第14話 計画、始動

 その日の朝の光は、まるで軽金属のように明るく、輝いていた。

 テムスノー国とレクブリック国の運命を決する、朝がきたのだ。




 ラディムは城の裏側にある崖に立ち、眼前に広がる大海原を眺めていた。

 彼は城にやって来てからほぼ毎日、早朝の僅かな時間をこの近辺で一人で過ごす。たまたま早い時間に目覚めたので始めたことだったが、今ではすっかり習慣になっていた。遙か彼方まで続く海を視界いっぱいに入れることで、不安な気持ちや悩みなどをリセットさせてきたのだ。

 両の目のみならず、複眼でも海だけを捉える。その瞬間、あらゆる悩みが小さく感じられる。

 しかしその海の『向こう側』に行きたいとは、ラディムは今までに考えたことすらなかった。

 その考えたことすらなかった『向こう側』の人間である王子と知り合い、さらには国同士の交流まで始まった。

 本当、世の中何が起こるかなんてわからないよな――と、ラディムは自嘲気味に笑う。


「いよいよか……」


 そして小さく呟き、拳を握る。

 今日これからやろうとしている事の結果が、最終的にどのように転がっていくかなどわからない。ただ必死に足掻くしかないのだ。自分達が信じた最善の道を。






 色とりどりの炎の花が、青の空に咲いては散っていく。

混蟲メクスが作った魔法道具の一種――花火だ。

 その花火が打ち上がる度に、城下町を埋め尽くさんばかりに集まった人々は歓声を上げた。皆一様に笑顔を浮かべ、これから始まる歴史的瞬間に胸を躍らせている。

 この花火は式の始まり――パレード開始の合図だ。観衆の期待はピークに達しようとしていた。






 陽の光が降り注ぐ、緑香る街の入り口。

 その街道側で、純白の衣装をまとったフライアと、同じく白を基調とした正装に身を包んだオデル、そして護衛としての大勢の兵士が、馬車の側で待機していた。

 はねを出すため背が大きく開いたフライアのウエディングドレスは、街の仕立て屋が腕によりをかけた特製だ。ともすれば卑猥とも取られてしまう格好であるが、フライアの翅の青が爽やかさと静ひつさを見る者に与えるからか、清楚な雰囲気さえ醸し出している。

 年若い兵士達は任務を忘れかけてしまうほど、今日だけの特別な格好のフライアに見入っていた。城の兵士達は兵士長フェンの存在もあり、混蟲に対する印象は悪くない。

 フライア達が今回使う馬車は、先日オデルが顔見せのために使った開放的な馬車とは、かなりおもむきが異なっていた。光沢のある赤みがかった深い茶色が、太陽の光を受けて上品に輝いている。

 両側に付いた窓があまり大きくないのは防犯のためだ。混蟲であるフライアのため、警備には細心の注意が払われていた。

 馬車をくのはあし毛の馬二頭。どちらも今日のために首や背を布で飾られている。興奮した様子もなく、時おり草をみつつ時が来るのを待っている。


「姫様、そろそろです」


 老齢の兵士がうやうやしくフライアに告げると、彼女はこくりと頷いた。

 オデルの手を借り、馬車に乗り込むフライア。続けてオデルも乗り込んだところで、外から御者が扉を閉め、一礼した。

 御者が扉から離れるや否や、フライアは隣に座るオデルの手を取り、自分の脚に触れさせた。フライアの魔法をかけるためだ。

 これも『計画』の手順ではあるのだが、やはり触れている部位が部位である。オデルは馬車の外で待機している兵士達に気取られないよう、平静を装うので必死だった。ここで顔を赤くしてしまうと、さらに注目を浴びてしまう。


「風よ。我と共に在る者に駿馬の如き速さを授けよ」


 フライアが小声で魔法を唱えると、彼女の脚を緑色のオーラが覆った。とはいえ、ここは馬車の中であることに加え、フライアはウエディングドレスだ。外の兵士に彼女の魔法が見えることはない。

 自身の中に流れてくる未知なる力に、オデルは驚きを顔に出さぬようにするのに苦労した。今までに感じたことがないほど脚が軽い。これが魔法の力なのだと、オデルは感動すら覚えていた。

 フライアはオデルを見やりながら軽く微笑む。しかし心の中は不安で溢れていた。フライアの魔法はあまり効果が持続するものではない。城に着くまでにはきれいに消えていることだろう。


 ――お願い。どうか必要な時まで消えないで。


 フライアが願ったその時、花火の音がこの場にいる全ての者の鼓膜を激しく叩いた。兵士達は音につられ、一斉に空を見上げる。


「風雲急を告げる鐘のの代わり――といったところかな」


 オデルが静かに呟いた直後、御者が鞭を振るい、馬車は静かに動き出した。






 沿道に集まったおびただしい数の人々。

 その観衆達が馬車の通る道に出ないよう、兵士達は気を張りながら規則正しく並んでいる。

 ラディムとエドヴァルド、そしてフェンも、他の兵士らと共に観衆の整理に当たっていた。

『計画』がスムーズに進むよう、ラディムはフライアとすぐに接触できる通りの左側、エドヴァルドはオデルがいる右側、そしてフェンは街道側でそれぞれ待機している。

 エドヴァルドは今日のために、女性らしさが伺えるデザインの服を身にまとっていた。頭の布も身に着けていないので、短い触覚が露わになっている。

 薄い材質の服と、短めのマントを羽織っただけの彼女を見た兵士らの驚きは相当なものであった。彼女が女性で、しかも混蟲だったとは知らない者がほとんどだったからだ。

 この格好は、エドヴァルドの性別が不詳なまま『計画』を実行したら事態がさらにややこしくなる――という皆からの提言を受けてのものだった。既に性別を偽る必要がなくなったエドヴァルドは、特に文句を言うことなくすんなりとそれを受け入れていた。むしろラディムやフェンの方が、彼女の見慣れない格好に狼狽うろたえている。

 パレードは街道から始まり、城下町のメイン通りを経て城に到着する。『計画』はこのメイン通りで行う段取りだ。城に着いてからだと逃亡が容易でなくなってしまうからだ。

 開始の合図は、ラディムの魔法だ。


 ――責任重大だよなぁ。


 少しずつ近付いてくる馬車を複眼で確認しながら、ラディムは襲いくる緊張感に耐えていた。

 わあっと周囲の歓声がひときわ大きくなり、ラディムは俯きかけていた顔を勢いよく上げた。いよいよ馬車が近付いてきたのだ。人々は祝福の声と花を、沿道から惜しみなく馬車へと投げ続ける。

 馬車の中からは、オデルとフライアが窓から人々に笑顔で手を振り続けていた。緊張からかその顔は幾分か硬いが、それすらも人々は「初々しい」と捉えて喜びに変える。二人が式を挙げる前に逃亡を企てているなどとは、誰も想像すらしていないだろう。

 花の雨を浴びながら、ゆっくり、ゆっくりと確実にラディム達へと近付いてくる馬車。


 ――まだだ。まだ早い。


 人々の笑顔は本物だ。混蟲であるフライアが、今日ほど人々に受け入れられたことはない。それは間違いなく、オデルの存在が大きく影響している。


 ――もし、このまま――。


 胸の内に発生しかけたある可能性を、ラディムは何とか頭を振って霧散させる。それは『今』考えるべきことではない。


 ――まだ。もう少し。


 武器である槍を真っ直ぐ天に向けた兵士らが、馬車の前後と横に着き、誇らしげに行進している。

 馬車の先頭と左右には、それぞれ二人だけ。残りの数十人は全て後ろ側だ。最後尾にはテムスノー国とレクブリック国の国旗を持った兵士がいるが、彼らは武器は持っていない。

 フェンから事前に警備の情報は聞いていたが、やはり話だけ聞くのと実際に目で見るのとでは違う。前方から仕掛ける予定のラディムとしてはかなり条件の良い配置――ということを再確認したところで、小さく息を吐いた。

 この後すぐ、翅を出すために服を切り裂かなければならない。地下でパルヴィ達と相対した時も服を切り裂いてしまったが、あの時とは状況が違う。やはり少々後ろめたい気持ちはあった。

 冗談混じりで「上半身裸で待機する」という案を出したところ、皆から速攻で却下を言い渡されたされた時のことを思い出し、また小さく息を吐いた。

 まぁ、服は後でどうにでもなる。今はとにかくフライア達だ。

 馬車はいよいよラディムに迫っていた。


 ――すまんな。どうか怪我はしないでくれ。


 心の中で二頭の馬に懺悔したところで、ラディムは腕を交差させた。


「凍てつく空気よ我の元へ。咲き誇れ氷花」


 目の前にいた中年の男性がラディムの魔法に気付く頃には、既に彼は真上に跳躍していた。そして渾身の力を込めて腕を振るう。

 ラディムの腕から離れた氷の花弁は、澄んだ音を鳴らし馬車の前輪に絡み付いた。突然動きを止めた車輪に二頭の馬が驚き、いななきながら前足を上げる。


「なっ――!?」


 御者が慌てて綱を引き、馬をその場に止めさせる。

 ラディムは落下するその刹那の間に、自分の服を切り裂いていた。そして着地と同時に背から翅を出す。

 ラディムの翅が背から出る瞬間を見た観衆の中から、小さな悲鳴がいくつか上がった。

 声を振り払うかのように、ラディムは半ば飛びながら馬車に駆け寄る。

 同時に反対側からはエドヴァルドが馬車に駆け寄り、乱暴に扉を開けた。馬車のそばにいた兵士は驚きのあまり、口を小さく開けることしかできていない。


「何をやっているんだ!? ラディム! エドヴァルド!」


 観衆の整備に当たっていた兵士らが慌てて馬車の周囲に集まるが、その時にはもうフライアもオデルも馬車の外へと出ていた。

 王子と王女、二人の姿が見えたことで、観衆達のざわめきがいっそう大きなものへと変わる。


「じゃあ、後で集合ってことで」


 ラディムはフライアを抱えると、街道に向けて飛び立った。

 続けて、オデルが流れるような動作でエドヴァルドを背負う。彼の脚にはフライアの魔法がまだ残っており、淡い緑の光を発している。直後、オデルはエドヴァルドを背負ったまま風のように走り去った。

 兵士らや観衆は、何が起こったのか即座に理解できなかった。

 ただ、式を上げるはずの二人が、それぞれ別の人物と逃亡した――。

 その事実だけがさざなみのようにじわじわと広がっていき、現場はいっそう混乱に包まれる。

 ラディムとフライアを知っている人々は、何となくだが理解はした。あの二人は混蟲という理由で、思春期に入る前から一緒にいるのだ。

 だが、問題はオデルだ。オデルは自らの意思で、この場から去ったようにしか見えなかったのだ。

 それでも現状を何とか受け入れ、四人を追おうとする兵士らもいた。そんな彼らの前に、立ち塞がる人物が一人。


「た、隊長……?」


 フェンは得物の槍を構えているだけでなく、大きな光の障壁の魔法を瞬時に形成したのだ。魔法の発動媒体である腹を中心に広がるのは、円形の光の壁。

 兵士長フェンのその行動は、さらに兵士らに動揺を与えた。


「さて、俺からの問題だ。お前らならこの状況、どう動く?」


 フェンは槍を構えたまま、不敵な笑みを浮かべるのだった。

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