2-2. 鐘の音、泥棒逮捕係、バネ足ジャック

 Edward



 雑木林には、墓と自然の境界が曖昧な空間が広がっていた。ほとんど自然石と見分けがつかない墓碑がこけつたに覆われ、湿った地面に溶け込んでいる。物乞い、流浪者るろうしゃ、狂人、掏摸すり、こそ泥、街娼、そのヒモ――正規の墓に入ることを許されなかった死者たちは、ここで眠りにつく。

 ニーモが木の根で転びそうになるのを、エドが支えた。エドはそのまま無言で歩き出す。


「……あの、ありがとうございます」


 エドは不機嫌そうに振り返り、ニーモの額に人差し指を突きつけた。


「どっかに頭ぶつけて、パーになられちゃ困んだよ。大事な存在だからな」


 ニーモは両手で頬を包み「……大事、若様は、わたしが大事」と呪文のようにつぶやいた。仮面で覆いきれていない部分だけでも、顔が赤らんでいるのがわかる。エドの視線を感じるとびくりと肩を震わせ、ローブの中に顔を埋めた。

 2人は林を抜け、開けた土地に出た。大理石の墓が一定間隔で並んでいる。


「あったぞ、お前の墓」


 昨晩エドに掘り起こされたひつぎは、丁寧に埋め直されていた。大理石の墓石の前にはガーベラの花束が捧げられている。


「お前には金持ちの身内がいたんだな。高いもん買い与えくれたらしい」

「……そのお花、高いんですか?」

「花も大概いいやつだが、棺の話だ。安全棺セーフティコフィンなんだよ、これ」

「……何ですか、それ?」

「早すぎた埋葬への恐怖が生んだ発明品。棺の中で半死人が意識を取り戻した場合に備えて、死者の薬指と外部のベルを紐でつないでおくんだ」


 墓石の裏にまわると、L字を逆にした鉄棒が地面に刺されているのが見えた。真鍮しんちゅうのベルが吊るされていて、指で弾くと硬質な音が鳴る。


「それなりに需要があるが、付加価値があるぶん少し値が張る。本来、身元不明の流れ者が入るような棺じゃない」

「……良い品をもらったものです」

「送り主は今何をしてんだろうな。お前の死をいたんでるなら、なぜ法的機関に訴えない? こんなもん買うだけの余裕があるなら、けっこういい額の懸賞金もかけられるはず……」

「……若様はどう考えてるんです?」

「秘密裏に犯人を私刑に処す算段とか、そいつ自身が日陰ひかげ者で訴えるに訴えられないとか……いずれにせよ、お前の身内は後ろ暗い事情を抱えてると思ってる。ま、この件についちゃこれ以上考えてもしかたない。こっからが本題だ」

「……本題?」

「墓地に来れば、お前を殺した犯人に会えるって話」


 エドはベルに繋がれた紐を手繰り寄せていく。


「やっぱりか」

「……どうしたんです?」

「屍体とベルをつなぐ紐が切れて、鳴らせなくなってる。人為的なやつだ。刃物の跡がある」

「……切られた? どういうことです?」

「多分お前は棺の中で、一時的に意識を取り戻したんだと思う。朦朧としながらベルを鳴らし、外に生存を知らせたんだ。で、誰かがそれを妨害した」

「……人殺しってことですか?」

「殺人ってか遺棄じゃないのか、この場合? お前を一度殺した奴とベル紐を切った奴は、同じなんだろうけどよ」


 そう言って、エドは紐の切れ端を投げ捨てた。

 ――たまたま居合わせた人間が紐を切ったとは思えない

 ――ニーモを襲った犯人が、仕留め損なったのでは不安になって墓地に赴いたところで、ベルが鳴っているのに遭遇した。掘り起こしてトドメを刺す手間とリスクを惜しみ、紐を切って生き埋めにした――大体そんな筋書きだろう。

 

 ガサガサと物音がして、2人は会話を止めた。エドはニーモの肩越しに墓地を囲む林を見やり、不敵な笑みを浮かべた。


「なあ、ニーモ。俺は昨日、ここで泥棒シーフ逮捕係テイカーの連中に囲まれたんだ」

「……シーフテイカー……犯罪を取り締まる人たちですか?」

「いや、だいたい罪を犯す側」


 18世紀末、この頃はまだロンドン警視庁スコットランド・ヤードが存在しない。というより、警察ポリスという単語からして存在しない。犯罪摘発は主に教区の役人コンスタブルが当番制で担っていた。役人は民間人を子分として使役する。この子分たちをシーフテイカーと呼ぶ。

 彼らに固定給はなく、犯罪者を引き渡して得る報奨金ブラッドマネーを唯一の収入源とする。立場としては賞金稼ぎと大差ない。賄賂に釣られれば殺人をも見逃しすし、金が入るなら微罪でも無罪でもしょっぴく。都市の暗部に詳しいからと、怪しい居酒屋パブの経営者や盗品売買けいずがいに通じた質屋がシーフテイカーに抜擢されるが――ふたを開ければ彼らは闇そのものだったりする。


「あいつらはロンドンの裏路地に根づいた噂好きだ。本来なら捜査上機密にすべき事柄でも、馬鹿みたいにたれ流す。昨日の一件も、あちこちのパブで触れ回ったんじゃないか?」

「……それ、わたしを襲った犯人の耳にまで届いてたら……」

「犯人はお前を生き埋めにしたつもりでいる。それが掘り起こされたとなれば、静観できる事態じゃない」

「……まさか、若様が言ってた、犯人に会えるあてって……」

「犯人が何をしたいか考えたんだ。いきなりハンター邸に突撃するような無茶はできないが、俺がのこのこ薄暗い墓地を歩いてたなら、当然叩く。ま、それにしても……」


 言葉の途中で、エドはメスを林に投げ込んだ。


「一人で来てやる義理はないよな」


 灰色の外套を身にまとった山高帽の男たちが4人、雑木林から姿を見せた。そのうち1人は、メスが深々と刺さった膝を抑えてうずくまっている。残った3人はそれぞれステッキやナイフを取り出し身構えた。



「さあニーモ、始めるぞ。こいつらには、山ほど訊きたいことがある」




       *



 エドが墓石を踏み台に飛び上がり、先頭にいた男の顔を蹴り飛ばした。男の身体が回転しながら茂みの中へ沈んでいく。

 別の襲撃者がステッキを振り下ろすのを、エドは警棒で受け止めた。


のろいなお前。どっかの自警団より数段遅え」


 エドは敵の顎を蹴り上げ、その意識を吹き飛ばした。最後に残った1人は舌打ちとともにナイフを投げつけ、林の奥へと逃げていく。


「拍子抜け、つまんねえの」


 エドは脚を刺された男に歩み寄ると、その胸ぐらをつかみ上げた。男が短い悲鳴をあげる。


「さあ、誰に雇われたか聞かせてもらおうか?」


 男の胸元から、燃え盛る獅子が彫られた懐中時計が転げ落ちた。直後、エドが表情をなくした。


「ニーモ、走れ」

「……どうしたんですか?」

「こいつらの所属がわかった。お前は今すぐここを離れ……」


 エドが言葉を失い、空を見上げた。ニーモもつられて顔を上げる。


 人間が、夜空に浮かんでいた。


 周りに踏み台になるものなど何もない。それなのに、その男は10ヤードは超えるであろう高さを悠々と飛んでいる。


「……何、あれ?」


 男は、墓地の中央に降り立った。衝撃で土煙が舞い上がる。

 月明かりを背にして、男の異様な容姿が露わになる。針金をねじって人型にしたような、不自然なまでに細く長いシルエット。黒い手袋に黒い帽子、黒のローブ身につけている。その顔は、笑顔をかたどった鉄仮面で覆われていた。仮面の目元がほんのりと赤く輝き、口元からは青い炎が漏れ出ていた。

 怪人物は、左手に備え付けた鉄の鉤爪かぎづめをエドに向けた。


「うちの手下を随分派手にぶちのめしてくれたじゃねえか、悪戯小僧ラグマフィン


 享楽的な若者の声がした。冷や汗を流しながら、エドは口の端を吊り上げた。


「癖の強え客が多い夜だ」


 エドは後ろ手に爆竹を手にとり、抑えた声でニーモに話しかけてきた。


「やばい相手だ。合図したらとにかく走れよ」

「……知り合いですか?」

「バネ足ジャック。百年以上前からロンドンの街を跳ね回ってる妖怪だ。今は業火卿の用心棒やってる」

「……業火卿?」

「秘密結社業火ヘルファイアクラブの流れを汲む悪魔崇拝者サタニスト。ロンドン裏社会を牛耳る闇の帝王、あと、加えて……」

「……加えて?」

「俺のこと、ものすげー恨んでる」

「……若様いったい何したんです?」


 エドは胸に手を当て、すらすらと話し始めた。


「久しぶりだな、バネ足の。業火卿は最近どんな感じだ? まだあのきっつい煙草吸ってんのか? あの人には昔いろいろやらかしたけど、そろそろ冷静に話し合える頃合いだと思うんだ。で、昨日俺が盗んだ屍体の娘について、ちょっとお前らに訊きたいことが……」


 話途中で、バネ足ジャックが人差し指を立てた。指を口元に添え「黙れ」と合図する。


「解剖医や標本師としては一流らしいが、手品師としちゃ三流だな、エド」

「あ?」

「誘導が下手すぎる。敵が変に饒舌になったら、何か仕込んでないか疑うだろ」


 エドが舌打ちした。破れかぶれといった風に爆竹を4つ投げ上げる。

 ジャックが地を蹴り、空高く跳ね上がった。空中で身をひねり、鉤爪を振りかざす。

 一閃。

 導火線を断ち切られ、爆竹は全て音もなく落ちていく。

 悠然と地に降り立ったジャックに、エドは苦笑いを向けた。


「……バケモンかよ、勝てる気しねえ」

「何だ、降参か?」

「まさか」


 エドは後ろ手にサインを出し、ニーモへ合図を送った。


「手品師としても一流ってとこ見せてやる」


 エドとニーモが逆方向に駆け出し、それぞれ林に飛び込んだ。同時に破裂音がして、地面から真っ白な煙が溢れ出る。一瞬の間も置かず、あたり一面が白い闇に包まれた。

 ジャックが感心したように口笛を吹いた。


「宙に投げ上げた爆竹も含めて誘導か。地面に転がした煙玉が本命と。引っかかった手前、三流ってのは取り消してやる」


 煙の中、ジャックは両腕をだらんとおろし、耳を澄ませた。草を踏む足音を聞き取ると、林までひとっ飛びに跳んでいく。

 空中でうっすら浮かぶ影をみとめ、斬り捨てる――エドのマントだけ――中身はない。


「悪いな、バネ足の」


 破れたマントの向こう側で、エドがピストルを構えていた。



「本命は煙じゃない」



 銃弾がジャックの胸にぶち当たり、その身体をのけ反らせた。ジャックはそのまま仰向けに倒れこむ。

 エドは舌打ちとともにピストルを投げ捨てた。


「やっぱり駄目か。バケモンだな、ほんと」


 弾丸を食らったはずなのに、ジャックは平然と身体を起こした。肩を軽くはたき、砂を落としている。


「あーあ、ローブが台無しだぜ。どうしてくれる?」

「ハンター先生は昔、身長8フィート越えの巨人を標本にしたくて、生前の巨人本人から買い取ろうとしたことがある。ま、当然拒否されたけど」

「何の話だ、それ?」

「並外れた跳躍力をもつ希少種を持ち帰れば、先生はきっと喜ぶ。服代は負けてくれ」


 エドが一瞬で距離を詰めた。ジャックの胸に警棒を突きつける。



「屍体は高値で買ってやる」



 煙の渦巻く暗闇に、閃光が走った。

 電撃を食らいつつも、ジャックは平気な様子で立ち上がった。警棒をつかんで引き寄せ、エドの腹に膝蹴りを叩き込む。エドの腕と肩をつかんで投げ飛ばし、その背中を墓石へと叩きつけた。

 ジャックは悶絶するエドの首をつかみ、高く掲げた。首筋に食い込んだ爪が皮膚を破り、血を滴らせる。


「ちょいと仕掛けがあるからよ。銃弾も電撃も効かねえんだ。しっかしすげえなお前! 電気を武器に使うなんて発想、ボス以外で初めて見たぜ。さっきの煙玉も自家製オリジナルだろ? 医者にしとくなんざもったいねえや」


 一陣の風が吹き、煙幕が晴れた。ジャックの手下たちを除き人影はない。


「連れの魔女娘は隠れちまったな。おい復活師、大声で呼べよ」

「……断る」

「身代わりを差し出せば、お前は見逃されるかもしんねえぜ?」


 冗談めかした口調でジャックが言う。エドはジャックの腕をがっしりとつかんだ。満身創痍といった様子のなのに、エドの目には一点の曇りもない。


「……逃げる気なんざ、最初はなからねえよ」

「あ?」

「……例の屍体の娘について、訊かせてもらう。俺を、業火卿の下へ連れて行け」

「はあ!?」


 ジャックは素っ頓狂な声を上げ、大きく首を捻らせた。


「立場わかってんのか、復活師? 自分が昔ボスに何したか忘れたか? つうか、何でお前があの娘にこだわんだよ?」

「……どうしても知りたいことがあるなら、なりふり構ってちゃ駄目なんだ」

「あ?」

「……大事なんだよ」


 焚き火が消える間際、一瞬だけ燃え上がるかのように、エドの目に強い光が宿った。


「あの娘の記憶……医学の至宝……俺が全て、もらい受ける」


 言い終えたところでエドは気を失い、がっくりとうなだれた。バネ足ジャックはくつくつと笑いながら、エドの身体を肩にあげた。


「利口さは足りねえが、覚悟の強さと知識欲は一人前。ジョン・ハンターの若かかりし頃にそっくりだな。お望み通りボスのとこには連れてってやる」


 バネ足ジャックが地を蹴った。エドを担いだ状態でも、人間離れした跳躍は衰えを知らない。葉の落ちた木々を軽々び越え、林を一直線に突っ切ってていく。



「ただな、エド、会話が成立するかまでは保証しねえぜ? ボスは解剖学者って人種が、世界で一番きれえだからよ」




 

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