第15話 奪還
音と共に、床に降り注ぐ無数のガラスの破片。
ラディムは反射的に椅子から立ち上がると、その音で目を丸くするばかりのフライアとオデルの腕を掴み、自身の身体の後ろへと引っ張った。椅子に座ったまま引っ張られた二人はバランスを崩し、転がるようにして床に倒れる。しかしガラスのシャワーを浴びる事態にはならずに済んだ。
「わりぃ」
ラディムは短く二人に謝罪しつつ、ガラスのなくなった窓枠を睨みつける。
「こんなに早く来るなんて聞いてねえっつーの……」
「あら、断りが必要だった?」
窓枠の外から声がする。姿はまだ見えないが、彼らの知る声だったので
「ざっとこの国を見て回ってきたけれど、ほとんどが普通の人間ね。やはり、あなた達を調べる方が手っ取り早いみたい」
空に浮かび、笑みを浮かべながらその声の主が姿を現した。風に
「返して頂きに参りました、王女様。私の研究結果を記したメモリーを」
ヴェリスは肘を曲げ、ショーの始まりを思わせるような仕草でお辞儀をした。
彼女の余裕な態度にラディムの神経は少なからず逆撫でされたが、ここで感情的になるなと、煽られそうになる自身を奥歯を強く噛み閉め、叱咤する。
「渡せません、と言ったら?」
フライアは床から起き上がり、抑揚のない口調でヴェリスに答えた。同じく起き上がったオデルが、ヴェリスの視線の盾にならんとフライアの半歩前に出る。
「そうですね。あまり乱暴なことは好きではないのですが」
そこでヴェリスは双眸をすっと細め――。
「王女様の意思が変わらないのなら、奪います」
言い終えると同時に、ヴェリスの周囲につむじのような風が巻き起こった。
「オデル! フライアを連れて部屋から出ろ!」
ラディムがオデルに向けて声を張り上げる。その一瞬の隙を、ヴェリスは見逃さなかった。
ヴェリスは風を
(しまった――!)
判断ミスを後悔するも、時既に遅し――。
ラディムは後ろへ大きく吹っ飛び、クローゼットに背中と頭を強く叩き付けられてしまった。
ラディムの視界が白濁する。軽い脳震盪を起こしてしまったのか、すぐさま立ち上がることができないでいた。
「ラディム!」
悲鳴を上げ彼に駆け寄ろうとするフライアの前に、しかしヴェリスが立ち塞がった。
「――!」
「おやすみなさい」
恐怖で
「ヴェリス!」
何とか彼女を止めようと、オデルは目の前にあった椅子を持ち上げ、その足をヴェリスに向けて突進した。
「そんなことして、王女様に当たったら危ないじゃない」
ヴェリスが軽く右腕を振ると、オデルの持つ椅子は粉々に弾け飛ぶ。オデルの身体も後ろに吹っ飛ばされ、激しい音と共に壁に激突した。
「う……」
「じゃあね。メモリーを返してもらって、王女様の身体も調べたら、彼女はちゃんと返してあげるから」
ヴェリスは窓枠に立ち、倒れる男二人に向かい無機質な声で言い放つと、フライアを抱えたまま飛び下りた。
「待て……」
少し回復したラディムが何とか立ち上がり、よろめきながら窓に向かう。既にヴェリスは城から離れ、森の上空まで移動していた。
「……オデル、悪いけど動けるようになったら、城の兵士らにこのことを伝えてくれ」
ヴェリスの姿を目で追いながら、ラディムはまだ床に
「ラディム……君は……」
「追う」
短く言うと、ラディムは突然上半身の服を素早く脱ぎ捨てた。胸郭の広い、筋肉の付いた胸が
「!?」
ラディムの突然の行動に、オデルはただ目を丸くするばかり。ラディムはオデルの反応には目もくれず、拳を握り締め足を踏ん張った。
「うぉぉらぁぁああああ!」
部屋の空気を震わす雄叫びと共に、ラディムの背中が少し盛り上がり、そこから透明な四枚の
ラディムはそのまま素早く窓枠を蹴り、空へと溶け込んだ。
「驚いたな……」
オデルは今し方目にした光景を信じられないと言った様子で呟いた後、しかし気を取り直してよろよろと立ち上がった。まだ背中に痛みは残っていたが、今はその痛みに屈している場合ではない。
「とにかく、
ラディムの頼みを実行するべく、オデルは壁に手を這わせながら部屋の外を目指す。
騒ぎを聞きつけたのか、廊下からは複数の足音がフライアの部屋に向かってくるのが聞こえた。
「くそっ、速ぇ」
背中の四枚の翅で、ヴェリスの後を必死で追うラディム。彼女はフライアを抱えながらも、相当なスピードで飛翔し続けていた。
彼の翅はフライアと会って間もなく、背中から生えてきたものだ。しかしその翅は腕の突起と同様、何とか自分の意思で引っ込めることができていたのだ。ただし、出す時には多少の痛みを伴うが。
正直、ラディムは飛ぶことにかけては少し自信があった。今まで空を飛ぶ機会はあまりなかったのだが、それでも背中から生えるこの薄くとも丈夫な羽が、空を自在に
「速いけど……さっきから同じ場所回ってんな……」
ヴェリスは城周辺の森の上を、さきほどから旋回するばかりだ。どうやら降りる場所を探しているらしいとラディムは踏んだ。
「森に逃げ込まれたら厄介だな」
ラディムが呟いた瞬間、まるでその言葉を聞いていたかのように、ヴェリスは勢い良く下降を始めた。
「やべっ」
ラディムも慌ててその後を追う。
木々の間を縫いながら下降し、地に足を付けようとした次の瞬間。ラディムの右側の複眼が、樹木の端で光る何かを捉えた。
そして――。
薄紫色をした帯状の光が、まるで放たれた矢のような速さでラディムに向かって飛んでくる。ラディムは何とか身を捻り、ギリギリでそれをかわした。
「あら、避けるのが上手いわね」
軽い口調で言いながら姿を現したのは、確認する間でもなく魔道士ヴェリスだ。
「一応視野が広いもんでね」
ラディムは口の端を上げながら答えるが、その目は笑っていなかった。彼のコバルトブルーの瞳は、ヴェリスに抱えられているフライアを見据えている。フライアはまだ、目を覚ます気配はない。
「あなたが面白い姿になってるものだから、王女様と一緒に調べたくなっちゃった。眠りの魔法を放ったのだけど、まさか避けるなんてね」
「面白い姿で悪かったな。あまり好きじゃねぇんだよこの姿。服が着れねえから」
ラディムのその軽口は、小さな時間稼ぎだ。彼は今の会話の間に、周りの木々の場所、地面の状況、相手との距離を複眼を駆使し脳に焼き付けた。そして頭をフル回転させ、ヴェリスからフライアを奪い返す機会を伺う。
彼の扱う魔法は、発動させてから直接飛ばせないものばかりだった。故に、一気に相手と距離を詰めるしかない。
ヴェリスが扱う魔法は、発動までの時間が極端に短い。それが彼には問題だった。
研究所での魔法や部屋に強襲した時の様子を見る限り、タイムラグはほとんどないと見ていいだろう。それは一度相手に接近するしかないラディムの戦闘スタイルにとって、かなり不利な条件である。
だがヴェリスはラディムやフライアの身体を調べるのも目的らしいので、それに賭けるしかない。生きたまま調べるつもりならば、致命傷になる魔法は撃ってこないはずだ。
「そう? 私は好きよ。面白いものは何でも」
ヴェリスはラディムの翅を見やりながら微笑んだ。
「その翅と腕の突起、自分の意思で出し入れができるのね。あなたは
「知らねえよ。俺の他にも自分の意思で虫の部位を出し入れできる奴は知ってるけど、まぁ多くはないんじゃねえの」
頭の中のことを悟られないように、ヴェリスの目をしっかりと見据えながらラディムは答える。
「偏見の目で見られないように、できる奴は普通隠しているだろうし、な!」
言い終えると同時にラディムは地を強く蹴り、ヴェリスに向かって一直線に駆けた。
「大気よ、我が身に宿りて荒れ狂う盾となれ!」
詠唱の後、彼の両腕に巻きつくように風が集まる。ヴェリスは対応するべく右腕をかざすが、既にラディムはヴェリスの目前まで進んでいた。そしてフライアを抱えているヴェリスの左腕に向かって、その風
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