2章

2-1. 大篝火の夜、テロリスト、若様


 Nemo



「……変な格好……可愛くない」



 ニーモは、民話に出てくるお定まりの魔女になった。

 ワンピースの上からだぼっとした黒いローブを羽織り、つばの広いとんがり帽子を被っている。帽子は、もじゃもじゃした白髪のかつらと一体になっていた。

 仕上げとばかり、エドはペストマスクを模したような、大きなくちばしが突き出た仮面をニーモに被せ、細い紐で固定した。


「お前、墓場で顔見られてるだろ? 素顔晒して街を歩いて司教殿や泥棒シーフ逮捕係テイカーにばったり、なんて事態になると面倒だからな」

「……でもこれ、変装っていうか、仮装じゃ……」

「心配すんな、目立ちゃしない」


 エドが表玄関の扉を開け放った瞬間 、歴史と伝承が奔流となって押し寄せてきた。

 屋敷前の広場にトランペットがひときわ高く鳴り響き、ティンパニーが続いた。鈴と着色ビーズで飾られた道化が現れ、リュートを片手に跳ね回る。

 道化に導かれ、中世の職人に身を扮した男たちが旗をひるがえして行進していく。肉屋は狐の毛皮を羽織って歌い、鍜治屋は模造のハンマーを振って踊る。蝋燭屋、製靴屋、帽子屋、時計職人、ガラス職人、木彫細工師、金細工師、指物師――それぞれが自分の役にちなんだ装飾を身につけていた。仮装集団のうち数人は、黒い十字架を乗せた山車フロートいていた。フロートの上には、後ろ手を十字架に縛られた人影が座りこみ、処刑を待つ罪人のようにがっくりとうな垂れている。フロートが広場の中央に到着すると、男たちは油を染み渡らせたわらを罪人に振りかけ、距離を取った。


「さあ、蝋燭に火を灯せ」


 道化が声を張り上げた。

 フロートを取り囲んだ人々は陽気な笑みを浮かべ、一斉に花火をかざした。まばゆいばかりの炎に包まれ、哀れな罪人が燃え上がる。

 ニーモは両手で口元を軽く押さえ、その様子をじっと見ていた。


「……そっか、今日、大篝火ボンファイアの夜ナイト


 大篝火ボンファイアの夜ナイト。大逆の罪人ガイ・フォークスに起源を持つ英国の祭典である。1604年11月5日、国王暗殺のため議事堂爆破を企てたガイ・フォークスが処刑された。それ以来、この日は王の無事を感謝する記念日に定められた。ロンドン市民は毎年この日、フォークスを模した人形を引きずり回し、夜になると焼き捨てるのだ。

 焼けただれた罪人――フォークスの人形が崩れ落ち、もげた首が転がった。広場に集まった民衆から、耳をつんざくような歓声が上がる。

 一瞬、ニーモはフォークスと目を合わせた。

 ――怖い。

 ――みんなが楽しそうだから、怖い。 

 フォークスの首が視界から消え去った。仮装集団の誰かが、転がった首を炎の中に蹴り戻したのだ。


「……あ」


 届くはずもないのに、ニーモは反射的に手を前に伸ばしていた。悲痛そうな面持ちで、ゆっくりと手を引いていく。


「何だお前、フォークスに同情でもしたか?」

「……変ですよね……みんな、楽しそうなのに」

「俺はこの祭り、怖いように思うけどな。みんなが楽しそうだから、余計に怖い」


 ニーモははっと顔を上げ、まじまじとエドを見た。その視線に気づくこともなく、エドは玄関前の登り段を飛び降りた。


「さあ、行くぞ」


 エドはニーモの手を引いて、人混みをかき分け進む。2人のはるか後ろで、篝火かがりびを背に両手を広げた道化が声を張り上げた。



「今宵、ロンドンは世界一にぎやかな街になる。その喧騒は、魔女をも飲み込む」




 Edward



 陽がどっぷり落ちたころ、エドとニーモは薄暗い路地を進んでいた。

 ウェストミンスター寺院の周辺、狭い路地が迷路のように入り組んだ一郭。中産階級の多いこの地区では珍しい貧民街が広がっている。


「……何でこんな道通るんですか?」

「近道だ」

「……ここ、治安悪いですよ。暴漢でも出るんじゃ……」

「その辺は手遅れじゃないか、ほら?」


 労働者らしき身なりの中年男が、酒瓶を片手にエドたちの前に立ちふさがった。 酒臭い赤ら顔をエドに向ける。


「……俺を知っているか、渡り鴉?」

「いや、誰だよおっさん」

「……お前に、兄貴の屍体を奪われた男だよ、屍食鬼グール!」


 男は突然、酒瓶をエドに向けて振り下ろした。エドは避ける様子もなく、その一撃を額で受ける。衝撃に脳が揺れた。


「こいつあ制裁だ、クソガキ。お前みたいなゴミ屑は、街を歩くだけで罪なのさ」


 男が得意げな顔をして、酒瓶を肩に担いだ。エドが動かないのを見て、身を竦ませていると思ったらしい。目に見えて態度が大きくなる。

 男はニーモに目を向けた。魔女の仮装は、彼女の容姿を全て覆い隠せてはいない。首筋にはきめ細かい肌が覗き、鬘の隙間で金の髪が波打っている。男は舌なめずりをした。


「死体屋のくせに、えらい上玉連れてるな。俺が可愛がってやる」


 男はニーモの仮面に手を伸ばしたところで、身体をのけ反らせ、石畳に転げ落ちた。エドのブーツの先が、男の顎を蹴り上げたのだ。慌てて起き上がろうとした男のまぶたに、メスの切っ先があてられる。


「……実験体の身内と聞いたから、一発分、大目に見た……次は、目玉がなくなるぞ」


 言い添えて、エドは静かに刃を引いた。男はほっと胸を撫でおろした瞬間、その鼻を踏みつけられた。悶絶する男を残し、エドはさっさと歩き出す。

 怨嗟の叫びがエドの背に投げかけられたが、ある瞬間、それが高らかな笑い声に変わった。エドが振り返ると、男がいやらしい笑みを浮かべていた。


「ひひ、いひひ、くくっ」

「どうしたおっさん、頭やばいのか?」

「運が悪かったなあ、渡り鴉! 正義の味方のお出ましだ!」


 建物の隙間から5、6人、10代の少年と思しき人影が現れた。中世の騎士、海賊、吟遊詩人、精霊、狼人間――みなそれぞれの仮装をしている。少年たちの腕に巻かれた野花の紋章が、エドの目に留まった。


「こいつら、ピンパーネルの警邏けいら隊か」


 紅はこべスカーレット・ピンパーネルは、1787年に発足した少年自警団である。

 かつて、ロンドンの孤児たちには数多くの敵がいた――救貧院で買った子どもを酷使する者、泥を攫って得た屑物を不当な安値で買い叩く者、甘言で子どもたちを惑わし、海軍や鉱山、娼館に売り飛ばす者、人買い、追いはぎたち――こうした敵たちと渡り合うため、少年たちは自衛のための共同体を立ち上げた。それが、スカーレット・ピンパーネルの起源である。

 結成から4年経った現在、彼らは守る範囲を自分たち以外にも広げていた。ウェストミンスター地区治安判事から役人コンスタブルと同等の権限を与えられ、犯罪摘発にあたり目覚ましい業績を上げている。民衆にとって彼らは今や、ロンドンの闇を照らす正義の使者だ。

 中年男が勝ち誇った笑みを浮かべ、エドをゆびさした。


「やっちまえ、ガキども! 奴を血祭りに上げろ!」


 騎士と海賊の団員が無言のままに歩み出た。エドも両刃刀ランセットを構える。一触即発の空気の中、団員たちは警棒を高々とかざし――中年男の後頭部に振り下ろした。


「……っは?」


 男が前のめりに崩れ落ちた。酒瓶が手を離れ、石畳の上で割れる。男は息も絶え絶えといった風で、肩越しに団員たちを睨みつけた。


「……何を、しやがる……この、クソガキども!  逮捕するのは俺じゃねえ、あいつだ!」


 警邏隊のリーダーと思しき少年が前に出た。吟遊詩人の仮装らしく、赤い巻き毛の鬘を被っている。その顔は、反逆者フォークスのグロテスクな仮面で隠されていた。


「エドワード・ハイド氏は犯罪者ではありません」


 仮面の下から発せられたのは、声変わりを迎えていない少年の声だった。清冽でありながら何処か冷たい、水晶のようなソプラノだ。


「ふざけんな! こいつは、墓暴きだ! 兄貴の屍体を盗んで……」

「あなたのお兄様は、ジョン・ハンター医師から、膝下動脈瘤の除去手術を受けてますよね?」


 少年が詰問する。中年男の肩がギクリと震えた。


「無料で手術してもらう代わり、死後、自らの屍体を解剖実験用に提供する……あなたのお兄さんはハンター医師と契約を交わしました。それなのに、お兄さんは死の間際、共同墓地への埋葬をあなたに頼んだ」

「……何で、それを……」

「ピンパーネルには独自の情報網がありますので。ああ、そうそう、その情報網にひっかかった話なのですが、あなたは一昨日酒に酔って、賭場で大暴れしたそうですね?」

「あ? それが何か……」

「店主が告訴しました。身柄を拘束させてもらいますね」


 男の顔がさっと青くなる。少年が男の肩をつかもうとするのを、男は怒声とともに振り払った。


「お前らは街の平和を守る自警団だろうが! 何で俺なんだ! 罰すべき悪党は、すぐそこにいるじゃねえか! 今すぐあいつを逮捕しろよ!」

「あなたが賭場で暴れた罪は、ハイド氏と関係ないでしょう」

「ふざけんな! 許されるわけねえ、こんなもん!」

「誰が許さないというのですか?」

「……神だ、神が許さねえ!」

「へえ、神様ですか」


 途端に、少年が刺すような空気を身にまとった。エドとニーモは反射的に身構えたが、中年男は少年の変化に気づいていない。


「神様が怒ってると……何故わかるんですか?」

「ああ?」

「神はあなたの暴行を許し、ハイド氏の墓暴きを許さない。その判断基準は何処に依るものですか? 聖書に論拠があるのですか? あなた個人にとって都合がいいよう、神の心を設定してはいませんか?」

「……っ知るか!」


 男はまだ抵抗するつもりらしく、割れた酒瓶に手を伸ばす。少年は、その手を容赦なく踏みつけた。ガラス片が、男の腕に深々と突き刺さる。



「神の御心を勝手に決めるな、豚が」



 これまでの水晶のような声とはまるで違う、ドスのきいた声で少年が言った。少年はそれきり男に興味を失った様子で、エドのもとに歩み寄る。


「……てめえ、この、玉無しの、育ちぞこないのガキがっ!」


 男は上着に隠していたナイフを抜き、背後から少年に襲いかかった。

 次の瞬間、男の身体が宙に浮いた。団員の一人――狼の毛皮を被った長身の娘が、男を投げ飛ばしたのだ。娘は男を仰向けに転がすと、馬乗りになり、警棒で滅多打ちにしはじめた。


「その人は任せたよ、狼小僧ルー。殺しちゃだめだからね」


 少年が優しげな声で言った。ルーと呼ばれた娘は一瞬手を止め、素直な子供のようにコクリとうなづく。その後再び、男への私刑を再開した。

 少年はフォークスの仮面と巻毛の鬘を取り去り、あふれる金髪を月夜に晒した。


「こんばんは、楽しい夜を過ごしてる?」


 素顔を晒した少年は、ひどく華奢な姿をしていた。肌は陶器のように白く、温もりを感じさせない。長い睫毛で縁取られた金の目は、あと数年で寿命を迎えるであろう、中性的な優美さを宿している。

 ロンドンにおいて、彼の顔を知らない者はいない。自警団スカーレット・ピンパーネルの創始者にして現副団長、アルバート・マクスウェルだ。


「久しぶりだね、エド」


 アルバートは上品に笑ってみせた。

 彼とエドはスカーレット・ピンパーネルが結成されて間もない頃に知り合った。エドが給金を払い、死体盗掘の手足としてアルバートと数人の団員を借り受けたのだ。今ではもう、ほとんど縁がない。自警団が力を増して汚れ仕事から手をひくようになるにつれ、自然と会う機会は減っていた。


「相変わらず、報われない仕事だよね。君は偏見と戦う叡智の徒……本来なら、あんな奴に殴られてやる筋合いないのに……」

「今のお前に擁護されても不愉快だ」

「手厳しいなあ。団長も、君を高く評価してるんだよ?」

「なお嬉しくねえんだよ。現団長は信用ならねえ。お前が団長だったころの方が、まだマシだった」


 1年前、革命家を自称する何者かが、アルバートを退けてスカーレット・ピンパーネルの団長に就任した。それ以降、団の活動は急に政治色を帯びるようになった。黄新聞イエロージャーナルを発行して教会を声高々に糾弾し、街頭で打倒権力のゲリラ演説を行っている。血気盛んな団員が放蕩貴族相手に小競り合いを演じ、強盗まがいの真似までしたとも聞く。「反権力、大衆の代表」を掲げる現ロンドン市長の庇護があるとはいえ、現状、彼らは街の有力者の多くを敵に回している。

 自警団を革命組織に変えてしまった新団長は、表舞台に姿を見せない。彼の正体はもちろん、どういう経緯で団長の地位を得たのかも謎のままだ。団長は影から活動方針を定めるだけで、実務は全てアルバートが統括している。


 アルバートは半歩の距離まで詰めてきて、真正面からエドを見上げた。


「団長の推薦を抜きにしても、僕は個人的に君が好きだよ、エド」

「頭沸いてんのか」

「君と僕は、分かり合えるはずなんだ」


 エドの表情が凍りついた。今にも絞め殺さんとする形相で、アルバートを睨みつける。



「言葉を選べよ、アルバート。人の事情に土足で触れるな」



 エドの殺気を感じ、ルーが動いた。割れた酒瓶をエドに向けて投擲とうてき|する。エドは舌打ちとともに後ろにさがり、アルバートと距離をとった。


「……お前最近おかしいぞ、アルバート。反逆者の仮面なんかつけて悦に浸って……お前らは、悪党と戦うための正義の組織じゃねえのかよ」

「うん。僕らはずっと悪と戦ってるよ? ただ、前よりも倒すべき敵が大きくなったけど」

「お前の敵は何だ? 貴族か? 教会か?」

だよ」


 エドが目を丸くする。アルバートは、絵画の天使のように優しげな微笑を見せた。


「この国は、神様の支配下にある。『聖職者は人々の魂を救済に導き、貴族は正義を打ち立てる。だから、第三身分である市民は、要請されれば何もかもを献じなくてはならない』……人々は、それが神の秩序であると、聖職者に教え込まれた……そのせいで、貴族や司祭がどれだけ私腹を肥やそうと、人々は何一つ不平を言わなくなってしまった……」

「ああ、そこまでは話がわかる」

「だから僕は、神様を破壊したいんだ」

「やっぱ沸いてんだろお前」


 あるじを馬鹿にされたのが気にくわないのか、ルーが警棒を手に構えた。他の団員たちも、仮面越しに刺々しい視線を向けてくる。

 ぴりぴりとした空気を感じたのか、アルバートは困ったような笑みを浮かべ、首を傾げた。


「……このままだと喧嘩になるか。ごめんねエド、今日は帰るよ」


 アルバートは、フォークスの仮面と吟遊詩人のかつらを被り直した。



「期待しててよ、エド。僕らの団長には、神様を打ち砕く切り札がある。僕らはきっと、君たちが暮らしやすい世界を作るよ」



       *



「……エドさんって、副団長さんのこと好きですよね」

「あ?」

「……見てれば、わかります……向こうも同じです。副団長さんもルーって人も、他の団員さんもみんな、エドさんのことが好きみたいでした」

「……お前は本当目ざといな」


 アルバートたちと別れたあと、エドたちは再び共同墓地を目指して歩き始めていた。ニーモは、ずんずんと先へ進むエドのマントの裾をつかみ、親鳥を追うひよこのようにぴったりと張りついていく。


「……仲良しさんなんですよね?」

「仲良しだった、だよ。少年ギャングと自警団の間にいた頃のピンパーネルとは、うまくやれてたのにな」


 救貧院から逃げ出した少年、泥さらいの最中流行はやりやまいにかかった少女、フランスでの革命騒ぎに巻き込まれた亡命者たち――行き場を失った彼らの受け皿になったのは、幼少期に生殖器を潰された、乞食芸人の少年だった。寿命や成長と引き換えに絹糸のような歌声を得たその少年、アルバートは、誰もが目をみはる手腕で子どもたちを統率し、スカーレット・ピンパーネルを一大組織に育て上げた。


「……エドさんは、ピンパーネルの現状をよく思ってはいないんですね?」

「当たり前だろ、革命家気取りに乗っ取られてやがる」

「……でも、革命は、エドさんにとって都合が良いものではないのですか?」

「あ?」

「……彼らが神様を打ち砕けば、エドさんは、お医者様になれます」


 エドは顔をしかめた。ニーモの言ってることは正しい。

 死後肉体を切り刻まれると、その魂は神の下に行けず、復活の機会もない――教会が定着させたその教えが効力を失えば、死体の調達は楽になる。墓暴きに頼る必要もなくなるだろう。


「汚れ仕事に手を染めずに済むから、表での仕事も見つかる。というか、外科医の身分そのものが上がるだろうな」

「……だったら」

「その世界は、貴族や司祭の首を、何百と跳ねた先で成り立つんだぞ」


 アルバートたちは、フランスでの革命騒ぎにあてられ、その踏襲を目指している。実際、フランスの革命家たちは、アルバートの言う「神様の支配」を打ち砕くのに成功している。教化を受けた大衆は信仰を捨て、農夫出身の貧乏司祭も、幾つもの教区を抱え特権を享受する大司祭も、みな一緒くたに虐殺した。


「無資格といえど俺は医学の研究者。突き詰めた話、人が死ぬのにあらがうために仕事してんだ。流血を伴う変革に賛同はできねえよ」


 ニーモは、なおも納得がいかないようだ。


「……エドさんは、自分のことを蔑む人たちを気遣うんですか?」

「ハンター先生の教えだ。救う命を差別することなかれってよ」

「……でも、そんな考えじゃエドさんは一生報われません」

「アルバートにも同じこと言われたな。報われるために仕事してるわけでもねえのに」

「……エドさんは、何のために、死体泥棒に手を染めたんですか?」

「何のため?」


 エドはマントの合わせ目をいじりつつ、平然とした口調で言った。



「誰かが、助けを求める顔してた。どうすればいいのか知りたい。それだけだろ」



 ニーモがぴたりと立ち止まった。エドも足を止め、訝しげな顔で振り返った。



「若様」



 ニーモが、仮面越しにエドをまっすぐ見据えて言った。大した声量はないはずなのに、骨の芯にまで響くような、力強い声だ。


「……エドさんのこと、これから、若様って呼びます」

「何だそれ? アイシャの真似事か?」

「……はい、真似事です。若様って、呼ぶ理由も含めて」


 エドは訝し気に首を傾げた――そういや、アイシャはいつから、俺を若って呼ぶようになったんだ?


『ねえあんた、なんのためにここに来たん?』


 はじめて会ったとき、からかうように訊いてきたアイシャの声が、耳の奥で蘇る。

 ――そうだ、アイシャにも、同じことを聞かれたんだ。それに答えて以来、アイシャは俺のことを若先生って呼ぶようになった。あのときも確か、俺は、同じように答えて――。



『どうすればよかったのか、知りたくて』



 かつての自分の声が、ほんのわずかな風化もなく、頭の中に響いた。

 ――過去形、ね。

 ――馬鹿じゃねえの。


「……っと、着いたか」


 廃墟になった教会と、その裏手にある雑木林が目にとまる。そのすぐ先は共同墓地だ。エドは思考を切り替え、肩を軽く回した。



「楽しみだろ、ニーモ? もうすぐ、お前を殺した奴に会えるぞ」



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