第11話 東領の領主

 東領の屋敷は、テムスノーの地図上でもかなり北の方に位置している。

 そういうわけで東西南の領の中では、東領の屋敷が最もテムスノー城に近い。そこまで時間をかけることなく、ラディムは東領の屋敷に到着した。

 円柱の柱が並ぶ白い屋敷の入り口前には、大きな庭園があった。よく手入れされているということは、長方形に剪定された植え込みを見ただけでわかる。

 色とりどりの花が咲き乱れる庭園の端を足早に突っ切ったガティスは、正面の入り口ではなく、屋敷を迂回して裏へと回る。

 庭園に植えられた植物はどれも背が低く、外からも屋敷の様子はよく見える。仮にガティスがフライアを連れてここに来ていた場合も、他の人間にあっさりとバレてしまっていたのではないか――とラディムは庭園の端を歩きながら考えるのだった。その場合、スィネルがどういう弁明をするつもりだったのか、少し気になるところではある。

 ガティスは裏口の扉の前で立ち止まった。そしてラディムへと振り返る。


「客人として案内する――というのは色々とあって無理だ。だがスィネルの所には確実に案内する」


 ラディムは頷く。ガティスは根っからの悪人ではない――と、ラディムはこの短時間、彼と話をしてそう感じていた。今さらラディムを騙して何か仕掛けてくるような混蟲メクスではないと、確信さえ抱いていた。

 ガティスは、料理人としてここに雇われていると言った。それと関係しているのか、ガティスが押し開けた扉の先は食料庫になっていた。

 石壁の造りをしたそこはひんやりとしていて、上気していた体温が急速に冷却される。魔法道具の力を借りて室温を下げているのだろうとラディムは思った。テムスノー城内にある厨房にも、魔法道具を使用した食料用の貯蔵庫がある。


「この隣が厨房だ。もうそろそろ料理人たちが夕食の準備に取りかかるため、集まり始める頃だ。見つからない内に抜けるぞ」

「あんたは一緒に晩飯の準備をしなくていいのか?」

「俺は今日は休暇扱いになっている」

「なるほどね……」


 この『計画』のためにわざわざ休みを取ったということだろう。無理やり取らされたのかもしれないが、そのあたりの事情はラディムにとってはどうでもいい。

 ガティスは警戒しながら、食料庫から厨房へ、そして厨房の扉から廊下へと足早に抜けた。ラディムも彼の後に続く。

 廊下にはワインレッド色の絨毯が敷かれていた。厚みがあるので、二人の足音をほとんど吸い込んでいく。廊下を堂々と歩いているが、今のところ人と出くわす気配はない。


「この屋敷、本当に人がいるのか?」


 ここまで順調にいきすぎると、逆に不安になってしまう。小声でラディムが尋ねると、ガティスは前を向いたまま答える。


「今は昼寝の時間だ。この屋敷では一日二時間、昼寝のための休憩時間が設けられている。ただ、屋敷の正面玄関の中だけは常に見張りがいるからな。だから裏から回った」

「何というか……羨ましすぎる勤務体制だな」


 ガティスは廊下の途中で突然立ち止まり、壁に掛けられていた絵画に向く。花瓶に活けられた黄色い花が描かれた絵は、芸術とは無縁の生活を送ってきたラディムには、美しさも面白味も感じられないものだ。

 ガティスは絵画の裏に手を回した。瞬間、絵画が掛けられている壁が音もなく横に滑り、眼前に細い通路と階段が出現した。壁にはランプがぶら下がっているが、光量はほとんどなく薄暗い。


「隠し通路かよ……」

「ここから、外とスィネルの個室に直に繋がっている」

「だったら、その外からこの通路に来た方が早かったんじゃないのか?」

「……そうだな」


 少し苦い顔をするガティス。どうやらいつもの習慣で、つい裏口から中に入ってしまったらしい。

 やはりこの青年は、元々悪事には向いていない性格なのだろう――とラディムは口の端に笑みを浮かべた。

 薄暗い通路を進むと、右手側に階段が表れた。ガティスとラディムは、慎重に、それでいて素早く階段を上っていく。

 細い階段の先には一枚の扉があった。ガティスが言うには、この隠し通路を知っているのは、彼とスィネル、そして先代の領主だけであるという。つまりこの扉を開けることで、スィネルはガティスが帰還したことを即座に理解するわけである。

 ガティスは小さな深呼吸をすると、ドアノブに手をかけ、静かに押し開けた。


「おお、お帰りガティス! なんだ、予定より随分と早かったね! ……って、あれ?」


 両手を広げてガティスを出迎えたのは、長い前髪で片目を隠した茶髪の青年だった。

 マントから衣服、ブーツまで、その全身はほぼ白色で彩られている。雪のように白い格好のおかげで、衣装に織り込められた刺繍の赤と、ベルトの金具が非常に目を惹く。

 あまりにも突拍子な格好の男に、ラディムは思わず顔を引きつらせてしまった。髪の茶色と全身の白のバランスは、まるで害のないキノコのようだ。


「ガティス、これはどういうことだ? これ、どう見ても王女様じゃないよね? それともお前の心を覆う絶望が、ついに男と女の区別をもつかなくしてしまったというのか。あぁ……何てことだ! やはり私がこの国を早急に変えなければ――!」

「なんだこいつ……」


 まるで寸劇のように膝を折り、虚空に向けて大げさに手を広げる青年。『これ』呼ばわりされたラディムの目は、この上もなく平坦なものになっていた。


「こいつ? なんと無礼な。私にはスィネルという立派な名がある。まぁ、君の無礼は一回だけ無しにしてあげよう。テムスノー国の東領を統治する! この広い心を持った私に! 感謝の念を抱きながら! この先も生き続けるがいい!」


 言葉を区切り、その度に天を指したり眉間に指を当てたりと、謎のポーズを決めるスィネルという青年。ラディムは苦笑いさえ洩らすこともできず、彫像のように固まるばかりであった。


「……本当に、こいつの命令?」


 念のため、ガティスに確認をする。ガティスは視線を微妙に逸らしながらも、こくりと頷いた。


「だから、私にはスィネルという名前があると言っているだろう! 神聖な私の名を口にすることを許してやっているんだ。その名を呼ぶだけで君の心には癒しの天使が舞い降り、心は幸福で満たされることだろう! さぁ改めて呼びたまえ!」


 腰に手を当て、声高らかに微妙にずれた命令をしてくるスィネル。「苦労することになる」というガティスの忠告を、ラディムはようやく身に染みて実感するのであった。






 今までに接したことないタイプの人間スィネルに、ラディムはしばらく口を開くことができなかった。

 その間にもスィネルは、自身が選ばれた東の領主であるという主張を、意味不明な誉め言葉を織り交ぜながら繰り出してくる。これは人間ではなく、むしろ未知の生物ではないか――という疑問さえラディムの頭には浮かんできていた。


「こいつの脳の言語を司る部分を、一度漂白した方がいいんじゃねえの。その方が見た目と合った性格になるだろ」


 今のはガティスに向けての言葉だったのだが、スィネルはそれさえも容赦なく掬っていく。


「今日の衣装は特別なんだ! 清楚で可憐な我が国が誇る、素晴らしい姫君を迎えるためのね! 私もそれに見合うだけの格好をしただけのこと!」


 ラディムの皮肉を、スィネルはどういう解釈で受け止めたのだろうか。彼は自信満々にビシッと天を指差した。

 このままでは埒が明かない。というか、時間が勿体ない。ラディムはわざとらしく深い溜め息を吐きながら、そこで腕を交差させた。


「大気よ。我が身に宿りて荒れ狂う盾となれ」


 今までにないほど、気だるさと疲れが感じられる詠唱だった。そんな投げやりな詠唱でも、風の魔法はラディムの腕にきちんとまとい、絡み付く。

 ラディムの魔法を前に、自信で溢れていたスィネルの顔がみるみるうちに青ざめていった。


「こっちは時間がねえんだ。フライアをどうするつもりだったのか、さっさと説明をしろ」

「ガティス……。あの、ひょっとして、彼って……」


 小刻みに震えながら、白い青年は黒髪の青年へと視線を送る。


「あぁ。王女様の護衛だ」

「な、何で!? 失敗したのかい!? それならもっと早く言ってくれないと困るじゃないか! せっかく姫様に送る第一声と格好良いポーズを考えていたというのに!」

「あんたが俺に弁明どころか喋る隙をも与えてくれなかったんだろうが」

「私たちはもう長い付き合いだろう? いいかい? そういう重要な情報は私の言葉を遮ってでも――」

「だああああ! もううるせえッ!」


 絶えず声を発するお喋り好きなセキセイインコの方が、可愛げがある分何十倍もマシである。苛立ちと八つ当たりの気持ちを乗せ、ラディムは腕を振り下ろす。

 緑の風が、スィネルの部屋に吹き荒れた。






「要するにあんたは、ずっと昔からフライアを嫁にするつもりだったと」


 乱れたカーテン。倒れた椅子。床に散らばるのはバラバラになった無数の書類と、本棚から強制的に舞い上げられた本たち。文字通り、嵐が過ぎ去ったかのような部屋の中。

 そのほぼ中央でラディムは腕を組み、威厳ある像のように佇んでいた。こめかみをピクピクと痙攣させ、怒りの表情を抑えているラディムの正面の床には、スィネルが正座をさせられている。

 ラディムの『おしおき』でさすがにスィネルもマズイと思ったのか、ようやく口数を減らし(それでもラディムにしてみれば多かった)尋問に答え始めたのだった。


「そういうことだ。私とガティスは幼い頃からの友達だった――。子供の頃の私は勉強が嫌になった時、屋敷をこっそりと抜けて外に遊びに行っていたのだが、彼とはその時に知り合ってね。ちなみに幼い頃の私だが、それはもう抜群に愛らしく、周りからは神童と言われ――」

「そのくだりは省け」


 問答無用に切り捨てるラディムに対し、スィネルはうなだれる。が、すぐに顔を上げて息を継いだ。立ち直りが早い。


「まぁ、そんなこんなで楽しくやっていたんだけどね。出会って数年経ったある日のことだった。突然、ガティスが混蟲メクスになってしまったんだ……」


 スィネルの顔に影が射す。その言葉の意味を誰よりもわかっているラディムは、思わず目元を歪ませた。


「それまでガティスとつるんでいた連中は、たちまち彼の元を去ってしまったよ。でも、私は納得できなかったね。混蟲になったからって、元は彼も人間じゃないか。態度を変える意味がわからない」


 拳を握り感情を吐き出すスィネルの目は、怒りの色に染まっていた。


「だから私は父上に頼み、ガティスを屋敷に呼んだんだ。領主の元で彼が働いていれば、人間の混蟲に対する認識が少しでも変わるかもしれないと期待して。何より、ガティスに不自由をさせたくはなかったんだ」


 ラディムはそこで、成り行きを見守っていた壁際のガティスへと振り返る。彼はそこでゆっくりと目を伏せた。スィネルの言うとおり、だという意味だろう。


「それから数年経った頃、王女様が混蟲になってしまわれた。そこで私は決意したんだ。いずれ彼女の夫となることをね」


 何となく、彼の目的が見えてきた。しかしラディムは口を挟むことなく、スィネルの言葉の続きを待つ。


「私は王女様と共に、このテムスノー国を混蟲も人間も住みよい国にするという願望……いや、必ず成し遂げる目標にしたんだ」


 ラディムは何を言えば良いのかわからなかった。混蟲のことをこれほど考えている人間がいるとは思ってもいなかったからだ。性格は脇に置いておくとして、話を聞いた限り彼の信念は本物だと思った。

 だからといって、フライアを誘拐しようとしたことはやはり見過ごすわけにはいかない。


「今回の王女様の婚約の話は、本当に私にとっては寝耳に水だった。それならばと、強引に関係を持とうとし――」

「ほう?」


 ラディムの周囲の温度が一気に下がっていた。それを感じ取ったのか、スィネルは部屋の隅まで一気に後ずさる。


「だだだだだって! いきなり外の国の王子と結婚するだなんて! それに王女様はまだ十六だろう! 酷いよ聞いてないよ!」


 聞いていないのは自分も同じだと、思わずラディムは言いそうになってしまう。が、今はその言葉を喉の奥に封印する。


「あんたが混蟲やこの国のことを思ってやった事だというのは理解した。だが、それとこれとは話が別だ。俺はフライアの護衛として、やはりあんたらを見過ごすわけにはいかない。で、これからのあんたらの処遇についてだが――」


 ごくり、とスィネルは喉を鳴らす。その顔は猫を前にしたネズミの如く、恐怖で強張っていた。ガティスと違い頭が良いとは言えないスィネルだが、自分がとんでもないことをしでかした自覚はあるらしい。


「このまま俺が報告したら、間違いなくあんたらには極刑が下されるだろうな」


 白かったスィネルの顔が青く変色し、口の中だけで何やらぶつぶつと呟き始めた。ラディムはかろうじて「お終いだ……」という言葉だけを聞き取ることができたが、それすらも無視して淡々と言葉を継ぐ。


「でも――俺が報告しなかったらこの件は『なかったこと』にできる可能性は非常に高い。何せ、フライアがさらわれたことが城の奴に知れ渡る前に、俺はあんたらに会った」


 二人を交互に見比べながら言うラディムに、スィネルが俯きかけていた顔を上げた。


「君の狙いは、何だ……?」

「協力して欲しい事があるんだ。なに、あんたらがやろうとしていたのと比べると、大した事じゃない」


 ラディムはそこで静かな笑みを作る。その顔は、獲物を射程距離内に捉えた蟷螂かまきりのようであった。

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