第12話 対峙

 その少し前――。

 兵士とフライアはノルベルトの身体を支えながら、慎重に階段を上っていた。

 石畳の階段に、ノルベルトの腹から流れ出る血が点々と染み込んでいく。

 フライアは上目使いで父の顔を見た。ノルベルトの顔色は徐々に色を失ってはいるが、その目はしっかりと前を見据え、強い光をたたえている。その目を見たフライアは確信した。


(大丈夫。お父様は大丈夫だ)


 イアラが待機する医務室があるのは、城の一階。地下牢を上がればすぐそこだ。イアラにさえ見せれば、あとは心配ないだろう。

 フライアの脳裏に過ぎるのは、先ほどヴェリスに奪われてしまった紅の宝石。

 あれはフライアがまだ小さかった頃、今は亡き母から受け継いだ宝石だ。これは千五百年分の混蟲メクスたちの想いが詰まった大切な物だと、物心付く時から繰り返し聞かされてきた。幼いながらも、フライアはその言葉を理解した。

 この宝石に張られた結界を解く研究は、かなり昔に止められてしまった。でもフライアは、自分が大人になったら再開しようと密かに決心していた。例え他に人がいなくても、一人でもやろうと心に決めていたのだ。不当に差別されている、数少ない混蟲たちのために。

 フライアの頭の中に、混蟲たちの声なき声が響く。


 ――取り戻さなきゃ。あの宝石を。混蟲の歴史を、その想いを。


 気付いたら彼女は、衝動のままに体を動かしていた。


「フェンさんごめんなさい、父をお願いします」

「えっ!? フライア様!?」


 後ろから聞こえる兵士フェンの制止の声を振り切り、フライアは今来た階段を駆け下りる。再び研究室の扉の前に来たちょうどその時、中からヴェリスの声が聞こえてきた。


『最初はね、虫だけだったの』


 フライアはそこで立ち止まり、ヴェリスの話に耳を傾ける。

 正直、耳を塞いでしまいたかった。何より、信じたくなかった。昨日笑顔で会話を交わしたヴェリスが、混蟲を作った魔道士本人だったなど。

 フライアの大きな目の端に、涙が溜まっていく。それでもフライアは自分の目的を見失わず、機会を伺った。そして小さな声で、『ある言葉』を紡ぎ始める。それは彼女が使うことのできる、数少ない魔法のうちの一つだった。


「風よ。我が脚に宿りて駿馬の如き速さを授けよ」


 幸い、誰もフライアの詠唱に気付かなかった。言葉と同時に、フライアの足を緑の光が包み込む。そしてフライアは紅の宝石へ――ヴェリスに向かって、猛スピードで飛び出したのだ。






「――!?」

「なっ――!? フライア!?」


 ヴェリスとラディムは突如現れたフライアに、同時に驚嘆した。兵士フェンと共にノルベルトを連れて、フライアも城内に戻ったものだとすっかり思い込んでいたからだ。

 一瞬立ち竦むヴェリスの隙を突き、フライアは彼女の手から宝石を掠め取る。すかさず宝石を胸に抱え込むと、その勢いのまま床に転がり込んだ。

 ラディムは即座に我に返り、フライアの元へ行かんと迷わず地を蹴る。

 ヴェリスは奪われた宝石をまた手に戻そうと、フライアに腕を伸ばす。何かの魔法を使ったのか、その腕に淡い光が集まりまとおうとしていた。


「させるか!」


 ラディムが横からヴェリスの手首を勢い良く掴む。じゅっ、とラディムの掌が焼け焦げる嫌な音がした。ラディムは顔を僅かに歪めただけで、構わず握り続ける。


「フライアに触れるな」


 力強い目でヴェリスに告げる。されどヴェリスは手首を内に捻って、ラディムの手を容易たやすく振りほどいた。


「別に、あなた達をどうこうするつもりはないの。それを返してくれたら、ね」


 ヴェリスは言いながら、フライアの持つ紅の宝石を視線で指す。

 フライアは彼女の言葉に耳を貸さない。立ち上がると一目散に床の紋様へと走り、その上に立つ。そして早口で言葉を羅列し始めた。

 再び床の紋様に、青白い光が走り始める。その様子を見たヴェリスは、一瞬目を丸くした後、口の端を上げた。


「王女様は、道具を使わずに魔法が使えるのね。面白い。凄く面白いわ」


 フライアの手の中にある宝石は眩い光を放ちながら、彼女の胸の中へ吸い込まれるようにして消えていく。


「あらあら残念」


 その様子を見ていたヴェリスは声を洩らすが、顔は言葉とは違い、どこか嬉しそうだ。フライアの秘めたる力を目の当たりにしたからだろう。

 フライアは両膝を床に付き、肩で大きく息をしながらもヴェリスを見据える。彼女の両目からは、涙がぽろぽろと零れ落ちていた。

 フライアの身体の奥底から、今まで感じたことのない感情が沸き上がっていたのだ。恐怖にしては力強く、悲しみにしては脆い。炎のように熱いその感情が、フライアの身体を駆け巡っていた。

 フライアはそこで初めて理解した。この感情は、怒りなのだと。祖先たちの命を悪戯にもてあそび、自分の姿をこのような異形のものにした、目の前の者に対する怒りだ。

 フライアは歯を食い縛った。初めて経験するこの激しい感情に、呑まれてしまわないように。


「返していただけませんか? 王女様」


 悪戯をした子供をいさめるかのように、ヴェリスはフライアに向かって手を差し出した。


「返せま、せん」


 まだフライアの息は整っていない。だが言葉を途切らせながらも、フライアはヴェリスの要求をはっきりと拒否した。


「それは私のです」

「それでも、返せません」


 改めて催促するヴェリスに、フライアは再度否定の言葉を返す。


「これを、返したら。あなたはまた、同じことをするのでしょう?」


 フライアの問いかけに、しかしヴェリスはかぶりを振る。


「昔と全く同じことをするつもりはないわ。今は、この国そのものに凄く興味があるの。もちろん、あなた達にも。でも、そのデータを参考にまた違うものを創りたい、という欲求はあるわね」

「ならば、やはり、返せません」


 明確な意思を持った目で、ヴェリスを射抜く。彼女の白い頬を伝う涙は、少し量を減らしていた。


「そう」


 フライアのかたくなな態度に見切りをつけたのか、ヴェリスは短く言うとあっさりと腕を下ろした。


「ま、特に急がないから、それはいつでもいいわ。この国をもっと観察しに行きたいし。じゃあ、それはまた返してもらいに来るわね」


 ひらひらと手を振りながら、悠然と階段へと歩いて行く。


「待て!」


 しかし、ラディムが声を上げ制止した。ヴェリスはその声に歩みを止め、ゆっくりと振り返る。


「あら、何? 大丈夫よ。観察するだけだから。この国の人間に危害は加えないわ。それともまさか、私を殺すつもり?」


 ヴェリスの口から出た言葉に僅かに戸惑いを見せるが、それでもラディムは首を横に振る。

 ヴェリスが、混蟲メクスという存在を作った。自身が気味の悪い存在になってしまった、その元凶が目の前にいるのだ。確かに、憎くて、忌々しくて、殴りたくて、いや、その心臓を腕の鋭い突起で貫きたくて仕方なかった。だが、今それをしたところで、何も変わるものはない。

 そう、何も変わらないのだ。

 ラディムはフライアの顔を見た。フライアもまたラディムの顔を見、そして頷いた。彼らには、確かめなければいけないことがあった。


「一つ、かせてください」


 フライアの心拍数が上がる。今から自分の言わんとしている言葉を、本当に口に出して良いのか。だが、躊躇ためらったのは一瞬。


「あなたは、私たちを元に――人間に戻す方法を知っているのですか?」


 目に強い光を湛え、怯えも戸惑いもなく、フライアはヴェリスにはっきりと言葉を投げ掛けた。


「……白の絵の具と、黒の絵の具を混ぜるの」


 少し間を置いてから、ヴェリスは答える。


「混ぜたものから、白だけを奇麗に取り出す方法があれば、それが元に戻る方法でしょうね」


 そこで、彼女は不敵に笑う。


「私は、その方法を知らないわ」

「――!」


 ラディムの顔が歪み、フライアの顔からは表情が消えた。

 何となく、彼らは勘付いていた。自分の探究心のためだけに、これほどの人体実験をする者が、それを元に戻す方法など考えている筈がないと。何となくだが予想はしていたのだ。だが、実際にそれを言葉としてはっきりと聞いてしまうと、やはり悔しくて仕方がなかった。

 今までどれほど多くの混蟲たちが人間の姿を取り戻さんと、必死に宝石を研究をしていたのか。その混蟲たちの千年以上に及ぶ想いは全て無駄だったのだと、今断言されてしまったのだ。

 例えようのないやるせなさが、ラディムの、フライアの全身を縛り付ける。

 フライアは奥歯を強く強く噛んだ。そうしないとあまりの悔しさに、嗚咽が漏れてしまいそうだったからだ。


「あ、そうそうオデル」


 ちょっとした忘れ物を思い出したかのような軽い口調で、ヴェリスは彼らのやり取りをずっと見守るだけだったオデルを呼んだ。


「ついでだから今言っておくわ。あなたをその姿にしたの、私だから」

「――――!?」


 絶句し、立ち尽くすオデル。寝起きの顔に水をかけられたような顔をした彼らを尻目に、今度こそヴェリスは階段を上り、姿を消した。

 彼女を引き止めるすべを、誰も持ってはいなかった。

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