運命

「準備が整いました。明日にでもお出し出来ます」

 数日後の夕方、コックがそう伝えに来た。コックが部屋を出て行くと、隣でユユが「私に毒見させて下さいね」といたずらっ子のような顔で言った。

「そんなに食べてみたいのなら今からでも行ってきたらどうだ?少しくらいくれるんじゃないか?」

「え!いいんですか!」

 ユユは嬉しそうに出て行った。

 王はユユを見送ると、グラスを二つ持ってきて、そこに赤いワインをついだ。そのグラスを自分の前と、それから誰も座っていない椅子の前に置く。王は暫く透き通った滑らかな赤を眺めていた。そしてゆっくりグラスを持ち上げると、もう一方のグラスにカチンとぶつけた。

「勝利にかんぱい」

 王がその言葉とともにワインを煽った時だった。パタパタと足音が聞こえた。

「王!」

 凄い勢いで入って来たユユは可哀想なくらい真っ青だった。

「いけません!!」

「何がだ」

「酷い胸騒ぎがするのです。あの料理は…美味しくありませんでした。でもそれは私が馬鹿なだけかもしれません。でも…何か裏があるような気がするのです。王、あの料理を口にするのは危険過ぎます。本当は王を気づいておられたのではないですか?」

「出された料理は食べる。常識だろう」

「そうかもしれません。ですが!今考えればおかしいことだらけでした。前王が亡くなったと聞いた時のコックの顔もひとえに驚きとショックとは言えない顔でした。大臣の時も、他のどなたの時も、皆美味しそうな顔などしておりませんでした。実は私は…城の者は馬鹿ばかりだから、だから美味しく感じられないんだと見下していたのです。そんな私があの料理を美味しく感じられないのなんて当たり前のことかもしれません。わかってるんです。でも…胸騒ぎが治まらないのです。王、あの料理に口をつけてはいけません。お願いです。頼みますから…」

 それは最早懇願であった。だが王はゆっくりと首を横にふった。

「どうして…」

 ユユの絶望したような声に少し罪悪感を覚えるが、もう後戻りは出来ないのである。あのコックが訪ねて来たあの日から、もう覚悟は出来ているのだ。

「私はこの国を守りたいと思うんだ」

「それは…」

「今のままでは王家も民も共倒れだ。これ以上民にも軍にも犠牲を出したくない。その為に、私は料理を食べる。これが民と王家を結ぶ料理となってくれたらいいと思う」

 後半は、嘘だった。料理を食べることで民と王家が繋がるなんて、ありえない。王はわかっていた。あのコックが王を殺す為で刺客であること。そして自分が死ぬことで、この戦いに終止符が打たれることも。明日、自分の料理には、十中八九毒が盛られる。それで王が死んだら、コックは言うのだろう。王はあまりにも馬鹿だった。だからこの料理を食べてその不味さのあまり息が止まってしまったのだ、と。信じられない話である。しかしもう、この料理の存在自体が信じられないのだ。

 王のいない王家など、キングのいないチェスである。捕られる首もないのに、戦う意味はない。こんな状況で新しい王を決められる猶予なんてない。王を失った王家は、あんな馬鹿の為に戦っていたのかと戦意を喪失するか、跡継ぎ争いで衰退するかのどちらかだろうと王は考えている。そうしたら、誰にも縛られない、民の国になればいい。自由と平等の国になればいい。王は、この国を守りたかった。

「民と王家を結ぶ…?」

 わけがわからないというように首を傾げるユユに、王は笑ってみせた。

「まあ、私に任せておけば大丈夫だ」

 ユユはもう食べるなとは言わなかった。彼女にはもう、言えなかった。

 とぼとぼと部屋を出て行こうとしていたユユは、ドアの前で止まると「あ、そうだ」と呟いた。

「王の、本当の名前を、私は知らないのです。どうか教えて頂けませんか」

 いや、彼女は知っているはずだった。側近が知らないわけがなかった。王は質問の意図が汲み取れず眉を寄せた。部屋に妙な沈黙が訪れる。そして暫し黙っていた王は自分の名前とは違う名前を口にした。

「ユユ、私の名前はライアーだ」

「…嘘つき」

「大正解」

 ユユは何かを悟ったような顔で一礼すると、部屋から逃げるように出て行ってしまった。


 それから少しして、バタバタとらしくない足音をたてて蝶が部屋に入ってきた。この前程ではないが酷い隈は顕在であった。

「駄目だ!」

 これまたらしくない大声に、本当はそれがどういうことかわかっていたのにも関わらず、王はとぼけてみせた。蝶は己を落ち着かせるように深い溜め息を一つつくと、吐き捨てるように言った。

「お前、死ぬぞ」

「どういうこと?」

「あれは、とんだペテン師だ」

 あれ、とは恐らくコックを指しているのだろう。

「料理は不味かった。あれを美味いと食べる人の気がしれない」

「それは蝶が馬鹿なんじゃないか?」

「人の馬鹿だと思われたくない心を利用しただけだ。普通に考えてありえないだろう。あれは危険だ。お前の料理を作る時はきっと…」

「毒でも盛るんじゃないかって?」

「そう、…だからおかしいと思ったんだ。お前はあんな胡散臭いのを信じる玉じゃないだろう。何を企んでる?死にたいのか?死にたいのなら命令してくれ、俺が殺してやる」

「落ち着け、話が飛躍し過ぎだ。らしくもない」

「なら説明してくれ!」

 随分と悲痛な叫び声だった。相当焦っているのだろうか。

「何をそんなに焦っているんだ」

「…お前、わかってるだろう。キングがとられたらチェスは終わりなんだ。言ってしまえば俺らは捨て駒だ。いいか?前王は確かに馬鹿な王だった。民のことを考えない傲慢な王だった。だが、お前は違うだろう。この反乱が鎮まれば、お前の手で必ず平和な国が作れる。この国にはお前が必要なんだ」

「私の子供が酷く傲慢だったらどうするんだ。そうしたら国は逆戻りだ。傷つくのは民なんだ」

「ならこの反乱が鎮まってから、お前の手で民の意見を取り入れるようにするとか…」

「反乱は治まらない。私が死ぬまでな」

「軍を愚弄するのか」

「蝶は民を甘く見ているんじゃないか?」

「勘弁してくれ。ここまで追い詰められて甘く見れるわけがないだろう」

 意味のないやりとりの苛々したのか、蝶は踵を返した。

「どこへ行く」

「コックを殺す」

「おい」

 それまで穏やかだった王の声が急に苛立ちを含んだ。

「そんなことをしたら反乱が激化する」

「…」

 本当は蝶もわかっているのだろう、王は思った。これが最善だとわかっているからこそ、こんなに焦っているのだろう。

「…俺には、自らが仕える王を守る資格すらないのか?」

「資格はある。けど…ああ、お前がもう少し馬鹿だったら気づかずにすんだかもしれないのに」

「俺はあの料理が不味く感じたんだ。馬鹿だとさっき証明されたばかりだ」

 その味を信じないと言った口で、彼は悲しそうに嘘を吐いた。それから何かに気づいたように王を見て、そしてかすれた声で笑った。

「自分が死んで国を守ろうなんて、はは、なんだ、結局お前が一番馬鹿じゃないか」

 その言葉に王はぽろりと懺悔の言葉を零した。

「謝るなよ馬鹿野郎。お前がこの国を守る為に本当にそう望むなら…俺に口出し出来ることじゃない。後のことは俺らに任せて、安心していけ」

 蝶はテーブルの上にあった赤ワインの入ったグラスを持ち、王の飲んだ空のグラスにぶつけた。

「かんぱい」

 中のワインを煽ると、「コックにワインなんて注ぐな」と部屋を出て行った。

 また一人になった部屋で、そこまでバレていたのか、と王は自嘲気味に笑った。

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