第13話 下準備(2)

 オデルがテムスノー国中を回っている間、ラディムとエドヴァルドはさらに地下へと足を伸ばした。

 アウダークス達に、今回の計画の協力を取り付けるためだ。


 土壁にぶら下がる看板を見るラディムの顔は、緊張で引きつっていた。


『酒場☆キャシー』


 できればもう、二度と来たくなかった場所である。

 巨体の赤髪の主人に体を触られた時のことを思い出してしまい、ラディムは小さく身震いをした。そんな彼の様子に気付くことなく、エドヴァルドは慣れた手付きで店の扉を押し開けた。

 相変わらず、昼間だというのに席は埋まっていた。酒の入った容赦ない奇異の視線が、一斉に二人へと向く。

 カウンター内でグラスに酒を注いでいたアウダークスは、二人の姿を確認した瞬間、満面の笑みを浮かべた。


「あらぁ、エドヴァルド。それにお兄さんまで。もしかしてお兄さん、私に会いに来てくれたのかしら?」

「違う。厳密に言えばそうかもしれねえが、違う」

「どっちなのよ……」


 肩を竦めるアウダークス。やり取りを見ていた客達から、小さな笑い声が上がる。

 そこで「ん?」とアウダークスの太い眉が僅かに内に寄った。


「そういえば、あの蝶のカワイ子ちゃんは? もしかして愛想を尽かされて逃げられちゃったとか? それで寂しくなっちゃってエドヴァルドと――てところ?」

「発想が飛躍しすぎだろ!? 全然違う!」


 フライアと一緒にいる事が当然だと思われている事は嬉しいのだが、これでは客達にあらぬ誤解を与えてしまう。客達の中には、以前ラディムらを見た者もいるかもしれないのだ。いや、視線の温度から察するに、間違いなくいる。

 そもそも、フライアとは付き合ってすらいないというのに――。

 だが、それを力いっぱい言い放つのも何だか釈然としなかったので、ラディムは奥歯に物が詰まったかのようにモゴモゴと口を動かすばかりだった。


「アウダークス、部屋を借りるぞ。後で来てほしい」


 今のやり取りも無表情で眺めていたエドヴァルドは、言いながら店の奥へと突き進む。ラディムも慌ててその後を追った。


「いいわよー。この酔っ払い共の世話を一通りしたら行くから、ちょっと待ってて」

「酷ぇ言い方だなぁキャシーさん」

「昼間っから酔いに来てるくせによく言うわ。こっちとしては売り上げ的においしいからいいのだけれど」

「ほんと、敵わねえなぁ」


 小さな店内は笑いに包まれる。

 そんな会話を背中で聞きつつ、二人は店の奥にあるアウダークスの私室の扉を開いたのだった。





 ピンク色の部屋は、相変わらずピンク色だった。以前ラディムが訪れた時より、心なしか可愛い雑貨が増えている気がした。縞模様のリボンで飾られたラベンダーの匂いがするポプリは、どう見てもアウダークスよりフライアの部屋にある方が似合っている。

 エドヴァルドは慣れた様子で、勝手に椅子に腰掛けた。無言のままラディムを見つめ、「お前も座れ」という趣旨の視線を送ってくる。どうしたものかとラディムが痒くもない首筋を掻いた時、アウダークスが部屋に入ってきた。


「早かったな」

「うちの常連達はなかなか察しが良いのよ。で、今日はどういった用事?」

「頼みたい事がある」


 その瞬間、アウダークスの顔は『素』の凛々しいものへと変わった。






「はぁ、なるほどねぇ……」


 エドヴァルドから一通り『計画』を聞き終えたアウダークスは、どこか感心したように息を吐いた。


「ほんの一時、場所を貸してくれるだけでいいんだ。お願いできるだろうか?」

「それはもちろん構わないわよ。しかしまぁ、あのエドヴァルドが……。びっくりだわ……」

「『あの』って、オレは目の前にいるのだが」

「わかってるわよ。……まさかあなたが王子様をゲットする日がくるなんて想像すらしていなかったら、今とても動揺しているのよ……」

「いや。王子とはあくまで一時的な関係で――」


 刹那。

 アウダークスの赤い目が激しく燃えたのをラディムは見た。それはまさに、獲物を視界に捉えた野獣の目であった。


「何を言ってるの。王子様で、しかもイケメンなんでしょ? ここは強引に押し切るのよ。大丈夫、エドヴァルドならいける。いざとなったら腕力でどうにかなる。いえ、どうにかしなさいっ」

「えっと……」


 アウダークスは前のめりになりながらエドヴァルドの両手を握った。さすがにエドヴァルドもアウダークスにはあまり強く出られないのか、若干上体を逸らしている。


「それにあなたが王子様をゲットすれば、お兄さんはあのお姫様とにゃんにゃんできるって事でしょ?」

「ラディムも姫様も猫ではないぞ?」

「あぁもう、そういう意味じゃなくて! とにかく、お兄さんとお姫様のためにもあなたが頑張らなきゃ! ファイト!」


 自分を引き合いに出すのはやめてほしかったが、ここで口を挟むと間違いなくこちらにも飛び火すると考えたラディムは、色々と言いたいのを懸命に堪えるのだった。

 それにしてもオデルは、実はとんでもない場所に飛び込もうとしているのかもしれない――。


(オデル。骨は拾ってやるからな……)


 二人のやり取りを眺めていたラディムは、思わずオデルに対し祈りを捧げるのだった。





 アウダークスの店を出た二人は、その足でまた別の場所へと向かう。

「自分一人だと上手く説明できるかわからないから」という理由でエドヴァルドに地下への同行を頼まれたのだが、結局先ほどラディムは何もしていない。無駄に精神を摩耗しただけであった。

 エドヴァルド一人でも良かったのではないかと今さらながらに思うのだが、未だ地下の複雑な道を覚えていないラディム。一人で帰るとも言い出せず、そのまま彼女の後ろに付いていく。

 次に訪れたのは、女王蟻の所だった。

 地下を治める彼女には、絶対に声をかけておきたかったのだ。

 女王蟻の居住区に向かうまで、見張りの兵士らに何度か声をかけられた。地上との交流が開始されたとはいえ、警備が手薄になったわけではない。むしろ以前より強化された部分もある。

 だが、兵士らの表情は明らかに以前と違っていた。ピリリと刺してくるような緊張感は薄らいでいる。女王蟻が柔和になった影響は、如実に表れていた。

 同じ扉が並ぶ居住区まで案内してもらった二人。以前と変わらず、女王蟻の私室はわかりにくい。だがエドヴァルドは迷うことなく、とある扉の前に立った。

 緊張しているのか、ほんの少しだけ彼女の表情が硬い。

 エドヴァルドの些細な表情の変化を見分けることができるようになった自分に気付き、ラディムは思わず苦笑してしまった。

 意を決しエドヴァルドが扉をノックすると、すぐに声は返ってきた。二人は頷き合い、中へと入る。

 シャンデリアがぶら下がる煌びやかな女王蟻の私室には、以前と同じように三人の女性が揃っていた。

 漆黒のドレスに身を包んだ女王蟻ルツィーネ。ルツィーネを陰ながら支えてきた彼女の母。そしてルツィーネの娘であり、エドヴァルドの双子の姉でもあるフォルミカ。

 突然の二人の来訪に彼女らは驚いていたが、すぐに歓迎ムードへと変わったのだった。






「そう……か」


 一通り説明を聞いたルツィーネは、感慨深げに瞼を閉じた。

 ルツィーネにはアウダークスのように、『協力』を要請したわけではない。

 ただ一時、地下を騒がしくしてしまう可能性があるかもしれない――と、そう述べるにとどめていた。


「式が終われば、混蟲メクスの力をレクブリックの為に使うことになる。その時に地下の混蟲達の力も貸してもらうことになる……と思う」

「了承した。準備をしておこう」

「助かります」


 エドヴァルドは深く頭を下げた。

 本当の親子であるというのに、彼女らの口からはその類の話は一切出てこない。フォルミカもエドヴァルドを見つめるばかりで、話しかけることはない。普通の双子の姉妹であったら、もっと親しげに笑い、寄り添っていたであろうに。

 彼女らはエドヴァルドの人生に介入することに遠慮している。未だ大きな罪悪感を背負っていることが、ラディムにも容易に知れてしまった。

 何かを言ってあげたい。一歩、背中を押してあげたい。だが、他人である自分がそのようなことを告げる権利はない。

 もどかしい気持ちを抱えたまま、ラディムもエドヴァルドにならい、頭を下げたのだった。






 女王蟻の元を離れた二人は、再びアウダークスの酒場がある階層まで戻ってきていた。

 女王蟻の居住区がある下層より、上層の方が若干土壁の色が明るいことにラディムは気付く。以前訪れた時は、そのようなことを気にする余裕もなかった。

 二人は、とある通路の前で足を止めた。ラディムの背よりも低い天井が続く通路は、エドヴァルドの両親の職場へと続く道である。

 今日も二人はこの先で、魔法植物の管理をしているのだろう。


「その、ここはオレ一人で行かせてくれないか」

「……わかった。結局、俺がついてきた意味なかったな」

「いや。お前がいてくれたから変に緊張せずに済んだ。恩に着る」


 ふわりと、花がほころんだように笑う。

 感謝の念を伝える時の彼女の顔は、とても素直で眩しい。自分もこのように素直でいれたら、取り巻く状況はもっと変わっていたのだろうか。ラディムがそんなことを考えた直後、彼女は天井の低い通路に入っていった。

 オデルにもあの顔を見せてやりたいな――と、エドヴァルドの後ろ姿を見送りながら、ラディムは少し悪戯っぽい笑みを浮かべるのだった。







 一方、フライアは式の段取りを入念にチェックしていた。

 計画を実行する際、重要になるのが式の進行と警備の間取りだ。警備はフェンも関わるので、そちらの心配はあまりしなくとも大丈夫だろうとフライアは考えていた。

 問題は、自分達が逃げ出すタイミングだ。

 いくらラディムらが混蟲メクスとはいえ、大人数に取り囲まれてしまうと状況は不利になってしまうだろう。

 人間に対して無闇に魔法を使うことは、これまで混蟲達が最も避けてきた行為でもある。


 魔法を扱えない人間を、傷つけないこと――。


 それは、混蟲達のプライドでもあった。どれほど人間達に苛まされても、その一線を越えることは決してなかったのである。仮に魔法で人間を傷つけてしまったら、自分のみならず他の混蟲の立場も悪くなってしまうことを感じていたからだ。

 フライアは、式に関する会議にも積極的に参加した。

 他の者達の目には、彼女が式を楽しみにしているようにしか映らなかっただろう。それをも見越してのフライアの行動だった。とりわけ、大臣にこの計画を気取られないようにと。

 フライアの思惑通り、大臣はフライアを疑ってすらいないようだった。それどころか婚約の話に乗り気だと思ったのか、大臣のフライアに対する態度は、会議の度に軟化しているようにも見えた。

 混蟲であるフライアを将来国の頂点にさせないために、これまで密かに動いてきた大臣。そんな彼に対しても、フライアは自分が大臣を騙していることに、少し罪悪感を抱くのだった。






 会議が終わり、廊下で待機していたラディムとエドヴァルドと合流したフライア。彼らの顔を見るに、地下への協力要請も上手くいったらしい。声に出すと誰に聞かれるかわからないので、フライアは笑顔で頷くだけにとどめた。

 歩きながら彼女の心は、この場にいないオデルを思っていた。

 急な婚約の話には動揺したが、オデルのことが嫌いかと問われればそうではない。むしろ、限りなく良い感情を抱いている。

 あのように誠実な青年はそういないだろう。特に、『王族』の肩書きを持つ者の中では。

 このまま特に何もするでもなく、状況を受け入れる――という考えも何度も頭をぎった。ただ、その後の未来が想像できないのだ。どうしても。

 ふと、オデルの『呪いの解除』を手伝った時のことを思い出してしまった。

 彼はしきりに頭を下げ、その後「に消毒してもらってください」とフライアに告げた。

 そして――。

 今まで、無理やり心を誤魔化してきたものの、自分がやってしまったのはやはり『初めて』の経験であり――。

 いや、違う。自分にとっての『初めて』は――。


「フライアどうした? 顔が赤いぞ?」

「――!」


 フライアはまるで子犬のようにビクリと震え、立ち止まる。

 一瞬で火照ってしまった顔を冷ますように両手を頬に当てるが、効果はない。


「ん、もしかして熱でもあるのか? ここんところ会議が続いてたもんな。大丈夫か?」

「ひゃうっ!?」


 額に手を当てられたフライアは、咄嗟に変な声を出してしまった。

 額から伝わる、彼の手の温もり。

 距離が近い。

 無自覚に、かつて自分から『やってしまった』彼の唇を見つめてしまう。

 今まで、あえて考えないようにしてきたのに――。

 必死で意識の外に追いやっていたのに――。

 こうして優しい言葉と態度で接して来られたら、否が応でも意識してしまうではないか。

 いや、彼は兄のような存在だ。既に家族のようなものだ。

 そう思い込もうとしても、一度『そちら側』に傾いてしまった心は、もうどうしようもなくて。

 気付いたら、フライアはラディムの腰に手を回していた。


「…………え?」


 呆けたラディムの声で、フライアは即座に我に返る。

 いったい、自分は何をやっているのだろうか。

 何も考えずに彼にまとわりついていた子供の時とは、心も体も違う。

 ぐるぐると渦巻く頭の中同様に、フライアの薄紅色の瞳も激しく揺れていた。だが『手を離す』という選択肢が、今のフライアの頭の中からはきれいに消えてしまっていた。


 ラディムも、いきなりの事態に激しく混乱していた。

 フライアの体に触れることなく、両の手はふらふらと怪しく宙を彷徨っている。

 フライアの体調が悪いから、自分に倒れかかってきたのか。ならば、すぐに部屋まで運んでやらなければならない。しかし、それにしてはしっかりと腕に力が込められているような――。

 ラディムは自分の行動が引き金になったことに、気付かない。


 沼に足を取られたかのように、身動きしない二人を眺めていたエドヴァルド。しばらくはニヤニヤと(それでも他人から見たら無表情に近かった)見物していたのだが、あまりにも動かないのでとうとう痺れを切らしてしまった。


「……先に、部屋に帰っていいですか」


 無感情に言い放ったエドヴァルドに対し、二人は顔を林檎のように染めたまま、コクコクと頷く。どちらの目もエドヴァルドに助けを求めているように見えたが、彼女はしれっとそれを流して去ってしまった。


 いきなりイチャつき始めたかと思えば、その態度はどちらも煮え切らない。

 やはり、男女の心の機微に関することは面倒なのだな……と、エドヴァルドは真剣な顔で一人ごちた。




 結局二人は人の気配がするまで、そのまま石像のように固まっていたのだった。

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