第25話 黒髪の少女

 フェンは地下からの不審者のことをノルベルトに報告するため、執務室へとやって来ていた。

 テーブルの上に積まれた書類の束に注がれていたノルベルトの視線は、静かにフェンへと向く。


「どうやら地下勢力は、地上へ侵攻する機会を虎視眈々と狙っている模様で――吐かせた内容は、以上です」


 地下が、地上を狙っていた。

 衝撃の報告を聞き届けたノルベルトは、椅子に座ったまま瞼を閉じて逡巡しゅんじゅんしている。

 部屋に渡る沈黙は、重い。


「陛下……」


 口を開かないノルベルトに不安を抱き、思わずフェンはノルベルトに呼びかけていた。

 再び目を開いたノルベルトは、しかし小さな笑みを浮かべていた。王の表情の意図が読み取れず、フェンは思わず怪訝な顔を作ってしまう。


「心配か、フェン?」

「はい、それはもちろんです……。そのような企みを考えている地下に、今この瞬間フライア様が出向いておられるのです。いくらラディムが付いているとはいえ、フライア様にもしものことがございましたら――」


 ノルベルトはフェンの不安を無言で受け止め、少し大げさに顔を壁際に向けた。フェンもつられてそちらに視線を送る。

 そこには、歴代の王と王妃達の肖像画が飾られていた。どれも立派な額縁に入っているが、一際目を引くのは端にある肖像画――ノルベルトから最も離れた位置に飾られた肖像画だ。

 その肖像画に描かれていたのは、他の肖像画の人物達よりもひと回りもふた回りも若い、紫紺の髪の女性であった。あでやかなドレスに身を包み、微笑を浮かべている。

 まなじりがやや吊った眼は、鋭くもあり、優しげでもあり、どこか愛嬌も感じられる――不思議な魅力を持っていた。

 フェンはこの人物と会ったことがある。十年以上も前に。しかしもう、二度と会うことは叶わない。チリリと、小さな火傷を負った時のような痛みがフェンの胸の内に走った。

 だが、ノルベルトはなぜこのタイミングで、妻の肖像画を見やったのか。疑問が言葉という形になる前に、ノルベルトが口を開いた。


「フライアは、我が妻の娘である。強く、気高く、それでいて混蟲メクスへの優しさも兼ね備えていた、ソレイユ・アルヴォネンの娘だ」


 だから何の心配もいらないのだと、ノルベルトは尚も難しい顔を崩さないフェンに向けて、笑みを浮かべた。







 ラディムとエドヴァルドは、迷路のような構造の居住区を慎重に進んでいた。

 あれから玉座の横の通路を進んできたのだが、行き止まりになることなく居住区の一角に出てしまったのだ。もしかしたら通路内に女王蟻達だけが知っている、隠し通路のような道があったのかもしれない。しかしそれを探して回るより、このまま進むことを彼らは選んだ。

 見張りの兵士がところどころ分岐に配置されていたが、ラディムの魔法の不意打ちであっけなく沈んでいく者ばかりだった。

 アウダークスの話では女王蟻の一族は混蟲メクスであり続けているらしいが、兵士はそうではないらしい。ラディムが見たところ混蟲と人間、半々くらいだという印象であった。

 それでも一組織に混蟲が半分もいるという状況は地上ではありえないだけに、やはり地下は特別なのだと実感する。


「それにしても、部屋がありすぎるだろ……」


 枝分かれした通路の先には、無数のドアが並んでいた。通路は長く、ラディムの複眼でも捉え切れないほどである。

 この中から、フライアの居場所を探さなければならない。一部屋ずつ捜索していくにはかなり難儀しそうである。

 時間をかけすぎるとさらに兵士が集まってくるであろうことが容易に想像できるだけに、何か手掛かりが欲しかった。ここは敵陣の中なのだ。悠長にしていられない。

 複数のドアと睨めっこをしているラディムの横では、エドヴァルドが身に着けていたマントを外していた。

 突然何をやっているんだ。何か妙案でも考えついたのか――。

 ラディムがそう考えた直後、彼女は外したばかりのマントを無言でラディムに突き出してきた。


「……?」


 エドヴァルドの行動が唐突すぎて、訳がわからなかった。マントを前に怪訝な顔を浮かべるラディムに向かって、エドヴァルドは短く告げる。


「隠せ」

「は?」

「いいからこれでチチを隠せ。王女様と再会した時に失礼だろう」

「いや……。お前も一応は年頃の娘なんだから、そんな単語を使うなよ……」


 脱力しながらツッコミつつも、ラディムはありがたくそのマントを受け取った。

 背中のはねは引っ込めたのだが、ラディムは上半身裸のままであった。切り裂いた服は先ほどの広場に放置したままだ。もっとも回収したところで、もう身に着けることなどできないが。

 しかし裸にマントとは。それはそれで目立ってしまう格好ではないだろうか。


 ――まぁ、裸よりはマシか。


 色々と諦めながら、ラディムはエドヴァルドのマントを身に付ける。彼女の身長に合わせてあるので、ラディムには少し丈が短い。だが後ろだけでも上半身を覆うことができたので、安心感は得ることができた。無防備な状態で武器を持った兵士と相対するのは、やはり神経をすり減らされてしまう。

 エドヴァルドはいつの間にか頭に布を巻き付け、触覚を隠していた。どうやらもう一つ持っていたらしい。ラディムは少し羨ましいと思いつつ、かといって常に予備の服を持ち歩くのは面倒だなと思った。

 まあ、今後このような事態はあまり訪れないだろうから、今だけ耐えれば良いだろう。気を取り直してラディムが顔を上げた時だった。


「こちらです」


 聞いたことのない女性の声が耳に入ったのは――。

 二人は思わず顔を見合わせる。


「エドヴァルド、今の――」

「あぁ。オレも聞こえた」


 周囲を見渡すと、すぐにその声の持ち主は見つかった。

 岩壁にいくつも並んだ簡素な木製のドアの一つ。その隙間から白い手首の先だけが覗き、彼らに手招きをしていたのだ。ラディムたちの位置から、その人物の姿を捉えることはできなかった。

 声質から判断するに、先ほどの女王蟻とも、ましてや老婆のものとも違った。声はもっと若い娘のものに聞こえた。


「……どうする?」

「飛び込んでみて罠だったら、壊せばいいだけだ」


 相変わらずなエドヴァルドの猪突猛進論に、ラディムは思わず苦笑する。だが確かに手掛かりが何もない以上、ここに飛び込んでみるしかないだろう。


「兵に見つかってしまいます。お願い、早く」


 小声で急かしてくる声に、二人は小走りで扉の中へと入った。

 さて、何が出てくるのか――。

 警戒しながら部屋に入ったラディムが最初に見たのは、艶のある長い黒髪を持つ少女だった。頭部からは黒く短い触角が生えている。

 思わずラディムは息を止めてしまった。彼女が何者なのか、一目見てわかってしまったからだ。

 エドヴァルドの、双子の片割れ――。

 髪の長さや全体から滲み出る雰囲気こそ違うが、エドヴァルドと良く似た顔立ちをしていた。おそらくエドヴァルドも気付いたのだろう。一瞬であったが、目を見開いた。

 だが当の彼女は全く気付いていないのか、エドヴァルドを見ても特に反応を示さない。彼女は不安そうに眉を下げながら、ドアを閉めて即座に鍵をかける。


(これは、彼女にエドヴァルドのことを悟られないように誤魔化さないといけないな……)


 とりあえず「エドヴァルドは男」と言っておけば、良く似ていますね、で済むだろう。世の中には自分と似た人間が三人だか五人だかはいるらしいし、という台詞を付け加えれば怪しまれることもないはずだ。

 ラディムが脳内で対応を考えていると、一瞬だがエドヴァルドと目が合った。どうやら彼女もラディムと似たようなことを考えていたらしく、小さく頷いた。

 黒髪の少女は改めてラディムたちへと向き直り、そこで深々とお辞儀をした。


「ありがとうございます」


 初対面の挨拶ではなく、いきなり彼女は礼を言った。


「……何に対しての礼なのかわからない」


 戸惑うラディムに、彼女は少し困った顔をしながら頭を上げた。


「えっと、まず私の言葉に従ってこの部屋へ入ってくださったことに対して。あとそれから……。色々、色々です」


 むしろ色々の部分が気になるのだが――。

 困惑するラディムらを見て、今度は何かを思い出したかのようにハッとする。無表情がデフォルトのエドヴァルドと違い、彼女は表情がくるくるとよく変わった。


「自己紹介が遅れました。フォルミカと申します」


 静かに一礼する彼女。絹のような艶を持つ髪がサラリと肩を滑る。


「俺はラディム。そしてこっちはエドヴァルドだ」


 ラディムが簡単に紹介すると、エドヴァルドは目を伏せて小さく頭を下げた。

 そのエドヴァルドを見つめるフォルミカの目を見て、ラディムは小さく息を呑んだ。熱を帯びた――まるで何かを堪えているかのような、見ていると心が詰まるような、そんな視線だった。

 フォルミカは、エドヴァルドの正体に気付いていないわけではない。気付いていながらあえて『気付いていない振り』をしているだけなのだと、ラディムは理解した。


「ラディムさんにエドヴァルドさんですね。私はこの地下を束ねている女王蟻の一族、その次の女王役を任命されております」

「女王役?」


 反応したラディムに、フォルミカは頷きながら答える。


「私たちの一族は代々、二十五歳から三十歳の間に、女王蟻としての権限を全て受け継ぐのです」

「その未来の女王蟻さんが、どうして俺たちをここに呼んだんだ? いや、そもそも俺たちが何者かわかってんのか?」

「はい。先ほど少しだけ、広間で戦っているお姿をこっそりと拝見しておりまして」


 フォルミカは二人に交互に視線を送る。

 まさか見られていたとは思っていなかった二人は、僅かに目を見開いた。同時に、やはりエドヴァルドの正体にも既に気付いていることをラディムは確信した。

 セクレトたちがどのような罪であの場に連れて来られたのか、彼女は知っているはずだ。

 フォルミカは『エドヴァルド』として生きてきた彼女に、敬意を払っているのだ。ここで自分が双子の片割れだと言ってしまうことで、エドヴァルドの人生に女王蟻がまた介入してしまう。それを避けるためにも、彼女はあえて他人のふりを貫いているのだと。


「いや、だったら尚さらどうして。俺たちはどう考えても、あんたにとって不審者以外の何者でもないだろ」


 ラディムの問いにフォルミカは小さく俯く。エドヴァルドと同じその漆黒の瞳にかげりが射したのを、ラディムは見逃さなかった。


「地下を束ねる者として……どうしても私からあなた達にお願いしたいことがございます」

「お願い?」


 フォルミカは無言で頷くと、心を落ち着けるかのように小さく息を吸い、告げた。


「この女王蟻の一族の仮初めの繁栄――。それを、終わらせて欲しいのです」

「――――!?」


 フォルミカが発した言葉の意味を、ラディムもエドヴァルドも即座に理解することができなかった。

 目を見開いたまま固まってしまったラディム達を見て、フォルミカは苦笑する。


「突然こんなことを言っても理解していただけないですよね。すみません。えっと……ではまず、こちらへどうぞ。あなた達が探している方もいらっしゃいます」


 そう言うと彼女は、部屋の奥にある灰色の扉の前にラディム達を案内した。

 扉には幾何学きかがく模様の彫刻が施されており、魔法的な雰囲気を醸し出している。

 フォルミカはゆっくりと扉を押し開けた。そこは大きなベッドが一つとクローゼットが置かれているだけの部屋だった。どうやら彼女の寝室らしい。

 それにしては意味有り気な扉のような――。

 ラディムそんなことを考えた直後、彼の複眼はベッドで横たわる人物を捉えた。瞬間、彼の足はもうその人に向かって駆けていた。


「フライア!」


 やっと会えた彼の主君は、しかし目を閉じたまま微動だにしない。

 ラディムの中で安心感と不安が急激に肥大し、ごちゃ混ぜになる。ラディムは堪らず、フライアの頬に手を当てた。

 ラディムの手に収まる小さな顔。冷たくはない。だが、温かくもない。呼吸はしているので、とりあえず生きてはいるみたいだ。しかしいつもより白い顔色に、ラディムの心はかき乱される。


「……こいつに何をした」


 顔を動かさず、抑揚を抑えた声でラディムはフォルミカに問いかける。フォルミカは目を伏せ、消え入りそうな声で答える。


「申し訳ございません……。彼女は、強制的に魔力を吸い取られて――」

「――――っ!?」


 フォルミカが全て言い終える前に、気付いたらラディムの手は彼女の襟首を掴んでいた。


「魔力を!? なぜそんなことを!」


 声を荒らげるラディム。フォルミカは怯えた様子もなく、ただ申し訳なさそうに視線を逸らすばかりだった。


「落ち着け、ラディム・イルギナ。今ここに寝ているということは、彼女が助けてくれたからではないのか?」


 エドヴァルドがラディムの手首を横から掴み、静かにいさめる。彼女の言葉に、ラディムはハッとして慌ててフォルミカから離れた。


「すまない……。乱暴に詰め寄ったりなんかして」


 少し乱れた襟元を直しながら、フォルミカは黙って首を横に振る。


「なぁ。どうしてあんたは――」

「私があなた達をお助けする理由ですか? ですから先ほど申し上げたように、私たち一族の繁栄を終わらせて欲しい。それだけです」


 先ほどよりも、その声には力が篭っていた。

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