第10話 不審者

 エドヴァルドは姿勢を低くし、気配を殺しながら左翼側に近付いていく。

 ラディムは一度城の二階付近まで高度を落とし、犯人・・へ接近する。上からだと即刻見つかってしまうとの考えからだ。

 城の胴体と左翼を繋ぐ継ぎ目には、少し高低差がある。その隙間にフライアを攫った犯人は潜んでいた。

 黒髪の男だった。短い毛先は揃っておらず、無造作な方向に跳ねている。年は二十代前半か半ばといったところか。背からはねを出した後だからか、上半身の服は身に着けていなかった。その翅は今は見られないので、彼も自身の意思で翅を出し入れできるようだ。

 体格はラディムとそう変わらない。フライアを片腕で軽々と支えていることから、それなりに力があるということは容易に想像がつく。

 ラディムの複眼は、真後ろ以外を捉えることができる。上も例外ではなく、その視界の中に含まれていた。

 しかし、現在の位置から得られる情報はそれだけだ。男が何の混蟲メクスなのかまでかはわからない。


(……よし)


 ラディムは男に近付く決心をすると、その場からゆっくりと上昇した。

 本当は今すぐにでもフライアを奪い返しに飛んで行きたいところであったが、彼女の身の安全を考えると慎重に動かなければならない。今回の自分の役割は、あくまで囮だ。

 男がラディムの姿に気付くのに、そう時間はかからなかった。

 おそらく、少し気が緩んでいたのだろう。ラディムの姿を確認した男は、フライアをその腕から取り落としそうになる。ラディムは内心気が気ではなかったが、演技をするためにあえて彼の無礼な行動も見て見ぬ振りをした。


「お前、何者だ!? どうして彼女とこんな場所にいる?」


 ラディムはあくまで、不審者を見つけた城の兵士の振りをする。相手が自分のことを知っているのかどうか、わからなかったからだ。

 黒髪の男が三白眼の目を極限まで見開き、ラディムを凝視したのは一瞬。男はすぐに自分が身を置いている状況を利用した。

 男の手首から先が瞬時に変形したのだ。鋭い三角錐――まるで太い針のように。

 その針をフライアの胸に軽く押し当て、男は鋭い眼光でラディムを射抜く。


はち――か?)


「そこから、動くな」


 黒髪の男は低くラディムに告げる。背けば手の針がフライアの胸を貫くぞ――と無言の脅しをラディムにかけてきていた。

 ラディムは焦る顔を作りながらも、その内は冷静であった。

 男がフライアを攫ったのは、彼女を『利用』するためだということは間違いない。目立たないようにわざわざこの場所で陽が落ちるのを待っていたことが、何よりもそれを裏付けている。つまり、男はフライアを殺す気などないということだ。

 だが、男が逆上してしまう可能性もゼロではない。できる限り刺激をしないよう、ラディムは軽く両手を上げて抵抗の意思がないことを示した。


「彼女をどうするつもりだ」

「貴様に答えるつもりはない」


 ラディムは心の中で溜め息を吐く。答えてもらえるなどと最初から期待はしていなかったが、やはり小さな情報だけでも何か欲しいところではある。


「俺はこれからどうすればいいわけ? ここに浮いたままになってる方が、たぶん目立つと思うんだけど」


 ラディムの言葉に男は眉を寄せる。そして無言のまま顎で屋上を指した。移動しろということだろう。指示に従い、ラディムは男から距離を取ったまま屋上に着地した。


「あんたは夜まで待つつもりだろうけど、さすがにその前に城の連中もフライアの不在に気付くだろう。直にここにも人がやってくるかもしれねえぜ?」


 男は答えない。少しだけ眉間に皺が寄ったのは、痛いところを突かれたからなのか。


「悪いことは言わねえ。今ならまだ『なかったこと』にできる」


 エドヴァルドの存在を気取られないよう、ラディムはできる限り男に話しかけた。彼女は既に胴体から左翼に向けて移動を開始しており、気配を殺しながら男に近付いている。


「お姫様の命はこっちが握っているというのに、随分と強気な奴だな」


 男は針をフライアの胸――心臓部に食い込ませるように押しつけた。鋭い針の先端がフライアの衣服に穴を空けたのをラディムは確認する。常時なら激昂してもおかしくはなかったが、彼はそれを平然と見やるだけだった。


「そうか。説得に応じてくれなくて非常に残念だ」


 それどころか不敵な笑みを浮かべる。

 直後。

 水のように澄みきった空の下を、エドヴァルドが跳んだ。

 男の頭上から強襲を仕掛けたのだ。


「――!?」


 ようやくエドヴァルドの気配を察知した男だったが、既に遅かった。男が振り返った時には、エドヴァルドの蹴りが(手加減はしている)男の顔面に決まっていた。放たれた矢が的に吸い込まれていくかのような流麗さであった。

 そのエドヴァルドが着地するタイミングでラディムは猛スピードで飛翔し、男の腕からフライアを奪い返す。

 一瞬の救出劇を終えた二人は、互いに顔を見合わせた。


「ご苦労さん」


 ホッと一息吐きながらラディムが労うが、エドヴァルドはさも当然といった面もちで、それに対する反応は返さない。

 彼女は尚も状況を冷静に見つめていた。触覚を隠すために巻いていた頭の布を解き、無言のまま男の手を後ろで縛る。

 ラディムはフライアに何度か呼びかけてみるが、どうやら眠り薬のようなものでも使われたのか、目を覚ます気配はない。

 二人の連携によりフライアは無事救出することができたが、この男の目的を知らなければ解決はしない。

 ラディムはフライアを一旦エドヴァルドに預け、気を失った男の頬をペチペチと乱暴に叩いた。男の目尻の下がエドヴァルドの蹴りを受けて腫れていたので、せめてもの情けでラディムはその逆を叩いていた。


「おいこら。気を失ってないで起きやがれ」


 何度か叩いたところで、ようやく男の瞼が上がった。

 興奮したり混乱しているなどということはなく、男の目には諦観の類が滲んでいた。暴れられたら面倒であったが、この男はそこまで馬鹿ではない――むしろ物分かりが良い可能性が高い。ラディムは内心安堵する。


「おし、目覚めたな。早速だが単刀直入にく。なぜフライアを狙った?」


 黒髪の青年は口を真横に結んだままだ。しばらく待ってみるが、その口は動く気配すらない。


いかづちよ。我にまといて一条の光となれ」


 ラディムは腕を交差させ、『力ある言葉』を言い放つ。たちまち彼の腕をバチバチとした白い光が覆った。雷属性の魔法を使ったのだ。


「もう一度訊く。フライアを攫った理由は?」


 ラディムの脅しが見かけだけはないと判断したのか、ようやく男は悔しそうに口を開く。


「頼まれたからだ」


 低く、唸るような声はまるで手負いの狼のようだ。しかしラディムはそれを鋭い眼光で一蹴する。


「誰に?」

「それは――」


 そこで男は口ごもり、視線を斜め下に落とした。ラディムが魔法を纏った腕を顔に近付けると、渋々とまた答え始める。


「……スィネルだ」


 男が出した名にエドヴァルドは眉を寄せるが、ラディムはコバルトブルーの目を見開いた。

 テムスノーは王が統治している国であるが、王宮が国中を細かく網羅できるほど狭い島国でもない。故に、城がある北を除いた東西南、三つの区域に領主を置いて統治をはかっている。

 男が出した名は、その東の領主のものだったからだ。

 普段ならそのような身分のある者の名など覚えもしないラディムであるが、東の領主は三ヶ月ほど前に代替わりをし、まだ年若い男が引き継いだと聞いていたので記憶に残っていた。


「知っているのか」


 エドヴァルドがラディムに尋ねる。彼女は領主の名を覚えていないらしい。基本的に彼女は考えるのが苦手――ということをラディムはこの数ヶ月でよく知る羽目になってしまったので、それに関しては特に言及しなかった。

 ラディムは頷いた後、パリパリと乾いた音を出し続けているいかずちが這う腕を、再度男に向けた。


「で、お前の名前は?」

「……ガティス」

「ではガティスさんよ。俺をスィネルの所まで案内しろ。普通に、客人としてな」

「――!?」


 ラディムの言葉に、ガティスと名乗った男は目を見開いた。しかし無言のまま圧力をかけてくるラディムとエドヴァルドに挟まれた彼の返答は、一つしか許されていないのであった。






 服を身に着けたラディムは、エドヴァルドにフライアを部屋まで運ぶように頼み、彼女にフライアの側に着いてもらうことにした。

 黒髪の不審者――ガティス曰く、フライアは麻酔で眠らせただけなので時間が経てば目覚めるだろう――とのことだった。

 ラディムは万が一のことを考え、可能であればオデルも部屋に呼んでおくようにエドヴァルドに告げる。そして事情を説明しておくようにと頼んだ。フライアが不審者に攫われかけたことは、まだ内密にするようにとも。

「何か考えがあるのか」というエドヴァルドの問いに、ラディムは「帰ったら説明する」とだけ告げ、ガティスと共に足早に城を出たのだった。






 レクブリック国の王子を迎え入れたばかりということもあって、城下町は大層賑わっていた。

 そこかしこに食べ物を扱う露店が広がり、人々が列を成している。露店以外でも、様々な店先で特売を呼びかける声が絶えず響いていた。皆、この先二度とやって来ないかもしれない大きな行事と空気に酔い、笑顔を浮かべている。

 そのような喧噪溢れる町中で、混蟲のラディムとガティスのことを気に止める者は皆無であった。

 二人は人の波を縫って城下町を抜けた後、同時に息を吐いていた。息が視認できるものだったのなら、小さな積乱雲が二人の前に発生していたかもしれない。特にラディムは人混みに揉まれるという経験はなかったので、それだけで体力を消耗していたのだ。

 城下町の喧噪が嘘のように、街道には静けさが広がっていた。太陽は真上より少し回った位置にある。眠気を誘われるような陽気が、街道に明るく降り注いでいた。

 ラディムはガティスの半歩後ろから着いて行く。

 散々脅した後なので逃げることはないと思っていたが、油断はしていない。ラディムはいつでも魔法を発動できるよう、意識を高めながら街道を歩き続ける。


「ところでお前は、蜂の混蟲か?」


 陽気をひび割るかのように声を発したのは、ラディムだ。


「あぁ」

「ふーん……。そのスィネルには今回の件で雇われたってわけか」

「いや。俺はあいつの屋敷で料理人として働いている」


 ラディムは目を見開いた。まさか自身の屋敷に混蟲を雇っている領主がいるとは――。

 てっきり今回の企みのためだけの一時的な関係だとばかり思っていたラディムには、ガティスの言葉は衝撃的であった。

 そこだけを聞くと、スィネルに対する印象は悪くはない。が、やはりフライアを攫うように指示した男だ。良い奴なわけがない――と、流されそうになる心を即座に軌道修正させる。


「先に言っておく。お前……苦労するぞ」

「何だよそれ。脅しのつもりか? お前らの立場を握っているのはこっちなんだけど?」

「それは承知している。俺が言いたいのは、お前が考えているよりスィネルは面倒な奴だということだ」


 元々、ラディムの『考え』が簡単に済ませられるとは思っていない。ガティスの忠告も、ラディムの心の中に半分も沈んでいくことはなかったのだった。

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