第3話 社長室にて
「ふぅ」
太陽の光が入り込んだ部屋の一室で、大男が小さく息をついた。
扉をノックする音がした。大男は素早く手元にある機器のスイッチを切り、別のスイッチを入れるとノックをした人物を部屋に招き入れる。
「どうぞ」
「失礼します」
ドアを開けて、男が入ってくる。
男は科学者のように白衣を被り、その下には茶色のシャツを着ていた。褐色の肌に皺を刻み込み、髪の毛は白一色。大男のがっしりとした体格に比べると、猫背のまま部屋に入ってきた男はよりほっそりとした身体に見える。
「社長。今朝、始まりましたソルテカランテベータテスト、現在特に目立った障害も出ず順調に稼動しております」
「おお、そうか。それはよかった」
社長と呼ばれた男の白いスーツの左胸の辺りに黄金に輝く勲章のような物が着いている。そこには英語で「ヒーロークリエイティブ」と書かれており、その文の上に鷹のようなシンボルが翼を広げていた。
大男の名前は西光寺光。ヒーロークリエイティブ社の社長だった。
ほっそりとした男の胸には杉村信二と書かれた名札があった。名前の下に企画部部長と書かれている。その文字の後に付け足されたように開発主任、と一回り小さな文字で書かれていた。
部屋の中に設置された対面するように並べられた赤いソファに二人が腰掛ける。
杉村が目の前のテーブルにソルテカランテについての資料の数々を絨毯のように広げ、専門用語を口から雪崩のように滑らせる。それを見て聞く西光寺社長の口の端がピクピクと動き、顔に汗を一筋垂らした。
それに気づいた杉村が、内容を簡潔に噛み砕いて説明をすると、西光寺社長の顔がだんだん明るくなり、うんうんとうなずくようになった。杉村もそれに釣られて笑顔をこぼしながら資料をめくる。
仕事の時間であるにも関わらず、しばし二人の間にゆったりとした時間が流れた。
そして、仕事が一段落すると、二人は資料を脇にどけて杉村が給仕室から汲んできたコーヒーを嗜むことにした。西光寺社長はコーヒーを一口飲むと突然、ふふっと笑った。
「どうしたんです、社長?」
「いや、ね」
カップを小皿を置き。ソファの背もたれにもたれかかる。
「昔やった、ヒーローショーのイベントの時を思い出してね」
「ヒーローショーのイベント……ああ、もしかして、トラベルレンジャーのショーのことですか?」
「あ、ああ、そうだ。トラベルレンジャーの時だ。すごいね杉村君。けっこうな数のヒーローショーやって来た中で、よくトラベルレンジャーだと分かったね」
「……まぁ、印象的でしたからね」
「そうだね。いやぁ、あれは記憶に残ったよ。トラベルレンジャーがピンチから一転、怪人を追い詰めるシーンでさ、レッド役の人が観客席から一人子供を選んでステージに立たせて一緒に戦うんだけどさ、その後にレッドが、よし、行くぞ! 少年! てセリフがあるんだけどさ、そのセリフに子供が元気良く、うん! 行こう! て元気良く応えてくれたんだけど……」
「ええ」
「ふふっ、その子、女の子だったんだよね」
「観客席は男の子でいっぱいだったんですけどねぇ、まさか、ね」
「まぁ別に男の子と間違って女の子連れて来ちゃったなんてことは全然大丈夫だからそのままヒーローショーは続いたんだけど……」
「続きましたか?」
杉村がすかさず質問をする。笑顔で話していた杉村の顔が強張る。
杉村はその話のオチを知っていた。こうゆうとき、オチは話し手に言わせるのが常だが、杉村は質問せずにはいられなかった。
西光寺は杉村と同じ顔をしながら、その質問に応える。
「続かなかったね……」
男の子と間違えて女の子を選んだ。それは些細なことだった。
問題はその後だった。
そのヒーローショーを裏から見ていた西光寺と杉村はその問題が起きた場面を見ていた。
二人はその時の記憶を蘇らせる。
それは、亀のような着ぐるみを着た怪人が「おのれぇ! トラベルレッド! 」の掛け声とともに大きな左腕をレッド目掛けて振り下ろした時だった。
その左腕をレッドが受け止め、反撃のキックを怪人に喰らわせ「チャンスだ!」の掛け声と共に子供と一緒に追撃を畳み掛ける、はずだった。
怪人が左腕を振り下ろした次の瞬間、パンッと音がした。
それは、台本には載っていない音だった。
ステージ上で響いたその音が止むと、怪人はステージの上でどさりと音を立てて崩れ落ちていた。
セリフを発することなく倒れた怪人に、何かあったのかとステージの裏にいた人間は戦慄した。が、西光寺と杉村は動じなかった。原因がわかっていたからだ。
二人は見ていた。
レッドが怪人の左腕を受け止めるために左腕を出すよりも速く、怪人の懐に飛び込んだ小さな影を。
倒れた怪人の向こう側に、真っ直ぐに拳を突き出した女の子がいた。
怪人が倒れ、静寂が訪れる。
そして、少女は、少年達の歓声を浴びた。
「盛り上がっちゃったね」
「その場の対応でなんとかなってよかったです」
手下である戦闘員達に運ばれる怪人。
すぐさま着ぐるみを脱がし、中身の状態を確認した。
そこには、苦痛に顔を歪め呻き声をあげる中の人がいた。幸い、怪我らしい怪我もなく、中の人が感じていた痛みもヒーローショーが終わる頃には無くなったと聞いた。
一方、ステージ上では無理矢理フィナーレの流れを作ろうとスタッフが動いていた。
フィナーレのシーンで流れる音楽を流すことによってレッド役の人にシーンを飛ばすように伝える。
レッド役はそれを理解すると、ステージの脇に隠れて出番を待つ他のレンジャー達に目配せして出てくるように促す。レンジャー達も状況を理解し、すぐにステージ上に出てくる。
「みんな! 今日は来てくれてありがとう! 地球の平和は俺達トラベルレンジャーと、この小さな戦士によって守られた! 俺達は負けない! 助けを呼ぶ声あらば、いつだってどこだって、すぐに駆けつけてやるぜ! じゃあ、またな!」
トラベルレンジャーはステージの脇に退場し、少女はステージに上がった係員のお姉さんに連れられてステージを降りる。
お姉さんが少女に一言二言言葉を掛け、少女がそれにうなずくと、少女は解放される。
解放された途端、少女は目を輝かした少年達に囲まれた。
「すげー! なんだよ今の! トラベルブルーのウォータースプラッシュキックより早かったぜ!」
「ねぇねぇ、どんなことすればあんなに早い動きできるの?」
「なぁ、あの技のやり方おれに教えてくれよ!」
そんな羨望の眼差しの的になった少女が困ったようにしていると、囲いを作る集団の中を無理矢理進む一人の少年が現れた。
目を輝かせる少年達とは違い、その少年は歯を食いしばって必死に人の波を掻き分けていく。
そして、少女の元にたどり着くと、少女の腕を掴み、囲いから脱出しようとする。
「ほら、行くぞ、日影」
「待ってよ、お兄ちゃん。まだ技のやり方教えてないよ」
「お前はここで道場でも開くつもりか! いいから行くぞ! 」
今日の主役が連れ去られ残念がる少年達を尻目に、お兄ちゃんと呼ばれた少年は少女の腕を掴みながらつかつかと歩いていく中、少女は少年達に手を振りながら去っていった。
「私も子供であったなら、あの輪の中に入って技を教えてくれとせがむだろうね」
「いやいや社長」
「む?」
「あなたなら今でも、あの子に技を教えてもらいたいはずですよ」
「はっはっはっ! その通りだな! だが私にはヒーローを生み出す役目がある。あの子に負けないくらいかっこいい、そして子供達の心を掴むヒーローを世に送り出してみせるのだ! なぁ! 杉村君!」
「そうですね。では、私はそろそろ仕事場に戻ります」
杉村は口に笑みを浮かべながら書類をフォルダーにまとめる。
「うむ。よろしく頼む。私は私で、仕事の続きをしよう」
思い出話もそこそこに、二人はそれぞれの業務に戻ろうとソファから腰を上げる。
杉村は大きな部屋の窓から外を見た。空一つない快晴だった。
「ところで社長」
「ん?」
「失礼ですが、社長が今から行う業務は、言ってしまうとやらなくてもいい業務なんですよ?」
杉村は社長が使っていた机の上に置いてあるマイクと録音機器に目をつける。
「何を言っているんだ! 確かに今日、私は休みの予定だが我が社初のフルダイブゲームの誕生。その瞬間を私が見届けなくてどうする? それに君から言ってくれたとはいえこの企画は全て杉村君、君に全責任を負わせてしまっている。ならば私はせめてその門出を祝さねばなるまいとここに馳せ参じてきたのだ! ……だが」
元気に演説をしていた西光寺の顔が曇る。
「も、もしかして、すごい迷惑だったりする?」
大きな身体が情けなくうなだれる。
「いや」
杉村は一泊置いて返事をした。
「迷惑では、ありませんよ」
「そ、そうか。では、またあとでな」
「ええ、またあとで」
杉村は社長に背中を向け、社長室の扉を閉める。中から西光寺の声が聞こえてくる。
杉村の顔からは笑みが消えていた。
何か考え込むように社長室の扉の前で棒立ちし、そして歩き出す。
瞳は、薄暗い廊下の先を見据えていた。
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