陰謀
イヨナさまとアルリは、私が閉じ込められていた牢から一番遠い独房に投獄されていた。
「だっ、誰ですか?! その血……」
返り血を浴びた看守服、という思わず深読みしそうな格好で現れた私に驚いたイヨナさまは、牢の奥の壁まで目一杯下がり、怯えた様子で警戒した。顔は隠していないのだが、真後ろの壁掛けランプが逆光になって私の顔が見えないのだろう。私はランプを手にとって顔に近づけた。
「私です、イヨナさま」
「ジル!」
ぺたぺたと地面に手をついてイヨナさまは慌てて駆け寄ってきた。イヨナさまもやはりボロを身にまとっていた。さらけだされた獣耳は、合流できた安心感からか、ピンと立てられている。
「流石です、ジル!」
「ありがとうございます。今、鍵をお開けいたします。アルリの所在はおわかりですか?」
イヨナさまの牢の鍵を開けながら尋ねると、「ここです」と、近くから返事が返ってきた。
アルリを解放すると、イヨナさまと女ふたりでひしと抱きしめ合い、互いの名前を呼んで無事を確かめあった。可哀想に、怖い思いをしたのだろう。しかしそうゆっくりもしていられない。
「さあ、急ぎましょう。脱走したことはいずれ発覚します。その前に装備を取り戻して身を隠さねば」
急かすようにふたりの間に言葉を割り込ませると、ふたりは真剣な面持ちで頷いた。
「場所はっ、場所はわかるのですか?」
息を弾ませてアルリが問う。履いてきた靴も脱がされたため、私たち三人は裸足で薄暗い廊下を走っていた。
「ああ、親切な兵士が教えてくれたよ」
その先は聞いてくれるなと背中で語る。この旅で何度も荒事を目撃したイヨナさまは、どうやら察したようで「そうですか……」と悲しげに目を伏せた。
「向うも一枚岩ではないということですね!」
対照的に、トンチンカンな反応を見せたのはアルリ。あまりに得意げだったので、私もイヨナさまも、真実に言及することはできなかった。
しかし、目的地に向かう途中で、何名かの兵士を手にかけることがあって、流石に疑問に思ったのか、アルリは次第に表情を曇らせ、装備が保管されている部屋に辿り着くころには、真っ青になって「異端です……」と泣きそうになっていた。
親切な兵士が教えてくれた部屋には、しっかりと三人分の装備が保管してあった。さっそく服に手を伸ばし着替えようとしたふたりに、私は残酷な言葉を突きつける。
「服は諦めてください」
「そんな!」
一瞬の間も置かずに反応したのは巫女のアルリだった。
「アルリにとってそれ(巫女服)が何よりも大切なものだということはわかる」
砂漠でも外套を羽織らず、遠くの者にもしっかりと巫女という身分を示せるように作られていることを考えると、我々が思う以上に、巫女装束というのは、彼女たちにとって自己を証明する重要なアイテムなのだろう。
「しかし、今着替えている暇はないんだ。頼む、わかってくれ。もたもたしていると二度と巫女装束の袖に手を通せなくなってしまうかもしれない」
「……あう」
大粒の涙をぽろぽろと溢すアルリ。道案内など買ってでなければこのようなことに巻き込まれることもなかっただろうに。
「ごめんなさい、アルリさん……このようなことに巻き込んでしまって」
イヨナさまが手のひらでアルリの顔を包み、親指で彼女の涙を拭った。イヨナさまの瞳を見て、アルリは一度きつく目を瞑る。そして次に開けた時、彼女の表情に一切の陰りはなかった。
「いいえ、服は誂えれば手に入れることはできるのです」
強い女だと思った。
各自、武器を手にして部屋を出た。あとはこの建物から脱出するだけだ。騒ぎを起こせばたちまち牢屋に逆戻り。私たちは慎重に歩を進めた。
どんな建物でも、外への扉は普通一番外側の壁に備え付けられている。だから窓際を歩けばいずれたどり着けるはずだ。
しばらく歩くと、床が石張りから絨毯へと変わった。床が変わった途端、誰かの邸宅を思わせる雰囲気に印象が変貌した。ここが私邸だと確信に至ったのは、ある部屋に揃えられた家具を見てからだ。
「家具は帝国のものとよく似ていますね」
イヨナさまが意外そうに言った。
「多分そちらから取り寄せたのだと思います。こんな家具、見たこともありません。このあたりのものじゃないと思います」
アルリが物珍しそうに言った。
やはり。兵士を従え、牢屋を屋敷内に持ち、帝国風の家具を家にもつ人物。思い当たるのはひとりしかいない。
かつて帝都フェイエラントで見たその人物の顔を思い出していると、イヨナさまの獣耳がピンと立って、ぱたぱたと周囲を警戒するように動いた。
「そちらから誰か近づいてきます」
私が尋ねるまでもなくイヨナさまは、曲がりかどを指差した。
「近づいてくる」
やがてひとり分の足音が私の耳にも届いた。周囲を見渡しても隠れられる場所はなさそうだ。私は仕方なく、これまでしてきたように角の影に隠れた。イヨナさまとアルリも私の膝下で息を殺している。
しかし足音は私が待ち構える曲がり角へ来る前に立ち止まり、途中の部屋の扉を開けてなかに入っていった。
足元のふたりがゼハーと深く息を吐き、私も呑み込んだ息をゆっくりと逃がそうとした時、聞き覚えのある声が扉の向うから聞こえてきた。
「おお、ようこそおいでくださいました」
知った声が州長だけだったのならば、私はすぐにその場を立ち去っただろう。しかし、
「止めてください叔父上、非公式の訪問ゆえ、いつもと同じように接してください」
相手がラルグニアン第一皇子とあれば話は別だ。いいや、このふたりの件はロインのやつの仕事。放っておけばよかったのだ。放っておけばよかったのだが、私はふたりがいる部屋の扉の前で足を止めてしまったのだ。
中からは楽しげに談笑する声が聞こえた。
「して、皇都での首尾はどうじゃ?」
「ええ、順調ですよ。順調に父は顔色を悪くしています」
「そうかそうか、ヤトカリスの花の毒は非常に強力じゃて、くれぐれも分量を間違えるでないぞ。あやつの吠え面をこの目で拝むのを楽しみにしておるのじゃからな」
耳を疑った。まさかアルグニアン第一皇子が皇帝陛下に毒を持っていたというのか! 確かに、イヨナさまの誕生パーティにも陛下は出席なさらなかった。まさか、体調不良の原因がここにあったなんて。私と向かい合うようにして室内の様子を窺っていたイヨナさまも、目を丸くして絶句している。
「わかっています。それよりも見ましたよ、叔父上。見事な軍勢です」
「そうであろう、そうであろう。もう少し時間をかければ、あと五万は集められる」
「足せば十万ですか。頼もしい限りです。いかに戦上手な父上とて、弱ったところをそれほどの軍に攻め立てられれば、みっともなく慌てふためくことでしょう。常勝不敗の伝説も、その時限りです」
「ああ、そうじゃな」
私たちを捕らえた兵士たちは、謀反のために揃えた軍の一部だったというわけか。
しかし放っておけば皇位が転がり込んでくる第一皇子のラルグニアン殿下が、いったいなぜ反乱など起こされるのか。ロインのやつも一枚噛んでいるようだが、やつは私にこのことを伝えた張本人だぞ?
考えれば考えるほどわけが分からない状況に、自然と眉間に力が入った。
ふと、後ろに控えるアルリが私のボロの裾を引っ張った。
そうだ、大変なことを知ってしまったが、今はそれどころではないし、それどころだったとしても、私たち三人に何ができるわけでもない。立ち上がり、しゃがみ込むイヨナさまに手を差し伸べたその時、途切れていた室内の会話が再び幕を上げた。
「いやいや、しかしユドラウ殿下の時は苦労させられた。さすが剣聖とあってか、異常なほど用心深く、耐性も尋常ではなかった」
「ええ、イヨナルシアが生まれてからは、尚一層生気を取り戻しました。通常の三倍は盛ったのですが」
「それで十二年はかかりすぎじゃ。まさに化物であったな」
私の手に乗せられたイヨナさまの細指は、受け入れがたい真実に凍えるように震えていた。
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