第11話 流れる血

 膨大な時間をかけて、結界の解除を試みてきた混蟲メクスたち。その結界の解除を果たして今、自分たちが成功させることができるのだろうか。

 ラディムが不安げな顔でオデルを見やると、彼は腕を組み、何やら逡巡しゅんじゅんしている様子だった。ほどなくして、オデルは口を開く。


「しかし、なぜ王は魔法を? あなた方の祖先も、元は普通の人間だったのでは?」

「それはね、王が魔法道具を身に付けているからよ」


 オデルの質問にハッキリとした口調で答えたのは、それまで沈黙していたヴェリスだった。


「ヴェリス――」


 なぜ君が? と言い掛けたオデルの横をヴェリスは風のように横切り、一瞬で王の前へと移動した。


「――!?」

「返してもらうわね」


 艶然と微笑みながら言うと、ノルベルトの手から紅の宝石を奪い取り、右手の人差し指をノルベルトへと突き出した。


「光の槍よ」


 刹那。彼女の言葉と同時に、指先から槍のような鋭い一筋の光が放たれる。その光は、ノルベルトの脇腹を貫通した。


「がっ!?」

「お父様!?」

「王!」


 脇腹を押さえがっくりと膝を付くノルベルトに、フライアと兵士が悲鳴に似た声を上げ慌てて駆け寄る。ノルベルトが持っていた杖が手からこぼれ落ち、乾いた音を立て床に転がった。ヴェリスはその様子を、笑みを浮かべながら眺めていた。


「ヴェリス……?」


 オデルは、震える声で彼女を名を呼ぶ。彼女の一連の動作を、オデルは全く理解できていなかった。


「あんた……まさか……」


 そのオデルの横で、ラディムはぎり……と奥歯を強く噛み、ヴェリスを見据えながら声を絞り出す。

 現実にはありえない。それが存在したのは、千五百年以上も前だ。

 生きている筈がない。存在している筈がない。だが、今彼女は言った。


返してもらう・・・・・・」と。その宝石を――。


 その言葉から導き出される答えは、ありえない現実しかなかった。そして彼女がノルベルトに使った「力」が、何よりも裏付けていた。

 ヴェリスは、顔だけをラディムへ向けて答える。


「ご明察。私は、ムー大陸の魔道士」


 ゆらり。と、今度は体をラディムへと向けた。


「私が、あなたたちを創ったの」


 ゆっくりと告げる。満ち足りた表情で。


「何……を言って……?」


 掠れた声でオデルは言う。混乱と恐怖からか、彼の全身は震えていた。


「何って、そのままの意味よ」


 ヴェリスは凛と透き通った声でオデルにいつもと同じ口調で答えると、膝を付くノルベルトへと身体を向けた。


「うーん、久々だからちょっと鈍ってるわね。でも、イラッときたのよ。普通ただの人間の癖に、魔法道具の力を借りてまで魔法を使っちゃうんだもの」


 その目に浮かぶのは、侮蔑の色。ノルベルトに対し、鋭い言葉を容赦なく放つ魔道士は続ける。


「でも、それって魔法道具を作り出す技術があるってことよね。その点は完全に予想外だったわ。そうね。せっかくここまで連れて来てもらったんだし、もう少し――」


 ぶぉん!

 突然、空気を裂く重い音がした。ラディムが鋭い突起の生えた両腕を、思いっきり振りながらヴェリスに向かい跳躍したのだ。ヴェリスはその攻撃を難なく避け、後ろへと大きく跳んだ。


「あら。穏やかじゃないわね。君のその腕は蟷螂かまきりかしら? 蜻蛉とんぼの目だけなのかと思ったら、二種混じっているなんて。私は一人につき一匹しか混ぜていなかったのだけれど、長い年月が君をそうさせたってことかしらね? ふふ、面白いわ」


 ヴェリスは目を細めながら、ラディムの腕とこめかみを交互に見やった。

 自分を好奇の目で見つめるヴェリスから目を逸らさず、ラディムは横へじりじりと少しずつ動き、脇腹から流れ出る血を押さえるノルベルトの斜め前に立ち、構えた。

 ラディムの複眼から見えるノルベルトの顔は苦痛で歪み、その額にはじっとりと脂汗が浮かんでいる。


「おっさん。フライア。早く王をイアラ先生の所へ」


 ヴェリスを睨みつけたまま、ラディムはノルベルトの横で悲痛な表情を浮かべる二人に言った。


「しかし……」

「頼む。そのまま出血が続いたら、やばい」


 ノルベルトの足元には、流れ出た血で作られた小さな水溜りができ始めていた。確かにラディムの言う通り、このまま放っておけば、ノルベルトの命の火はたちまち消えてしまうだろう。


「俺が足止めする。ちょっとは信用してくれよ。戦い方を俺に教えてくれたのは、あんただろ」


 ラディムは苦笑しながら、背中越しに兵士へと言葉を投げ掛けた。

 王を、死なせたくない――。

 ラディムの言葉と背中から明確な意思を汲み取った兵士は、頷くほかなかった。


「――わかった。気をつけろよ」


 顔に苦渋を滲ませそう言うと、兵士は王の腕を肩へ回す。フライアもその体を支え、元来た階段を上って行った。

 ラディムは階段を塞ぐように立ち構え、尚もヴェリスを鋭い眼光で射抜く。だがヴェリスはそちらにはさして興味を持つそぶりは見せず、未だ立ち尽くすオデルへと向く。


「ここへ連れてきてくれて本当にありがとう、オデル。こんなに素晴らしい日はないわ。なにせ私の作った子たちが一つの国を築き上げていて、そのうえ研究過程を記録したメモリーまで保管していてくれたんだもの」


 裂けたザクロのような唇の端を上げ、オデルへと一歩足を踏み出す。オデルはそれに答えない。


「まだ信じられないって顔してるわね。私は紛れもなく、ムー大陸の魔道士よ。あぁ、でも不老不死ってわけじゃないの。『凍てつく時の魔法』というのがあってね、長い間それで眠りについていたのよ」


 さらに、一歩。

 だが、オデルは逆に一歩後ろへ退く。その緑色の顔からは、完全に表情が消えていた。


「なぜ……」


 彫像のような表情の口から紡がれるのは、疑問の言葉。


「なぜ、僕を騙していた」

「あら、騙したなんて。ただ言わなかっただけよ。それに『千五百年前の魔道士だ』と言ったところで、信じられるようなものでもないでしょう?」

「…………」


 そこで言葉を失ってしまったオデルに代わり、今度はラディムがヴェリスに問う。


「なぜ、こんなことをした」


 ラディムは拳を握り、ノルベルトの血の跡へ視線をやる。


「さっきも言ったでしょう? ちょっとイラッとしたのよ。選ばれた存在でもない癖に、魔法を使うのが気に入らなかったの」


 紺の髪を掻き分けながら、ヴェリスは少し語気を強め不機嫌そうに答えた。

 人間に対する侮蔑、嫌悪。それを真っ直ぐとぶつけてくるヴェリスに、ラディムは僅かに気圧される。しかしラディムは、負けじと睨み返した。


「じゃあ……。どうしてあんたは千五百年前、人体実験などしたんだ」


 ラディムの声が低くなる。彼は必死で感情を抑えていた。


「最初はね、虫だけだったの」


 対照的に嬉々とした声で、ヴェリスは答える。


「自分の体重の何十倍もする物を持ち上げるあり。自分の体長の何十倍も上まで跳ぶのみ。もしそれらが人間ほどの大きさになったら、この世界でとても強い存在になると思わない?」


 疑問の言葉を投げかけるが、返事はない。元より、彼女は返事など求めていなかった。


「だからね、大きくしようとしたのよ。でも彼ら虫の身体の構造は、大きくなるとこの世界の重力に耐えられないものだったの。ことごとく自滅していったわ。あの小ささだからこそ、虫達はその身体の機能を活かせるのだとわかったわ」


 過去の実験を思い出したのか、ヴェリスは一つ溜息をつく。しかし、すぐにその表情は元に戻った。


「ならば、その昆虫の能力を人間に移したら? そこで下界からたくさん人間を連れて来て始めたのが、この実験なの」

「下界?」


 聞き慣れない単語にラディムが反応すると、ヴェリスは納得したように小さく一度頷いた。


「あぁ、そう言えばあなたたち知らないのよね。ムー大陸って、浮遊していたのよ」

『――なっ!?』


 事もなげに言うヴェリスに、ラディムとオデルは同時に声を上げた。

 大陸が浮遊していた――。

 一体、どのようにして浮遊していたというのか。ムー大陸の魔道士たちは、どれほど強大な力を持っていたというのか。未知の力に対する恐怖が、彼らの全身を飲み込んでいく。

 そんな二人の反応すら興味を示さず、さらにヴェリスは続けた。


「老若男女、色々な人間を連れて来たわ。そして様々な昆虫と掛け合わせた。大人と子供で能力に差が出るのか、男女ではどうか、オスとメスの――」

「実験の内容は、いい。何でそんなことをしたのかって、聞いてんだよ……」


 ヴェリスの言葉を、先ほどよりも大きな声でラディムが遮った。

 声、小刻みに震える身体、強く握られた拳。全てが怒りを形にしている。


「そうね、好奇心かしら。大きな好奇心」


 ヴェリスは少し考えてから、紅い宝石を眼前まで持ち上げる。


「それにね、神が創らなかったモノを私が創ったら。私は、神を超えたことになるでしょう?」


 にっこりと。首を傾げながら、無邪気さえその顔に浮かべ、紺の髪の魔道士は微笑んだ。


「――っ」

「世迷いごとを」


 ラディムは奥歯を噛み、オデルは吐き捨てるように呟いた。

 それはもう、オデルの知っているヴェリスではなかった。口調も態度も、いつものヴェリスだ。でも、彼女の目の奥底に光る狂気を、オデルは今まで見たことなどなかった。

 一方ラディムの心は、怒りで染まりきる寸前だった。魔道士に対する恐怖はあったが、混蟲メクスは遊び心で創られたものだったという事実が、何よりも許せなかったのだ。

 この魔道士のせいで、一体今までどれほどの混蟲たちが辛い思いをしてきたのか――。

 ラディムは腕に力を込める。刃物のように鋭い突起が、彼の心に呼応してさらに長さを増していく。

 足裏でしっかり地を踏み締め、ヴェリスに飛びかかろうとした、まさにその時。

 ラディムの右の複眼に、鮮やかな青が映りこんだ。

 それははやぶさの如く駆け抜け、瞬く間にヴェリスの姿と重なる。

 その青は、ラディムがよく知っている色。

 フライアの、はねの色だった。

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