第24話 それ以外は狂気の沙汰
自室の木製の簡素なベッドの上で、ラディムは大きな
一晩寝たことと、イアラの魔法のおかげで傷はほとんど回復していたが、動き回るにはまだ痛みが強い。ラディムはおとなしくシーツに身体を沈めていた。
ふと、フェンのことを思う。
城に運び込まれた時は意識もなく部下たちにもう駄目かと思われていた彼だが、イアラの懸命な処置により一命を取り留め、既に意識も回復している。
彼も今、別室で自分と同様の格好をしているのかと思うと、急に心がくすぐったくなってきた。その気持ちを誤魔化すように見慣れた天井の模様を目で追い始めながら、ラディムは先ほどの出来事を思い出す。
今から数十分前――。
彼の部屋の扉をノックしたのは、オデルだった。
部屋に入って来たオデルを見て、ラディムは腰が抜けんばかりに驚いた。そこに、見慣れたカエルはいなかったのだ。
立っていたのは、長い金髪を後ろで一つにまとめた、笑顔の爽やかな
カエルの姿の時は、正直に言うと上質な生地の服はどこか浮いていて、お世辞にも似合っているとは言えなかった。だが今は、彼の端正な顔立ちを見事に引き立てる脇役となっている。
彼の澄んだ瞳に引き込まれながら、ラディムはただ口をぽかんと開けることしかできなかった。
美青年――オデルは、帰国する前にラディムに礼を言いに来たのだという。
いや、自分は何もしていないから――と謙遜するラディムに、オデルは手を差し出し、握手を求めた。反射的にその手を握り返したラディムに、オデルは小さな声で呟いた。
「僕は君たちに嘘をついていたけれど、家族から拒絶されていたというのは本当なんだ。僕だけ母親が違うからね」
表情をなくし反応に困るラディムに、オデルは笑いかけながら続けた。
「いや、すまない。別れ際に言うことではなかったね。忘れてくれ」
「……崖から落ちんなよ」
「確かに。せっかく元の姿に戻ったのに、意味がなくなってしまうからね。来た時以上に慎重に下りるよ」
ラディムの言葉にまた軽く笑った後、オデルは碧い瞳を僅かに揺らめかせ、そして――。
「この国に来ることができて、君たちに会えて本当に良かった。ありがとう……」
ラディムに対し、深々と礼をした。
以前も頭を下げられたが、改めて見目秀麗な一国の王子に頭を下げられると、やはり気が気ではない。ラディムは慌ててオデルの顔を上げさせた。しかしオデルは「いいじゃないか。僕たちは友達だろう?」と笑顔で言い放ち、別の意味でラディムの心はまた乱されたのだった。
オデルは碧眼の瞳で再びラディムを見つめると、少し目元を緩ませて静かに口を開く。
「ラディムも、頑張ってくれ」
「あぁ。オデルも元気でな」
ラディムの言葉を聞き届けた後、オデルは従者たちを引き連れ、行ってしまったのだ。
もっと色々と言いたいことがあった筈なのだが、気の利いたことを何一つ言えなかった自分に対し、ラディムは深く溜息を付いた。
できればもう少し滞在してもらって、彼とゆっくり話がしたかった。
自分と似たような境遇を持っていた王子。でも、元の姿に戻ることができた以上、国に帰ってから彼にはやらなければならないことがあるのだろう。
そして、自分も――。
今までは人間たちの目を気にしながらも、ただ過ごしてきただけだった。人間たちに何を言われても、耐えることしかしてこなかった。でもこれからは、フライアと共に
フライアの体の中に保管されている、紅い宝石。
その中には、ヴェリスが残した研究データがある。まずはその封印を解く方法を、彼女と共に探していこう。
仮に封印が解けて中のデータを見ることができても、混蟲が元の姿に戻るにはまた多くの時間を費やすこととなるだろう。
でも、今すぐでなくとも良い。まずは次の世代の混蟲たちに希望を残すことが何より大切だと、彼は考えていた。
少しずつ、少しずつ進んでいけばいい。
ラディムは双眸を閉じ、静かに決意する。しかし瞼の裏に先ほど見たオデルの姿が現れてしまい、嘆息しながら目を開ける羽目になってしまった。
「それにしてもオデルの奴、美形すぎんだろ……。何が『大した容姿でもなかった』だ。絵に描いたような王子様じゃねえか」
既にこの場に居ない、元カエル王子に毒づく。今さら何を言ったところでやっかみにしかならないのだが。虚しくなるだけだとわかってはいても、それでも彼は言葉に出さずにはいられなかった。
「しかし驚いたな……。そもそも、どうやってオデルは元の姿に戻ったんだ。っつーか、呪いの解除ってそんな簡単に終わるもんなのか?」
単純な疑問が口に出る。彼のいない一日の間で終わってしまった、呪いの解除。
ヴェリスがヒントだと単語を色々と言っていたが、実のところラディムはほとんど覚えていなかった。
「知りたい?」
独り言に返事が返ってきて、ラディムは「おわっ」と小さな悲鳴を洩らしてしまった。いつの間にやら、フライアが紫紺の頭だけを扉からちょこんと覗かせていた。
仕掛けた
「そんな所で何をやってんだ」
「えっと、様子を見に来たんだけどね。ノックしても返事がなかったから、寝ているのかなあと思って」
遠慮がちに言いながら青の軌跡を残し、フライアは部屋の中へと入ってくる。ラディムが物思いに耽っている間に、フライアはノックをしたらしい。
「そうか。気付かなかった。悪いな」
「ううん。その……傷、まだ痛い?」
「あぁ」
僅かに首を傾げながら問うフライアに、ラディムは正直に答えた。彼の返答に、フライアは僅かに眉を下げる。これ以上心配をさせまいと、ラディムは努めて明るい口調でフライアに話題を振った。
「で、オデルが元にもどった方法を知っているような口振りだったけど?」
「あ……。う、うん。私が呪いの解除のお手伝いをしたから……」
ラディムの言葉にフライアは目を逸らし、僅かに頬を赤く染めながらもじもじとする。
「――?」
今の会話に照れる要素を見つけられなかったラディムは、疑問符を頭の上に浮かべることしかできない。
「あ、あのね。呪いの解除は『ノーカウント』だって。だから、これが私の初めてになるの。初めては、その、ラディムがいいなって……」
「え? え?」
言葉に詰まりながらも、フライアは意を決したようにラディムへと近付き――。
そして、彼の唇に口付けをした。
信じられないほど柔らかな感触が、ラディムの唇に伝う。
ラディムの複眼一杯に広がるフライアの顔は、近すぎて視認できない。花のような甘い香りが鼻腔を支配し、柔らかな本能を
まるでスローモーションのように過ぎる時のおかげで、ラディムはフライアの唇が離れるその感触まで、しっかりと味わってしまった。
顔を耳まで真っ赤にさせながら、魚のようにただ口をパクパクさせているだけのラディム。フライアもまた白雪のような頬を林檎のように染め、薄紅に濡れる唇を懸命に動かした。
「えっと、だ、だからね。唇にすると『愛情』って意味があるんだって」
そして小さく舌を出して、悪戯っぽく微笑んだのだった。
第1章 古の魔道士編・完
手なら尊敬
額なら友情
頬なら厚意
唇なら愛情
瞼なら憧れ
掌なら懇願
腕と首は欲望
それ以外は狂気の沙汰
フランツ・グリルパルツァー「接吻」(1819)
髪(思慕)
指先(賞賛)
「キスの場所で22のお題」より
http://lomendil.maiougi.com/kiss-title.html
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