第16話 魔法(ちから)の理由

 ラディムの両腕の風が合わさり、弾け、爆風となる。

 凄まじい風圧がヴェリスと森を襲った。悲鳴を上げるかのように木々が揺れる。

 風を受け、ヴェリスの腕からフライアの体が離れた。フライアの華奢な体は、まるで灰のように宙に舞う。

 ラディムはすぐに飛び上がると、空中でフライアの体をしっかりと抱き留めた。

 ここまで派手に吹っ飛ばされておきながら、まだフライアは眠り続けている。ヴェリスの魔法が強力だからだろうか――と不安を抱きつつ、ラディムはゆっくりと地面に降り立った。


「……してやられたわ。まさかあなたも魔法が使えたとはね」


 ヴェリスは風で乱れた髪をかき上げ、苦笑する。言葉とは違い、彼女の表情はあまり悔しそうではない。それどころか新しいおもちゃを与えてもらった子供の如く、喜びに満ち溢れていた。


「でも今ので、わかったわ」


 何とかフライアを起こさないと、このまま両腕が塞がっていたらヴェリスの動きに対応ができない――。

 焦るラディムとは対照的に、ヴェリスは落ち着いた表情のまま、なぜか腕を下ろした。


「……ん……」


 ラディムの腕の中でフライアが声を上げたのは、その時だった。


「フライア……! 良かった。大丈夫か?」


 身体中の力が抜けてしまいそうな安堵感を抑えつつラディムは声を掛けるが、フライアの返事はない。焦点の合わない目で呆けたままだ。そして一呼吸置いた後、小さな口でふわぁと大きな欠伸をした。


「……お前な」


 あまりにも緊張感に欠ける行為に、ラディムは堪らずジト目でフライアを見つめる。曲がりなりにもお姫様なのだから、せめて口に手を当てて隠すくらいはしろ、と言ってやりたい気分だった。


「ん? ……あれ?」


 目の端に光る液体を滲ませたフライアは、まだ今の状況を理解できていないらしい。頭の上に疑問符を浮かばせているかのように、周りをキョロキョロと見回す。その様子を見ていたヴェリスは笑みをこぼした。


「少し、私の話を聞いて欲しいの」


 ラディムはフライアの体からゆっくりと手を離し、ヴェリスから隠すようにフライアの前に立つ。

 ラディムが背中のはねを出していることにそこで初めて気付いたフライアの目が、僅かに見開いた。そして彼女はヴェリスの強襲を思い出す。

 今の状況を何となくだが把握したフライアは、ヴェリスとラディムのやり取りを、不安げな表情でただ黙して見守った。


「……何のために」

「私が創った子供たちに、やっと会えたんだもの。親としてはあなた達が誕生した時のことを、色々と聞いてほしいに決まっているじゃない」

「俺たちは、あんたの子供になった覚えはない」

「ふふ。何て言おうと、あなた達は私の子供よ。あなた達がなぜ魔法を使えるのか、わかるかしら?」

「知るか」


 吐き捨てるようにラディムは答える。

 それは、なぜ自分が混蟲メクスなのか――それと同じくらいにわからないことだった。

 考えてもわからない。

 答えは見つからない。だから彼は、深く考えたことはなかった。

 混蟲メクスは、魔法が使える。

『そういうもの』なのだと、無理やり納得するしかなかったのだ。

 ラディムだけではない。それはこの国の人間も、混蟲も、皆同様だ。

 ヴェリスはラディムの言葉を満足げに聞き届けた後、ゆるりと告げた。


「あなた達にはね、ムー大陸の魔道士の血が流れているからなの」

「……何?」


 不敵な笑みを浮かべて言うヴェリス。彼女の発した言葉に、ラディムは思わず掠れた声を上げ、フライアは顔を強張らせる。

 二人のその反応に満足したのか、ヴェリスは悠々とした笑みをたたえながら続ける。


「ムー大陸は大きな浮遊大陸だったってことは言ったわよね。そこでは巨大な力を持った、ある権力者が君臨していたの。でもその権力者に盾突こうとした、小さな反乱軍があったのよ。ま、私は研究に忙しくて政治にはてんで興味がなかったから、その辺のことは詳しく知らないんだけどね」


 ヴェリスはそこで小さく肩を竦めた。


「そんなある日、権力者は反乱軍の動きに気付き、反乱軍を全員処刑することにした。でも表立って処刑なんかしちゃったら、大陸内に渦巻く他の反乱因子に火を付けることになりかねない。そう考えた権力者からね、私に話がきたの。目立たないようにするのならば、好きにして良いって」

「まさか……」


 彼女の告白に、ラディムはぐっと拳を握り締める。


「ええ、好きにさせてもらったわ。虫と人間、さらにムー大陸の魔道士を掛け合わせる実験ができるだなんて夢にも思っていなかったから、本当に凄く興奮したわ」

「あなたは……どこまで……」


 フライアは糸のような細い声を絞り出す。彼女の身体は震え、それ以上言葉は続かなかった。

 その隣でラディムは奥歯を強く噛み、腹の底から沸いてくる冷たくも熱い感情を必死で抑えていた。

 この目の前の女は、一体何なのだ。命を命と思っていない。一生をかけても、到底理解できない倫理観を持った、この女は。

 自分の理解できない人間を前に、ラディムはただおののいた。怒りと畏怖いふで震える拳に呼応するかのように、ラディムの腕から、鋭利な突起がゆっくりと生えてくる。


「でもね、実験の人間の数に対して、反乱軍の人数が少なすぎたのよねえ」


 ヴェリスは料理の具材が足りない話をするかのように、至極軽い口調で続けた。


「だから、分割することにしたの。身体を、ね」


 にっこりと、そこで優しく微笑む。その瞳の奥に底知れぬ狂気を宿らせながら。

 ぞくり。

 ヴェリスの表情を見たラディムの背筋に、たちまち悪寒が走り抜ける。彼の体の中に流れる野性の血が、全力で警鐘を鳴らし始めた。

 逃げろ。奴は危険だ。逃げろ。


(逃がしてくれるわけねぇっつーの)


 だがラディムは自身の本能に対し、心の中で悪態を付く。本能にあらがい己を奮い立たせるために、彼は腕の突起を太腿に軽く押し付けた。じわりと広がる痛みが、彼をこの地に縫い付ける針の代わりとなる。


「あなたは、魔道士の『腕』の部位の影響ね。だから腕を媒介しなければ魔法が使えない。違う?」


 走る閃光。

 突如ヴェリスの掌から放たれた光の矢が、ラディムの両腕へ音を立てながら向かった。再び腕に風を宿らせ、ラディムはその矢を難なく払いのける。風を受けた矢は、弾けたように音を立てて消滅した。

 ヴェリスは目をスッと細め、その様子を見届けた。彼女にとって、ラディムの行動は単なる答え合わせにしか過ぎなかったのだ。


「うん、やっぱり『腕』みたいね。そして王女様は『脚』かしら? 封印の魔法を見る限り『胸』もありそうね」


 今度はフライアに向かって光の矢を放つが、ラディムが素早くフライアを抱え、横に飛んだ。光の矢はフライアが立っていた地面に突き刺さると、小さな爆発と共に消滅する。


「――!」


 フライアとラディムは、その小さな閃光に思わず息を飲んだ。


「あら、さすがは王女様の護衛ね。そう簡単には確かめさせてくれないか」


 もし今の攻撃を避け損ねていたら、普通に大怪我をしていただろう。自分たちの身体を調べることが目的ではなかったのか。

 今しがた爆発した場所を見ながら、ラディムは焦った。ヴェリスは、こちらの身体が無傷でなくても構わないのか。それとも、絶対に避けられると読んだ上でのあの威力の魔法なのか。ラディムはヴェリスが何を考えているのか、本当に理解できなかった。

 フライアだけでも、彼女から遠避けたい。だが今この場でヴェリスに背を向け、フライアを連れて逃げるのは不可能だろう。

 ――どうすれば。

 何とか現状を打開しようと高速で考えを巡らせるが、心臓が早鐘を打つ音ばかりが頭に響くばかりで、案は全く浮かばない。そんなラディムの耳元で、フライアが小さく囁いた。


『ラディム、下ろして。フェンさんや応援を呼んでくる』

『でも――』

『大丈夫。魔法を使えば、速さならラディムに負けないよ』

『…………』

『お願い。私を信じて』

『――わかった。隙を見て、行け』


 ラディムは不本意ながらも、フライアの小さな身体を地に下ろした。

 またヴェリスに捕らわれる可能性もあるが、不意打ちをくらった先ほどとは状況も違う。彼女の言葉通り、フライアには俊足になれる魔法がある。フライアが安全な場所に行くまで、ラディムが時間稼ぎをすればいいだけのことだ。

 危険な賭けだが、今はそれしか方法がない。

 ――何が護衛だ。

 情けない。ラディムは己の不甲斐なさに唇を噛む。同時に、別のことも考えていた。

 問題は、これからヴェリスをどうするかだ。できるなら捕まえて、オデルのことについても喋ってもらいたいのだが――。


「おとなしく、二人揃って身体を調べさせてくれるつもりはなさそうね」


 ラディムの思考は、ヴェリスの声で強制的に遮られることとなってしまった。


「当たり前だ」

「いつまでも押し問答をするわけにもいかないし、そろそろ面倒臭くなってきたわ。私、面倒臭いことは大嫌いなの。そうね、凄く残念だけれど……。あなたは生きたまま調べるのは、諦めることにするわ」

「――!」


 ヴェリスが感情もなく淡々と告げたのは、ラディムの命の終焉。両手を胸の前に掲げ、何かの魔法を発動し始めた。


「風よ。我が脚に宿りて駿馬の如き速さを授けよ!」


 魔法を詠唱するヴェリスの声に重なったのは、フライアの声だった。

 ヴェリスは突如聞こえたその声に、唱えていた魔法を咄嗟に中断する。フライアの細い脚は研究施設の時と同じように、淡い緑の光に包まれていた。


「待ってて、ね」


 ラディムに小さく言うとすぐに地を蹴り、小さな姫は風を切りながら森の奥へと姿を消した。


「あらあら。上手に逃げたわね。でも、王女様はいつでも捕まえられるわ。あなたがいなければ、ね」

「どうだか。俺以外にも混蟲はいるんだぜ」

「嬉しいわね。検体は多いほど良いわ」


 ヴェリスはラディムを目で牽制し、中断していた魔法を再度唱え始めた。


「来い。地人間キヴィ・イーミセン


 彼女の声に呼応し、地面がボコボコと音を立てながら隆起する。次第にその土の塊は人間の形になった。

 ヴェリスより一回り大きいが、その身体はひょろりとしている。顔のない不気味な痩身の土人形に、ラディムは息を呑む。


「この子にね、下界から人間を運んでもらっていたのよ」


 ヴェリスは土人形の腰に手を当て小さく微笑んだ後、目つきを鷹のように鋭いものに変えた。


「男を、殺せ」


 明確な殺意を言葉に込め、ヴェリスは土人形に命令した。

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