第14話 それぞれの想い
フライア、ラディム、オデルの三人は、フライアの部屋の小さな丸いテーブルを無言のまま囲んでいた。
フライアは自分の太腿に手を置き、そこに視線を落としたまま動かない。
ラディムは頭上で腕を組み、椅子の背もたれに背中を預けている。そして椅子の前側の脚を浮かせ、
オデルはその二人の様子を、フライアの後ろ側に置いてある巨大な鏡を通して漫然と眺めていた。
王の命令に従い、ひとまずは休むことにした彼ら。
フライアは「先の出来事の後でオデルを独りきりにするのは心配だ――」と自分の部屋へ彼を呼んだのだが、先ほどからこの通り。三者とも何をするでもなく、形容し
そんな中、俯いていたフライアが不意に小さな声を発した。
「――ラディム」
「ん? 何だ?」
名を呼ばれたラディムは動きを止め、椅子の前脚を床に着けるとフライアを見た。
「あの……。研究施設のことや宝石のこと、今まで黙っていてごめんなさい……」
言い終えると、フライアの俯いていた顔がさらに下がる。ラディムは困ったように視線を宙に
「いや、そりゃ確かに色々と驚いたけどさ……。要するに、情報が広がらないようにしてたってことだろ? また宝石が盗まれる可能性があったから。それに
ラディムの言葉に、しかしフライアは小さく首を横に振る。
「でもね、お父様には言われていたの。ラディムもこのことは知っていたほうがいいんじゃないのかって。それなのに、私は――」
フライアは最後まで言い終わらずに唇を噛むと、また下を向いてしまった。
「別に謝るようなことでもないんじゃねえの。ほら、俺もその……元々部外者っつーか、外から来た人間なんだし……」
そこまで言ってラディムは、ハッと表情を硬くする。
そう。ラディムは元々この城に居たわけではない。彼がここにやって来たのは、およそ五年前。けれどそれ以来、フライアの傍から片時も離れることなく一緒に居る。王女と護衛という立場ながら、まるで兄妹のように。五年間、ずっと――。
しかしその共に過ごして来た時間の中で、フライアはラディムに宝石のことを一言も語ることはなかった。それが意味することは、つまり――。
「そう、か……。俺のこと、完全に信用できなかった、ってことか……」
「――! 違う!」
ラディムが愕然としながら呟いた言葉に、フライアは勢い良く顔を上げ、強い口調で反論する。
「本当に、ごめんなさい。何を言っても言い訳にしかならないけれど、でも――。ううん。言い訳だと思っていいから、聞いて」
脚に置いた拳をきゅっと握りながら、フライアはか細い声で続ける。
「私、いずれはこの宝石の封印を、一人で解こうと思っていたの。ラディムに宝石のことを言わなかったのは、このことを知ったら、ラディムも協力するって言うと思ったから……」
「俺が協力したら、まずいことでもあるのか?」
ラディムに問われたフライアは、僅かに視線を落とす。
「もし、封印を解く研究が再開したと誰かに知られてしまったら、
(そんなに大変だったわけじゃねぇけど。……いや、死にかけたのは十分大変なことか)
心の中で呟きながら、ラディムはフライアの言葉を理解した。
確かにこの国の人間たちは、混蟲のすることに何かと突っ掛かってくることが多い。いや、何もしなくても突っ掛かってくる。
混蟲のすることがただ気に入らないという理由だけで冷たく接してくる人間がいるのに、人間の姿に戻る研究をしている――ということを知られたら、それこそどのような嫌がらせを受けるかわかったものではない。
しかし――。
フライアの瞳が揺れている。今にも泣き出してしまいそうな顔のフライアを見て、ラディムは再度困惑すると、頬杖を付きながら口を開いた。
「そんな、起こるかわからない未来の心配なんかするなっつーの」
ラディムの言葉に、フライアの太腿に置かれた手がピクリと震える。
「それにな。俺はそこまで打たれ弱くねえよ。混蟲に対するあからさまな態度とか日常茶飯事だろ。ほら、大臣のジジイとか。お前にそんなふうにか弱い奴だと思われていたことの方が、逆にちょっとショックなんだけど……」
少し拗ねたような物言いでフライアの方へ顔を向けながら、けれど視線は微妙に逸らしてラディムは心情を吐露する。
フライアは目を数回瞬かせたのち無言で立ち上がり、テーブルに頬杖を付くラディムの横に立った。長身のラディムに対して小柄なフライア。前者は座っていて、後者は立っている。二人の頭は、然して変わらない高さになった。
フライアは膝に置かれていたラディムの片方の手を取ると、両手でそっと包みこんだ。フライアの手の柔らかな感触が、否応なしにラディムの脳を直撃する。
「ななななななななな!?」
フライアの突然の行動にラディムは硬直しながら狼狽し、言葉一文字をひたすら連呼することしかできない。
それは先ほどイアラに治療してもらった手で、しかもイアラが治療した時と全く同じ動作だったのだが、あまりの反応の違いに、様子を見守っていたオデルは必死で笑いを噛み殺していた。
フライアはラディムの手を自分の胸まで引き寄せると、人形のように長い睫毛を伏せた。
「本当に、ごめんなさい。確かに私、先走りしすぎていたよね……。これからは、隠しごとはしません。私のために怪我を負ってしまった、あなたのこの手に誓って」
ゆっくりと言葉を選びながら、いつもより他人行儀な言葉使いで、フライアは静かに宣言した。
ラディムは頬杖を付いている手で、赤くなってしまった頬に爪を立てた。そうでもしないと正気を保てそうになかったからだ。フライアに包まれている手から、彼女の体温が伝わってくる。まるで陽だまりのように、優しい温もり。
フライアの今の台詞は、ラディムの頭から既に半分は吹き飛んでしまっていた。そして先ほどからラディムの指の先に感じる、仄かに柔らかな感触。掌の柔らかさとは明らかに違うその感触は、間違いなく――。
(――やばい)
既に早鐘を打っていたラディムの心臓の動きが、一層激しくなる。何がやばいのかはわからなかったが、とにかくやばかったのだ。
ラディムは救いを求めるかのようにチラリとオデルに視線を送るが、カエル王子は目の前で繰り広げられる光景を、ただニヤニヤと見つめて楽しんでいるだけ。状況を一変させるような言葉を吐いてくれる可能性は、全くなさそうだった。
面白がるなと、抗議の意味を込めてラディムが半目でオデルを見返したその時、フライアの口から透明な声が発せられた。
「だから、その……。ラディムが嫌じゃなかったら、だけど。これからも、ここに居て。そして封印の解除のお手伝いをしてくれる? 私ね、まだ諦めていないの。ヴェリスさんはあんなふうに言ったけれど、私たちで元に戻る方法を見つければいいだけだもの」
元より彼は、城を去るつもりなど毛頭なかったのだが。フライアの思いのほか重い罪悪感が、彼女に少し飛躍した考えをもたらしてしまったようだ。
「ありがとう」
安堵と喜びを織り交ぜた声でラディムに言うと、フライアは両手で包んだ彼の手を離し、再び椅子に腰掛けた。そこで彼女は初めてオデルの視線に気付く。
客を放っておいて何をしているんだろう――と我に返ったフライアの顔色は、途端に赤と青、交互に変化する。
「ご、ごめんなさい王子! 私、本当に全然気が利かなくて。あの……」
ぺこぺこと頭を下げるその姿は、まるで餌を
「いやいや、僕は全然構わないよ。むしろ微笑ましい光景を見せてもらって嬉しいくらいさ。それより、今度は僕が君たちに謝らせてはもらえないだろうか」
「え?」
オデルの申し出にフライアは目を丸くし、ラディムもまた、頬に当てていた手を離して彼の方を見た。
二人の視線が自分に向いたことを確認したオデルは、そこで大きな頭を深く下げる。
「……本当に、すまなかった」
オデルの低い声が、二人の鼓膜を震わせる。
「何で謝るんだよ」
続けざまに起こる謝罪大会に、ラディムは溜息を吐かざるをえない。このような雰囲気はあまり慣れていないので苦手なのだ。
「彼女をこの国に連れて来たのは、僕だ」
彼女、とは間違いなくヴェリスのことだろう。オデルの言いたいことが理解できた二人は、一瞬顔を見合わせる。
「そんなに思いつめんなよ。王も言ってたけどさ、オデルは知らなかったんだろ? それに、あんただって被害者じゃないか……」
ヴェリスが去り際にオデルに言った言葉が、皆の頭の中で繰り返される。オデルをこの姿に変えたのは自分だと、彼女は言っていた。
オデルは頭を振り、目を伏せる。
「……正直、疑問なんだ」
「そりゃあ、今まで一緒にいた学者さんを信じたい気持ちはわかるけど、でも――」
「いや、僕も彼女の正体はムー大陸の魔道士だと思っているよ。あんな魔法まで見せられたら信じるしかないよ。僕が疑問に思っているのは、別のことだ」
「別のこと?」
「君たちの祖先は、千五百年前に虫を憑依させられた者だと彼女は言った。でも僕は、本を見ながら秘薬を作っていたと言ったよね」
「あ……」
フライアは思わず声を漏らしていた。昨日城内を案内している時に、確かにオデルはそう二人に説明していた。
「俺たちとあんたの姿が変わった方法が、違うってことか」
「そう。正直に言うとね、僕が作っていた秘薬は『人間を蛙にする』物だったんだ。だから、彼女は僕に対してカエルを憑依させたのではなく、僕が作っていた秘薬を飲ませたんだと思う」
ラディムは眉間に皺を寄せたまま、腕を組み背もたれに倒れる。オデルが何を言おうとしているのか、いまいち理解できなかった。
「僕はね、秘薬を作ることを誰にも言っていなかったんだ。もちろん、彼女にもね。つまり彼女は、『たまたま』秘薬を横にして眠る僕を見つけ、飲ませた――ということになる」
沈黙が流れる。ラディムは眉の上を掻きながら、静かに口を開いた。
「要するに、秘薬をあんたに飲ませた理由が――」
そのラディムの言葉の途中で、何の前触れもなく。
突然部屋の大きな窓ガラスが、甲高い音を立てながら砕け散った。
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