第18話 カエル王子の事情

 フェンの後ろに控えていた兵士たちは、手に持った槍を向けながら一斉にヴェリスを取り囲む。ヴェリスはそれを気にする素振りは見せず、真っ直ぐと最後尾のオデルを見つめていた。


「オデル、あなたもわざわざ来たのね」


 ヴェリスが抑揚のない口調でオデルに言うと、フライアを抱きかかえた彼の肩が僅かに上下する。

 オデルも来たのか――。

 ようやく視界の戻ったラディムは、立ち上がりながらその姿を確かめる。

 大きなカエルが蝶の少女を抱きかかえるその様子は、まるでお伽噺の一ページのようだとラディムは咄嗟に思ってしまった。


「どうしても、君にきたいことがあったからね。無理を言って連れてきてもらったんだ」


 オデルは淡々と告げると、そこで優しくフライアを降ろし、前へ一歩踏み出した。


「そう。別にいいわよ。でも見ての通り今は取り込み中だから、あまり多くの質問は簡便ね。何を訊きたいの?」

「では、まず一つ。君が千五百年もの間眠っていた理由は?」


 オデルの大きな目は、真っ直ぐとヴェリスを捉えている。小さく吹き抜けた風に、ヴェリスの紺の髪が流れた。


「一言では言えないのだけれど」


 そう断ってから、ヴェリスは静かに語りだした。


「ムー大陸で起こった内乱が、結果的にムー大陸の崩壊を招いてしまったの。崩壊と言っても、文字通りよ。ムー大陸は粉々の瓦礫となって、海の底へと沈んでいった。ふふっ。どんなに興味がなくても、政治はちゃんと見ておかないとダメね。あの時ほど後悔したことはないわ」

「…………」


 自嘲気味に笑うヴェリスを、ただ黙して見つめる一行。ピンと張り詰めた空気が渡る。


「私は命は助かったけれど、下界でそのまま暮らすにはちょっと厳しかったのよ。何故って? 実験体を連れ去る時に、結構顔を覚えられてしまってたみたい。行く先々で下界の人間が目を血走らせながら襲ってくるもんだから、面倒になっちゃってね。私、面倒臭いことは嫌いなの。自分が興味のあることなら別だけどね」


 そこで長い髪をかき分ける。話をする時の彼女の癖らしかった。


「それならば、誰も私のことを覚えていない時代まで待ってしまおうと『凍てつく時の魔法』を自分にかけたんだけど……この魔法、欠点があってね。いつ起きるか指定できないのよ」


 肩を竦めながら、自分を取り囲む兵士たちにも視線を送る。フェンや兵士たちはヴェリスが何を言っているのか半分以上理解できなかったが、それでも黙したまま彼女の言葉に耳を傾けていた。


「そして、起きたら千五百年も経っていたってわけ。そういうことだから、別に理由があってこの時代で目覚めたわけじゃないのよ」

「……そうか」


 オデルは無感情に相槌を打つ。


「で、目が覚めた場所がちょうどあなたの国だった。私は実験体たちの行方が何よりも気になってね。考古学者に扮することにした。ちなみに学者たちに紛れるのはとても簡単だったわ。あぁオデル。もう少し手続きは難しくした方が良いと思うの。ムー大陸のことを少しだけ披露した論文を出したら、あっさりと書類がもらえちゃったわ。まぁそんな経緯で、とりあえずこの時代の文献を漁って、あの子たちの行方を調べ始めたのよ」


 オデルの瞼が少しだけ下がる。まさかこの場でアドバイスを貰えるなどとは、想像すらしていなかったのだろう。


「わかった……。では次の質問だ。僕をこの姿に変えた理由は? この国の人たちとはまた違う理由なのだろう?」


 部屋で話していた疑問をストレートにぶつけるオデルに、ラディムとフライアは不安気に彼を見つめる。


「そうね。別に今さら黙っておくようなことでもないし、いいわよ」


 ヴェリスは一呼吸置くと、真剣な面持ちでオデルを真っ直ぐと見据えた。


「あなたが作っていた秘薬。あれね、元々私の同僚が開発したものなのよ」


 その言葉を聞いたオデルは息を呑み、目を見開いた。


「どういうことだ? あれは、西の国の魔女が作った物ではないのか?」

「だって私の隣の部屋で、その秘薬の研究をしていたのを見たことあるんだもの。間違いないわ」


 ヴェリスは自信たっぷりに頷く。


「ムー大陸の崩壊後、私同様に助かった『彼』は、あなたの言う西の国に行ったのでしょうね。そしてどいういう経緯かは知らないけれど、『彼』が研究していたその秘薬を、西の国の魔女が使うようになったという伝承ができたんじゃない? 図書館であの本を見つけた時、私は歓喜に震えたわ。まさかあんな場所でムー大陸ゆかりの物に再会できるなんて、思ってもいなかったんだもの」


 言葉を紡ぐ度、表情がくるくると変わるヴェリスの顔。しかし根底にある狂気の色は変わらない。


「そしてある日、秘薬を横にして眠っているあなたを見つけた。私は確かめたかったの。この時代にまで息づいている『彼』が開発した物を。そしてあなたの口に秘薬を流し込んだ。呆気ないほど、簡単にあなたの姿は変わったわ。でもそれで気付いたの。『彼』の秘薬は呪いの一種。虫と人間を一体化する私の実験とは、根本的に違う物だと」


 そこでラディムの眉が跳ね上がった。


(呪い? てことは、オデルは呪いを解けば元の姿に戻れるということか?)


 ラディムが心の中で呟いた時、さらにオデルがヴェリスに問うた。


「あの本の一部は破り取られていた。それも君がやったのか」

「そうよ。私が取ったページには呪いの解除方法が書かれていたからね。あなたに知られたくなかったの」

「なぜ」

「私を、船でこの国に連れて来てもらうために。いくら魔法で空を飛べても、対岸が視認できない距離を飛び続けることなんてできないからよ。さすがに私の中の魔法力も尽きちゃうの」

「……?」


 ヴェリスのその答えは、オデルをただ混乱させるだけだった。オデルが理解していないとわかったのか、ヴェリスは口の端を上げながらさらに続ける。


「あなたが王子だということを、利用させてもらったの」

「どういう、意味だ……」


 オデルは喉から搾り出すように声を出す。これまでの話の内容、そして利用していたなどと正面から言われ、動揺するなと言うほうが酷だ。


「あの混蟲メクスの日記ね。実は見つかったのは『あなたに会う数ヶ月前』なのよ」

「……つまり、僕がこの姿になるまで隠していたということか? だがそれがどう繋がる?」


 ヴェリスの言葉を聞く度に理解できないことが増えていく苛立ちのせいか、オデルの口調がほんの少しだけ荒くなる。


「私は、あなたと会った時から、姿の。あなたは考古学に興味があって、図書館の文献を片っ端から読み漁っていたでしょう? だから毎日見ている内に気付いたの。あなたは左上の棚から順に読んでいることをね。あとはあの秘薬の本を、適当な位置に移動するだけ」

「……僕が、あの秘薬の本を読むように仕向けたということか」


 信じられない。オデルの表情はそう語っていた。


「そう。あなたのことだから、きっと秘薬を作ってくれると思っていたわ。仮にあなたが作らなくても、私から話を持ち掛けたら、あなたは作っていたでしょうしね」

「…………」

「そして王子であるあなたの姿が、ある日突然醜い姿になってしまったら? 間違いなくあなたの周りの人間は、あなたのことを隠すだろうと思ったの。面白いくらい、予想通りに事は運んだわ」

「なぜ、そこまで予想がついた……」


 オデルの顔には、じっとりと汗が浮かんでいた。


「三男とはいえ、王子であるあなたが昼間から城の図書館で好き勝手やっているんだもの。何となく、事情があるのは想像付くわよ。おおかた、王族の血縁同士で何か揉めていたんでしょう? 何百年経っても、人って同じことを繰り返すものなのよね」

「…………」


 オデルの沈黙は肯定を意味するものだと、その場にいた誰もが瞬時に悟った。


「ついでに言うと、本当はあなたは考古学に興味があったわけではない。呪いが書いてある文献を探していたんじゃない? そして、秘薬で家族の誰かの姿を変えようとしていたのではないのかしら? 軽い見せしめのつもりで、ね」


 目を見開き、完全に言葉を失ってしまったオデルのその態度が、ヴェリスの言葉が真実であると告げていた。ラディムらは驚いた顔で一斉にオデルを見る。

 全ての出来事が、ヴェリスの都合の良いように仕向けられていたのだ。


「オデル王子……」


 フライアは細い声で、俯くオデルの名を呼ぶことしかできない。


「はは……。みっともないことを知られてしまったな……」


 皆に真実を知られてしまったオデルは、肩を下げ、力なく自嘲気味に笑った。


「彼女の言った通りだよ。僕がこの姿になってしまったのは、ある意味自業自得というわけさ」

「オデル……」

「すまない。僕は君たちに嘘をついていた。……失望、したかい?」


 微かに声を震わせながら、オデルはラディムに問う。されどラディムはその質問に首を横に振ると、微かに口の端を上げた。


「ま、誰にだって後ろめたいことの一つや二つあるもんだし。ましてや昨日今日会ったばかりの奴に、全てを曝け出せる奴のが少ないだろ」


 何でもないと言わんばかりにひょいと軽く肩を竦めて言うラディムの言葉を、オデルは目を見開いて聞き続ける。


「それにさ。俺もあんたの気持ち、何となくわかるんだ。俺も混蟲メクスにわざと嫌な態度を取る人間に対して、色々思うところはあるし……」


 ラディムはそこまで言うと僅かに視線を逸らし、小さく苦笑する。

 もし、城に混蟲が全くいなかったら。フライアやフェンに会っていなかったら――。もしかしたら自分も、オデルと同じような行動をしていたかもしれない。


(俺は、周りに恵まれていたんだな)


 自分の境遇を短く見つめ直した後、ラディムは改めてコバルトブルーの目をオデルへ向ける。


「いや、嘘をつかれていたのは正直に言うとちょっとショックだけど。でも、俺には昨日の夜の言葉まで嘘だとは思えない。要するに――俺の中であんたに対する気持ちは、変わらないってこと」


 鼻の頭を掻きながら言うラディムに、オデルの表情は少し明るくなった。

 なじられ、拒絶されることすら覚悟をしていたというのに。この少年はオデルの嘘すらあっさりと受け流したのだ。ラディムの言葉に、オデルは深く感謝し、尊敬の念を抱いた。そして益々この少年に対する好意が大きくなったのを感じたのだった。

 オデルはヴェリスに向き直り、口を真っ直ぐ横に結んだ後、ゆっくりとヴェリスに告げた。


「僕がこう言える立場ではないことは自覚している。だが、それでも――。呪いを解く方法を、どうか教えてもらえないだろうか」


 哀れみを請うような口調ではなく、ただ淡々と。けれど、はっきりとした口調でオデルは言った。


「そうね……。この国に連れて来てもらったお礼くらいはしないとね。じゃあヒントをあげるわ」


 拒否をするかと思われたが、ヴェリスはあっさりと了承した。

 彼女の中で、オデルの存在はそこまで大きなウエイトを占めていない――。

 そのことがわかってしまったオデルの心に、深い棘が突き刺さる。

 オデルは彼女の言葉に救われ、感謝していた。だが、それらは全て虚像であった。もう、彼女に対する心は忘れなければならない。オデルは知らず、吸盤の付いた手を強く握りしめる。

 そのようなオデルの心情など知る由もなく、ヴェリスは前髪をかき上げると艶やかな笑みを浮かべた。


「思慕、友情、親愛、愛情、尊敬、賞賛。この中のどれかが正解よ」

「何だそりゃ?」


 ヴェリスの口から次々と出てきた単語に、ラディムは思わず疑問の声を上げた。

 どれも形のないものばかりだ。それらの意味に順ずる行動でもすればよいのだろうかとラディムは考えたが、意識してできるものは少ない。


「ヒントはここまでよ。あとは自分で考えてね」


 ヴェリスは意味ありげにフライアに視線を送った後、自身を取り囲む兵士らを見回した。


「もう質問はないかしら? そろそろ動きたいのだけれど。色々調べたくてうずうずしてるんだから」


 その言葉に、兵士らの緊張感が一気に高まる。彼らは槍を握る手に、いっそう力を込めた。


「王を負傷させた奴だ。気を抜くな」


 フェンはヴェリスを睨みながら、兵士らに静かに注意を促した。


「来い。地人間キヴィ・イーミセン


 ヴェリスの隣に、再び顔のない土人形が姿を現した。それを見たフェンや兵士たちは思わず瞠目し、息を呑む。


「気を付けろ。あいつ、動きが凄え早いぞ」


 ラディムはフェン達に言いながら両腕を交差させ、いつでも魔法を発動できる体勢を取った。


地人間キヴィ・イーミセン


 さらに響くヴェリスの声。彼女の隣にもう一体、土人形が現れる。一体目とは微妙に体の凹凸の具合が違っているが、やはりこちらものっぺりとした顔をしていた。


「あなた達も、全員混蟲メクスなの?」


 ヴェリスは兵士たちに問い掛けるが、彼らは緊張した面持ちでヴェリスを見据えるばかりで答える気配はない。


「いや、彼らは人間だ。混蟲は――俺だけだ」


 彼らに代わり、低い声でフェンが答える。


「そう。残念ね」


 一体何が残念なのか。ヴェリスは真意を語ることなくフェンを見据えると微笑を浮かべ、右腕を前へ掲げた。


「行け」


 それが、第二戦目の戦闘開始の合図となった。

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