第5話 ファンタスマ

 現実の、とある建物の中。

 せわしくなく動く人々。それを背景にイスに座り大量の資料の一つ一つに目を通す人々いた。

 そしてそこに、疲れた表情を浮かべる男が一人、紛れ込んだ。その男は真っ直ぐに自分の机に向かい、イスに手を掛けると身体の全体重をイスに預けた。イスが軋み、悲鳴をあげる。

 大きく息を吸い、大きく息を吐く。天井を見つめたかと思うとすぐに机の上のパソコンに視線を移し、操作し始めた。

「あとからあとから……キリがねぇぜ。まったく」

 休憩の時に崩したネクタイを正しながらパソコンの画面上にデータを開いていく。そのデータには犯罪、事件という言葉がところどころにあった。

 男は刑事だった。

「夏目さん」

 苗字を呼ばれた男は声がした方を振り返る。そこには後輩の女刑事が立っていた。

「どうです? 一件落着、しました?」

 後輩の女刑事はわざとらしく聞いてくる。返ってくる答えは分かっていた。

「ああ、一件だけな。苗木」

 パソコンの画面にはずらりとデータが並んでいる。それは複数の事件のデータではなく、一つの事件に対するデータだった。

「そういうお前は?」

「一件落着しましたよ」

「気分は?」

「最高ですね」

「はは、上等だ」

 夏目は笑った。

「夏目さん、そのデータ……」

 苗木はパソコンに開かれているデータに注目する。そこにはすでに事件の犯人が逮捕されていることと、だが、まだ事件の犯人の罪が確定していないことが書かれていた。

 そして、犯人の顔写真と全体像が、二つあった。

 まず、痩せた男の無気力そうな顔が映っている画像を見る。苗木にとって、それは見飽きた画像だった。すぐにもう一つの画像に目を移す。

 もう一つの画像には、現実ではありえない造形をした人物が映っていた。

 全身が紫色の人型。見たところ人間の形をしているが、屈強な肉体を包む紫色の鎧ともいうべき装甲はゲームなどでよく見る騎士の様な見た目をしていた。

 そして、一番の特徴は頭だった。虫のような鼻の先がとんがったような顔。その顔の横に赤い目玉が左右に三つずつあった。静止画であるはずなのに、今にもギョロギョロと動きそうな不気味な目だった。

 苗木はその姿を直接、見たことがあった。そして、その名前を一日たりとも忘れたことはなかった。

「ファンタスマ……」

 苗木はそう呟くと、奥歯を噛み締めた。

 フルダイブする前と、フルダイブしたもの。その二つの画像に映る人物は、同一人物だった。

「なぜ、夏目さんがこのデータを? 部署が違うのでは?」

「そうだな。だが、まだ成立したばかりのフルダイブ法は法整備ができていないらしい。今のところ名前だけってことだな。よってこいつをリアルと同じ扱いで裁くことにしたんだ」

「彼を殺人容疑で裁けるんですか」

「無理だろうな。追加で罪状を重ねるとすれば他人のパソコンにウィルスを流した、くらいの罰しか今のところ立証できない」

「あれから六年も経つのに、ですか」

 仮想空間連続意識消失事件。

 苗木は脳内でその言葉を再生する。そして、この事件が報道されたときのことを思い出した。

 聞き慣れない言葉で世に放たれたそれは、当時フルダイブする技術を使用していた者たちを戦慄させた。

 この画像に映る人物はその事件の犯人。彼は仮想空間を通して成人男性四名、成人女性二名、当時小学生だった子供一人の意識を奪ったとされている。フルダイブ技術が確立してから二十年の間で、最悪の犯罪者だ。

 いかにして意識を奪ったか、今はもうそれを知る術はない。だがこのフルダイブ体。「ファンタスマ」が使われたことだけは私の網膜に焼き付けられている。

 事件のファイルの通り、すでに逮捕済みだ。フルダイブを通しての現実への干渉。その干渉による被害。それによって発生した罪が六年もの間、犯人を刑務所へと縛り付けている。

 だが、それももうすぐ終わりを告げようとしていた。

「あと一年で出所だそうだな」

「意識消失の被害にあった人達の意識回復。個人に一つしか与えられないフルダイブアカウントの永久停止。それらを考慮すれば六年という時間を彼から奪ったのは妥当かもしれません。だけど……」

 苗木は叫びそうになる自分の声を押し殺した。

「まだ、一人帰ってきていない」

 苗木の頭の中に、当時小学生だった女の子の笑顔が浮かぶ。

「そうだな」

 夏目は怒りで震える苗木を横目に、冷静に相槌を打った。

「夏目さん、この犯人にその罪を償わせることってできますか」

「どうだろうな。なにしろフルダイブ法で裁ききれないからようやっと現実で起きた事件と同じように扱えるようになったんだ。だが、基本的にフルダイブ法で裁くことには変わりないこの状況で俺にできることは無いに等しい。いまだに意識が回復しない女性の件で裁くにしても、意識が回復する可能性がある限りは不可能だ」

「そんな……あの子はもう七年も寝ているのにですか!」

「苗木、声、声」

 苗木はそう指摘されると部屋を見回した。何人かが苗木に怪訝そうな顔を向けていた。

「す、すいません」

「苗木、ありきたりな説教だが世の中、感情だけではどうにもならないことがある。人に罪を背負わせるなら、尚更だ」

「はい……」

「わかったならいいさ。ところで苗木、お前の次の仕事はなんだ」

 質問をされた苗木は気分転換も兼ねて自分の仕事内容について説明した。

「とあるベータテスト期間中のフルダイブゲームにて警備を依頼されています。今日と明日の二日間ですね。すでに何名かがプレイヤーとしてフルダイブ中なので、私がそこに加わる形になります。で、私の仕事内容を聞いてどうするつもりなんですか?」

「いや、フルダイブ空間の仕事ってどんな感じなのか聞きたくてな。今度その仕事内容について聞かせて欲しい。同行したいんだが、部が違うからな。それにどうも俺は、そうゆう機器が苦手らしい。だが、何かヒントがつかめるかもしれん。それに」

 夏目は拳を握ってパソコンの画面に向かって親指を突き出した。

「こいつの出所祝いにプレゼントしたいものがあるからな」

「……はい!」

 苗木は、夏目の身体の中にも確かに感情が渦巻いていることを確認すると、出発の準備のためにフルダイブ用の機器がある部屋に向かうことにした。

 その前に少し立ち止まり、夏目に挨拶をしてから出て行くことにした。そして、胸の中で呟くように自分に語りかけた。

 そうだ、少しずつやっていくしかないんだ。一つの内の数多く、まずはその一つ目を私はこれからこなしに行こう。

「それじゃあ行って参ります! 『ソルレカランテ』へ!」

「な、苗木……声、声」

 夏目にそう指摘され苗木はハッとして周りを見回すとやれやれ、と呆れた人達の顔が見えた。

「い、行ってきます!」

「おう、また後でな」

 苗木は顔を赤くしながら部屋を出て行った。

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