第26話 もう一つの宝石
「ラディム……エドヴァルド……」
その時、ベッドの方から弱々しい声がした。ラディムが慌てて振り返ると、フライアは顔を横に向け、力無い笑みを浮かべていた。
「二人とも無事だったんだ。本当に良かった……」
このような状態だというのに、自分のことより他人のことをまず心配するフライアに、ラディムの胸にざらりとした痛みが走る。再びラディムはフライアの前に膝を着いた。
「俺たちは全然問題ない。お前の方こそ無理して動こうとするな。そのまま寝といていい」
何とか起き上がろうとするフライアを、ラディムは無理やりベッドの中に沈めた。
フライアは少し不満そうな顔であったが、やはりまだ動くことは苦しかったのか、ラディムの言葉に素直に従う。
それに普段から鍛えているラディムとは違い、フライアは元々の体力もあまりないほうだ。もうしばらくはまともに動くことができないであろう。
「あ、あの……。さっきは助けてくれて、ありがとう」
フライアは横になったままフォルミカに顔を向け、小さく笑う。
「いえ……。それより私の母と祖母がとんだご無礼を致しました。本当に、申し訳ございませんでした」
フォルミカはフライアに対し片膝を付き、
確かに魔力を奪ったことは問題であるが、少し謝罪の挙動が大げさではないか、とラディムは疑問を抱く。これではまるで、忠誠を誓う臣下のようではないか。
ラディムがそのようなことを考えた直後、フォルミカの口からさらに衝撃的な一言が放たれた。
「どうしても、あなたのお力をお貸し頂きたいのです。『深海に咲く翅』フライア・アルヴォネン様」
「――!」
身分を、そして名を呼ばれたフライアは表情を凍らせたまま硬直する。
「そしてお二方は、その護衛様とお見受けしました」
そしてラディムとエドヴァルドも瞠目した。
フォルミカは気付いていたのだ。フライアに対する丁寧すぎる態度は、そのせいだったのだ。
「あの、フォルミカさん。一族の繁栄を終わらせて欲しいって、それはどういう……」
少し
がこ、と低い音が響くと同時に、突如クローゼットの横の岩壁が重い音を引きずりながら横にスライドする。
「仕掛け扉か。初めて見た」
思わず感嘆するラディム。おそらく、魔法の力を使ったものなのだろう。
「どうぞこちらへ」
フォルミカは皆を扉の向こう側へと誘導する。ラディムはフライアの身体を静かにベッドから抱き上げ、既に扉の前に移動していたエドヴァルドの後を追う。
扉の奥の部屋は、非常に狭かった。人間が二人寝転がれるかどうかという程度の広さしかないというのに、さらにベッドが置かれてあったのだ。ベッドは非常に簡素な造りの物だった。
「フライア様は、ここで魔力を吸い取られていたのです……」
狭い部屋の中央には、腰の高さほどの細い銅製の台座が鎮座していた。その台座の上には、
剥き出しの鉱石そのままの色艶をしたそれは、綺麗、だとはお世辞にも言えない。むしろ血のような濃い赤色が、気味悪さを助長している。それにどこか、フライアの身体の中で保管してある紅色の宝石――ヴェリスの研究記録を記したメモリーに似ている。
ラディムとフライアは、思わず眉を寄せてその鉱石を見つめるのだった。
それにしても、昨日から赤色を良く見るな――とラディムは胸中で呟いた。ハラビナの花弁にアウダークスの髪、そしてこの宝石……。間違いなくラッキーカラーなどでは無いと断言できるが。
フォルミカは宝石を見ながら、眉間に小さく皺を寄せた。
「我ら女王蟻の一族がずっと地下を牛耳ってこれたのは、実は全てこの宝石のおかげなのです」
フライアとエドヴァルドは訝しげに首を傾げる。だがラディムはそこで目を見開いた。
アウダークスから初めて女王蟻のことを聞いた時に感じた、違和感。その答えは、おそらくこれにある。
女王蟻一族は混蟲の力を使い、ずっと地下を支配していたと聞いた。
だが、『混蟲であり続ける血筋』が本当にあるのか――。
ラディムはそこに疑問を抱いたのだ。
もしかしたら女王蟻の一族は、混蟲であり続ける方法を密かに会得しているのではないか――。
フォルミカはラディムの表情の変化に気付いたのか、確認をするように彼に問う。
「女王蟻の一族がずっと混蟲でいることを、あなたはご存知のようですね」
「あぁ。でも、それは事実なのか?」
「はい。間違いございません。それはこの宝石があったからこそなのです」
「この宝石はおよそ千五百年前の――ムー大陸の物であります。ムー大陸から脱出する時に、これを手にしていた者がおりました。それが、地下に移り住んだ我らの祖先なのです」
「そんな物があったなんて……」
フライアが呆然と呟く。
まさかヴェリスのメモリー以外にも、祖先たちがこの国に持ち込んだ物があったとは。
「この宝石に供物として魔力を送れば、望んだ者を
「な、何だよそれ……」
想像の範囲外の返答に、ラディムたちは言葉を詰まらせるしかない。
そもそも、人間を混蟲にするなど。
それではまるで、混蟲を創りだした魔道士ヴェリスそのものではないか。
狭い空間に、息苦しい沈黙が渡る。
その空気を突如切り裂く声があった。
「おや、誰かそこにいるのかい? 久々ですね」
唐突に聞こえたのは、この場の誰のものでもない青年の声。
ラディムとエドヴァルドは慌てて辺りを見回すが、その姿を見つけることはできない。
「ここですよ、ここ」
面白がるような声は、確実にこちらの挙動を把握しているものだった。
まさか――。
ラディムたちは視線を『それ』にやる。
台座の上の赤い、宝石へ。
「そうそう、それです。改めて初めまして。僕はペルヴォプラと申します。呼びにくいと言われるのでペルヴォで良いですよ。今日はなかなか珍しい客人ですね」
「夢でも見ているの? 宝石が――」
「なんで宝石が喋るんだよ……」
呆然としたフライアとラディムの言葉に、宝石は「あぁ、そうか」となにやら納得したように呟いた。
「僕からは見えていても、君たちからは僕の姿は見えないのでしたね。僕はちゃんとした人間――いや、ムー大陸の魔道士ですよ」
「――!?」
ラディムとフライアはことさら驚いた。
先日、魔道士ヴェリスと相対したばかりであるというのに。まさか、魔道士がこの時代にもまだ存在していたとは。
「その宝石を通じて、そちらには声と魔力だけが通じる状態です。だから君たちがこの声から想像する通り、僕は麗しい美青年だから安心してください」
本気で言っているのか、はたまたふざけているのか。どちらとも取れる口調で、その宝石の中の魔道士は言う。
「オレ達混蟲の祖先を作った魔道士が存在したのは、千五百年も前のはずだ。貴様が本物なら、なぜ今も生きている」
エドヴァルドが宝石に向かって淡々と言い放つ。その声はいつもより鋭い。エドヴァルドは先の魔道士ヴェリスの一件は知らない。彼の言葉をにわかには信じることができないのだろう。
「うーん、そうですね。僕が魔道士だからとしか言いようがないなぁ。僕は以前――とは言っても千五百年前だけど――様々な研究をしておりまして。例えば、人間を一時的に別の姿に変える呪いの薬品とか。例えば、魔力を血のように全身に巡らせることで、老化を抑える研究とか――ね」
さらりと信じられないことを言ってのけた後、宝石越しに聞こえてきたのは小さな嘆息だった。
「まぁ、老化を抑える方法は魔力を補給し続けないといけませんから、完璧ではないのですが。あと、厳密に言えば混蟲を創ったのは僕ではなくて同僚です」
宝石の中の声は説明を続ける。
つまりフライアの魔力は、この魔道士の老化を抑える為に吸い取られてしまったという事か。ラディムの体内に、沸々とした熱い感情が湧き起こる。
同時に、あとでエドヴァルドにもヴェリスのことを説明しなければ――とラディムは彼の話を聞きながら思った。
「ん……ちょっと待ってください。僕からは見えないけれど、もしかしてそこにヴェリスがいるのですか?」
「え……?」
突如紡がれた名に、ラディムとフライアは全身を強張らせた。なぜ、今その名が出てくるのか。既にこの世にいない、魔道士の名が、なぜ――。
「ヴェリスですよ。弱いけど彼女の魔力の気配がする。いやぁ、懐かしいですね」
再度、自分のことをペルヴォプラと紹介した青年の声は、女魔道士の名を呼び懐かしんだ。
フライアの体内で保管してある、紅の宝石。ヴェリスがメモリーに張った結界の魔力を、彼は敏感に察知していたのだ。
「……そいつは、いない」
ラディムは何とか喉から声を絞り出して答えた。
「でも、その気配は間違いなく彼女のものですよ」
「彼女は――俺が、殺した」
エドヴァルドとフォルミカが、同時にラディムへと振り返った。その顔は驚愕で染まっている。
「へえ……」
それまで余裕さえ滲ませていたペルヴォプラの声が変わる。抑えられてはいたが、確実に殺気を孕んだものへと。
「あんたが気配を感じるのは、たぶんそのせいだ。俺はあいつの魔法を体内で受け止めたからな」
ラディムの口からはスルリと嘘が紡がれた。
確かにラディムはヴェリスの一撃をわざと体内で受けた。しかしその時にヴェリスの拳に
一度放たれた魔力は霧散する。それにイアラに治療してもらったことで魔力が上書きされ、ヴェリスの気配は完全に消え去っているはずだ。
この魔道士に、フライアの体内に存在するメモリーのことを気取られてはならない――。
理由はわからない。でもラディムは直感でそう感じていたからこそ、咄嗟に嘘をついたのだ。
「たかが人間が彼女をね……。それって彼女に与えられた、混蟲の力のおかげってことですよね?」
挑発するようなペルヴォプラの口調。体に走る衝動のままに、思わずラディムは宝石に強く掴みかかり――。
その彼の手首を、横からエドヴァルドが静かに握って止めた。苦渋の表情で首を横に振ってみせる。ラディムは苦い顔を崩さぬまま、宝石から手を離した。
この魔道士にヴェリスのせいで混蟲になってしまった恨み辛みとか、色々と言ってやりたいことはある。しかし見方を変えれば、混蟲になっていなければ、ラディムはフライアとは出会っていなかった――。
(……それだけは、そのことだけは感謝しておいてやる)
ここで宝石を壊してしまったら、それこそ色々な手掛かりが消滅してしまう。ラディムは拳を強く握り、やり場のない怒りを無理やり抑えこんだ。
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