第27話 二人目の魔道士

「それで、お前の目的は何だ」


 冷静さを取り戻したラディムは、改めてペルヴォに問う。


「別に大したことではないですよ。僕はここから出たいだけなのです。あぁ、君達からは見えないのでしたね。失礼。僕はね、混蟲メクス達にここに閉じ込められてしまったのですよ」

「混蟲に……?」

「そうです。かなり昔ですけれど。その国から脱出を図った混蟲は、昔は結構な数でいたみたいです。ムー大陸の崩壊から逃れた僕はしばらくはのんびりと暮らしていたのですが、ある日たまたま彼らに遭遇してしまって。僕がムー大陸の魔道士だと知るや否や、彼らは血相を変えて襲ってきたのですよ。白状すると、その時の僕は油断していました。まさか彼らも魔法が扱えるとは、思ってもいなかったものですから」


 そこでペルヴォは「やはりヴェリスの力と発想は凄い」と褒め称えた。


「そして、僕は山の中に閉じ込められてしまったわけです。ご丁寧に結界まで張ってくれちゃいまして。基本的に内側から結界を破るためには、結界を張った時とは比べ物にならないくらい、膨大な魔力が必要なのですよ」


 饒舌に説明をしていたペルヴォの言葉は、そこで一旦途切れる。

 ラディムは説明を補足しろ、という趣旨の目線をフォルミカに送った。


「……我ら一族の祖先は、皆の上に立ち続けたいという願望から力を欲していました。そしてこの魔道士は、魔力を欲していた。しばらくはこれもただの宝石でしかありませんでした。しかしある日突然、宝石から声が聞こえてきたそうです。魔力を送ってくれるのなら、お前達に力をやると」

「それは通信の為の道具でしてね。ムー大陸の崩壊で僕もすっかり存在を忘れていたのですが、試しに繋げてみたら運命的な出会いが待っていたというわけです」


 フォルミカはそこで息を継ぐと、さらに続けた。


「そこで、我らの祖先はその取り引きに応じました。一族がずっと混蟲で在り続けたいと、そうお願いをしたそうです。そして約束通り、この宝石に魔力を少しずつですが送り続けてきました」

「そうそう。それで頼まれたら宝石を通して、混蟲にしてあげていたのですよ」


 フォルミカの言葉を肯定するペルヴォ。しかしラディムの眉間には深い皺が刻まれるばかりだ。 


「混蟲を創ったのはヴェリスだろう。なぜお前が人間を混蟲にすることができるんだ」

「昆虫と人間と混ぜるだけなら、僕たちの魔力を使えば簡単なことです。それに、僕も彼女の研究をたまに覗いていたわけですし、イメージする事は簡単でしたよ。もっとも、彼女の作った『オリジナル』とは多少性質が違う事は否めませんが」


 ヴェリスは以前『同僚』の存在を仄めかしていた。どうやら彼がその同僚らしい。オデルの姿が変わる要因となった、呪いの秘薬を作ったという同僚――。

 混蟲を中心に繋がる、奇妙な人の縁。この世界は見えない力にもてあそばれているのではないかと、ラディムはふとそんなことを思い、歯噛みした。


「まぁ僕が閉じ込められているここには蟻しかいないので、ずっと蟻の混蟲にする事しかできなかったわけですが」


 女王蟻の一族がずっと『蟻』である理由。それはとても単純な理由だったのだ。

 しかし「混蟲で在り続けたい」という願いは、確実に叶えられてきた。同じ種類の混蟲であり続けてきたことが、結果的に『女王蟻一族は特別な血筋』という印象を与えることに成功していたのだ。


「ついでに言うと、彼女らに強力な魔法を扱わせる事まではできませんでした。ここには『材料』がないですからね。僕の魔力を多く分け与えてしまうと、今度はこっちが困ってしまいますので」


『材料』という単語に、ラディムはギリ……と歯を食い縛る。混蟲が魔法を扱える理由は、ヴェリスから直接聞き知っている。

 しかし今の話を聞くと、女王蟻自身は大した魔法を扱えないという事だ。

 確かにエドヴァルドのように『力』はあったのかもしれない。だが魔法を扱えないという事実をひた隠しにし、去勢を張りながら今まで地下を統率していた――という事が実態なら、フォルミカが言っていた『仮初めの繁栄』の意味も何となく理解できる。


「魔力を送ってもらっても、混蟲にするためにまた魔力を使うので、こっちの魔力の溜まり具合は三歩進んで二歩下がるって状態だったわけです。老化を防ぐための魔力も必要ですしね。でも別に急いでいなかったし、そちらの状況を聞くのも面白かったのでずっと続けてきたわけですよ」


 何が可笑しいのか、ペルヴォはそこでくすくすと笑った。


「ずっとって――。どれだけ気が長いんだよ……」


 ムー大陸が崩壊したのが、およそ千五百年前。

 彼がいつから閉じ込められているのかはわからないが、それでもヴェリスのように自身に魔法をかけ、眠りについていたわけではなさそうだ。

 この魔導士にとって、時間という概念はないに等しいのだろうか。

 想像すらできない、理解できない魔道士の感覚に、ラディム達はただおののくことしかできなかった。

 フォルミカは改めてフライアを見つめ、再度言葉を紡ぐ。


「混蟲がここに移住してきて間もなく、我らの祖先は地下に潜りました。それは、身体に流れる血が土を求めていたから。しかし祖先達には、もうひとつ目的がありました。地上が繁栄するのを待つ間、地下で力を蓄える。そしていずれ地上をも征服する――そういう魂胆でした」

「そんな……」


 フォルミカの言葉にフライアが青ざめる。

 それはそうだろう。いずれは内乱を起こそうと思っていたなどと聞かされたら、フライアとしては顔を青くするしかない。それも混蟲のことを快く思っていない人間ではなく、同じ混蟲である。

 最近、地下と地上を繋ぐ入り口の結界が頻繁に破られていたとノルベルトは言った。地下の動きが不穏であると。それは女王蟻が兵を偵察に出していたからだ。

 フォルミカは申し訳なさげに、フライアに対して目を伏せた。

 彼女が今していることは、告発だ。しかも、身内の――。

 フォルミカの苦渋の決意が理解できたからこそ、ラディムもエドヴァルドも口を挟むことができなかった。


「それからは、皆さんもご存知かと思います。双子が誕生したことがきっかけで一時期地下の統率が取れなくなり、我らは新たな掟を作りました。そしてその掟に犠牲にされてしまったのが、私の妹……」


 フォルミカはそこまで言うと唇を噛み、俯いた。

 フライアはラディムに下ろしてもらうよう、視線だけで彼に懇願した。

 不本意ながら、ラディムは彼女を固い土の床に下ろす。フライアは少しふら付いた足取りで、赤い宝石に向かった。


「無理するな」


 慌てて駆け寄りその身体を支えようとしたラディムを、しかしフライアは小さく笑いながら拒んだ。


「もう私は大丈夫だよラディム。フォルミカさん、話してくれてありがとう」


 そして台座の前に立ち、大きく深呼吸をする。いったい、彼女は何を考えているのか。

 フライアは台座から慎重に宝石を持ち上げると、胸に抱え込んだ。


「よし、行こう」


 そして皆の方へ向き直り、力強く告げる。


「わお。これはまた壮大な眺めですね」


 フライアの胸に抱えられた宝石から発せられた魔道士の声にラディムは冗談抜きで殺意を抱いてしまったが、今はそのようなくだらない嫉妬をしている場合ではない。


「行くって、どこへだ?」

「もちろん、フォルミカのお母さん達の所だよ。今日でもう、終わらせよう」


 フライアの薄紅色の目は、思わず皆が一様に息を止めてしまうほど力強さで溢れていたのだった。






 フォルミカの部屋を出た一向は、彼女を先頭に入り組んだ道を進み続けていた。

 途中何度か兵士と出会ったが、フォルミカが何くわぬ顔で「ご苦労様です」と声をかけたのが功を奏したのか、ラディム達のことを追求されることはなかった。フォルミカの客人と思われたのだろう。

 そしてフォルミカは、ある扉の前で止まる。そこは他の部屋と同じような木製の扉で、特別な部屋という雰囲気は微塵も感じられない。しかし彼女が足を止めたということは、ここが目的地ということだ。

 女王蟻は自身が使う部屋全て、あえてこのような簡素な入り口にしてあった。侵入者を混乱させるためだ。権力をかざすように入り口を彩れば、すぐに目星を付けられてしまう。

 地下の反乱の一件以降、女王蟻一族は地下世界に住まう者全てを疑い、同時に恐れていたのだ。力を失いたくない。それだけのために。


(可哀想で哀れな女王蟻……。そこまでして皆を束ねていたいなんて)


 これまでの自身の一族の行動を思ったフォルミカの漆黒の瞳が、寂しさに揺らいだ。


「大丈夫ですか……?」


 紅色の宝石を抱えたフライアが小声で声をかけると、フォルミカは微笑で彼女に答えた。

 こんな虚しい力による支配は終わらせるのだと決意したのだ。迷いはない。

 呼吸を整えてから、フォルミカは木製の簡素なドアをノックした。


「フォルミカです」

「どうした? 何かあったか?」


 中から返ってきたのは、先ほどの広間に居た女王蟻の声だった。フォルミカの後ろで佇むラディム達に、緊張が走る。


「お婆様、お母様。お話したいことがございます」

「……入るがよい」


 その声でフォルミカは扉を押し開き、背筋を伸ばしたまま中へと入る。ラディム達もその後に続いた。


「――!」


 フォルミカだけだと思っていたのだろう。部屋に入ってきたラディムらの姿を見た瞬間、老婆と女王蟻は大きく目を見開いた。

 中は、ラディム達がこれまでに地下で見てきたどんな部屋よりも豪華で煌びやかだった。

 足を優しく迎えるベージュ色の絨毯。鏡のように景色を映す銀色の調度品。さらにテーブルや椅子の節々には金があしらわれており、まるで小さな太陽がここにあるかのような眩しさを放っていた。

 壁も、今まで地下で見てきたような剥き出しの岩壁ではなく、清潔さの溢れる白で統一されている。おそらく、塗装を施しているのだろう。


「全て事情はお聞きいたしました」


 その煌びやかな部屋に、フライアの凛とした声が響いた。


「フォルミカ。どうしてそいつらを!? それにその小娘まで連れ出すとは何を考えておるのじゃ!? 即刻あの御方・・・・の部屋に戻せ!」


 声を荒げる老婆に、しかしフォルミカは首を横に振る。


「お婆様、そしてお母様。仮初めの繁栄は我らの代でもう終わらせましょう」

「突然何を言うておるのだフォルミカ!?」


 青白い顔で女王蟻がフォルミカに詰め寄るが、彼女は拒むように激しく首を横に振った。


「私は……! 私は混蟲メクスになりたくなかった!」


 彼女の悲痛な声が部屋に響き渡る。老婆も女王蟻も、彼女の言葉に目を見開いた。


「なりたくなかったのです。お母様……お婆様……」


 目の端に涙を溜め、フォルミカは震える唇を噛んだ。

 混蟲になる人間には二種類存在する。産まれた時から混蟲の人間と、思春期頃に突然混蟲になる人間――。

 フォルミカはいずれ女王蟻役をになう事が決まっていたが、十四歳を越えても混蟲になることはなかった。だから無理やり混蟲にさせられたのだ。少しでも早く、混蟲の体に慣れるようにと。

 十歳の頃に混蟲になったエドヴァルドは、静かに目を伏せた。

 もし、自分と彼女が逆だったら――。

 そのようなことを考えても仕方がないことはわかっている。それでも、彼女は思わずにはいられなかった。姉がセクレト達に連れて帰られていたら、彼女は今も人間でいられたのかもしれない――と。

 場を支配するのは、水を打ったような静寂。まるで、時間が止まってしまったかのようだった。

 再び時を動かしたのは、フライアだった。項垂うなだれるフォルミカの横から、紅の宝石を抱えたフライアが静かに前に躍り出のだ。


「改めてご挨拶申し上げます。私は王ノルベルト・アルヴォネンの娘、フライア・アルヴォネンと申します」


 膝を小さく曲げ王族流の挨拶をするフライア。その名乗りだけで、部屋の温度が下がる音をラディムは聞いた気がした。


「こ、この娘が地上の王族、だと? そんなことが――」


 女王蟻は声を震わせてわなないていたが、その目が何かに気付いたように見開いた。


「深海に咲く翅……。そうか、そなたが数百年ぶりに地上の王宮に誕生した……」


 女王蟻は地下で使われているというフライアの二つ名を口にした後、しかし意味有りげに口の端を上げた。


「どうだ。我らと共に地下で暮らす気はないか?」


 彼女の思いもよらぬ発言に、フライアを始め皆が目を丸くする。


「地上では混蟲の立場は非常に弱いのであろう? ここではそうではない。そなたにとってもここは暮らしやすい場所だと思うのだが?」


 まるでフライアの身分など見えていないかのように、女王蟻は手を広げて告げる。ラディムは今にも飛びかからんばかりに犬歯を剥き出しするが――。


「黙りなさい」


 そのひと言で、場は再び氷を張ったような静寂に包まれる。

 言葉を発することはおろか、指先一つ動かすことができない張り詰めた空気に、誰もがただ固まっていた。青い翅を持つ小さな少女が出す圧倒的なオーラに、ただ威圧されていたのだ。

 傍から見ると、この場の誰もが「絶対服従」という名の目に見えない鎖で縛られているかのようだった。

 フライアがこのような顔を見せるのは、少なくともラディムの前では初めてである。ラディムは、フライアが怒っているのだと気付いた。


 ――混蟲になりたくなかった。


 フォルミカの叫びにより、彼女の心の痛みと苦しみがフライアにはわかってしまったからこそ、怒っていたのだ。

 フライアも、混蟲になりたくてなってしまったわけではない。

 いや、フライアだけではない。混蟲になりたくてなってしまった者など、女王蟻を除けば――きっとこの国には存在しない。

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