第2話 俺の妹が好きなもの

 妹の異常な適応力に救われた俺は森の中の道を妹と、日影と一緒に並んで歩いていた。

 道の先の景色は真っ白い柔らかな光で見えなくなっており、その光の中から俺達が歩くたびに道が次々に現れていく。

 今、俺達が歩いている道は、いわばゲームのロード画面みたいなものだ。フルダイブするゲームではゲーム内のデータのロードに加え、仮想現実における自分の身体の感覚を慣らすための時間となっている。自分の身体とはいえ、ゲームの中のデータを取り入れた仮の身体だ。馴染まない可能性がある。

 だが、フルダイブをやり続けていくとそういった問題は無くなる。ようは慣れだからだ。だから恐らく、フルダイブを経験したプレイヤーは暇そうにこの道を歩いていることだろう。あーあ、早く終わんないかな、と。かくゆう俺もそんなぼやきを呟く連中の一人だった。

 だったのだが。

「へぇー僕、本当に男になったんだぁ」

 ふと横を見ると、日影が歩きながら手で自分の身体をまさぐったり、それと同時に二つの目を使って身体の形を確かめていた。

「あんまり変わらないね」

 さらっと自分のスッキリとした元の身体の情報を開示する妹。確かに、髪の色や長さの違いはあれど雰囲気そのものはいつもの日影と変わりなかった。属性が妹から弟になったくらいだ。

 その様子を見ていた俺も目線だけ動かして自分の身体を確かめようとする。だが、少しでも視線を落とせば二つの大きな果物が視界に入った。それが見えると反射的に俺は目を逸らした。

「どうしたの? お姉ちゃん?」

「い、いや、なんでもない。なんでもないぞ」

 何? なんで目を逸らしたかって? お前の身体なんだからまさぐって確かめろって?

 そりゃなぁ、目の前にいきなりでかい胸が出現したらすげーって思う前に相手に失礼がないように反射的にまず顔を逸らすだろ? それと同じだ。そしてその状況がずっと続いている俺の心中はかき乱されそして今歩かされている道はそんな俺を落ち着ける役割を立派に果たそうとしてるってわけだ。

 そうゆうわけで俺は道の先にある白い光をみつめてきびきびと歩いている。

 いくじなしと思うかい? ああ、そうだよちくしょう。俺はいくじなしさ。

 だが、俺には妹がいる。

 別にこの状況に俺は大手を振って大喜びしてもいいんだ。むしろしたい。

 しかし俺はそんな、女の身体になって喜んでいるところを兄として実の妹に見せるわけにはいかない。絶対、この無駄に重さや感覚まで再現された胸のリアルな感触を味わってはいけないのだ。

 決めたぞ、俺は。

 俺はこのベータテスト期間中、一切この身体触れないということを!

 この二日間、絶対に耐え抜いて見せると!

「お姉ちゃんおっぱい触ったりしないの?」

「ぶふぅ」

 身内からのファーストアタックが決まったところで、俺の理性の耐久力テストが開始の合図を出す。四十八時間一本勝負。そのコングが鳴った。

「おまっ……俺は男だぞ! 女の子の前でそんなことできるか!」

 そうだ、俺は男だ。女性に失礼なことをしてはいけない、言ってはいけないと思うことぐらいの常識はある一般男性だ。だから、たとえ女性になったからって俺は絶対に破廉恥な行為はせんのだ!

「別にいいよ」

「え」

「私のお兄ちゃんなんだから、別にいいよ!」

 別にいいよ。

 はっきりと聞こえたその言葉が頭の中でエコーになって響きながら次第に遠ざかっていく。その間、俺の意識はどこかへ行ってしまっていた。そして、意識がどっかに行って空っぽの頭になった俺にわずかに残された思考力を使い、日影の言葉の意味を理解する。

 え? なに? 触っていいの?

「触っていいの?」

「うん。なんとも思わないよ」

「軽蔑したりとかは?」

「しないよ。絶対!」

「こ、これからの家族関係に影響は……」

「大丈夫だって! だってお兄ちゃん男の子だもんね。だったら女の人の胸を触りたいっていう欲求は当たり前のものだと思うし、なにより気になってしょうがないでしょ。恥ずかしかったらそこの木に隠れて確かめてきていいから! それくらいなら私、待てるよ!」

 天使か。

 そして俺はその神の使いに、許しを得たのか。

 おっぱいを触ってもいいですよって。

「お、おお……」

喉の奥からよくわからん声が漏れる。その漏れた息の感じから、自分が興奮していることが分かってしまった。

限界が来た。

 もはや理性と名づけられたタワーが倒れるのも時間の問題だった。

 そんな理性が崩れそうになっている俺の顔を日影に見せることはできなかった。顔を下に向けて地面を見ようとするも理性崩壊の原因が目の前に現れるので自分の背中を見るように顔を背けた。

 そしてついに、俺は自分の背中を妹に見せるように身体を動かし、森に向かって歩き出した。そう、確かめることにしたのだ。

 そうだ、これはゲームの中だ。現実じゃない。別にいいじゃないか。今現在、女である俺の身体を自分で触るなんてことくらい。

 そうと決まれば迷うことは無かった。歩くスピードが自然と速くなる。

 触りたい。

 そう思った次の瞬間、自分の足がビタッと止まった。

 隠れるために使う木まで目星をつけていたのに俺は突然歩くのをやめてしまった。

 妹に許しを得た今、足を止める理由なんてどこにもなかったはずなのに、だ。

 だが、足を止めた原因を作ったのは、他ならぬ妹だった。

 今、俺の目には森が映っている。けれど足が止まる寸前、とある映像が脳内に映った。それに俺は釘付けになっていた。

 それは、妹の、日影の視線で見た自分の姿だった。

 興奮と緊張が混ざり合って小さくなっている背中。その背中を見せながら歩いてく俺。

 情けない、と思った。そしてこうも思った。

 やっぱり、俺はいくじなしなんだな、と。

 そして俺は、両膝をゆっくりと地面に着ける。そしてそのまま両手も地面に着ける。胸が揺れる。

「お兄ちゃん!?」

 妹が心配して駆け寄ってくる。

 心配させるような倒れ方をしてすまない、妹よ。だけど、こうでもしないと止まれそうになかったから。あの木の陰に行ってしまうから。

「大丈夫? どっか痛いの?」

「ううん、痛くないよ。全然、平気だぜ」

 どこも痛くはない。強いて言うなら、妹に情けない姿を見せそうになった俺の心が痛い。

もう充分、見せてる気もするけども。知らん知らん。ノーカウントだ。

 俺はガバッと立ち上がると、前に向き直った。また胸が揺れる。

「日影!」

 日影は突然立ち上がった俺に驚きながらも、何も聞かずに俺のそばに立つ。

「今日から二日間、全力で楽しもうぜ!」

 男口調が女声に変換されるのにも慣れてきた。慣れると、なんだかその声で喋るのが楽しくなっている自分がいた。

 そうだ、楽しもう。

 第一、今回フルダイブした目的は日影が初めてゲームという文化に触れるからじゃないか。

 突然、フルダイブ用の機器を買ってきて、不安だから俺にもついてきて欲しい、と妹にお願いされた俺は全力で見守ろうと思い、ここにいるのだ。その俺があんな風になっちゃ楽しもうとしている日影に水を差すことになる。それじゃダメだ。それこそお兄ちゃんとしての立場がない。

「うん、お姉ちゃん!」

 そうだ! お姉ちゃんと呼ばれるのもなかなか新鮮味があっていいじゃないか! 正直、呼ばれてみたかったくらいだ!

 そう考えると、この身体は思った以上に楽しいかもしれない。

 大きい胸に意識が行きがちだが、女性特有の綺麗な服を着てみたりするのもこの身体でしかできないことではないか。うん、いいぞいいぞ。だんだん自分の中で「楽しもう」が「楽しみ」に変わってきている。

 歩き出した俺の足取りも軽い。身体の感覚にも慣れてきた。生まれたときから自分が女性だったような気さえする。

 よし、行くぞ、日影。かりそめの弟よ。

 共にこのゲームをしゃぶり尽くしてやろうじゃないか!

「お姉ちゃん」

「ん? なんだい、弟よ」

「ありがとうね」

「へ? お、おう……」

 またお胸に関する精神攻撃が来るかと思って密かに心の中で俺は爆発に備える兵士のごとく穴に潜り込み防御姿勢をとっていたのだが、予想外の言葉に心の中の俺が被っている軍用ヘルメットが頭からずり落ちた。

 なぜ俺は感謝されたんだろう。ほくそ笑んでいる日影の横顔を見ているとその疑問はさらに深みを増していった。

 そんなことをしているうちに、ゲームのロードが終わった。白い光の向こう側の景色が見えるようになった。

 その向こう側には大きな建物があった。ひと目でそれの正体が分かった。城だ。西洋風の城で、さながら、なんたらかんたら~キャッスルと呼ばれてそうな外見だった。城の下のほうを見ると、おそらく城下町を囲んでいるであろう真っ白な壁が見えた。それらが綺麗な青空を天井にして太陽を照明代わりに使い、キラキラと輝いていた。

 森の出口に立ち、少し先にある城下町へと続くはね橋を見据える。俺達の耳にはまだ風が通る音しか聞こえず、城の方は人が一人もいないんじゃないかと思うくらい静かだ。だが、あのはね橋を渡り、城下町に入ると俺達はこのゲームの世界に飛び込むことになる。そこにはベータテストに参加しているプレイヤー、そして人工知能で動く村人やら商人やらのNPC達のいろんな声が混ざり合い、さぞうるさい空間になっていることだろう。

 これから始まる、という気を感じ取ったのか日影は期待と緊張が混ざり合った顔持ちになっていた。その様子を見た俺は初めてたくさんの人で溢れ帰る都会の行く小学生の日影を思い出した。あの時も、最初はすごい緊張していた日影も、帰る頃には満面の笑みを浮かべていた。今回もそうなってくれると嬉しい限りだ。

 そういえば、あの時は何の用事で都会に行ったんだっけ? 思い出そうとすると思い出せないパターンだ。 なんだったっけな……

「あだっ」

 考え事をしていた俺の頭に何かがぶつかる。ぶつかり方から察するに、どうやら俺からぶつかりに行ったらしい。

「お姉ちゃん、なんか出てるよ?」

「いだだ……え?」

 そこには目線の高さに合わせてウィンドウ画面が開いていた。その画面の中にこう書かれていた。

『プレイヤーネームが未設定のままです』

 要はプレイヤーネームを決めろとのことだが、設定してあった名前は消えてしまっているらしい。決めなければゲームには参加できないようになっている。

 これもバグか、と呆れながらも俺は新しい身体に似合うような名前を考えることにした。

「ちょっと待っててくれ、日影。ん? そういえば、日影はなんて名前にしたんだ? あくまでもここはネットの世界だからな。うかつに個人情報なんて出せないから、これから俺達はプレイヤーネームで呼び合うことになるんだ。だからお兄ちゃんもといお姉ちゃんの本名とか言っちゃダメだぞ。で、どんな名前にしたんだ?」

「ヒカゲ!」

「お姉ちゃんは事前通達という言葉を胸に刻み込んだよ……」

 そうしているうちに俺は自分の名前を決めた。魔法使い、女性、で、髪の色。それらを考慮した結果、この名前になった。

「ミズナ」

『プレイヤーネーム、ミズナ、承認しました』

 考えた時間、約三十秒の名前が音声認識で登録されるとウィンドウが閉じた。これで先へ進める。

「よし。俺の名前は……いや、私の名前はミズナ。というわけでヒカゲも私をそう呼ぶように、いいね?」

「わかったよ、ミズナお姉ちゃん」

 うーむ。我ながらなかなかしっくりきてしまう呼び名にしてしまった。このままではお姉ちゃんとして板がついてしまうかもしれない。だが、何度も言うが俺はお兄ちゃんだ。お兄ちゃんらしくすることには変わりない。

 そこで俺はもう一度、誓いを立てる。この身体で、いやらしいことは絶対しないと!

「ところでお姉ちゃん」

「ん?」

「あとでおっぱい触ってもいい?」

「ダメだよスケベ!」

 ああもうまたこの子は突然こんなことを言う!

 俺は胸を両手で隠しながらヒカゲと距離を取った。

 ちぇ、と言うとヒカゲはそそくさと前に歩き始める。

「なんだよ今の……ヒカゲって実はこんなにエロエロモンスターだったのか?」

 どんだけスケベなんだよ、と思いながら俺はヒカゲの跡を追う。

 跳ね橋を渡り、入り口であるゲートの前に来る。ゲートもこれまた白い光で包まれており向こう側が見えない。

「ソルレカランテ……いよいよなんだね」

 ソルレカランテ。それが今回参加するベータテストのゲームの名前だ。王道RPGのようにモンスターがそこらじゅうにいて、それをプレイヤーが倒すというこれまた王道なゲーム内容になっている。変わっていることといえば、俺が女体となってこのゲームをプレイするということぐらいだ。

「い、行くよ、お姉ちゃん」

「おうよ」

 ヒカゲは緊張しながら、俺は余裕を持ってゲートをくぐった。

 すると、ドドンっという音がした。

 ビックリした俺はすぐさま音の発生源である空に目を向ける。聞いたことのある音、そして空に散らばるピンク色の閃光を見てすぐにそれが打ち上げ花火だとわかった。それが続けざまに発射され次々に花を咲かせる。そして、大空一杯に男の声が響き渡った。

『ようこそ! ソルレカランテへ!』

 あらん限りの大声が響いたかと思うと、どこからかラッパの音が鳴った。

 その音を皮切りに、様々な楽器の音が入り乱れ、愉快なオーケストラが開始された。

「今回、皆様に参加していたただいているのはヒーロークリエイティブ社初のフルダイブゲームのベータテストでございます! 細かい話はこの際置いといて! まずは皆様、どうぞお楽しみください! ようこそ! ソルレカランテへ!」

「だいぶ大雑把だな」

 繰り返し流れる音声を聞きながらこのゲームを運営する会社のことを思い出す。

 ヒーロークリエイティブ社とは、その名の通りヒーローを作る会社、らしい。らしい、とあやふやな言葉を使う理由はとある人物から聞いた情報だからだ。

 俺は横目でその人物を見る。

 その人物、ヒカゲを見ると案の定、驚きで開いていた口がどんどん笑顔のそれに変わっていき、大きく開いた目は花火の色に染まって輝き始めていた。

「お姉ちゃん! この声、西光寺光社長の声だよ!」

「お、おう」

 まるで男の子のようにはしゃぐヒカゲ。

 妹がなぜ、このゲームをやろうと言ってきたのか、理由は分かっていた。

 俺の妹は、女の子には珍しくあるものが好きだった。

 それは、妹の部屋にたくさんのフィギュア、またはたくさんの劇場のポスター、またはたくさんのDVDとして、様々な形で置かれている。

「現代の、ヒーローを作った人だよ!」

 俺の妹は、ヒーロー物が大好きだった。

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