第12話 下準備
ラディムが城に戻る頃には、既に空は橙色に染まり始めていた。少し遅くなってしまったが、
フライアの部屋に戻ると、六つの目が一斉にラディムへと向いた。オデルの姿を見たラディムは、ホッと胸を撫で下ろす。時間の合間を縫ってここに来てくれたらしい。明日からはさらに接触できる時間が減ってしまうだろうから、今の内に話をできるだけでありがたい。
そして、フライアも目を覚ましていた。まだ気だるさが残っているのか、いつもより動きが散漫だ。だが帰ってきたラディムを見るや否や、エドヴァルドとオデルと共に彼女もラディムに走り寄った。
「フライア、目覚めたんだな。良かった」
フライアの紫紺の頭に手を置き、くしゃりと撫でる。髪を乱されたフライアだったが、嫌がるでもなくはにかんで見せた。
「お帰りなさいラディム」
「無理はするな。気分は悪くないか?」
「うん、大丈夫だよ。ラディムも怪我してない?」
「散歩に行っていただけだからな。問題ない」
「まるで新婚夫婦の会話を見ているみたいだねえ」
にこやかに告げられたオデルの言葉に、慌てて距離を取る二人。
オデルは別に、二人をからかったわけではない。純粋にそう思ったから言っただけなのだが、二人にとっては色々な意味で効き過ぎる言葉だった。その二人の反応を見て、また笑顔を浮かべるオデル。
話の流れを戻すべく、顔を紅潮させたままフライアはラディムに問いかける。
「あ、あの、さっきエドヴァルドから話を聞いたばかりなの。私、よく覚えていなくて――」
「フライア様を攫おうとしたあいつは?」
「心配していたんだよ。もう少し遅かったら探しに行くところだった」
一斉に放たれた皆からの言葉を、ラディムは軽く片手を上げて一度制する。
「説明は今からする。時間がないから、とりあえず質問は後にしてくれ」
もうすぐ両国の関係者が一同に会し、食事をする。ラディムはそれまでに、先ほどの一連の出来事を報告しておきたかったのだ。
皆は真剣な面もちで頷き、ラディムの言葉を待つのだった。
「まさか、東領の方がそのようなことを――」
ラディムからの報告を一通り聞き終えたフライアは、思わず言葉を詰まらせてしまっていた。ちなみにラディムもフライアが『なに』をされようとしていた事までは、さすがに話すことはできなかったのだが。
「
「まさかライバルが他にもいたとはねえ」
少し呆れながら言うエドヴァルドに続き、横目でチラリとラディムを見つつ、
「まぁ意見は色々とあると思うが、これで婚約破棄に向けた動きがかなりしやすくなったってことだ」
ラディムがスィネルに要請した協力――。
それは、数日後に行われる結婚式に関する『計画』であった。
フライアとオデル、それぞれが式の当日に逃亡する。
騒ぎの頃合いを見計らい、オデルはエドヴァルドと登場し、彼女と一緒になると皆の前で宣言する。
そしてフライアはそれを快諾する――。
計画を単純に言えば、それだけの内容だ。だが単純だからこそ、この婚約に関わった者達に大きな衝撃を与えられるはず。皆はそう考えていた。
その一時的な逃亡先に、スィネルの屋敷を使わせてくれ――とラディムは頼んだのだ。
王女を手籠めにしようとした罪に問われるのか、それとも婚約破棄計画の共犯になるか――。
究極の二択を迫られたスィネルは、『共犯』になることを選んだ。
屋敷で働く者達に迷惑をかけることなってしまうと少し落ち込んでいたが、それはスィネルがフライアを連れ去ることを選択した時点で同じことだ。
フライアとラディムはスィネルの屋敷に、オデルとエドヴァルドは地下に一度身を
「最低限、おっさんとイアラ先生には伝えておいた方が良さそうだな。おっさんと対立するようなことだけは避けたい」
ラディムに戦闘の知識や技術を教えてくれたのは、他ならぬ兵士長のフェンである。彼はラディムにとって命の恩人でもあり、同時に師でもあるのだ。
フェンはラディムに『越された』と既に思っているのだが、彼が混蟲の中でも相当な手練れであることに変わりはない。
「パルヴィとヘルマンにも協力を仰ごう。混蟲が増えるだけで随分と変わるだろう」
「それなら、キャシーさんや女王蟻さんたちにも伝えたほうが良いんじゃないかな?」
フライアの言葉に頷く二人。今からでは間に合わないかもしれないが、それでも知らせないままよりは断然いいだろう。地下で再び捕らえられてしまっては元も子もない。この際、協力者は一人でも多く欲しい。
決意する三人の横で、オデルは覇気のない顔で佇んでいた。複眼で気付いたラディムが彼に声をかける。
「どうした? 疲れたか? 確かに今日着いたばかりだもんな。何ならもう部屋に戻って――」
「いや、違うんだ。今さらだけど、フライア王女と君たちには多大な迷惑をかけてしまって……。何て言えばいいのかわからないんだ。本当に、申し訳なく思っている……」
消え入りそうな声で紡がれた、碧眼の王子の謝罪の言葉。そのオデルの心情が理解できたからこそ、ラディムは少し大げさに彼の肩を叩いた。
「本当に今さらだな。細かいことは考えておいてくれって、俺たちに軽く言い放った本人とは思えないぞ?」
「それは……すまなかった」
「だから謝んなよ。そもそもの原因を突き詰めると、悪いのは魔道士だろ。それも、千五百年も前の死に損ない共だ」
吐き捨てるように紡がれた『魔道士』という単語に、オデルは小さく肩を震わせた。
混蟲という存在がなかったら。そこまで言わずとも、せめて魔法という存在がなかったら――。
『もし』を考え出したらきりがない。だが、確かに一度は頭を掠めた事ではあった。
だが、ラディムは思う。
その忌々しい過去がなかったら、今この場にいる誰とも出会えていない。それどころか、すれ違うことすらなかったであろうと。そう考えると、複雑な気分になってしまうけれど。
「まぁ、心配するなって言っても説得力はねえかもしれねぇけどさ……。これはもう、オデルだけの問題じゃねえんだ。テムスノー国のためにもレクブリック国のためにも、俺たちはできることを全力でするしかない――だろ?」
ラディムが笑いながら言えるのは、既に腹を決めているからこそ。退路は断たれている。ならば、進むしかないのだと彼は言う。
オデルはラディムのコバルトブルーの瞳をしばし見つめた後、女性のように長い睫毛を静かに伏せた。
「ラディム……ありがとう。僕は君と友人になれたことを、とても誇りに思うよ」
「前から思ってたんだけどな、さらっと恥ずかしい台詞を言うのはやめてくれよ……」
「そうは言うけれど、今の君も大概だよ?」
「…………」
オデルの屈託のない笑顔には、「してやったり」と書かれていた。事実だけに、ラディムは何も言い返せない。
見守っていた少女達の瞳が
城下町の沿道には、大勢の人が並んでいた。それぞれが体で押し合いながら、ある人物を注視している。
観衆の視線を一身に集めているのは、レクブリック国からやって来た金髪
テムスノー国民に対する『顔見せ』が始まったのだ。
オデルの隣には彼の父エニーナズも居たが、主役はオデルだと言わんばかりに静かに見守り続けている。
徒歩並の速度で進む馬車の四方には、槍を手にしたテムスノー国の兵士達が着いていた。彼らの非日常なきびきびとした歩きも、観衆の心が弾む要因の一つとなっていた。
(ラディム、エドヴァルド。どうか頼む……)
笑顔を崩さぬまま、オデルの心は全く別のところへ向いていた。
(しかし、エドヴァルド、か……)
不意に自分の手が視界に入り、オデルは赤面しそうになってしまった。
先日、この手で彼女に触れてしまった――。
いや、厳密には強引に触らされたのだが。その時の感触まで甦ってしまい、オデルは慌てて観衆に視線を戻した。
地下の支配者である、女王蟻の娘だという彼女。
軽く話を聞いただけだが、かなり数奇な運命を辿ってきたらしい。あの男性のような外見も、本当は彼女が望んだものではなかったのだろう。
オデルとは初対面であったのに、身を呈してレクブリック国を救うとエドヴァルドは言ってくれた。彼女の提案にはオデルも驚いたが、不思議なことに嫌だとは微塵も思わなかった。
それはエドヴァルドの「救いたい」という心が本物だと、即座に確信したからだ。おそらく、レクブリック国よりも『フライアの心』を守るため――というのは何となく感じている。それでも、オデルは嬉しかった。
(この国の人達は、本当に強いな)
この国に骨を埋めることに、既に抵抗はない。
自分も彼ら、彼女らに負けず、強く在りたい。
オデルは手を振り続けながら、そんなことを思うのだった。
城の医務室では、フェンとイアラがそれぞれ対照的な表情を護衛二人に向けていた。
柔らかな微笑みを浮かばせているのはイアラ。
眉間に深い皺を刻んでいるのはフェンだ。
ラディムとエドヴァルドは、今まさに『計画』を二人に伝えたところだったのだ。
「確かに急な婚約の話だと感じてはいたが……まさか……」
フェンは彼らの話を聞き、酷く動揺していた。今回の婚約を大臣が秘密裏に進めていたなどとは、考えてすらいなかったのだ。
「そのうえレクブリック国は、混蟲の魔法の力が狙いだったとか……。でも王子はそれを阻止するべくお前達に頼んだとか……。さらには同盟を結ぶために、エドヴァルドが一時的に王子の妻になるとか……」
「まぁ、この内容をいっぺんに聞いて混乱するのもわかるけどさ。時間がねえんだ。頼む、おっさんも協力してくれ」
「……王はご存知なのか?」
フェンの質問にラディムは苦い顔を作る。ラディムとしては、あくまで王は『被害者』として事を進めたかったのだ。国の頂点に君臨する者がこの計画を知っているか否かで、後々の責任や対処も大きく変わってくることだろうとの考えからだ。
「私は協力するわよ。何をすれば良いのかしら?」
「イアラ先生!? そんな簡単に――」
「フェンさん。若者たちが真剣に二つの国をことを思い、動こうとしているのよ。私たち大人が傍観者に徹して良いのかしら?」
いつになく真剣な口調と眼差しで問われ、フェンは視線を落とす。が、ほどなくして顔を上げた。
「わかった……。とりわけ、混蟲である俺には無関係でない話だしな。……本当に、いっちょまえに良い顔するようになりやがって」
ラディムの頭を乱暴に撫で回しながら、フェンは破顔した。
「ちょっ……! やめろって。俺はもうそんな年じゃねえ!」
「いくつになっても関係ないさ。お前を拾った時からずっと、俺は保護者のつもりだったんだが?」
「…………」
正面から言われ頬を紅潮させるラディムを、イアラとエドヴァルドはにこやかに見つめるのだった。
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