第3話 悪夢

 乾いた空気の中を一陣の風が突き進み、薄く焦げた土で出来た家々の隙間を器用に通り過ぎていった。

 空は青く晴れ渡り、すじ常の雲がちらほらと縫い付けられ美しく色を飾っていた。

「アハハハハ」

 周りには空気しか見えないが、そこに楽しげに遊ぶ子供の声が響いて来た。

 建物の中で一番高い所、陽炎が立ち昇るのが見えた。

 波が揺らめいていた中に、緑が浮かび上がったと思った次には、小さい子供が現れた。

 十歳に満たないだろう、少年は緑色の髪を肩につきそうなくらいに散らせてカットしていた。愛くるしい顔には大きな瞳が髪と同じく緑色に潤みを帯びている。口は絶えず微笑み馬鹿とは違ったものを感じられる。

「お姉ちゃんみたいなお兄ちゃん、まだいるかなぁ」

 煤や泥、雨などで汚くよごれた少年を思い出した。

 いつも少年の頭を撫でてくれる人。たとえ身なりはこ汚くても、少しくらい瞳が疲れきっていても、心の優しさは無意識の内に現れると言うものだ。

「いるといーなくっくっく」

 顔一杯の笑顔を見せると風が凪ぎ姿が薄っすらと消えていった。

 遠くの空で黒く重い雲が閃き、轟いた。

 混沌とした心は嵐を呼び寄せ、全てを洗い流そうとしているのかもしれない。


 あの悪夢から一週間が過ぎ、彼はそこでひっそりと生きていた。

 第六貧民区域。

 貧乏人や社会的に問題な者が出入りする所だ。第一から第十の街に分けられている。息た心地がしないこともあり、王は管理することをしなかった

 日中、青く晴れ渡っていてもそこは薄く霧がかかり暗く淀んだ雰囲気を持っていた。

 元は赤かった壁も煤やカビなどで汚く変色し、薄く黄色が混じっていた。荒んだ空気がよけいに汚く見せているのかもしれない。

 奥の細道にはいると飲んだ暮れの親父や喧嘩越しの若者が地べたに座り、近くを通るだけで因縁をつけられる。町の至る所では毎日途切れることなくいざこざが起こる。犬や猿より性質が悪い。

 子供だろうが年寄りだろうが関係ない。この街で生きることは、土の中に住むモグラのように真っ暗な中を突き進むことを恐怖と思っては行けない。

 彼らの胸には、時代への憎悪が一心不乱に蠢いていた。

 彼もまた生きるために自らを捨てる気持ちになっていた。

 粗い目の麻袋を破って頭からつま先までマントのように羽織っていた。

 体は泥をかぶったようにこってりと汚れていたが、顔の持つ繊細かつ柔らかいものはどんなに汚しても変わることはなかった。

 目は活動を停止したと思えるほど暗い光を放っていた。信じていた者の裏切りと思える行動は彼の心を深深と切り裂き、一生涯治ることのない大けがをおわせた。

 ずっと一緒だった、物心つく以前から一緒だった。いつも一人だった自分を家族のように接してくる。優しく厳しい人だった。自分にとって掛け替えのない存在。

『彼のためなら、何時でも死ねる』

 何時でも死ねる、自分を犠牲にしても守りたいと思ってきた。その意味に彼は何を思っていたのか。

 あざ笑う顔。

 血が体に巻きつき、力なく流されて自分行く。

 違う!

 人を人と思わない顔。実験動物のように生きる価値がないと思っているのか。

 ローレンはそんな奴じゃない!

 まるで自分の殺され方を観察しているような眼差しと、息絶えようとしている友? を子供が壊すオモチャに見立てて面白がっているふうに見える。

「!」

 最近無意識の内に頭に過ぎることと言ったらそればかりだった。

「うぃたっ」

 そのせいで不幸が降りかかる。

 彼は裏路地の影で腐敗臭漂う生ゴミの山をあさっていた。ベタベタとまとわりつく中に恐れることなく両手を突っ込んで何か食べられそうな物を探す。

 指先に小さな痛みが走り手を出す。血は出ていない、引き抜いた手にはまだ少しだけだが身の着いた魚の骨があった。

「うぅ、ありがとう魚の神様。定番だけどまる三日、何も食べてなかったんです」

 嬉しそうにジッと骨を見つめながら感謝の言葉を囁く。

「ふにゃぁ♪」

 それを物影からひっそりと見ていた者が歓喜の声を上げて近づいてきた。

「また、君か」

 彼は振り向かずして相手の正体に気づいていた。

 三日間何も口にすることが出来なかった原因がそれだ。

 身体を摺り寄せながら獲物を睨みつけている視線が痛い。

「アデュさんくださいと言ったらあげるぅ♪」

 それは、エメラルドグリーンのさらさらの体毛を生やし、同じ色の宝石と間違えるほど綺麗な目を備えた変わった猫だ。

 全身がさわやかな風を帯びているようなオーラをはなつ雰囲気は、他の猫と違って上品に見える。

 この汚れた街でどうしたらそこまで綺麗でいられるか尋ねたくなる。猫は埃すら体に触れさせなかった。

 綺麗な物に棘があるのは当たり前なのか、アデュの三日間の食事は猫の口によって全て平らげられた。

「ふぁぁぁあ」

「君、人を舐めてるな」

 暗かったアデュの目は猫が現れたことで輝きを取り戻してきた。

「」

 猫はアデュの瞳をジッと見た。そらさずに。愛くるしいまでにクリクリと潤みを帯びた瞳を見ていると心の靄が吹き飛ばされていく気がした。

「はぅ、しゃーねぇな」

 先に折れたのはアデュだった。

「そうだ。いつまでも『猫』ってのもなんだし名前考えたんだ」

「にゃう?」

 不信な視線を投げかける猫の頭を優しく撫でてやった。

「エメラルドだから、エとルをとってLってのはどうかな」

「」

「返事はっ!?」

「にゅぃっ」

 歪んだ返事をLは返した。

「いやなんだねははは、僕はネーミングセンスないからね」

「」

「なんか言えよう」

「ちょっと来てもらおう」

 びくうと身体が震えた。振動する手でLを掴み上げると、奇怪と興奮の炎を目に映しながら囁いた。

「すご」

「違うだろ」

 真面目な顔でLを見つめているアデュの後ろから喉の奥で震える図太い声がした。

 見ると男が四人ほどいた。どれも腕や顔などにタトゥをしている。目つきもどこか刃物のように危険な色を光らせていた。どこからどう見ても関わり合いになりたくないタイプの人間像だ。性格面は別として。

 アデュはいちよう警戒しているような素振りでLを抱えて立ちあがった。

 警戒しているようとは、たかがごろつきども相手に警戒などする必要もなかったのだが、念のためという奴だ。

「何か用か?」

「用があるから来いって言ってんだ!」

「さっさと来い!」

 男たちはそういうとアデュに近づいて来て掴みかかろうとしる。アデュも麻袋の陰で隠れている脚を曲げ何時でも逃げるのと、蹴ることが出来るようにした。

「まぁ待て、おまえたち」

 一人その一連の場面を見ていた違う男が出て来て、ヤンキーな男たちを征した。

「ドンは客人としてもてなせと言っただろぅ」

 ドン?

 敬意を示す言葉ではあるがここでの意味はもっと深いのだろう。たぶん、この町を統べる者。町長のような生優しいものではない。力ではい上がった暴君のような物を想像した方がいい。

「そうだった、そうだった」

「うっかりしてたぜ」

「いい所で言ってくれて助かったぜ、カニカ」

 カニカと言う名前の男は、どこか他の男と持っている何かが違って見えた。

 真っ黒な髪と瞳は艶やかな光を放ち、整った顔立ちは人を魅了してしまいそうなオーラを放つ。スラッとした体格は他と比べると筋肉質ではなかった。外見では違うが瞳の奥では同じかそれ以上の深い感情が刻まれていた。

 カニカは一人進み出てアデュの前に立った。「何さ」

 アデュは、また厄介なことに関わり合いになったなと思いながら尋ねた。

 するとカニカは、意外な行動に出た。片膝を地面につけ心の強そうな眼差しで見つめて言う。その声はとても軟らかな曲線を描き、女性が聞けばうっとりするだろう。男だったら虫唾が走りそうだが。

「失礼した、可愛らしいお嬢さん」

「はぁ?」

「か弱いあなたに変質的な男らが迫って来たのですから、さぞ怖かったでしょうね」

「おい、カニカそれって俺らのことか!?」

(んだよ。こいつら)

 カニカは、反論の声を上げる男達を完全に自分の世界に入って無視していた。

「君のような美しい肌と瞳を持っている方を見れば誰だってハートに矢が刺さっちゃいます。しかし、お許しください我々はあなたに危害を加えるつもりは在りません、ちょっとお時間をいただいて、あってもらいたい人がいるのです」

「おーい」

「わかっていますよ。可愛らしい猫君も一緒にどうぞ」

「」

「ンっどうかしましたか?」

「人の話を聞け、バカ!」

 アデュは、自分の世界に統帥しているカニカにイラだち、念のための対策、蹴りを麻袋の中から叫び声と同時に繰り出した。

 弓の弦のような撓りと張り詰めた戦慄を持った蹴りだった。

 予想もしていなかった攻撃が身を打ち、物の見事にカニカは腹に痛みを走らせながら飛んでいった。

 女と思っていた時点でカニカの運命はこうなるとわかっていた。女は蹴らないと言う定理は間違っているし、だいいち。

「女のくせに!」

「舐めた真似してくれる!」

 思った通り仲間が倒れたことに腹を立て懐から刃物を出して向かって来る。

(定番すぎ)

 アデュは向かい来る男たちを軽々と交わし、身を踊らせる。優雅な舞の模様は剣を持っていなくとも剣のアデュその物だった。

「蹴ったのは謝るよ。その会いたいって言ってる奴にも会う。ただ一つだけ言っておきたいことがあるのだが俺のことを女というのは止めてほしいな。イヤじゃないけど、俺は列記とした男だから」

「エ?」

 彼らの口が半開きになった。驚く様子が皆同じだったから笑えた。ポカーンと馬鹿みたいだったからだ。まだ、叫ぶよりはましだった。


「うっそぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」

 ただ一人だけ叫び声を上げている者がいた。

 緑に揺れる羽衣を風に変え、緑の髪の少年は抱えられながら自分の耳を疑った。

 しかし、疑っても疑っても彼の口から聞こえた言葉は。

『俺は列記とした男だから』

 だけだった。

「世の中、不条理だぜ」

 少年は小さく呟くとその緑の身体を風にさらわせゆっくりと丸めていった。言葉は塵すら残ることはなく、誰の耳にも届いていなかった。


 酒の臭いがプンプン漂う中を彼らは歩いていた。

 アデュの周りを男たちが囲んでいた。細い裏路地をむさ苦しい男に前後左右押されながら歩くのは、はっきり言って気持ちのいいものではなかった。かと言って女がいいと言うわけでもなかったのだが。

 酔っ払いどもを跳ね除け、踏みつけながら一行はドンと言う者に会うために突き進んだ。

(男かな、女かな。どんな人だろう)

 アデュの心は浮いていた。

 久しい緊張感に包まれている。しかも、この街を統括するボスに会えるんだ。何か面白いことがありそうと思いが積もってきている。

 アデュの心は、傷だらけだった。何かに気を紛らわせていないと押し潰されそうになるのかもしれない。

 後ろを気だるそうに頭を垂れて歩くカニカがいた。まだ響く腹をさすりながら目の前に麻の布が揺れ動いているのを虚ろに見ていた。

「男ねぇ」

 彼の視線からはまだ、アデュが男だと信じきれない思いが感じ取れていた。

「へへへ、ざまーねぇな」

 隣を歩いていた男がカニカに皮肉な笑いをプレゼントした。

「てめぇの口説き方は古いんだよ」

「古いのか」

「そうだ。化石のような古さだなこりゃ」

「時代の流れるのは速いんだな」

(その前に男って気づけよ)

 後ろから、幽霊に似た魂の抜けたような囁きを聞きながらアデュは声に出さずに毒ずいてみた。

(と言っても俺の容姿はーー)

 麻袋から手を出して眺めて見る。

 すると両隣を歩いていた男二人がびくぅと身体を震わせた。見た目は怖そうに見えても根性がないようだ。クスクスと笑うアデュを見て二人の男たちは怒らずにそっぽを向いた。

「あでっ」

 顔が硬い物に当たってアデュは呻き声を上げた。前を歩いていた男が立ち止まりその背中にぶつかったようだ。横を見ると男たちがほくそ笑んでいるのが見えた。

「へへへ」

 アデュは膨れることなく笑い返した。それを見た男たちはにんまりと皮肉っぽくじゃなく楽しそうに笑った。

(こいつら、まだ俺のこと女だと思っているのかよ)

 ふとそんな疑問が頭を過ぎった。

「着いたぞ」

 そう言うと男たちはぞろぞろと中に入っていった。

 中からは微かにアルコールの強い匂いが流れてくる。だが、人の気配はするが騒いでいる声は全然聞こえない。何かにプレッシャーを感じて、息を潜めてボソボソ話をしているようだった。

「入れぇぇぇ」

 呪った声が肩口から聞こえアデュは退いた。

 死んだような形相でカニカが視線を送り、手を入口の方に振って促した。

「わかっているから、あんまり近づかないでね」

 アデュが気味悪そうに見ているのを見てカニカはにっこりと微笑んだ。

「やぁい、驚いた。ハハハ」

(子供か、ここの人間は。

 しかし、こんなチャランポランした奴らを仕切っているんだ。よほど威厳があって強いんだろうな)

 へらへらと笑う脳天気そうな男を見て、また自分の心が沸き立つのが聞こえた。


 マントの中ではアデュの腕に抱かれたLが弾むような鼓動を聞いていて、布越しに顔を見上げた。

「にゅう」

 何かに不安を過ぎらせ、口の奥でうめいた。


 中にはいると全員がアデュに視線を突いて来た。痛くも痒くもない視線を受けながら辺りを見渡した。

「奥の階段」

 後から入って来たカニカが指差した。

 奥にひっそりと上に伸びる階段が目に入った。ひっそりとしていたが作りは頑丈そうだった。熊のような大男が上り下りしてもうんともすんとも言わない。

 アデュは速く会いたいという気持ちに正直になりそそくさと階段に近づいた。

 急に腕を掴まれグイッと引き込まれた。腕を掴まれた時点で身体を反転して、引き込む力で加速した。相手の喉目掛け手刀が刺さろうとしていた。

「わあっ」

 相手カニカは驚きで身体を反らせて後ろに逃げようとしたが、アデュがつま先を踏んでいたので尻をつきへたり込んでしまった。辺りに張り詰めていた空気は余計、に刺激されフリーズしてしまった。

 寸前で止まった手は剣のような鋭さを見せていた。

「カニカ驚かすなよ」

「お、おどりょいたのは、こっちだつーの」

 どもりながらカニカは助かったと言う安堵感で一杯の顔になった。周りを凍らせていた空気が去り、酒を飲み始めている者も出て来た。

「なんだよ、引き止めて」

「靴の泥を落とさないと。上は俺たちにとっては聖域見たいな場所だからな」

 そう言うと会談の側においてあったマットの上に立ち、ゴシゴシと擦って泥を落としだした。来い来いと手招いてアデュを呼ぶ。

(仕方がないな。定には従うか)

 アデュは軽い身のこなしでマットの上に移るといそいそと靴を拭き、階段の手すりを利用してジャンプし一気に上った。埃すらない綺麗に掃除された階段だった。

 そこは豪勢な客室だった。

 ほぼ部屋の中心には二人がけのソファーが二つ間にはガラスの板が乗せられた小さいテーブル、その奥にはドンが座ると思われる大きな机ある。上で寝ることが出来そうなくらいの大きさだ。

 他の部屋に行くためのドアが四つある。ローレンの城にあったバルコニーのガラス製のドアよりも小さいが同じような物が取り付けられていた。外は美しい景色とはお世辞にも言えない薄暗い路地しか見えない。ただ、彼方の空だけが色を持っている。少し開いているのか、隙間があるのか、風が朱色のカーテンが揺れていた。

「ドンって人はいないのか?」

 アデュは声を上げていった。部屋の中にいるのは自分を呼びに来た数人が脇に立っているだけ、知らない顔も一つあるがそれっぽそうではなかった。

「あれ、ドンは?」

 階段を上り終えアデュの隣に立ったカニカも声を上げる。

「トイレだ」

「なんだぁ」

(なんだぁって、カニカ。溜め息つくとか、呆れるとか、驚くとかしないのか)

 一人の男がドアを指差しながら言う言葉をカニカはあっさりとした態度で受け取った。アデュは、あっけらかんとしている心境を表に出すまいと必死に目を引き締めていた。

 やがて、そのドアはゆっくりと開きだした。

 生唾を飲み、部屋にコクリと言う音が響き渡った気がした。

(?)

 現れたのは威厳はありそうだが力と言う物が感じられない初老にいきそうで、いかなそうな男だった。背は曲がってなくて、以外と長身である。初めは、力を隠しているのかと思ったが、部屋の豪華な装飾と着ている服があわなかったので人違いだと最終的に思った。

 男の服装は真っ黒な、床に着くくらい裾の長いローブを被り、腰で黄色い布で止めてあっただけだった。ローブの刺繍も金色の糸を使って縫ってあるが派手と言うわけではなかった。シンプル・イズ・ベストと言う言葉が似合いだ。

 腰に一本サーベルを携えているが何所にでも売っている、安っぽい地味な剣だった。

「いらっしゃい。お嬢さんよく来たね」

「えぇ、どうも」

 男は、張りのある渋い声で話し掛けて来た。昔は、カッコ良かったのかもしれない。と言っても今はダメと言っているわけではない。初老まじかの渋みを全身に持っている。

「初めまして」

「ボソボソ」

「うわかった」

 近くにいた男が何かボソボソと耳元で囁きかけた。

「ワシがここの街のドン、ジュリアス・シーザーじゃぁぁぁぁ。わあはははははは、どうじゃ参ったかぁ、ぐはははっはっはっはぁこれでいいかな」

(おがぅ!)

 部屋全体を揺るがすほど、いや、実際揺れたのだが声量と肺活量の人知を超えた発声が吹き荒れそこにいた者、全員がよろけた。

 最初に非難の声を混ぜた言葉を放ったのはボソボソと囁いた男だった。

「シーザー、幾ら最初が肝心とは言いましたけど、げ、限度と言う物を」

「わかっとるよ、冗談じゃ」

(わかってないよ、このオヤジ!)

「では、改めて。ワシはジュリアス・シーザーと言うもんじゃ。よろしく可愛らしいお嬢さん。軽軽しくシーザーと呼んでくれ、周りの者もそう言っておるし」

「はぁ、俺はアデュと言う。一様男性です」

「ほっほっほ、そかそか」

 シーザーはそう言うとソファーに深く座ってくつろぎだした。

「ん、客人も座りなさい」

「はぁ」

 促されて羽織っていたマントを脱いでアデュも腰を下した。久しぶりのふかふかした感触ローレンの所にいたとき以来だった。

(また、思い出してしまった)

 彼は今一度忘れるためにソファーの感触を楽しんだ。貧乏人の街と呼ばれる所にも、こんな物があったのかと思いながら肌触りを確かめた。茶色い革は滑々さと少しのくっつき感を持った値の張る物だろう。

 Lもアデュの腕からするりと抜け下り革の上を少し歩きアデュの膝の上に舞い戻ってうとうと眠り始めた。

 彼はソファーよりアデュの方がいいみたいだ。

 そんな愛くるしいLの動作を眺めながらも頭の中では、『まだ、信じられない』と言う思いがあった。

 今はトイレから出て来た時に漂っていた威厳も感じられない。

(まさか、臭いのせいなわけないか)

 一人ボケるアデュの心境を知ってか知らぬかシーザーは笑顔で話し掛けて来た。

「さて、いきなり本題で悪いが、君は一体何者なんだ教えてくれないか」

 アデュの眉が微かに跳ねた。

 まさか、自分が王宮の兵士もと王宮の兵士だと知ってここに呼ばれたのかと危機感ならぬものを感じた。

 愛用の剣はいつも通り服に隠れて腰にその存在感を与えていた。戦えばたいていの相手なら楽々倒すことが出来るが、こういう危ない輩が大勢いる所では、あまり騒動を起こしたくなかった。

「ああ、深い意味はないから。最近ジロンド派の連中がこの街にやって来て悪さしているもんだから、それにここにいる以上ワシらに挨拶に来ないと、この街の定だからな」

「挨拶しに来なかったことは謝罪する。そしてこの汚れた服もといマントを見てジロンド派と思えますか?」

 ばっと広げたマントに驚きLは膝の上からソファーに転げ落ちた。

 アデュのもといと言うのは、ここにたどり着いてから今まで麻袋マントを羽織っていたからほとんど目立つ汚れはなかったからだ。

「いや、最初見た時からお主はジロンド派でないことはわかっていたよ」

「用がないなら帰らせてもらう」

「まぁ、待ちなさい。そう急ぐことはないだろう。少し話でも皆外してくれるか」

 Lの首根っこを持って立ちあがったアデュを言葉で止め、周りにいた者に退室を願った。少し迷う者もいたが全員が一階に下りていった。

(話すことなんてないのに)

 春の風が隙間を通り二人の間をすり抜け部屋を一周した。嘘のようだった。湿気漂う汚い匂いはしない。風に乗って草の香りが部屋の淀んだ空気を追いやった。

「外に出よう、締め切った部屋じゃ思い切った話も出来ない」

「隙間があるから絞め切ったわけじゃないでしょ」

(思い切った話って?)

「ハハァン、面白いこと言うね。君は」

 シーザーはそう言うとガラス窓に近づき押し開いた。

 嘘ではなかった。

 何時の間にか空は晴れ渡り荒んだ街に明るさを運んできている。風も頬を滑るたび心地いい感触がする。全てが澄んで見えた。別世界に行ったようだった影すら見当たらない、静かでさわやかな世界へ。

 アデュとシーザーはバルコニーに出た。

 アデュはマントを胸元に止めた、足元にはLが身を摺り寄せて来ていた。ひょいとLを抱き上げた。

「お主、王家に使えていたのだろう」

 予想していた言い回し、思い切った話しと言ったらそれ以外にアデュにはなかった。

「そです。どうして気づきました」

「昔、見たことがあったんだ」

「昔?」

 昔と言う言葉に眉を潜めた。具体的に知りたそうな顔をしているのが見えたのかシーザーは語り始めた。

「五、六年前だったかな。ガイアス公国に来た時にな」

「五、六年前ガイアス」

 頭の中を思い出そうと捜し求める。

 初仕事だ。一人で行けるな。

 ふと断片が思い出せた。ローレンの言葉だった。悲しくなるのを押えながら、この際仕方がないと続けて探る。

 -ガイアス公国に使者として行ってほしい。

 -両国の親交を深めるための重大な仕事だ。

 思い出して来た。

 あの頃のヴァンデ公国は、諸外国を食らう害虫と思われていた。全ては、王が全てを仕切る世を作るため、いまでこそこの大陸全土が影響を受け王権主義の要となる国だが、昔を振り返るとこうも酷かったとは。

(違う違う。ガイアスのことだ)

 半年も経たない内にガイアス王族は滅びた。数人のヴァンデの人間によって。征服するための有能な人間が送りこまれたのだ。

「知っている。たしか国王が一人逃げたって聞いたけど」

「そうだ、よく知ってるな」

「まね、腰抜けの国王を持つと可哀相だよ、国民が」

「ああ、ワシもそう思う」

 シーザーは大きくうなずいた。

「そこに住んでいたの」

「ああ、その時な、使者が小さい子供だったって聞いて見た時だよ」

「シーザーいるぅ!!」

 絹を裂くどころか壁をぶち破りそうな声音が悲鳴に近い叫び声がバタバタと階段を上りながら飛んで来た。

 瞬時にアデュはマントに縫い付けたフードを鼻先まで深く被り、開いた前を閉めた。一瞬にして世捨て人へと変身した。

「助けてほしいの」

 息を切らせながら階段を駆け上って来たのは知っている顔の女だった。

 エメラルドの髪、熱い眼差しを走らせた女。

 『最低だ!』

 いたく突き刺さった言葉の槍が身体を突き抜ける感覚に襲われバルコニーの手すりに背を預けへたり込んだ。心からフードを被ってよかったと思った。

 現れた女は、エレハイム・E・ジークフリートその人だったのだ。

「どうかしたのか?」

「えぇ」

 ハアハア言いながら階段の方を指差した。

 金髪の男、バーナーの顔が見え始めていた。ゆっくりとした動作でなにか刺激したくないと言った面持ちで上がってくる。腕には小さい身体の少年が顔に汗を掻き、苦しそうな表情を見せ、抱きかかえられていた。

 ただ、少年の両目だけが包帯をぐるぐる巻きに巻いてあった。

 アデュは、フードの薄くなった所からその一連を盗み見ていた。背筋を薄気味悪い悪寒が原っぱを駆ける風のようにさらっと走る。

(フェルト!)

 自分が傷つけた中で最年少の者。

 全身を駆け回る罪悪感は、他の人を傷つけた時とは違う強烈な物だった。自分が引き裂かれるような寒気が迫り、いやな汗が吹き出てくる。

「両目を斬られたんだ。何所の医療施設に行っても治らないって言うんだ。どうしたらいいのかあたしにはわからない知恵を貸してくれ! シーザー!」

「わかったちょっと見せてくれないか?」

 すがるエレハイムの目から流れ落ちる雫をシーザーは指先で拭い、バーナーに抱えられたフェルトに近づいて目を隠す包帯をゆっくりと解いていった。

 途中、擦れて痛むのか苦痛に歪む口から呻き声が細く響いた。

 子供の苦しむ姿を見据えることが出来ずアデュは、目を伏せた。気を察してかLは優しい声を上げてアデュの上に座った。悲しそうな顔をした青年を仰ぐ瞳は悲しい潤みを帯びていた。

「酷い傷だな。瞳孔まで傷がついている」

「治るのか?」

「完治する確率は、スズメの涙以下だ。生きていくことは出来ても目が見えることは」

()

 その言葉を聞いて曇って行くアデュの顔がLの目にはどう映ったのだろう。見上げる眼差しは複雑な光で満ちていた。

「そうかやっぱり」

「落ち込むな。お前がフェルトの目になってやらんで誰がやる。まだ、痛みを取ってやることぐらい出来るだろう」

「そうだね、そうだよね。よし、ファイトで行こう!」

 方腕を高らかに上げ吼えるエレハイムの顔を見てシーザー、バーナーの顔も綻んだ。アデュの心を癒したLのようだった。

「そうだ、シーザー。強い傭兵とか知らないかな?」

「傭兵?」

「そっ。そろそろバカ王と決着つけないと犠牲が増えるばかりだしね」

「うぅん」

 シーザーは困った顔と、いいアイデアがある顔の幾つも混じった顔を見せた。

「どう?」

 エレハイムは瞳を覗き込み、光るような笑みを浮かべていた。

「いる」

「誰?」

「そこに凄腕の剣士が座っとるじゃろ」

 シーザーはそいつに視線と指を向けた。先にはボロ雑巾を羽織り、緑の猫を撫でている世捨て人らしい人が木製の手すりに身を支えていた。

「え? この人?」

 エレハイムはまじまじと眺めながら胡散臭そうな目でシーザーを見た。

「本当にスゴウデ?」

「ああ、見た目は薄気味悪いかもしれんが剣に関しては幾つも異名を持つほどだぞ」

 アデュは、「剣」、「異名」という言葉に反応して耳が微かに動いた、フードを被っているから表情は誰にも見えないが、明らかに動揺している。

(シーザー一体何を考えているんだ。確かに俺がフェルトに怪我させたと言ってないけど真に受けないでくれよ、エレハイム)

「ねえ、貴方、スゴウデ?」

 アデュの願いも聞き入れてもらえずエレハイムは目の前にちょこっと座り、話しかけてきた。

(狸寝入り?)

 もうどうにでもなれとやけを起こし寝た振りをして相手をやり過ごそうと決め込んだ。見つかったらその時考えればいい、楽観的だが動揺しているアデュにとって、今、思いつく最大の方法だ。

「寝てるのか?」

(その通り)

「狸だろう」

 シーザーが致命的な一言を放った。

「顔見せてもらちゃおー」

(アデュ、ピンチ!)

 エレハイムの手が迫ってくるのが感じられた。布越しに白くて細いひ弱そうな指先が。

 動揺すればするほど吹き出てきそうな感情の奔流が、渦を巻き獣のような唸り声を轟かせ、閃きとなってぶつかって来る。

「シーザー! ジロンドの連中が!」

 耳から入ってくる轟きは本物だった。血相を真っ赤に変えた声が部屋を駆け回り窓を突っ切って抜けていった。

 その場にいた全員が声のした方を向く。男がいる、カニカだ!

「どうした?」

 シーザーは落ち着いた口調でカニカに近づいて行き事情を聞きだす。

 吐き出る息が言葉を微かに小さくしていて遠くからでは全然聞こえない。しかし、内容は大体の予想がついた。

 見る見る青ざめていくシーザーの顔と第一声のジロンド。周りにいる人の間に動揺した戦慄が弧を描いて飛び回っている。

 シーザーが振りかえった。顔が淀んでいることは一目瞭然だった。

「何があったの?」

 意を決してエレハイムが尋ねる。

(た,助かったァァ)

「ジロンド派の連中が暴れまわっているらしい。数人怪我を負わされた」

「なんだってで、今奴らは?」

「まだ、街にいる、表の通りだ」

「なら、追い払おう!」

「頼めるかい?」

「任せてよシーザー、あたしとあなたの仲じゃない。ねっ、皆!」

(どんな仲だよ)

 エレハイムは、バーナー、その他大勢に視線を投げかけた。

「おっし、街からあの暴力派の連中をおっぱらうぞ!!」

「イエーイ!」

 掛け声を銘々上げると駆け足で現場に向かっていった。

 後に残ったのはシーザー、傷ついたフェルトとへたり込んでいるアデュだった。

「お主は行かないのか?」

 首を縦に振った。行かないというジェスチャーだということは言うまでもなくシーザーは気づいた。

「そうかしかし、なぜ戦わない」

「血」

「血?」

 ぼっそと呟くアデュの答えをオウム返しに聞く。

「そう、人が死んで行くのは好きじゃない」

「お主がフェルトを斬ったのじゃな」

「気づいた?」

「ああ、斬り口にオーラを感じた」

「オーラねぇ」

「悲しみに満ちたな」

 そういうとシーザーはアデュの腕を掴み強引に立ち上がらせた。それに歯向かうことをしないで、成されるままに従った。

「行こう、ここに居ても始まらない。表通り側にもバルコニーがある」

「イヤだ! 止めろ、離せ!」

 ガキ!

 硬い掌がアデュの頬を強く打った。人の暖かさが直に伝わってくる。優しくもあり、厳しくもある鼓動のようなもの。

「なにを」

「逃げてるだけだ!」

 反論を言おうとしたアデュの声を張り詰めた声が掻き消した。

「逃げるな。お前が腰抜けと言ったガイアス王と一緒だろう」

「あんな奴と一緒にしないで!」

「なら行こう」

 いつもと同じ穏やかな顔に戻って部屋の中に戻った。

「こっちから行くぞ」

 ドアを開いて出て行った。

(偉そうに説教されたあげく、丸め込まれてしまった最悪だな。つーかグウで殴るなや)

 一陣の風がフードを剥ぎ取り露わになった顔を冷たく誘う。冷たく気持ちのいい物だったがどこか同情されているみたいだった。

 人生色々、楽しく行こう。

 女の子みたいなお兄ちゃん。

 フードを取れないよう深く被り直し、Lを抱えシーザーの後を追った。


 表通りは緊迫した空気を漂わせ、二つの派閥を対じさせていた。

 数はほとんど同じくらい。互いに一歩も譲らない。

 一方はエレハイムを先頭にした街の男たち。周りからは情けなく見えるが彼女のカリスマと言うべきか、人を引きつける物を持っているため、先頭にして他の者に見えるようにして人数を増やそうとしているようだ。いざという時のため、後ろにぴったりバーナーが控えている。

 対するジロンド派は。良く言えば精悍、悪く言えば筋肉ダルマの集まり、こちらは数より質で行くようだ。

 エレハイムとジロンドの男、熊よりごっつい身体の奴が一人、前に出て話し合っている。話し合いと言う優しい言葉で言えば聞こえはいいが、噛み付きそうな勢いでエレハイムが言うと、同じく大きい身体を利用して威圧とどら声で、叫び声を上げる。どちらも引く気配すらない、むしろ激化していく。

「ううん。やるね、エリィは」

 両腕を組み、関心と趣が入り混じった笑みをこぼす。

(あんたドンなら何とかしろよ)

 のんきに綻ぶシーザーを横で見ながら毒づいた。

 二人は、バルコニーに出てその光景を上から他人ごと見たいに眺めていた。

「このままじゃ。喧嘩になるな」

(『なるな』じゃねーよ。止めろよ)

「おお、エリィの平手打ち、見事に決まったねぇ」

(面白がっているとしか思えない)

 下では、エレハイムの最初の一撃で張っていた糸が切れ、もはや誰も止められない状態となっていた。

 どちらも必死に戦っているが、接近戦でしかも相手がごつい、エレハイム側が圧倒的に不利だった。

「これを見ても何も感じないか」

 手すりから身を乗り出しながら横目でアデュを見た。

「加勢するつもりはないのか?」

「どちらにもつく義理はないね」

「もし、一方が王の兵だったら」

「」

 誰にもつかない。

 それがアデュの答えだった。今は王に仕えているわけでもない。敵ではないがローレンの真意がわからない以上つくことは出来ない。むろん革命を起こす輩につくつもりなんて更々ない。

「おしいねぇ」

「おしい?」

「実におしい」

 意味不明な言葉を繰り返すシーザーにイラ立ちが湧き起こる。ただでさえ、くだらない子供の喧嘩を見せられているのに、アデュにはローレンもわからないがこの男もさっぱり理解しがたかった。

「ワシだったら、その力を使って誰かを守るために戦うけれどねぇ」

「勝手な事を、守るために殺せと言うのか?」

「大事な者が殺されそうになった時お主はどうする」

 ちょっと前のことを思い出した。

『ローレンに危害を加える奴は誰であろうと斬る』と言っていた自分がいた。

「ふふふ、考えて考えて、悩め、いつか答えが見えてくるよたぶんわからんが」

 自信がないのかたぶんと小さく最後につけ加えてまた下を覗き込んだ。

 ほとんどのエレハイム側の人間が地べたを這っていた。

 勝利を確信したジロンド派の連中はこともあろうに家の中に入り、隠れていた住民に暴行して、食べ物や金目の物を略奪し始めた。

「きゃぁぁぁぁ」

 悲鳴がこだました。

 アデュは手すりの上に身を躍らせ様子を覗う。

 幼い女の子、まだ十歳にも満たなそうだ。家の中から飛び出して逃げようとした所を掴み上げられ、喉元に冷たく光る刃をあてられ喚き立てている。

「なんてことを」

「Lを頼んだ」

「ふにゃあう」

 地団駄を踏むシーザーにLを投げるやいなや、疾風迅雷のごとき神速で閃いた。

 

「うるっせぇガキめ、その首斬り落としてやる」

 男は少女を放り上げ首目掛けて剣を掬い上げた。

 キュィィィィィィン。

 刃物と刃物が激しくぶつかり共鳴して辺りに響き渡った。

 全員が音のこだまを聞き、後をたどって視線の交わる場所を見つけた。

 少女の首を真っ二つにするはずだった凶器は激しい衝撃で身を震わせ持ち手から滑り落ちた。

「五月蝿いのは、あんたらだ。バカ見たいに騒いで」

 左手で軽々と抱えていた少女を解き放ちフードの奥から睨みつけた。

「ありがとう」

「どういたしまして」

「でもおじちゃん、とっても臭いようちゃんとお風呂に入ってる」

「あ、あのさ俺、お兄ちゃんなんだけど」

 女の子だけに見えるように、男たちやエレハイムには背を向け、フードをちょっと上げて見せた。

「うっそぉぉぉぉぉぉ!?」

「な、お兄ちゃんだろ」

「すっごく可愛い顔したお姉ちゃんだ。でも臭いけど」

「う」

 性別なんか間違われたところでどうでもよかった。

 しかし。

 臭い、臭いと言われるのは、岩に潰されたぐらいショックだ。恐ろしくもある体臭と服の臭い。ここ一週間水浴び一つしていなかったからその影響だろう。こんなスラム街の水で身体を洗う方が気分悪い。恐る恐る自分の匂いを嗅いでみる。

「うこれは」

 服についた生ゴミの臭いと汚いスラムの空気の臭い、汗の臭いが入り混じった鼻を突き抜けて脳天が破壊されそうな強烈なものだった。言うなれば、一ヶ月間履き続けた靴下。

「ね、臭いでしょ」

 鼻を抓みながら笑顔で話しかける女の子を見ながら不幸の女神を呪った。

「う、うん。臭い」

 アデュはそう言うしかなかった。

「でも、臭くっても強いんだよ」

「えぇ、ほんとぉ」

「このクソ野郎!」

 後ろから上半身裸体の男が二人、人の胴をスパッと切れそうな巨大な三日月刀を振り上げ、突進してくる。

 フードを深く被り直し、振り向いた。鼻から下が怒りに震えている。

「今の俺に」

「おぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」

「死ねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」

 マントか跳ねあがり血に汚れた空色の服が露わになった。

「クソって言葉は禁句なんだよぉ!」

 三人が重なり合ったように見えた。

 「うぐっ」

 最初に退いたのは男二人、呻き声を噛み殺しその場に崩れ落ちた。

 アデュの両手には銀色に鈍い光を帯びた剣が納めるられていた。

「まさか殺した」

 誰かの囁きが震えと共に流されてきた。

「ちっげーよ。見てみな」

 手近に這いつくばっていた男の脇腹を蹴りあげ表を見せる。傷一つない裸体が目に飛び込んできた。

「当て身を食らわせただけ」

「臭くても、とぉっても強いんだ」

「ハハ、そうだね」

 純真無知な子供が言うのは許せることだが、こ汚い大人が言うとハラワタが煮え繰り返って、胃液が飛び出しそうになった。

 とりあえず、気を引き締めてフードに隠れた瞳を険しくした。

 -隠してても始まらない。

 いたずらな風か、急に強く吹き、舞い散った埃と一緒に深く被っていたはずのフードが剥ぎ取られた。

「ああああああああああああああああ!」

 全員の声が高音、低音、重なり合って美しく下劣なハーモニーを奏でた。ソプラノもビックリの高い声が中心に聳え立った。

 いつか、ばれるさ。

 ばらした元凶の風は飄々とした態度でそれを大空から見下ろしていた。

「ア、ア、ア、ア、ア、ア、アデュがなんでここに?!」

 ようやく絞り出した一声はエレハイムの物だった。どもりまくるエレハイムを見て顔をしかめながらマントを投げほおった。

 風が銀色の髪を伝い滑り抜け、汗が浮かんだ首筋を涼しく冷やす。

 泥がくっついてはいたものの少女の香り漂う幼い愛嬌ある顔、青い改造型の法衣。どれを取ってもあの時、あの場所にいた王の兵だと疑う余地もない。エレハイムは怒りの炎を後ろに背負って野獣のような突き刺さる瞳でアデュの顔を睨みつけた。

(くそうままよ)

 はっと自分で禁句を言ってしまったことに気づき悔んだ。

 アデュの背を突風が力強く押した。成すがままに身体を流す。一気に踏み切ってジロンドの人間目指し強襲をかけた。

 地面の閃きに並行して、空でも白く閃き爆音が轟いた。

「嵐か、遠くにあった雲が風で流れて来たのか」

 街全体を光らせていた青空は影も形もない。変わりに重く鈍よりした、深い灰色を携えた巨大な雲が広がっていた。

 ポツポツと天の雫が壁や地面に身体をぶつけ、しなやかな曲を奏でる。最初は心地良かったが次第に強みを増してきて、ゴウゴウと吹き付けて肌を痛いまでに本格的に降り始めた。

 それを物ともせずアデュは鬼神の舞いを優雅に踊っていた。両手から繰り出される剣は嵐と同じく徐々に激しくなっていく。切っ先が霞めれば次に、急所を蹴られるか、柄の部分で強打され気絶させられる。

 どれも命を奪う程の衝撃はしていない。

「悪いな別に彼らの仲間になったわけじゃないけど、ただ俺の前で子供が傷つくのは」

「見たくないって言うのか!?」

 ジロンドの生き残った男たちに辛そうな顔で言うアデュを見て、エレハイムは叱責を飛ばした。

「最低だ! フェルトに怪我させたくせに最低だ!」

「去れ」

 エレハイムを無視してジロンドに囁きかけた。

 悔しそうな顔を見せながら倒れた仲間を引きずってその場から逃げ出した。幾ら酷い奴らでも友情のような物はあるようだ。

「最低!」

 耳元で聞こえた声は痛烈な振動に反響してグルグル回り意識を霞め取っていく。

 アデュは、その場で崩れた。

 微かに留まる夢中でエレハイムが映った。手には鉄の棒が握られている。半ば妙に曲がっていた。

(さ、いきん、斬られたり、殴られたり酷い)

 薄れ行く記憶の道に地面を叩く雨音だけがずっと刻み込まれて行った。

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