第20話 対魔道士
「そういや、まだいたっけ」
先ほど、空で撒いたままであった。
その存在をすっかり失念していたラディムは頬を掻きながら呟くと、フェンに軽く目配せをする。
ラディムの視線を受けたフェンは、すぐさま土人形の背後に駆け寄った。
反撃する間を与えず、フェンは素早く土人形の背中を槍で一突きする。
貫かれた土人形はしかし身体を後ろに捻り、フェンに手刀を繰り出した。フェンは慌てて槍をその手から離し、バックステップを踏む。
間一髪。
土人形の手刀はフェンの鉄の胸当てを軽く擦っただけに終わった。土人形はすかさず第二撃をフェンに叩き込まんと、再度腕を振ろうとする。
空からラディムの声が響いたのは、その時だった。
「凍てつく空気よ我の元へ、咲き誇れ氷花!」
ピタリと合わせた両腕を軸に、まるで大輪の花を思わせる大きな氷塊が、彼の腕に咲いていた。
フェンに囮になってくれと、あの一瞬の目配せでラディムは伝え、そしてフェンも応えたのだ。二人の信頼関係が可能にした連携だった。
ラディムは土人形の頭上で揃えていた両腕を交差させた後、一気に両腕を横に開いた。氷塊は澄んだ音を発しながらラディムの腕を離れると、まるで意思を持つかのように土人形の身体を左右からがっしりと挟み込む。
土人形を中心に咲く、巨大な氷の花。氷の花弁は土人形の身体にめり込みながら、その表面を徐々に凍らせていく。
フェンは歩いて土人形の背後に回ると、突き刺さったまま土人形と共に氷付けになり始めていた、槍の柄を握った。
鉄製の柄はひんやりを通り越して痛いほどの冷たさになっていたが、フェンは指先の開いた皮の手袋を装備しているため、掌に柄が付着するという事態は避けられた。
「これは、返してもらおうか」
氷付けの槍を引き抜くと、フェンはそのままの体勢で続けて叫んだ。
「空気よ唸り、牙となれ!」
フェンの腹から放たれたその一撃で、既に八割方凍っていた土人形の身体は、氷の花ごと粉々に飛び散っていく。森の隙間から僅かに差し込む日の光がきらきらと氷に反射して、幻想的な景色を刹那に生み出した。
ヴェリスの魔力により再生する土人形であったが、その土人形を『再生できない状態』にすれば復活することはない、とラディムとフェンは既に見抜いていた。ここまでバラバラにしてしまえば、彼女が再び魔法を使わない限り復活はしないだろう。
先ほどラディムが苦手な水の魔法を使ってまで土人形と交戦したのは、それが理由だった。
「お、なかなか綺麗じゃん」
「まだ油断するな」
フェンは暢気にその光景を見やるラディムの横を走り抜け、彼らの近くに佇む一本の木まで駆け寄り、突きを繰り出した。
「あら、ばれちゃってたのね」
フェンが槍を突き立てた木は、
「――!」
慌てて再度戦闘態勢を取るラディム。
ヴェリスはフェンの槍の先を指で挟みながら、にこにこと機嫌良く微笑んでいた。
「何が可笑しい」
「私が創った命が、ここまで強いんですもの」
ヴェリスの指先が赤く光る。彼女の指に挟まれていた槍の切っ先は、見る見るうちにドロリと溶けてしまった。その光景に目を見張るフェン。
「私の実験は、中途半端なところで終わってしまっていた。たくさん創ったのはいいけれど、能力の検証ができていなかったのよ。でもこうやって、千五百年ぶりに確かめることができている。あなた達は私が創った『オリジナル』とは少し違うけどね。でもデータとしては十分だわ」
フェンは柄だけになってしまった槍を強く握り、静かに口を開いた。
「お前にとって……俺たちとは、何なのだ」
「私の好奇心を満たしてくれる、面白いおもちゃね」
躊躇なく答えるヴェリスに、フェンは何も言い返すことができず、拳を握り締めるばかり。
その横からラディムが低い体勢で走り来て、腕の刃でヴェリスに斬り掛かった。
「ふざけんな!」
怒りに任せて振る腕の軌道を、ヴェリスは冷静に見切り、舞うように避けていく。
「私はいつでも真面目よ」
ヴェリスが腰の位置にやった手を空に向けると、彼女の掌に頭一つ分ほどの大きさの緑の炎が現れた。
「下界の人間と選ばれたムー大陸の人間。比べることさえ馬鹿らしいわ。そのくだらない命を有意義に使ってあげたのだから、感謝して欲しいくらいね」
ヴェリスの手から放たれた緑の炎の玉は、彼女に肉薄していたラディムの左脚で、派手な音と共に弾け散った。
「あづっ!」
ラディムが短く叫ぶ。
どう見ても「熱い」だけで済むような攻撃ではなかったのだが、ラディムの脚は吹っ飛ばされることもなく、僅かに黒く焦げる程度で済んでいた。
その理由は、彼の脚の前に在る、焼け焦げて折れてしまった槍の柄。
フェンがとっさに横から柄を伸ばし、威力を分散させたのだ。
致命傷を負わずに済んだラディムは、感謝の念を抱きながら複眼でフェンに視線を送る。だが、彼の顔を見たラディムは硬直した。
『それ』に気付いたヴェリスは一瞬目を丸くした後、血を吸ったような色の唇を弓なりに曲げた。
フェンの口周りが、異様な形に変形していたのだ。
口の両端には糸切り鋏を彷彿とさせる鋭く短い突起が生え、中央にも数本の突起が現れていた。その顔はもはや人間と呼べるものではなく、まるで昆虫そのものだ。
フェンは半分の長さになってしまった槍の柄をヴェリスの顔に向け、突きを繰り出す。ヴェリスは上体を後ろに反らせ、それを難なくかわす。
何度か突きの応酬を繰り返したところで、フェンは槍の柄を放り捨て、素早く彼女に攻め寄った。
「あぐっ!」
短い悲鳴を洩らしたのは、ヴェリスの方だった。
フェンがヴェリスの左の腕の一部を、その異様な口で食い千切ったのだ。
抉られた部位から血が滴り落ちる。しかしヴェリスは左腕をだらりとぶら下げたまま、振り向きざまフェンに魔法を放った。
流れるように放たれた魔法が、ヴェリスの扱える魔法の中でも上位の威力になるものだったとは、その動作からは誰も読み取ることができなかった。
「我の元に集いて鳴け、風の竜よ!」
潮流の如く激しく流れる、森の空気。
オデルは風からフライアを庇うように、彼女の背後にマントごと覆いかぶさる。身を隠していた兵士たちも、さらにその姿勢を低くして風と恐怖を懸命に堪えていた。
轟音と共に現れたのは、風の流れで形成された実体のないドラゴンだった。ドラゴンの身体に触れた無数の木の枝が、砂塵と共に空へと舞い上がっていく。
風のドラゴンが大きく口を開け、フェンに牙を向く。まるで咆哮のように唸りを上げる風の音は、森の木々だけでなく大地をも震わせた。
これが、ムー大陸の魔道士の真の魔法の威力なのか――。
その場にいた誰もが、ヴェリスの魔法に怖れを抱く。
そしてドラゴンの身体を形作っていた風が突如上下左右に広がり、一斉にフェンに襲い掛かった。例えるなら、それは大量の鎌鼬か。
フェンはとっさに腕で顔を防御体勢を取るが、彼の全身を容赦なく風は切り裂いていく。まるで蜘蛛の巣のような軌跡を残し、血飛沫が舞った。
「ぐっ!」
痛みに耐え、小さく呻きながらも反撃のチャンスを伺うフェンだったが――。
「黒の炎よ。全てを灰燼と化せ」
ヴェリスがそこに追い討ちを掛けた。
「ぐああっ!」
無数の切り傷で既にぼろぼろになっていたフェンの全身が、今度は一瞬にして闇の炎に包まれ、燃え盛る。
「あなた、カミキリムシね。なかなか素晴らしい力じゃない。痛くて痺れるわ」
食い千切られ、無残な傷口を晒す左腕を流し見た後、それでもヴェリスはフェンを笑顔で見つめる。フェンは燃えながら、膝からその場に崩れ落ちた。
「隊長!」
今まで木の陰に隠れていた兵士たちが一斉に飛び出し、フェンを取り囲む。しかしフェンの身体を炭にせんと
オデルが身に着けていたマントを引き千切るように外しながら、フェンに駆け寄った。見ていられなかったのだ。
マントを何度も上から叩き付け、懸命に消火する。そのオデルの姿を見て兵士たちも我に返り、黒の炎に次々と土を掛けた。彼らの消火活動でほどなくして炎は消え去ったが、フェンはぐったりとしたまま動かない。
その様子を半ば呆然としながらただ見つめていたラディムに、ヴェリスは距離を詰めた。
「全てを打ち砕く蒼の光よ、集え、我が拳に」
ヴェリスの蒼の魔法が彼女の右腕を包み込む。しかしラディムは何も反応することなく、ただ佇み続けるのみ。
まるで戦意を喪失してしまったかのようなラディムにいち早く気付いたのは、フライアだった。このままでは彼はヴェリスのなすがままになってしまう。
フライアがいても立ってもいられず、飛び出そうとしたその時――。
「もう、やめろ……」
佇んでいたラディムが、弱々しく呟いた。
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