それになる者は何れかの界で生まれ、絶対の運命のレールを走らされる。主、渾沌に忠誠を誓わされて!」

「それって、いいことなのか?」

「全然だ!」

 ルチアは首が取れるくらいブンブンと横に振った。

「それらは自由を奪われ、自分の意思すらなくされる」

 自由。その一言にアデュの耳が寄った。

「続きだ! ルシファは幾つの界を飛びまわった。数えるのもバカバカしく思えるくらいだ! しかもただ働き……イヤ、このさいどうでもいいが、はっきり言って自我がなくなって来た、過労のためだ。そんな折だ、ここ、パーシャ中界で一人の女性に出会った」

「はあ?」

 何となく読めて来てはいたが、急に過労だの中界だの女性と、話しが転回すると頭のなかがグチャグチャになっていった。

「はあ? じゃない。お前だ! その女性とルシファの間に出来た子供は!」

「それこそ『はあ?』ものだよ。一体何なのさ」

「その女性は今生きているぞ! (あ~、あいてぇなあ)」

 ――レイ・カウントォ!

 それは声を上げた。

 アデュもルチアも意標を突かれていた。

 話しに夢中だったため、近くにいたエリアルの存在を忘れていたのだ。

 シーザーのくらった物と同じ物が波に混ざって射ぬかれた。乱射してくる黒い矢を交わすことが出来ないまま、二人は全身を射ぬかれた。

「暴力に訴えるのはよくありませんが時間がありません。もう一人が待っていますから」

 波が揺らめいたように見えた。違っていた。揺らめいたのは波でなく。エリアルの翼だった。四枚の翼が交互に重なり身体を包んでいたのを解いていった。

 つかつかと足を進め、背を丸め手足を投げ出して漂っているルチアの前に立った。

「定められたうんめい約束を解き放て……あでゅ……(ゼッタイ……勝ってくれ)」

 そこでルチアの声が途絶えた。

「少々おしゃべりが過ぎましたね」

「ルチ……アをどう……した」

「殺しました」

「な…………」

 ひどい脱力感から、スースーと穏やかな寝息を立てて、アデュは眠り始めた。

「それでは、始めましょうか。皆さん、お手伝いを頼みます」

 エリアルがそう言うと黒ピエロたちが何処からともなく現れて、二人は両側からアデュを締め上げ、動けないようにした。もう一人はエリアルの後ろで待機している。

「優しきアデュ、永遠にさよならです」

 エリアルは、今だ爆睡中のアデュの髪を掴み顔を上げ、額に軽く口をつけた。

 黒ピエロたちは少し動揺したがすぐに平常に心を保った。

「心を壊させてもらいますね。新のルシファが出てくる器を用意しなければなりませから」

 四枚の翼を大きく開き、力を解放した。淡いグリーンが右手に集い始める。それをアデュの胸に押し当てた。

 少し力を加えただけで、泥に手を入れたみたいに深く入って行く。

「うぐっ」

 アデュも呻くが起きる気配は感じられない。

 その間にエリアルは手を肘まで入りこませ、目的の部分を探り出そうとしている。

 薄く唇が歪む。

「見つけました」

 確信を込めて言うと、手に力を入れ、それを壊そうと触れさせる。

 ドクン!

 腕が跳ねた。

 激痛が全身を突きぬける。

 思わず腕を引き抜き、それを見て頭がきつく唸った。

「ああ、これは何と言う」

 エリアルの腕は二の腕までもが激痛に焦がされ、それより先はあることはなかった。

「解き……放て!」

 眠っていたはずのアデュはココロの鼓動で目を覚まし、持てる力を全て解放した。

 全身から銀色の閃光が走り、絞めていた黒ピエロを粉微塵に消し去り、エリアルの漆黒の翼を溶かした。

 声を上げることさえ許されない。口をパクパクさせながら自分を見た。光が突き抜けるたびに穴が開き侵食されて行く。いつしか、姿が見えなくなり、後ろで影になっていた最後の黒ピエロも消し去った。


「痛いわ! 非常に痛い」

 エレハイムは顔を歪め、テーブルの上に置いてあったグラスを投げつけた。

 エレハイムとマチスは、あれからずっと戦っていたが、傷すらつけられずにいた。

 準備運動にもならい動作で飛んで来たグラスを掴み、無駄のない動きで棚にしまった。

「これは痛いを通り過ぎているぜ。俺ら二人じゃ手も足も出せねえ」

 拳を振りながら、苦しく漏らした。

「お嬢さん。グラスは大事に扱わなければ……怪我をしますよ」

 マチスの拳と蹴りを巧みに避けながら、エレハイムに向かってウインクする。

(オヤジのウインク、気持ち悪ぅ)

「それとマチス君、拳はこのように使う」

 どすっ! ローレンは攻撃を掻い潜り、深々と拳を突き立てた。

 その一撃を境に次々マチスの腹にパンチがめり込んでいく。

 擦れる声を吐きながら、それに耐え反撃を試みるも虚しくカウンターをくらう。

 倒れたくても倒れさせない連続拳はマチスの体力を根こそぎ奪って行った。

 不意にローレンは攻撃の手をやめる。と同時に幾つものナイフが外から部屋の中に飛び込んで来た。

「ゥゲエ! めちゃくちゃいてえしよ」

「だいじょぶか?」

 何とか攻撃から逃げられたマチスは、床の上で腹を抱えてもがいている。

 それにエレハイムが駆け寄って部屋の隅まで引きずって行く。


 ローレンはバルコニーの手すりに寄り掛っている全身をローブで隠した不信人物を睨んだ。

 背丈は大人だ。ローブ越しに見える体つきはしっかりしている。

「どちらさんかな? いきなり刃物を投げつける客人はお見受けできないがねえ」

「ふっ」

 鼻で笑われ、眉をひそめる。

「久しぶりと言って置く」

 言うと不信人物はローブのフードを取った。

「ほおー」

「ん? ああ!」

 ローレンは関心の声を上げ、それを見ていたエレハイムも驚きと嬉しさで目を開いた。

 フードの下にあった顔は、シーザーその人だった。

「久しい……」

「まったく……貴様を倒すためにここに来たんだがねえ、ぼろぼろにやられてしまった」

「アイツは、負けたのか?」

「知らないな。斬ったら消えた。が、負けたのはこちらだ。全員ひどい疲れで寝てしまって、起きれるヤツラだけで引き上げるのは大変だった」

「そして、お前は手伝わずにここに来た……か」

 何やら思い出にふけっている年配の友人のような雰囲気がこもっている。

 沈黙が訪れ、視線と視線が交わっている。

「知り合いなのか、シーザー?」

 たまりかねてエレハイムは言った。

「知り合い……? バカなことを言う」

 答えたのはローレンだった。

「そんな生優しいもん何かじゃねえな。まあ、知ってるから知り合いなんだがな。フフン、教えてやろうか、この男の本性を――」

「貴様……」

「おお、怒った。フハハハハ、そうだろうな。こいつの目的は自分の仇を討つことなんだよ。自分がいた王国を俺に乗っ取られて、最愛の妻まで奪われてしまった恨みを晴らすためにここにいるんだ。そうだよな、元ガイアス国王さん、いや、様」

「五月蝿い……」

 憎しみのこもった気が隠されることなく出される。

「何が自由を勝ち取るだ。お前はただ自分の目的を果たすために、メリックを使っているだけなんだ! ハン、こりゃおかしくってたまんないね。だが安心していいぜ、そう言う奴はまだ、いるからな。暴露大会だ」

 シーザーから視線を外し、今度はエレハイムとマチスの方を見る。

「この二人も知ってるぜ。

 この女、たしか革命を起こす意思がまだ固まっていなかった時、そんな考えを持った奴がいた。ジジイとオヤジだったけか、その二人の家族は全員皆殺しにしたはずが、一匹取り逃がした。ガキの娘、髪の色は……」

 にやりと無気味に笑いながらエレハイムを直視する。

 耐え切れず目を伏せるが、それを見ているローレンはよけいに面白くなってきている。

「さてもう一人。

 お久しぶりですねえ。マルドゥーク・ヴァーラ・ヴァンデ14世、もと皇太子様」

「マルルルル!」

 エレハイムは、いったいなんなのよ? と叫びそうになった。

 それはそうである。ここヴァンデ公国を代々治めて来た。王家の者がこんな間近にいるのだから。それに風に聞いた話では、王家の者全員が食中毒で暗殺されたと聞いているのだ。

 それに追い討ちをかけてシーザーがガイロス公国の国王。

 と言ってもガイロスと言うところが何所にあるか、なにがある所かさえ知らないエレハイムにとって、ただ、あのじいさんが国王だと言うことにしか驚けないでいた。

「いやあ、まいりましたよ、まさか生きていたとは……。

 あの時、激しい嘔吐でトイレに行って、そのまま下水にドッボン、臭さと腹痛で溺れ死んだろうとばかり思っていたのですが、思いがけないことはいつ起こるかわかりませんなあ、へっへっへ」

 微かに顔を歪ませ、舌打ちしたのが聞こえて来た。

「結論!

 まったくメリック、否もとい、革命家の諸君は言っていることはいいことだが、本当は、自分さえよければそれでいい集団。

 以上。反論は認めない」

「反論なんかしない……それが本当のことだから、他の連中はどうか知らないけど、ワシはそうだ」

 シーザーは、静かに言った。手を背中に廻し、冷たい力を掴む。

 シュゥゥと滑らかな音を立てて、シーザーの力の一部が、その姿を現して行く。

 刀身は、ココロを現しているように、紅蓮に燃え、灼熱のオーラをまとっている。

「もう、何も言うまい。

 剣にて……語らせてもらう」

 剣を構え、シーザーは突進する。

「死ぬがいい……」

 ローレンの冷たい一言を囁いた。

 ――ヤメテ! コレ以上、犠牲ヲ増ヤサセナイデ!

 オネガイダカラ……!

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