1-4. 不思議の部屋、マゴットセラピー、首跳ねの選択肢


Edward



「ここは何処ですか?」 



 名無しニーモが尋ねると、エドは得意な顔で胸に手をあて、すらすらと口上を述べ立てた。


「ここは解剖医ジョン・ハンターの博物展示室、今をときめく不思議の部屋ウンダーカンマー。骨や筋肉、臓器に血管。白人、黒人、アジア人。市街を歩く犬猫から、ロンドン塔の動物園や旅のサーカスに譲っていただいたライオンにヒョウ、キャプテン・クックから買い上げたカンガルーに至るまで、当館はあるゆる『死』を揃えております」


 小人うさぎピグミーラビットのミーナがエドの頭へよじ登り、黒い癖っ毛の上に陣取った。まるで自分が案内役ガイドまっとうしたと言わんばかりに、えっへんと威を張っている。

 ニーモは身を縮め、きょろきょろとあたりを見渡した。


「……爆発するんですか?」

「何が?」

「……変な口上が始まったら、火薬を仕込む、時間稼ぎを疑えって」

「これが昨日の口上と同じに聞こえたか。一応、展示室の開放日に向けてハンター先生がつくってくれた台本なんだが……って、あれ?」


 言い終える前に、エドは訝しそうに目を上げた。


「お前、墓場から掘り起こされたとき意識あったのか?」

「……え? あ、はい」

「驚いたな。じゃあ解剖されかけたときも起きてたのか」

「……はい……じゃない、いいえ! なかったです、秘密なので!」

「あ?」


 ニーモが顔を真っ赤にしてるのを気に留めず、エドは「ま、ぜんぶ鮮明に覚えてるほうがおかしいか」と勝手に納得してしまった。


「調子はどうだ? 蛆はもういないだろ?」

「……えっと」

 

 ニーモは手のひらをまじまじ見つめ、親指から順に曲げながら「太っちょ父さん、がみがみ母さん、いなせな兄さん、おしゃれな姉さん、よちよち赤ちゃん」とそらんじた。何故か自慢げな顔をして、両手をエドにかざしてくる。


「……全部、揃ってます、消えないよう、握っててもらえたから」

「頭部の損傷で幼児退行とかしてないよな?」

「……万事快調です」

「じゃあそれ素の性格か、難儀なこった」

「……わたしを助けてくれたのは、あなたですか?」

「俺じゃない。こいつらだ」


 少年は指で手を差し出すように合図すると、ニーモの両手に、隠しから取り出したガラス瓶をそっとのせた。


「……これ」

「お前の頭部にたかってた蛆の一部」


 ニーモが総毛そうけだち、思わず瓶をとりこぼしてしまった。エドは軽やかに瓶をキャッチし、流れるような所作で展示台の上に乗せた。


「オーストラリアの先住民が古来から行ってる壊疽えそ予防法で、患部に蛆の卵を塗りこむってのがある。蛆が壊死した血肉を腐る前に食べるおかげで、かえって傷口が清潔に保たれるって理屈らしい」

「……そんな治療法が……」

「この国で治療法として確立できるかは微妙だけどな。デリケートな傷口を蛆が蠢く感触は単純に不快だし、匂いも酷えから」

「……詳しいんですね」

「当然だろ、だって……いや、そうだな、お前の傷が今後どうなるか、見ておいた方がいいか」


 エドが左腕の袖をまくり、凄惨な傷跡をあらわにした。切り傷、刺し傷はもちろん、ねじり切った跡やただれた火傷、黒く変色した痣などが広がっている。エドは、腕の腹のある一点を指で示した。


「蛆治療を施した場所はここ。比較的目立たないほうだろ? お前の傷は俺のよりだいぶ浅いし、うまくいけば跡を残さず治癒できるぞ」

「……これってまさか、試したんですか」

「ああ。ピストルで撃って、その傷口に蛆を這わせた」

「……この傷、ぜんぶ……」

「地方の通説に魔女の秘薬、フランス医学誌の新たな仮説……効能を試したいことがたくさんあって、自然と、こうなった」

「……大丈夫なんですか、これ」

「一応自在に動かせるが、感覚機能は駄目になった。熱も痛みも感じない。実験体としては、もう使い物にならないな」


 ニーモは怯えながら、それでも、エドの目をしっかり見据えて言った。


「……あなたは立派な研究者です。ほんの少し、怖いくらいに」


 ニーモにとってありったけの称賛の言葉だったが、エドは面白くなさそうな顔で袖を戻した。


「俺の師匠……ハンター先生は、性病研究のために梅毒患者の膿を自分のペニスに流し込んだことがある」

「……それは」

「その執念が怖いか? あるいは馬鹿だと軽蔑するか? 俺を称賛して、ハンター先生の所業に引くってのはおかしな話だと思うけど?」

「……確かに、そうですけど」

「知りたいから、試した。ただそれだけのことなんだよ。愚か者と蔑まれるの結構だが、ほまれは要らない」

「……でもそれじゃ、あなたが……」


 不機嫌そうな顔で睨み、エドはニーモが何か言おうとするのを封じてしまった。



「救うため、守るため、解き明かすため、知りたいことが山ほどある。なりふり構ってちゃ駄目なんだ」



 覚悟の強さを示威しいするつもりはないのだろう。当たり前と言わんばかりにエドは宣言した。


「……あなたは、何でお医者さんと呼ばれないのです? そんなに、身を捧げているのに、酷い呼び名ばっかり。切り裂き魔ナイフマンとか、食屍人グールとか」

「現実、俺に医者の肩書きはない。一応、聖ジョージ病院実習生の籍があるが、それも有名無実だし。俺の身分は復活師だ」

「……復活師、聖職ですか?」

「泥棒だよ」


 現代で辞書を引けば、「復活師」は死者を復活させる存在――奇跡をもたらす者と説明される。しかし18世紀のロンドンでは、死体盗掘人を指す俗語として浸透していた。


「……わたしにとって、あなたはお医者様なのです」

「俺には、医者として扱われる資格がない」

「……エドさんは、わたしを助けてくれました」

「お前の命を助けたのは、蛆だと言った」

「……手を握ってくれたのも蛆ですか?」

「知るか」

「……何でそんなに感謝されるのを拒否するんですか?」

「俺は善意でお前を治療したわけじゃないんだよ。奇妙な話だが、法制度上、お前を死体盗掘の証拠に使えば俺を告訴することができる。ゲイル司教あたりにお前の身柄が渡るとやばいんだ。治療費と口止め料の交渉が済むまで、この家に拘束させてもらう」

「……えっと、治るまでここでにいて良いんですね」

「好意的解釈にもほどがあるだろ、馬鹿か」

「……だって、エドさんは良い人ですから」

「あ?」


 ニーモはほんの少しむずがゆそうにはにかんでみせた。



「……エドさんは本来、わたしの首を跳ねるべきだったでしょう?」



 エドがはじめて、動揺の色を見せた。

 確かにそれは、昨晩のエドにとって最良の選択肢だった。実験用の屍体の確保と死体泥棒の証拠の抹殺を同時に行い、蘇生に必要な手間を省く。そして何より、生きた人間の解剖――被験者が死ぬことを前提とした実験の機会を作れたはずだ。ゲイル司教や泥棒シーフ逮捕係テイカーが彼女の生存に気づいていたとは思えない。アイシャに口止め料を払うだけで、殺人の罪は闇に消える。

 

「思いつかなかっただけだ」

「……思いつかない時点で、人が良いんです」


 ニーモがまた微笑をみせた。エドはきまりが悪そうに頭を掻く――なんで死体本人がこんな話してんだ?


「俺を医者と扱うか否かの話は、一旦脇に置いとけ。そもそも、称号の話ならお前のがむしろ問題じゃないか? いつまでもニーモって呼ぶのも変だろ」

「……え? わたし、ニーモですよね?」 

「何言ってんだお前……『ニーモ』は名前じゃないぞ」

「……気に入ってたのに、響きが可愛いから」


 ニーモが小首を傾げた。


「……じゃあ、わたしの名前は……何……で」


 不意に、ニーモの目が光を失い、視線の焦点が定まらなくなる。長い睫毛に縁取られた目が、涙を落とす直前のように、細かく震えた。


「わたしは、誰?」

 

 ニーモが前のめりに倒れ込んだ。このまま落ちれば展示台の角に頭をぶつけるというのに、手をつこうとさえしない。完全に意識を失っている。

 エドが床を蹴り、空中でニーモの身体を受けとめた。勢いそのまま頭蓋骨の展示棚へと飛び込んでいく。

 エドは咄嗟に、ニーモの身体を抱き寄せかばい、自身は頭から棚板に衝突した。苦痛のうめきを噛み殺しながら、エドはニーモの身体を床に広げる。一通り外傷がないことを確認してから、悪態をつく。


「万事快調は嘘じゃねえか、馬鹿」


 痛みが引くまでしばらく待っていると、グレイハウンドのジュードが心配そうにすり寄ってきた。「大丈夫だ、ありがとう」と背中を撫でてやる。

 ニーモを抱き上げ、あやすようにその髪をポンポン叩く。眠りに落ちた子ども特有の、高い体温を腕に感じる。

 ――失神自体は深く考えなくていい。昨日の今日だ。まだ半分夢の世界にいて、本調子じゃないってだけ。それよりも――。


「わたしは誰、ね。思ったより厄介かもな、この案件」


 腕の中に沈むニーモの身体は柔らかく、同時に危うい。少しバランスを崩せばぐにゃりと転げ落ちてしまいそうだ。

 ふと、エドは小さく首をかしげた。


「前より、重い?」


 ――この重みには覚えがある。そうだ、ミーナが服の中に忍び込んだときの――無防備に身を委ねられると、その分、重くなる。


「例の首を跳ねる選択……理屈で言えば今からでも遅くないんだぞ……わかってんのか?」


 エドは棘を含んだ声で言ったが、ニーモはエドの胸の中ですやすやと寝息を立てている。



 舌打ちとともに、ニーモの身体を抱き直す。ノラを背負っていたときも急に重くなる瞬間があったなと、エドは昔を思い出した。



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