第15話 それぞれの逃走

 フライアを抱えたまま、東領へ向かって一直線に飛ぶラディム。

 極限まで飛翔速度を上げた彼は、まさに一陣の風だった。

 ラディムの複眼に写る景色は、輪郭を形成する間もなく糸のように後方へ流れていく。

 しばらくは平原が広がっていたが、家畜が放牧されているのを散見するようになる。さらに進むと、煙突付きの民家がポツポツと増えてきた。それが町と呼べる数になったところで、ようやくスィネルの住む屋敷を視界に捉える。

 東領の町もがらんとしており、外には人っ子一人いない。皆、城下町へ出向いているのだ。

 テムスノー国中の人がこの日をどんなに待ちわび、期待していたのか。

 それを知ることになったフライアの胸が、ズキリと痛んだ。ラディムの腕を掴んでいた手に、知らず力が入る。


「……迷うな」


 フライアの心情をすぐさま察したラディムの一言で、フライアは我に返り、唇を噛んだ。






 白を基調とした大きな屋敷が、東領を統治するスィネルの居住だ。その巨大な屋敷の前にも人はいなかった。

 整備された庭を突っ切り、ラディムは以前来た時と同じように裏へと回った。

 そこで一人の人物と出くわす。しかしラディムは動揺しない。黒髪の料理人、ガティスだ。

 ラディムらの姿を確認した瞬間、壁に背を預けていたガティスは組んでいた腕を解き、小さく手を挙げた。

 彼に合流し、ラディムがフライアを下ろしたところで、ガティスは壁の一部に手を這わせる。音もなく壁が横にずれた。

 中に広がるのは、明かりのない細い道。スィネルの部屋へと直に続く隠し通路だ。以前、屋敷の中から隠し通路に入った時は弱々しいランプが設置されていたが、こちら側にはないらしい。ガティスが闇の中に向けて歩き出すと、ラディムとフライアもその後に続いた。


「左の壁に手を這わせて進め。入り口は勝手に閉まる」


 ガティスの言う通りすぐさま入り口が閉じ、かろうじて中に射し込んでいた光も消え去った。

 壁に手を這わせながら、ガティスの後を慎重に進む二人。

 明るい場所から急激に暗い場所に入ったので、視界どころが平衡感覚さえも少し危うい。

 ようやく目が闇に慣れ始めた頃、見覚えのある弱々しいランプが現れた。左手側に細い階段がある。スィネルの部屋に直通している階段だ。

 勾配の高い階段を上る三人。階段のすぐ先にある扉を、先頭のガティスがゆっくりと押し開けた。


「ようこそ我が屋敷にお出でくださいました。テムスノー国が誇る姫君、フライア・アルヴォネン様」


 うやうやしく彼らを出迎えたのは、膝を折り頭を深く下げたスィネルだった。

 しかし、先頭にいたのはガティスである。ガティスは顔を引きつらせながら「俺に言ってどうする」と小さく言い、逃げるように部屋の横に移動した。

 初っ端の挨拶をしくじった程度で動じるようなスィネルではない。フライアが部屋に入ってくるまで、そのまま頭を下げ続けていた。ちなみに、ラディムに対しては清々しいまでに無反応だった。


「では改めて――。ようこそ我が屋敷にお出でくださいました。テムスノー国が誇る『華麗』な姫君、フライア・アルヴォネン様」


 言葉の一部をやたらと強調したスィネルはそこでようやく顔を上げ、演劇の台詞を読むかのように続ける。


「しかしわかっていたとはいえ、今日は何と素晴らしい格好をされているのでしょうか……。このスィネル、感動に打ち震えております! 汚れなき白という色も言葉も、今のあなた様の為に生まれてきたと言っても過言ではございません。さあ、誰よりもテムスノー国を愛する私と、是非ともこのまま結こ――」


 スィネルが全て言い終える前に、ラディムとガティスの拳が同時に彼の顔面にめり込んでいた。

 いくらスィネルが突拍子もない性格をしているとはいえ、この状況でいきなり求婚をするとは思ってもいなかった。やはり彼は普通ではないのだと、ラディムは身に染みて実感する。


「痛いじゃないか……」


 スィネルは顔を押さえながら何か言いたそうに二人を見つつも、フライアにチラチラと視線を送っている。

 フライアは面食らった顔のまま固まっている。まあ、いきなりこれでは仕方がないだろう。

 ラディムは殺意を乗せた溜め息をスィネルに吐きかけてやりたい気分だったが、話が進まないので何とか堪えた。


「あ、あの……。既にご存じのようですが、フライア・アルヴォネンです。今日は場所をお貸しくださいまして、本当にありがとうございます。少しの間だけお世話になります」


 何とか気を取り直して告げたフライアの声は、心なしか小さい。


「フライア、律儀に挨拶なんてしなくていい。そもそもこいつは、お前を攫おうとした奴だぞ。むしろ一生をかけて償ってもらう立場にある奴なんだぞ」

「その通り! 私のこれからの人生は全てフライア様に捧げるためにある! だからいっそのこと結婚してくだ――!」


 二回目は蹴りだった。

 くず入れを倒すかのように軽く放たれたラディムとガティスの蹴りは、スィネルのわき腹に綺麗に決まった。二人の同時攻撃を受けたスィネルは床に伏し、ぷるぷると震えている。


「き、君たち……。暴力は何も生まないよ……」

「今のは暴力じゃなくてただのツッコミだ。これ以上受けたくなかったら口を閉じろ。ていうか、お前も何か言えよ。この脳味噌お花畑の男、幼馴染みなんだろ」


 後半はガティスに向けてのものだったが、彼はラディムにわざとらしく肩を竦めてみせた。


「言っても効果がないから、お前と同じ行動をしているわけだが」

「なるほど……」


 半ば投げやり気味に放たれたガティスの言葉に、ラディムは肩を落とすしかなかった。十数年共にいた彼の言葉には説得力がありすぎる。


「そこ、何を意気投合しているんだ。男同士の友情を私も築きたい! ええい、私も混ぜたまえ!」


 バッタのように床から飛び上がったスィネルは、ビシリビシリと二人を指さしながら声を張り上げた。打たれ強いのか、復活が早い。


「連帯感があったことは否定しねえが、別にガティスと友情を育んだ覚えはねえ。そもそも俺はスィネルあんたと友情を築きたくはない」

「照れているんだね? 君もガティスと似たタイプのようだ。言葉で否定しても、心には嘘はつけないものだよ? さあ、存分に僕を求めたまえ!」

「違えし! その言い方もやめろ!」

「え、ええと……」


 男達のどこかずれたやり取りを見やりながら、本当にこの先大丈夫なのだろうか――とフライアは不安を抱かずにはいられないのだった。







 エドヴァルドを背負ったまま、颯爽と街道を駆け抜けるオデル。


「あの石柱を左へ。その先に地下への入り口があります」


 背からエドヴァルドが指示を出すと、オデルはその通りに曲がる。しかし、そこで急激にスピードが落ちてしまった。

 フライアの魔法が切れたのだ。

 オデルは普通の人間だ。普段鍛えているわけでもない。人を背負ったまま走り続けることには、やはり限界があった。激しい息遣いを繰り返している。

 それでも前に進もうとするオデルの背から、エドヴァルドは飛び下りた。


「ありがとうございました。ここからはオレに任せてください」


 額から汗を滲ませ、疲れきった顔で見つめるオデルを、エドヴァルドは片腕だけで持ち上げた。


「……へ?」


 オデルが声を上げた時には、既に彼はエドヴァルドの背の上にいた。

 一瞬の内に入れ替わってしまったポジション。

 エドヴァルドが怪力の持ち主だと知らされていなかったオデルは、自分の置かれている状況を理解できない。


「地下の地理はオレが完璧に把握しています。安心してください」

「え? え?」


 エドヴァルドはオデルの返事を聞かずに走り始めた。

 がくん、と後ろに大きく揺れ、オデルは慌てて彼女の肩に腕を回す。

 本当はこのように密着するのは遠慮したいところだったが、そんなことを気にしていたら落とされたまま置いていかれてしまう――ような気迫さえ感じた。

 エドヴァルドの背の上で揺られながら、この状況をあの観衆達に見られなくて良かった……とオデルは心の底から思ったのだった。







 主役達の消えた城下町の混乱は、著しいものであった。

 好奇心から、逃げた四人を追おうとする多くの若者たち。しかし現在ここには、城下町の細い通りまでをも埋め尽くさんばかりの人間が集まっているのだ。動くことすらままならないのに、無理やり動こうとする多くの人間。

 一方で、馬車の前で魔法障壁を発動するフェンを、固唾を呑んで見守る人間も多くいた。

 それらがぶつかり合えば、混乱が生じるのは必須であった。

 兵士たちは怪我人が出ないよう人の流れを整理する一方で、この場からいなくなってしまったフライアやオデルをすぐに追うべきではないのか――という葛藤と戦っていた。

 どうすれば良いのか。誰か、指示を出してほしい。

 しかしその指示を下すはずの人物は、彼らの前に立ち塞がる魔法の壁を形成している。

 テムスノー国の兵士らが密かに誇っていた統率力という言葉は、一気に陳腐なものに変貌してしまった。焦りと困惑が兵士らの心を波のように襲う。

 フェンは彼らを見据えながら、二度目の詠唱に入った。魔法障壁が消える前に新たに生成し直したのだ。

 再びフェンが魔法を使ったことにより、兵士たちの間にさらなる緊張が走った。フェンが使ったのは防御系の魔法とはいえ、人間は魔法そのものに畏怖の念を抱いている。そのことが、兵士らの心を動かすきっかけとなった。


「と、とにかく手が空いている者! 隊長を捕らえるんだ!」


 一人の若い兵士が声を張り上げると、呪縛が解けたかのように皆一斉に武器を構え、フェンを取り囲んだ。


「そうだ。半分は正解だ。だが、もう半分の正解の方はちょっと阻止させてもらう」


 フェンの役割は囮――。

 フライアやオデル達が体制を整えるまでの時間を稼ぐことが、彼の狙いだった。


「お前ら、来るなら本気で来いよ。怪我をするぞ?」


 大勢の兵士に取り囲まれても尚、フェンの顔からは余裕は消えない。

 そんな中、一人の兵士が雄叫びを上げながらフェンに槍を繰り出した。が、フェンの槍でいとも簡単に払われてしまう。体勢を崩し、横につんのめる兵士。

 奮起されたのか、続けて別の兵士たちもフェンに攻撃を仕掛けるが、同じような結果が待っているだけだった。

 次々にフェンにいなされる兵士たち。その様子はまるで、実践式の訓練をしているかのようだった。


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