第6話 目線と胸
目の前で突然、噴水の水がドバッと音を立てて高く打ちあがる。そのあと、噴水が流れるオブジェが姿を変えて現れる。それにより噴水の水の流れが変わり、静かに落ちていた水が大きな水の滝になっていた。
どうやら時間によって噴水の形を変えるらしい。現実ではできない芸当だ。
俺はその滝がもたらす水のマイナスイオン的なものを感じながら、それを背にしてストローで紙コップに入ったジュースを飲んでいた。メロン味だ。
仮想現実でも味覚は感じられる。ただ、もちろん腹にはたまらない。反対に空腹感も感じないため、適度にログアウトすることが勧められている。
空を見上げる。するとそこには大きく数字で時間が表示されていた。ちょうど午後二時だった。
昼飯をちゃんと食べた俺とヒカゲはまだまだフルダイブ出来る。先の空腹の件やその他諸々の現実の身体の健康のためフルダイブ体でいられる時間は十時間と限られている。一旦出てすぐ入ることも可能だが、それをするかどうかは自己責任だ。俺はお勧めしない。そんな俺は夜には一旦ログアウトする。日影にもそうしてもらう予定だ。
で、俺はなぜ噴水を見つめながらジュースを飲んでるのかというと、見ての通り休憩中なのだ。ヒカゲは寄りたいところがあるらしい。その間俺は小休止をさせてもらうことにした。
胸元をチラリと見る。そこには黒いブラジャーがあり、谷間が出来た胸が艶かしい雰囲気を発していた。
そう、俺はブラジャーを買えたのだ。その一部始終がぼんやりと頭に浮かんでくる。
服屋の試着室にて。
「ブラジャーなら任せてよ!」
「男の子のセリフじゃないな」
「そういえばどうしたの目隠しなんてして?」
「お兄ちゃんだから」
「? まぁいいや。じゃあ着けるよー。えっと、これをこうしッ……」
「ん? どうしたんだ」
「……………」
「ヒ、ヒカゲさん?」
「これ、まりなちゃんとせいちゃんがしてるやつ……」
「なんか声が震えてるんだけど……あ、まさかヒカゲ」
「ホック着いているタイプだ……」
「そういえばおまえスポーツブラしか着け……い、いやいや! 洗濯の時、直視はしてないからな! って、いうかスポーツブラなら俺でもつけられるわい!」
「どうしようこれ」
「どうしようこれ!」
「どうかなさいましたか? お客様」
「たすけて!」
かくして俺はNPCである店員さんに助けてもらい今に至る。
その代わり、試着室でホック付きブラジャーを見ながら呆然とする男の子と、目隠しをしながら上半身裸でブラを着けてくれと助けを求める女という変なシチュエーションを見せるはめになった。本物の人間ではないとはいえ、あれが誰かの記憶に残ってるっていうのは恥ずかしかった。
ちなみにさっき試しに走ってみたところ、重さは感じるが格段に動きやすくなった。突然激しい動きをしなければそんなに気にはならないだろう。ゲームを始めた時に貰えたゲーム内通貨、五千ゴールドの内、五百ゴールドで済んだのもよかった。
妙に艶かしいブラジャーがセクシーさを醸し出してしまっているせいで先程よりも直視ができない状態になっているがそれは耐えれば済む話だ。どうってことはない。
と、なれば俺が、俺達がやるべきなのは、もう一つしかない。
先程、チュートリアルクエストで寄った武器屋で無料で手渡された自分の武器を手にし前に掲げる。
俺の手には、先端に真っ赤な宝石がはめ込まれた木で出来た魔法の杖があった。
「冒険、だな」
自分がニヤリと微笑んだのが分かった。
実はゲームで魔法職をやるのは初めてだ。前まで俺は魔法とは無縁のゲーム、または職業を選んでいた。理由は単純。難しそうだったからだ。
やろうと思ったきっかけは、とあるプレイヤーのプレイを撮影した動画だった。
モンスターの軍勢を目の前に髪をポニーテールにまとめた女性が一人立っていた。
普通だったら勝てるわけがなかった。だが、動画の最後に立っていたのは彼女一人だった。
衣装は、普通の魔法使いが着るような衣装だった。まるで動画栄えしない地味な衣装だ。が、彼女の放つ魔法はそんな外見とは裏腹に綺麗で、派手で、独創的で、そして、何より、鋭かった。
彼女は、水を操っていた。
モンスターの軍勢が突撃を仕掛ける。
それと同時に彼女は大量の水を生み出し、自分の周りに漂わせると、革で出来たグローブをはめた両手を大きく振り上げる。
すると、事前に設定された魔法が発動する。
水が凝縮され、巨大な刃と化す。それがいくつも作られ、彼女の周りを囲む。
モンスターの軍勢は突撃の姿勢を崩さない。
彼女は両手を前に突き出し、容赦なく巨大な刃をその軍勢に放った。
軍勢のど真ん中に最初の一発が直撃すると、巨大な刃が大爆発を起こした。着弾地点には、大きくて重い物を水に落とした時のような水の柱があがっていた。その一発を皮切りに水の柱がいくつも出来上がる。
爆発が終わった頃には、モンスターの軍勢は倒された証である黄色い光の粒を残して跡形もなく消えてしまった。
俺はそれを見て、次にやるゲームでは魔法を使うことにしたのだ。まだ、あんなに強い魔法は扱えないが、あんな方に戦えたらさぞ気分がいいだろうな、と夢見ているのだ。
そして、その動画にはさらに続きがある。
弾けて飛び散った水が術者である彼女のところまで飛んできた。
まるで天気雨のように降ってくるその水を浴びながら、彼女は振り返ってカメラに向かって歩いてくる。
グローブをはずし、雨で顔に張り付く前髪を手で払う。
そこには、鋭い目をした大人の女性がいた。録画した動画だと分かっているのに、赤い瞳が自分を真っ直ぐ見つめてるような気がした。
そして次の瞬間、驚愕の瞬間が訪れる。
「へっきしッ」
彼女はくしゃみをした。そして、止まらないのか連続でくしゃみを繰り返す。
さっきまでのクールな表情は崩れ去り、鼻を赤くしながらカメラマンに渡されたティッシュで鼻をかむ彼女がそこにいた。
「んもうっ。なんでここまでリアルに作られてるの仮想空間て。もっとこう、夢がある場所じゃないの?」
「なんですかそれ。いや、現実と身体の感覚が離れないようにするためにあえてリアルに作ってあるらしいですよ」
「そんな、ちょっとくらい都合よく作ったって……へっきしッ」
「またくしゃみした」
「カット! カットよ! ここの部分カットしといてね! こんなんじゃプロモーションにならないんだから!」
「あとで一緒にお茶しに行ってくれるなら……」
「行かないわよ!」
本当に行かなかったらしく、この動画はぷんすか歩いて去っていく彼女の後ろ姿を映して終わりとなっている。
いいものが見れたな、とほくそ笑みながらその日俺は寝たのであった。
そういうわけで俺が操る魔法も水属性の魔法だ。
事前にカスタムしたスキルはセットしておいたし、あとは今日の主役の到着を待って、冒険へと続く門をくぐるだけだ。
杖を小脇に抱え、ジュースをストローですすり上げる。まだまだ量は残っていた。俺はそれをゆっくりと飲むことにした。
すると。
「ん?」
視線を感じた。それも複数。
視線がどこから来ているかは、すぐにわかった。
複数ある視線の中から、一つを選んでそこに顔を向ける。
すると、視線を向けていた人物は俺からバッと素早く顔をそらす。
別の人物にも同じようにすると、同じように顔をそらした。って、おいお前、彼女らしき人間がそばにいるじゃねぇか! あー、彼女怒っちゃたよ……俺は悪くないからな。気持ちは分かるけどよ。
俺は後ろで流れる噴水の滝を見た。途切れなく落ちる水が、鏡のようになって俺の姿を映した。
「おおきいなぁ……」
ちなみに、女になった自分の姿を見るのは初めてだ。パッチリとした目に膝まで伸びている髪の毛。
だが、まず男ならあの大きくて丸いものに目がいくであろう。
失礼ながらここに来るまでに道行く女性の胸をチラリと見て、それぞれの大きさを頭の中にデータとして残していた。一応、自分の胸が世間一般的にどれほどの大きさかを確かめたかったからだ。
その結果、俺はその写真のように残しておいたデータをシュレッダーにかけて破棄した。比べるまでもなく、俺の胸は他の女性よりも格段に大きかった。
これだけ大きいと男の目を集めてしまうのは仕方ないことだと思った。が、その視線が、予想以上に気になってしまう。
服を変えれば多少抑えられるかもしれないが、俺は今の服装が気に入っている。できれば変えたくない。胸の問題は解決したと思っていたが、とんだ間違いだった。
「ま、冒険にでちまえば別にいいか」
そうだ、冒険に出ればそこにはヒカゲと俺しかいないようになる。パーティごとにワールドが割り当てられるため、他の冒険者と出会うことはない。少し寂しい気もするが、宝箱を横取りされたりしないための配慮でもある。
そういえば俺のこの姿、あの水を操るプレイヤーに似ているような……気のせいか。
そんなことを考えてると、背後に人の気配がした。
お、来たな。今日の主役が。
なんかいいものでもあったかよ。このこの。と、軽口でも叩こうと思いながら振り返った。
「うぇ?」
だが、そこにいたのはヒカゲではなかった。
目の前には、おそらく男であろう人間が二人いた。おそらく、と言ったのは相手の顔が見えなかったからだ。
相手二人は西洋風の鎧に身を包んでいた。顔は頭をすっぽりと包むバケツみたいな兜によって隠されており、唯一、見えそうな所といえば横に線を引いたのかのように開けられた目の部分だけだった。だが、どんなに覗いてもそこには真っ黒な空間しかなかった。
そして、身体が大きかった。二メートルはあるであろう高い身長が鎧の重厚さを際立たせていた。
そんな二つの巨大物体が俺を見ていた。何も言わずに。
「な、何か御用で……?」
思わず圧倒されながらも、なんとか言葉をひねり出す。二人は黙ったままだった。
な……なんなんだよこいつら……と、思いながら俺はハッとする。
すぐに胸を両手で隠した。そして守るように抱きかかえて身体をのけぞらせる。
俺は、こいつらの目的がこの胸だと断定した。
男って奴はこれだから……一発ガツンと言ってやる。
そう思った次の瞬間。
二人の兜がぐりんと動き目の部分の穴が明後日の方向を向く。
「ん?」
「いやーやっぱおおき……じゃないじゃない。あねさん、一人ですかい?」
「暇なら俺らのパーティに参加しやせんか? こんなに胸が大きい子がパーティにいたら目の保養になっていやぁそれはそれは……じゃないじゃない」
本音隠せよ。
まったく、目線が釘付けだったのもバレてるからな。まぁ、今は逸らしてくれてるけど……とにかくだ。パーティのお誘いならお断りだ。
「あー今、弟と待ち合わせしてるんだ。わりぃな。また今度にしてくれ」
まぁ本音だだ漏れな分、信用しやすいかもな。弟と一緒じゃなければパーティに入ってやっても良かったくらいだ。
また誘ってくれよ。でも、この身体は弊社に報告してなんやかんやして直してもらうからもう拝めないがなっ。
そんなことを思ってると、目の前の異変に気づいた。
二つの大きな身体が、震えていた。なぜ震えているのか。顔が完全に隠れているために真意が読み取れない。
ただ、断ったのが原因だとは分かっている。そして、これから何かこいつらがしでかすんじゃないかと、直感的にそう思った。
俺はそれがただただ、怖かった。
だが、すぐにその思いはとりこし苦労に終わることが分かった。
「こ、こんな可愛らしい見た目してるのに男口調で喋るんですかい!」
「は?」
「こらぁめっけもんだ! お願いですあねさん! ウチのコミュニティに入ってくだせい! 一度でいいから、『あねさん』的ポジションの人に命令されたいんでさぁ!」
「誰がそのコミュニティとやらに入るもんか! ってか、ちけぇよ離れろー!」
どうやらこいつらは俺の男口調が気に入ったらしかった。文面だけ見ればなんとも語弊ある言い方だが、何一つ間違っていない。
そして、そのコミュニティは恐らく、十中八九メンバーは男で構成されてるに違いなかった。なぜならこいつらの鼻息が荒かったからだ。まるで飢えている獣だ。
そんな動物園みたいなところに入る気がない俺は、なおも迫り続ける二人を細い腕で押し返そうとしていた。が、少しも抑えることが出来ない。それどころか、柔らかい胸が奴らの鎧に当たって形を変えているところを見て理性が崩壊しかけそうになる。やつらはそんな光景にも目もくれず、入って! 入って! と繰り返すばかりだ。
「ふぎぎぎぎ……おい! 重いんだよバカどもがーっ!」
もうダメか。いろんな意味で。そう思った次の瞬間、電子音声が聞こえた。
『撃退システム、オンライン』
その声が聞こえたかと思うと、細い腕に掛かっていた負担が消えてなくなった。
「うおっ……」
そしてなぜか、やつらの身体を細い両腕で押し返していた。壁だと思っていたら、のれんだったってくらい容易く巨体をのけぞらせる。両手を見ると、真っ赤に輝いていた。
聞いたことがあった。女性のアカウントにはセクハラ防止用の機能がついているのだと。その種類は多岐に及び、その場その場で適切な能力を発動するとかなんとか。
まさか、こんな直接的な機能まであるとは思わなかったが。
「怪力プログラムってか? くくっ、今の俺にはおあつらえ向きの機能じゃねぇか。おい!
お前ら!」
「な、なんですかい」
「入ってくれるんで?」
「入らん! お前ら、俺に命令されてぇんだよな」
こくこく、と二人は頷く。正直過ぎるだろ。
「じゃあ命令するぜ」
そう言うと俺は手を押し返す動作から、掴む動作に切り替える。
めぎぃ、と音がすると、鎧の表面が変形し、より掴みやすくなった。
俺は腕を広げ、二人を左右に振る。俺よりもでかいはずの鉄の塊が、まるで紙のように軽い。
そして、俺は広げた腕を勢い良く閉じた。
「眠っとけ!」
命令するのと同時に、奴らの兜同士が衝突した。
ドカン、と予想よりも大きな音が鳴って、ヤベッと思ったがそこは安心安全、仮想空間。痛みの感覚はカットされている。よってこいつらにもダメージはない。が、衝撃は免れなかったらしく、頭から星を出しながらふにゃふにゃになって二つの巨体は倒れた。
「ったく、勝手にむにむに触りやがって……うん?」
俺はそこで、たくさんの視線が自分に集まっているのが分かった。自分の視界一杯にいつの間にか人だかりが出来ている。どうやら今の一連の騒動が人を集めてしまったらしい。
その人波をかき分けて、騎士団風の衣装を身に纏った男達がこちらへと向かってくる。
彼らの腕には黄色い腕章が掛けられており、それを見て俺はその人達がセキュリティの人達だとわかった。
その人達と一言二言会話を交わすと、俺はその場から解放された。
絡んできた二人はというと、事情を聞かれた後、厳重注意を受けていた。二つの巨体がシュンとしているのを見ると気の毒に思えたが、俺よりも先に胸をバンバン触りやがった罪に比べたら軽いもんだと思い、その場を後にする。歩き出すと同時に群集の一番奥の方で、こっちこっち、という感じで手を振っている人物がいるのに気づく。
事態が収束されるのを確認すると、集まった人達は散り散りになっていった。俺はその人達の間を縫うように動き、手を振る人物の元へと急ぐ。
「お姉ちゃん、大丈夫? 何かあったの?」
今となっては聞き慣れた、我が弟の声が耳に入ってくる。良かった。今度こそヒカゲだ。
「たいしたことじゃないよ。ほら、この通り、怪我も何もねーぜ」
身体を傾けたりして、それを照明してみせる。その時、ヒカゲの影に誰かがいるのに気づいた。
白いフードを被り、白いローブを身に纏った、あからさまに回復役っぽい子がヒカゲの後ろに隠れている。ヒカゲより少し小さいその子は、先端が渦巻き状になっている木の杖を大事そうに抱えていた。それは、プリーストという主に回復系の技を使う職業の初期装備だった。
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