第5話 正体
「こんなもんで大丈夫かな……」
すっかり変わり果てた姿になったハラビナ(仮)を無気力な目で見据えながら、ラディムは力なく呟いた。
あれからまず、再度放出された花粉を散らし、花の中央部分を火の魔法で焼いて回った。とにかく花が大きいので一気に燃え広がらず、ラディムは何度も魔法を使う羽目になってしまった。
その後は再びこの花が生えてくることのないように、茎や葉の部分まで火を通した。特に茎を燃やす時は、周りの森に火が移らないようにと余計な神経を使ったので倍疲れていた。
だが、さすがに全てを灰にしてしまうのも気が引けたので、花弁だけは残しておいた。
巨大な赤い絨毯が森に何枚も敷かれる形になってしまったが、既に皺になり始めていたので特に問題はないだろう、とラディムは無理やり自身の心を納得させる。
「とにかく疲れた。本当に疲れた……」
花弁の絨毯の横にしゃがみ込み、溜息と共に言葉を吐き出すラディム。
そういう
「とりあえず、フライア達の所へ戻るか。そろそろ正気に戻ってくれてるといいんだが」
疲れた体に鞭打ち、再び空へ上がるために彼は背中の
「………」
しかしそこで
「まぁ、万が一の時のことを考えて一応持って帰っておくか」
その場にしゃがみ、突起の生えた腕を軽く振る。そしてラディムは巨大な赤い花弁を、四角に切り取ったのだった。
ラディムはふらふらと飛翔しながら、フライアとエドヴァルドの元へと戻った。
「――っ!?」
空から降りてきたラディムを見て、フライアはエドヴァルドの後ろに隠れてしまった。その反応に、ラディムは小さく頬をひくつかせた。
確かに翅の生えたこの姿は、フライアにもほとんど見せたことはない。しかし一ヶ月前にヴェリスと対峙した時に、フライアは彼のこの姿を間近で見ている。
初めて見たわけではないのに、なぜ今さらそんな反応をするのか。わざわざ隠れなくてもよいではないか――と、心の中で呟くラディム。
さらに、フライアの仕草が彼の心をよりかき乱す。エドヴァルドの片腕をきゅっと掴んだまま隠れているのだ。エドヴァルドにポジションチェンジを要求したい、とラディムは切に思った。
二人の態度に気付いているのかいないのか。無表情のまま、エドヴァルドは綺麗に畳まれた布をラディムに投げた。
「……さっさと服を着ろ」
呆れた声で告げるエドヴァルド。受け取った布を広げると、それはラディムが脱ぎ捨てた上半身の服であった。そこで彼はふと思った。
(――あ。てことは、もしかしてさっきのフライアの反応は、俺の翅が気味悪かったからではない……のか?)
改めてフライアに視線を送ると、俯いたその顔は林檎のように真っ赤に染まっていた。
――フライアは間違いなく、自分を『異性』として意識している――。
そう確信したラディムは急激に気恥ずかしくなり、慌てて翅を引っ込めて服を着るのだった。
服を着たラディムは、二人の目を確認する。二人とも元の目の色を取り戻していた。ラディムは二人に知られぬよう、小さく安堵の息を吐く。
「それより貴様、王女様を放っておいて一体どこに行っていた」
鋭い視線をぶつけてくるエドヴァルドに、ラディムは何から説明したものかと困り果てる。とりあえず二人のこの態度は、何も覚えていないと見ていいのだろうか。
「何があったのか今から説明するって」
長くなりそうだと予期したラディムの声は、自然と溜息を交えたものになっていたのだった。
公園に着いてから今までのことをダイジェスト風にまとめて説明を終えたラディムは、傍のベンチに座り込んでいた。喋りつかれたというのもあるが、花退治で魔法を連発した疲れがどっと襲ってきていたのだ。正直なところ、しばらく動きたくはなかった。
ラディムは二人にそれとなく聞いてみたが、一連の騒動の記憶は残っていないみたいだった。二人とも水色の粉を見たところで記憶が途切れていたので、もうあの花粉が原因であることは確定だろう。
ちなみに、二人に抱きつかれた事までは話していない。
ラディムは深呼吸に似た息を吐きながら、天を仰ぎ見る。
彼はエドヴァルドの態度が少し気になっていた。巨大な花の話を聞いた途端、あの無表情な顔が青褪めていたのだ。何か知っていそうではあったが、無口な彼は結局何も話してはくれなかった。
「はぁ」
空に向かい大きな溜息を付くが、何の反応も返ってこない。
そう、今ラディムは一人だ。疲労で動けない彼を置いて、フライアとエドヴァルドは花を探しに行っているのだ。
正直に魔法で疲労した旨を話したところ、エドヴァルドは特に咎める様子もなく休憩することを了承してくれた。だが二人が並んで歩いている姿を想像し、何だか落ち着かなくなってきたラディム。やはり今から二人の後を追いかけて――と考えたところで。
「ラディムー! ハラビナを見つけたよー!」
鈴音のような透明な声がしたのはその時だった。タイミングが良いのか悪いのか。ラディムは思わず苦笑を洩らす。
小さな主君の声の方向に目をやると、赤い花を持ったフライアがラディムに手を振っていた。花の部分はフライアの顔ほどの大きさをしており、茎も幼児の身長に匹敵するほど長い。ラディムの目は、その花の中央に釘付けになってしまった。
空のように鮮やかな、水色――。
フライアが両手一杯に抱えている花は、ラディムが必死に燃やした巨大な花の、まさに縮小版とも言うべきものだったのだ。
気付いたらラディムの掌には、嫌な汗が滲んでいた。
テムスノー城の一階にある医務室のドアの前で、ラディムとエドヴァルドは待ち呆けていた。
公園から城に帰る間、ラディムは『ミニハラビナ』の花粉にビクビクしていたのだが、どうやらこちらには媚薬効果みたいなものはなかったらしい。何事もなく帰還したラディム達は、その足で直接医務室へと向かったのだ。
採ってきたハラビナをイアラに渡すべくフライアが中に入っているが、話に花が咲いているのだろうか、なかなか出てこない。
イアラはフライアが心置きなく話をすることができる、数少ない同性の人物だ。まぁたまにはいいだろう、とラディムはそのまま待ち続ける。
結局イアラには、あの巨大な花のことについては黙っておくことにした。イアラの性格上、知っていたら出発前にきちんと説明をしてくれていただろうし、何より本物のハラビナが手に入ったので、ラディムとしては良しとしたかったのだ。再度説明をするのが面倒だったのもあるが。
「エドヴァルド」
手持ち無沙汰なラディムは、槍を持ったまま直立不動の体勢を全く崩さない同僚を呼んだ。
「…………」
エドヴァルドは黙ったまま顔をラディムに向ける。相変わらずの無表情だった。
「お前に聞きたいことがあるんだけど……」
そこまで言ってラディムは言葉を途切らせる。ラディムが今から聞こうとしている内容のことを考え、少し
「もしかしてお前、女――」なのか――?
言い終える前に、エドヴァルドの持った槍の切っ先がラディムの喉元に当てられていた。避ける間もなかった。先ほどまでの無表情が嘘のように、その顔は激しい怒りで染まっている。
「貴様……どこで、知った」
エドヴァルドは地を這うような低音で短く言う。ラディムはその返事に息を呑んだ。
(やはり、そうだったのか……)
ラディムは急遽に胸の内に発生した、複雑な気持ちを持て余す。
エドヴァルドの目の色が変わった時、エドヴァルドだけ特別な条件が重なってしまった為に花粉の影響を受けたものだとラディム思っていた。
だが、結局あの水色の粉はただの花粉で、それ以上でも以下でもなかった。それ故に、もっと単純な理由ではないのかとラディムは考え直したのだ。
「別に。何となく、そう思っただけだ」
ラディムを睨みつけるその漆黒の瞳に、わずかだが動揺の色が見て取れた。
「絶対に、口外するな。もし喋ったら……貴様を殺す」
「安心しろ。誰かに言うつもりはさらさらない。お前が男だろうが女だろうが俺にはどうでもいい」
なぜエドヴァルドが男として生きているのか、その理由が気にならないと言えば嘘になる。だがそれがラディムにとってどうでもいいことなのには変わりなかった。
エドヴァルドはただの同僚だ。ラディムに対する態度も軟化しそうではないし、今後も性別のことについて、ラディムから話すことはもうないだろう。
ラディムの喉にチクリとした痛みが広がる。槍の切っ先が触れたのだろう。間を置かず、細い血がラディムの首を這った。
エドヴァルドはラディムの血を見てわずかに目元を歪ませると、静かに槍を引き下げた。
「ラディム・イルギナ。変な奴だな、お前」
「いや、男装しているお前には言われたくねえよ。あといちいちフルネームで呼ぶな」
手の甲で首の血を拭いながら、ラディムは眉を寄せて反論する。しかしそれにもエドヴァルドは無反応だった。また直立不動の態勢へと戻り、正面の壁を見据える。
「……もう一つだけ聞きたい。お前、ひょっとして『
エドヴァルドは何の反応も示さず、ラディムに整った横顔を晒すばかりだ。
無視されたか――。ラディムがそう思った直後、エドヴァルドは頭に巻いてある布を解き始めた。
初めて見るエドヴァルドの髪型の全容。すっきりとしたショートカットだった。そして前頭部から二本、短めの黒い触角が生えていた。頭の布はただのファッションかとラディムは思っていたが、どうやらこの触覚を隠すための物だったらしい。
「……オレは
呟くと、エドヴァルドは静かに瞼を閉じた。
(蟻……か。なるほど。これであの時のこともわかった)
ラディムは公園での一幕を思い返す。
エドヴァルドはラディムを絞め殺そうとしたわけではなく、媚薬的効果のある花粉に惑わされ、フライアと同じ行動をしただけだったのだ。ただ、その力が殺人的に強かっただけのことで――。蟻ならばあの力も納得いくものだった。
エドヴァルドは漆黒の瞳をラディムへ向ける。その表情からは感情が読みとれない。
「オレも聞きたい。お前、王女様に馴れ馴れしすぎないか?」
エドヴァルドの直球な質問に、ラディムは頬を掻きながら懸命に言葉を捜す。自分でも自覚していたことを他人に改めて指摘されると、やはり動揺してしまうものだ。
「いや、それは――。あいつに普通に接してくれって言われたからであって……」
「…………」
ラディムの返答に、エドヴァルドは無言のまま鋭い視線を飛ばしてきた。その目から「長い間一緒にいるからって調子に乗ってんじゃねえぞ蟷螂蜻蛉」という脅迫めいたものを感じてしまったラディムは、思わず額から冷や汗を出して後ずさってしまうのだった。
「あっ、エドヴァルド?」
そこで突如聞こえたフライアの声に、ラディムは思わずびくりと肩を震わせた。いつの間にか、医務室からフライアが出てきていた。イアラと話をしてストレスが解消できたのだろうか。その表情は心なしか明るい。今の話を聞かれたのでは――とラディムは気が気ではなかったのだが、態度から察するにその心配はいらないようだ。
「わぁ。頭のそれ、何だか可愛いね」
「王女様……。これは……」
フライアはエドヴァルドの触覚をアクセサリーか何かだと勘違いでもしているのだろうか。『可愛い』と評されたエドヴァルドは明らかに動揺していた。
その珍しい反応を見たラディムは、思わず忍び笑いを洩らすのだった。
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