第1話 もしも妹が……

 突然だが、俺の名前は夏目陽一。夏目日影の兄だ。

 俺は今、とあるベータテスト期間中のオンラインゲームの中にフルダイブしている。

 フルダイブっていうのはゲームの中に自分の意識が入ること。入ることによって現実世界と同じくゲームの中で自分の身体を動かせるってわけだ。その間、現実の俺はベットの上で寝てる状態になっている。

 そして、俺はそのゲームの中のフィールドであろう森の中にある人の手で作られた真っ直ぐな道の上に立っている。

 頭上には、森の木から緑の葉をつけた枝が伸び、天井を作っていた。その葉の間から差す木漏れ日が身体に当たって暖かさを感じる。森の中から吹き抜ける風が心地いい。ゲームの中とはいえ、身体と心が感じるものは現実とそう変わらない。天候や風の流れまで作れるなんて最近のフルダイブゲームは本当に進んできてるんだなぁ、とのんきに思っていた。

 さっきまでは。

 今の俺の心はそんな自然の気持ちよさを感じる余裕は失われていた。緊急事態が発生したのだ。

 本来、フルダイブした俺の身体に起こり得ない現象が起きてしまったのだ。

 一言で事態を説明しよう。

 俺の身体が、女になっていた。

「なんじゃこりゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!」

 一通り身体を見回して出た言葉がそれだった。

 青い髪の毛を結んで作った腰まで伸びているポニーテールに、膝まで惜しげもなく伸びた髪の毛。そして口から出てくる女性の声。きわめつけは視線を落とすとすぐそこにある、たわわに実った二つの果実。

 どこからどう見ても女の身体だった。その身体には青い服が身に着けられており、その上に灰色のローブが肩から件の胸のところの長さまで掛かっていた。茶色の短いスカートが戸惑う俺の動きに合わせて揺れている。俺が事前に作っておいたキャラの見た目などは微塵も反映されていなかった。唯一、反映されているのは魔法使いというこのゲームに設定されている職業だけだった。

 そして、次に出た俺の言葉がこれ。

「おい! いくらベータテストとはいえなんちゅーバグ発生してんだよ!」

 何? 喜べって?

 ああ、そうだな。普通、男が女になれないもん。それがたとえ肉体を現実に置き去りにして意識だけをフルダイブさせるゲームの中でだってな。

 けど、喜んでいる場合じゃないんだ。

 なぜなら、俺には妹がいるから。

 その時、ゲーム内音声で通知が届いた。

『日影さんが、ログインしました』

 さっきも言ったが、俺はお兄ちゃんだ。

 それを踏まえた上で、突然だが問題だ。

 ある日突然、兄が女装してるのを見た妹はどう思うでしょう? そして、その兄はどうなってしまうでしょーか?

 答えは知りたくないぜ! なぜなら今の俺は、まさに女装してるといっても過言ではないお兄ちゃんなのだから!

「お兄ちゃん」

 その声に俺はハッとして空を見上げる。

「待たせてごめんね。きゃらくたーくりえいと? てゆうのやっと終わったよ」

 妹の声が空から響いてくる。まだ姿は見えない。まるで神様が愚かな人間を罰しに来たかのように天の声が響く。その声が響くたびに俺の身体の震えが強くなっていった。そして、その声が告げるのだ。

「だからね」

 絶望の未来を。

「今からそっちに行くね」

 逝くぅぅぅぅぅぅぅぅぅッ!

「ぎゃあああああ! 待って! ストップ! フリーズ!」

「あれ? お兄ちゃん? なんか声が変わってるよ?」

「そ、そうゆうお年頃なの! だから待ってぇぇぇぇ!」

「待ってって言われても、もうすぐそっち着いちゃうよ?」

「ひぃぃぃぃ神様仏様日影様どうか心の準備をさせてください!」

「ふふっ。変なお兄ちゃん。あー楽しみだなぁ。ゲームってどうゆうのなんだろうなぁ」

「少なくとも心の準備をするものではない!」

 俺がそう叫んでいる間にもフルダイブした俺の妹、日影の意識を乗せているであろう青い球体が空から降りてきて俺のすぐ近くまで飛んでくる。

「あ、ああ……」

 終わった。

 そう思った俺に近くの木の陰に隠れるだとか、適当に理由をつけて一旦ログアウトするだとかそうゆう発想は一切思いつかず、ただただ目の前に降りてきた青い球体を見つめていた。

 地面にゆっくりと着地したそれはプレイヤーを解放するために、上から下へと向かってゆっくりと溶けるように無くなっていく。

「ううう……」

 プレイヤーの身長は変えられない。

 だから高校生になっても小学生くらい小さい日影の姿が見えるようになるには時間が掛かる。が、掛かるだけだということなどわかりきっている。

 そして、球体が妹から俺の姿が見えるであろう目線の高さの部分を溶かしにかかる。

 いくじなしな俺はせめて、妹の冷たい眼差しを見ないように目を閉じた。

 さよなら、俺の人生。

 だが、俺はすぐにこの目を開くことになった。

「お兄ちゃん?」

 ん?

 俺の頭の上にハテナマークが浮かぶ。

 あれ、俺の妹ってこんな声だったっけ?

 そんな疑問を浮かべながら俺はゆっくりと目を開いた。

「え」

 そして、目を大きく見開く。

 俺は目の前の光景に呆気に取られた。なぜなら、起こりえない現象が起きていたからだ。

「あれ? なんか私の声も変わって……あれ?」

 妹が自分の身体を見回す。さっき俺がやっていたみたいに。

「これって、まさか……」

 妹が自分の身に何が起こったのか理解する。

「夢?」

「現実だな」

 素早く訂正すると俺は溜め息をついた。

 まさかこんな事態になるなんて思いもしなかった。同じことが二回も起きるなんて誰が予想できるだろうか。

「お兄ちゃんの身体、女の人の身体になってる……あ、じゃあ呼び方変えないといけないね!」

 妹が不思議そうに俺の身体を見ている。その様子を見る限り、人生が終わるのはまだ先のことらしい。だが、その代わり俺はまた変なバグを押し付けられたようだ。

 俺の目の前にはふわふわな金髪のパーマに貴族が着てそうな服といったいかにも「おぼっちゃん」と呼ばれていそうな男の子が立っていた。

「お姉ちゃん!」

「マジかよ」

 俺の妹が、男になっちまった。

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