歴戦の騎士は姫君の為に

ふじさわ嶺

誕生パーティ

「さすがはイヨナルシア姫殿下だ。この十四のお誕生日を迎えられて、ますます美しくなられておいでだ」


 私の隣では、我が主君の誕生パーティに同席している親友のロインが、壇上の姫の晴れ姿を目の当たりにして瞠目している。白い花柄のレースがふんだんにあしらわれた桃色のドレスを身にまとったイヨナ姫さま。普段は下ろしている透き通るような金髪も、今日は束ねて結われている。今はまだあどけなさが少し残るけれど、成人を迎えられる次の誕生日には、立派な淑女になられるだろう。きっと炎の大精霊カンカもお喜びになるに違いない。


 姫のお披露目が終わった後の会場では、豪華な料理が複数のテーブルいっぱいに並べられて、みんながそれを囲いながら社交に興じている。騎士である私と官僚であるロインは、窓際で貴族たちの様子を眺めていた。


「私に感謝したまえ。貴様がここにいられるのも、私が貴様の分の招待状を確保してやったからなのだぞ」


 普通ならば一介の内務調査官に皇族の誕生パーティの招待状など差し出されるはずがないと、私が誇らしげに語ると、ロインが不敵な笑みを浮かべて、


「馬鹿を言うなジルバラート。お前が姫殿下の護衛騎士になれたのは、俺がお前の内申を色良く陛下に伝えたからなのだからな」


 と反論した。この男、ロインは筋骨隆々の大男。よもや脳みそまで筋肉でできているのではと疑うなりだが、これで意外と知恵が回る。騎士団から内務調査官に配置換えになったのも、そこを見込まれてのことだが、友人としては頼もしい限りだ。しかし――


「ふんっ、そもそも姫さまの亡くなられた祖父君、ユドラウ前皇帝陛下が、私を姫さまの護衛に是非と押したのだ。貴様の後押しがなくとも私はここにいたさ」


 と、私は鼻で笑い返してやった。


 近衛騎士団時代の――そうだな、もうこいつとは二十年来の仲になるか――親友とそんな話をしていると、会場の人混みを縫って我が君、イヨナルシア第三皇女殿下が数名のお付きとともにこちらに歩いてきた。隣でロインがすぐさま跪いたが、護衛騎士である私は起立しての敬礼だ。


「ジル、ご友人との再会は楽しめていますか? わたくしは貴方が隣にいないと心細いです」


 姫さまは目の前に立つと、にこりと微笑んで会釈をした。護衛騎士である私が、主人そっちのけで友人と話し込んでいたのは、私がロインをパーティに誘ったことを聞きつけた姫さまの、粋なとりはからいだったのだ。とはいえ普段から傍に控えている騎士が、いざいないとなると不安なのだろう。皇帝陛下が齢五十を越えられて皇位継承争いも熱を帯びていると聞くし。

 私は姫を安心させるために、パーティ会場の大広間をぐるりと囲む近衛騎士団を指して言った。


「これだけの警備です、危険など。そうだ、私の友人を紹介しましょう。こちらロイン、私の騎士団時代からの同僚なんです」

「イヨナルシア・ノーア・アルオンス・リィングラーデ殿下におかれましては、ご機嫌麗しゅう存じます。内務省、内務調査官ロイン・ハーロードともうします。以後お見知りおきを」


 私がロインに目配せをすると、彼は恭しい口調で姫に挨拶をした。


「大きい身体。騎士だったほうが良かったのでは?」


 ロインを見上げてそんなことを言うものだから、


「はははっ、姫さま。言わないでやってください。こいつ、みんなからそう言われて、どうやら気にしているみたいなんです」

「これは失礼をっ」


 あわあわと両手をしきりに交差させて撤回するイヨナ姫さまに、ロインはガハハと豪快に笑ってみせた。


「いえいえ、とんでもない。言われ慣れておりますゆえ」


 胸をドンと叩くロインだが、いつもはそんな仕草なんてしないし、ガハハなんて笑い方もしない。こうやって脳みそ筋肉の第一印象を武器に、各州各街で査察を行っているのだ。


「姫さま、この度は格別のご配慮ありがとうございました。ここからは普段通り、姫さまのお傍に仕えとう存じます」

「おねがいします」


 なんだか悪いような、ほっとしたような、そんな複雑な表情を浮かべて姫さまは、ロインに軽く会釈をすると、踵を返して壇上のほうへ足を運ばせた。私もロインに目で別れを告げ、姫さまに追従した。


 辺りを見渡す。しかしすごい警備だ。プレートメイルの騎士が三十名はいる。これほどまでに皇位継承争いは激化しているのだろうか。姫さまは第三皇女。皇位継承権は第七位だ。女ということもあって、とても他の皇族の敵意が向くとは考えられない。壁際に立っている騎士たちも、私語こそないにせよ、あくびを噛み殺して緊張感にかけている様子だ。だが、私は護衛騎士。そんな体たらくは許されない。しかと周囲に意識を向け、どんな異変も見逃すまいと目を光らせた。





 夜も更け、華やかで賑やかなパーティも終わりを告げようとしていた時だった。事件は唐突に始まる。


 ガシャン!


 突然、窓硝子が割れる音が城内に響いた。誰もがそちらに注意を向けた。割れたのはちょうどロインの真上にあたる窓。その下にいたご婦人方は息を吸う間もなく悲鳴を上げた。瞬く間に大広間は騒然となり、退屈そうだった騎士たちも慌てて割れた窓へ向かった。馬鹿な!


「其方らは動くな!」


 出入り口付近の騎士たちを慌てて怒鳴りつける。当然だ。

 そして姫の肩を引き寄せて壁際に、さらに自分が前に立つことで完全に会場にいる全員の視界から姫の姿を隠した。これで直線的な飛び道具での攻撃はありえない。


「姫さま、身を低く!」


 肩越しに姫に指示を飛ばす。その時、視界の端に嫌なものが映った。



「ルルヴィ、オズヴィ、ハベイ、我が呼びかけに応えよ……」



 これは魔法の呪文、魔道師か!

 歪な形の短杖を握りしめたドレス姿の魔道師はさらに詠唱を続ける。


「ゲゲナベイ、ボリアベイ、ヌイジベイ……地獄に蠢く魔神オルグよ、彼の者に闇の祝福を。さすれば妖魔となりて御身が軍門に下りましょう」


 魔道師が聞き慣れない呪文を唱え終えると、杖の先から怪しげな靄がまっすぐこちらに向かって飛び出した。

 ヤツの杖はこちらに向いている。狙いは明白。当然私ではない。私越しに姫を指しているのだ。だからどうした。私がここを退くわけがない!

 私は姫を庇う立ち位置にいる。姫は守られるだろうが、私とてやすやすと魔法をくらう訳にはいかない。呪文から察するに、単純な攻撃魔法ではなさそうだし。

 剣を抜き放ち、大きく振り上げる。通常、騎士は魔法使いを天敵としているが、それは兵卒どもの場合だ。皇女の護衛騎士たる者が、いやしくもこの程度の魔法に対処できないなど、笑い話にもならない。私は振り上げた剣に力を込める。そして一閃。ヤツが放った黒い靄は真っ二つになってあっけなく霧散した。



 ここまではいつも通りだったのに……。



「きゃあ!?」


 突然背中から悲鳴が聞こえ、まさかと慌てて振り返ると、蹲って呻き声を上げて苦しんでいるイヨナ姫の姿があった。


「姫?!」


 すぐにでも姫を抱きかかえて会場から飛び出したかった。しかし、ヤツがまだ眼前にのさばっている以上、迂闊に姫の前を動くわけにはいかない。バルコニーへ警戒にでていた騎士たちが、騒ぎをききつけて会場に駆け戻る。


「キャハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!」


 騒然となっている会場の中心で笑い狂う魔道師に、青ざめた騎士たちの剣が何本も突き立てられた。それでも魔道師の甲高い笑い声は城内に響き続けた。狂乱する女を目の当たりにした騎士たちは恐ろしさのあまり目を見開いた。しかし、当然その狂気は長く続くはずもなく、慮外者はすぐにぐったりと大理石の床に崩れ落ちた。



 魔道師が事切れたのを見届けたあと、私は弾かれたように背後の姫に振り向いた。なおも頭を抱えて蹲る姫に私は呼びかける。


「姫! 大丈夫ですか姫!」


 痛みが収まったのか、姫は頭を抱えていた手をゆっくりと離した。そして私は息を呑む。


「ひ、姫さま……」


 姫の色素の薄い金髪がふわりと揺れる。


「それは……」


 私の瞳に映るのはいつもの姫のお顔。長い睫毛が頬に影を落とし、菫色の瞳には私の顔が写り込んでいる。白いヘッドドレスは繊細で可愛らしい小さな花の飾りが連なっている。ただひとつ、いつもと違うところは、ヘッドドレスを押しのけて、髪の中から生えるようにぴょこんと飛び出した獣の耳だ。


「ジル、わたくし……」

「姫、すぐに会場を出ましょう」


 姫が憑き物になった姿など、誰かに見られるわけにはいかない。私が姫を抱きかかえようと手を伸ばした瞬間、


「見て! イヨナルシアさまが獣憑きに!」


 これみよがしに大声を上げて誰かが言った。とっさに振り返ったが、すでにみんなの視線がこちらに向けられていて、声の主が誰だったのかはわからなかった。

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