第21話 捨て身の終焉

「やめるとは?」


 ラディムに距離を詰めていたヴェリスは足を止め、突如紡がれたその言葉の真意を問う。


「そのままだ。これ以上傷付け合うのは、双方にとって無意味だ」

「あなた達が最初から私の言うことを素直に聞いてくれていたら、私もこんなことはしていないわよ」


 ここまでやってようやく気付いたの? とヴェリスは呆れたように肩を竦めて見せた。


「だったら……。俺の身体をあんたにやる」

「ラディム!?」


 思わず悲痛な声を上げたフライアを手で静止させると、ラディムは静かな眼差しでヴェリスを見据えた。


「突然、どういうつもり?」


 ヴェリスは双眸をすっと細めながら、ラディムの視線を受け止める。


「自分で言うのも何だが、俺は混蟲メクスの中でも特殊な方だ。二種混じっている上に、身体の部位も自分の意思で出し入れできる。あんた、さっき言っていたじゃないか。俺は普通の混蟲よりも面白いってやつなんだろ?」


 ラディムの問いに、ヴェリスは頷いてみせた。


「確かに面白いと思うわ。それで?」

「俺の身体を調べるなら、好きなだけ調べればいい。ただし、他の混蟲と宝石については諦めろ」

「つまり、あなたと引き換えに、この国の全てを諦めろと?」

「……そうだ」


 しばらくラディムの顔を凝視していたヴェリスだったが、ほどなくして首を横に振った。


「交渉にしてはあまり対価が釣り合っていないわ。それに、元々あなたは殺した後に調べるつもりだったし」

「検体が死んでいるより、生きている方が色々と都合が良いだろ? 俺はあんたに協力すると言っている」


 再び交差する両者の視線。

 森に渡るしばしの静寂。

 誰も二人の間に言葉を挟めなかった。ラディムは、自身の命をヴェリスに差し出してまでテムスノー国を守ろうとしている。

 それがわかったからこそ、フライアでさえも声を出すことができなかった。

 やがて、ヴェリスが静かに口を開く。


「その言葉に偽りは?」

「ない」

「メモリーには全ての研究結果を記録していた」

「でも、千五百年も前のものなんだろ? あんたが直接手を加えた実験体は、既にこの世のどこにもいない。昔の記録より目の前の存在をどうにかする方が、あんたにとっても美味しい話だと思うが?」

「…………」


 ヴェリスはフライアとラディム、交互に視線をやった後、小さく溜息を漏らした。


「いいわ。その話、乗りましょう。でもね、私は疑り深いの」

「俺には抵抗の意思はない。なら、これならどうだ? あんたの右手に滞留したままの魔法。それを俺に放っていい。ただし、死なない程度にな」

「お言葉に甘えて、そうさせてもらうわ」


 ヴェリスは僅かに首を傾げ、にっこりと微笑みながらゆっくりとラディムへと近付く。

 そして――。

 魔力を纏ったヴェリスの右腕は、宣言通り真正面からラディムの腹部を貫通した。


「――!」


 目を背けたくなるような光景に、フライアは堪らず口を手で押さえ込んだ。悲鳴が漏れてしまいそうだったからだ。

 複眼でフライアのその様子を見ていたラディムだったが、あえて見ない振りをした。

 自身の身体を貫くヴェリスの細い腕を片手で強く握り締めながら、彼はそこで不敵に笑った。


「――!?」


 慌てて腕を引き抜こうとするヴェリスだったが、ピクリとも動かせない。

 ラディムはヴェリスの背に、もう片方の腕を回した。まるで彼女を抱き締めるかのように包み込んだのだ。

 その腕の突起を、ヴェリスの背中に深く突き立てながら。


「かっ――!?」


 乾いた声を上げながら、ヴェリスの目が大きく見開く。


「引っ掛かったなバーカ」


 痛みを必死で堪えながら、口元を歪めながら。それでも、ラディムは笑みを崩さない。


「正直に俺の言うことに従ってくれた、せめてもの礼だ。あんたに蟷螂かまきりの狩り方、教えてやるよ」


 そしてラディムは口の中で魔法を唱え始める。

 しかし――。

 途切れ途切れに言葉を発するラディムの口から大量の血がごぷりと溢れ、上半身を、そしてヴェリスを赤く染め上げる。だが彼は苦痛に顔を歪めながらも、再度詠唱を続けた。


「知ってるかも、しれねえけど」

「――っ! やめっ――」

「虚空より生まれし風、我の腕に纏いて鋭い刃と成せ」


 囁くように紡がれた魔法は、ラディムの両腕を淡い光で覆う。

 ヴェリスの身体に突き立てた、突起もろとも――。


「あああああああぁぁぁっ!」


 ヴェリスは苦痛に悲鳴を上げもがくが、ラディムの腕の突起がしっかりと彼女の身体を捕らえ、離さない。


「こうやって、な。獲物を待ち伏せて、狩るんだよ!」


 ラディムは掴んでいたヴェリスの右腕を離し、彼女の首の根元で腕を思いっきり横に引いた。

 皮膚の裂ける小さな音と共に、鮮やかな赤が森に舞う。

 ヴェリスの首からおびただしい量の血が溢れ、彼女の服とラディムの身体をさらに汚していく。しかしヴェリスは、ラディムの身体を貫いたままの右腕に魔力を集め始めた。


「ぐああああっ……!?」


 まるで神経を焼き切られるような激痛が、ラディムの身体の中を駆け巡る。

 頚動脈を深く切られた状態でもなお、魔法を使おうとするヴェリス。苦痛に激しく顔を歪めながらも、ラディムは腕に力を込め、さらに彼女の背中に突起を強く押し込んだ。

 側から見れば、男女が抱擁しているようにしか見えないその光景。しかしそれは、お互いに命を賭した我慢比べだ。


「ふふっ……」


 不意に、ヴェリスが小さく笑う。そしてラディムの身体を貫いていた右腕を、ゆっくりと引き抜いた。内臓を擦る嫌な音がする。腕を引き抜かれたラディムの身体からは、堰を切ったかのように血が溢れ出し、瞬く間に地を赤に染め上げていく。


「やられたわ。自分の創ったものに、騙されるなんてね……」


 ヴェリスの顔からは血の気が引き、元々色白だった顔色はいっそう白くなっていた。


「私のメモリーは、好きになさい。でも、あなた達にあの封印は……解けないでしょうけど、ね……」


 静かに、そう呟くと――。彼女の瞼が落ち、全身から力が抜ける。

 それが、魔道士ヴェリスの最期だった。

 急激に重さを増したヴェリスの身体を支えきれず、ラディムが背中に突き立てた腕を引き抜くと、彼女の身体は人形のようにどさりと地に転がった。

 ヴェリスの亡骸をおぼろ気な目で見つめた後、ラディムもまた横に倒れ込んだ。


「ラディム!」


 フライアは叫びながら飛び出し、ラディムに駆け寄る。その目からは涙が露のように溢れていた。


「どうして……こんな……こんな方法を!」


 ラディムの腹部から流れ出る血が、地面を濃い赤に染め上げていく。その赤の上に膝を付け、フライアは嗚咽を堪えながら彼の頬を撫でた。


「泣くなよ……。いいだろ、上手くいったんだし……。確実に倒すには、あれしかないと思ったんだよ……」

「でも――!」

「俺より……おっさんは?」


 今は何を言ってもフライアに怒られるといち早く察したラディムは、フェンの名前を出すことで上手く彼女の気を逸らすことに成功する。自身もまた、本気で彼の身を案じての言葉でもあったが。


「気を失ってはいるが、まだ息はある。でも早急に治療をした方が良いのは、素人目にも明らかだ」


 フェンの傍らで膝を付いていたオデルが、緊張気味に答えた。


「そうか……」


 それを聞いたラディムは、静かに目を閉じて続ける。


「フライア。悪ぃけど、イアラ先生を連れて来てくれねえか。さすがにもう動けねえわ……」


 フライアは大きく頷くと涙を拭い、魔法を唱え始める。しかし彼女の詠唱は、すぐに中断されることとなった。


「フライア様! 今日はこれ以上魔法をお使いにならないでくださいませ!」


 兵士の一人がフライアに強い口調で制止したのだ。彼の言葉に頷きながら、別の兵士も続けた。


「ここは我々にお任せください」

「で、でも――」

「先ほどあれだけ疲労していたフライア様がまた魔法を使用したら、今度こそ倒れられてしまいます」


 皆からの視線を受け、フライアは少し俯く。そして弱々しい声で告げた。


「わかりました。お願いします……」


 フライアは何とか自分も役に立ちたいと思っていた。しかし、既に彼女の体力は限界に達していたのも事実。フライアは素直に兵士たちの申し出を受けることにした。

 兵士の一人はフライアに敬礼すると、城に向かって颯爽と駆け出した。

 彼らは混蟲メクスではなく、人間だ。それでも、混蟲の自分たちの力になってくれる。

 そう、全ての人間が混蟲に嫌悪感を抱いているわけではないのだ。身内や親戚、知り合いに混蟲を持つ人間の中には、彼らに理解を示している者も少なからずいる。

 彼ら兵士が混蟲のフェンを慕っているのは、フェンの努力と人徳によるものでもあったが。

 フライアはこの場に残っている兵士たち一人一人の顔を見ながら思った。

 大丈夫だ。時間はかかるかもしれないけれど、混蟲と人間、双方がわかりあえる時はきっとくる。この国が本当の意味で一つになれる時は、きっとくるのだと。


「さあ。残った者で隊長とラディムの応急処置だ」


 フライアはイアラを呼びに行った兵士の後姿が森の奥に消えるまで見送った後、再びラディムの傍らに膝を付いた。

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