第10話 紅の記憶

 城の地下牢は、壁一面石畳に覆われている。

 湿気を含んだ、重く濁った独特の空気が身体にまとわり付くその入り口に、およそこの場所に似つかわしくない四人が待ち惚けていた。


「何でこんな所で待つんだか」


 目の前の頑丈そうな格子状の扉の奥を覗き見ながら、ラディムは誰に言うわけでもなく静かに呟いた。

 黒の格子の奥は見える範囲に明かりがなく、朝だというのに不気味な闇が広がっていて、その先を見ることはできない。その暗さは深く、まるで闇の底を覗いているようだった。

 朝食を食べ終えたフライアの元へ、ノルベルトからの使者が伝えた言葉。それは『地下牢の入り口で待て』というものであった。それを聞いたフライアとラディムは、伝達内容に疑問を抱きつつもオデルとヴェリスを迎えに行き、共にこの地下牢の入り口へとやって来たところだったのだ。


「昨日はここには来ていないから、僕は凄く興味があるな」


 ラディムの後姿に向かって、オデルは少し弾んだ声を出す。


「いや、ここはわざわざ案内するような場所でもないし……」


 他所の国の牢など見ても仕方がないだろう、という表情を露骨に顔に描きながら、ラディムはオデルへと振り返った。

 二人のやり取りを微笑しながら見つめるヴェリスが、ふとフライアへと顔を向ける。青いはねを持つ少女は無言のまま、床の石を見つめ続けていた。


「どうかされましたか?」


 昨日とは違い、元気のない様子のフライア。陰鬱な空気に影響されたのだろうかと、ヴェリスが心配そうに声を掛ける。


「あ、いえ、大丈夫です」


 声を掛けられたフライアは少し驚き、ぱたぱたと手を振ってヴェリスに笑顔で取り繕った。フライアの態度にヴェリスは何か引っ掛かりを覚えるが、タイミング良く階段の上から聞こえたノルベルトの声に、ヴェリスの小さな疑問はすぐに掻き消されることとなった。


「待たせたようだな。少々準備に手間取ってしまってな」


 四人は一斉に王の声のした方へ顔を向けた。だがまず姿を見せたのは、ランタンを持った年齢より多少フケ顔の兵士だった。


「あ、おっさん」


 兵士を見て、ラディムが反射的に口を開く。

『おっさんではない』とラディムに無言で抗議の目を向ける兵士の後ろから、今度こそノルベルトが姿を現した。しかしノルベルトのそのいで立ちを見た四人は仰天し、目を丸くする。

 王としての服装ではなく、灰色のローブの上から黒のマントを羽織り、樫の木でできた杖を持っていたからだ。


「王、その格好は……?」


 まるで古の魔法使いみたいです――と、オデルがおどろきを率直にノルベルトへ伝えると、他の者たちも首を縦に振った。


「ま、後にわかる」


 ノルベルトは少々照れ臭そうに答えると、ランタンを持った兵士へと目をやった。


「頼む」


 短く言うと兵士は頷き、腰のベルトに括り付けていた鍵の束の中から一つを選び、格子状の扉へと入れて回した。

 ガチャン、と鍵の開く重い音が、石畳に反響する。


「では行くぞ」

「え、研究施設に行くんじゃ?」


 そのまま牢の奥に進もうとするノルベルトと兵士に、ラディムは慌てて問いかけた。


「そうだ。これから行くぞ」


 ラディムの問いに答えたのは、兵士だった。


「研究施設は、この地下牢の先にあるんだ」

「な……! 嘘だろ!?」


 兵士はまるでラディムの反応を楽しむかのように、ニヤリと不敵な笑みを作ったのだった。






 壁際に点在するあまり発色の良くないランプと、兵士の持つランタンの光の揺らめきが合わさり、六人の少し大きな影が石畳に照り映える。

 緊張からか、奥へと進む間、誰も言葉を発しなかった。無音の空間に、ただ複数の靴音だけが響くのみだ。

 暗い廊下をただ真っ直ぐ、ひたすら真っ直ぐ進んだ先に、また格子状の扉が現れた。兵士は無言でまた鍵の束から一つを選び、扉を開ける。

 その扉を通り抜けしばらく進むと、今度は左と正面、二つの格子状の扉が構えていた。兵士はそこで振り返り、皆の顔を確認すると口を開いた。


「この左側には、囚人たちが収監されています」


 ノルベルトを除く一同は、言われた左側に顔を向ける。暗い格子の奥へと目を凝らすと、陰鬱とした空気の中、見張りの兵士が二人立っているのが見える。そして恐らく囚人たちが居るのであろう牢屋からは、わずかに光が漏れていた。


「へぇー。こんなふうになっていたんだな」


 ラディムは格子を両手で掴み、興味津々で中を覗いた。

 この城に来てから五年経つが、牢に行くような用事はなかったのでここは彼も初訪問だ。できればこれからも縁のない場所でありますようにと、ラディムは心の中で小さく祈る。


「そしてこちらの扉が、研究施設へと続いています」


 兵士はそう言うと、また鍵の束を取り出し、今度は正面の扉を開けた。兵士がランタンを下に掲げると、闇の中からさらに地下へと続く階段がその姿を現した。


「滑らないように気を付けてください」


 兵士はそう宣言し、少しペースを落として階段を降りて行く。五人も慎重にその後に続いた。


「しかし、なぜこんな場所に研究施設を?」


 階段を下りながら、オデルが疑問を口にした。ラディムも同じような疑問を抱いていたので、複眼でノルベルトを注視しながら進む。


「王宮主体とはいえ、研究員はほとんどが混蟲メクスだったからな」


 六人の靴音と同じ位の声量で、ノルベルトは答える。


「目立つ場所でできなかったのだろう」


 階段を下りた先には、木製の扉が行く手を阻んでいた。兵士はその取っ手をそっと持ち、奥へと押す。ぎぃっと、年月を感じる軋む音が響いた。兵士は躊躇せず、そのまま中へと入る。そして一同もゆっくりと兵士に続いた。

 兵士の持つランタンは、部屋の隅までを全て照らすほどの光量はない。兵士が壁に取り付けられた六つのランプに火を付けて回ると、ようやく室内の輪郭がくっきりと浮かび上がった。

 誰かの唾を飲み込む音が鳴る。そこは研究施設と言うより、少し大きめな個室と言った方がしっくりくる程度の広さだった。

 右手側には書棚がずらりと並び、本や何かを書きかけの紙、インク等が乱雑に置かれてあった。

 中央には長方形のテーブルが設置され、その上には書類が散乱している。

 目を惹くのは、左側だった。そこの床には、丸みを帯びた線と斜線が複雑に絡み合った紋様が描かれていたのだ。床に紋様のある部屋の左側だけ物が何も置かれておらず、そこだけ不自然な空間が広がっている。

 研究施設という名称だが、俗に言う実験道具らしき物は何も置かれていない。

 兵士はテーブルの上の書類を掻き分けると、その空いたスペースにランタンを置いた。


「研究施設というより、まるで書斎ですね」


 ヴェリスは部屋を見回しながら、素直に思ったことを口に出した。隣のオデルも、ヴェリスのその言葉に頷く。


「えっと、では早速ここの資料に目を通しても?」


 オデルはテーブルの上に置かれていた書類を手に取り、閲覧の許可をノルベルトに求める。だが、ノルベルトは頭を横に振った。


「いや、先に見て貰いたい物があるのだ」


 ノルベルトは部屋の左側へ移動すると、床の紋様の端の部分に立った。


「フライア」


 突然名を呼ばれたフライアは無言のまま頷くと、紋様の中心部へ移動する。そして静かに目を閉じた。

 そんなノルベルトとフライアを、ラディムは複雑な気持ちで見つめていた。二人が一体何をしようとしているのか、ラディムには見当が付かなかったからだ。

 城に来てから五年以上経ち、フライアとは兄妹のように共に時間を過ごしてきた。ラディムは彼女のことは全て――とは言えなくとも、ほとんど知っているつもりだった。だが今、自分の知らないことをフライアはしようとしている。言い知れぬ不安がラディムを襲っていた。


「少し眩しいかもしれぬ。下がっておれ」


 ノルベルトは皆に忠告すると、手に持った杖の先を紋様の線の一部へと当てた。間を置かず、口の中でぷつぷつと何かの言葉を発し始める。

 それは、どこの言語なのか。オデルには全く聞き取ることができなかった。だが、その隣に佇むラディムと兵士は瞠目した。

 ノルベルトは、尚も口の中で小さく何かを唱え続ける。やがて風もないのに、ノルベルトの羽織っていた黒のマントがはためき始めた。同時に、フライアの短いスカートの裾も揺れ動く。

 ノルベルトのマントに、床の紋様と同じ物が浮かび上がった。そして足元の紋様が杖を起点として、一気に青白く光り始め――。

 こうっ!

 床の紋様から光の筋が一瞬で伸び、フライアを包み込んだのだ。


「っ――――!?」


 皆の息を飲む音は、光の走る音に掻き消される。フライアは光の柱の中でまだ目を閉じて立っていたが、その胸元だけが異様に発光を始めていた。

 あまりの眩しさにラディムは複眼を手で覆いながら顔を逸らし、他の三人も同様に目を腕で覆いながら首をすくめた。

 そしてノルベルトの言葉が途切れた次の瞬間。

 しゅんっ!

 まるで爆発したかのように光が弾け、激しい閃光が部屋を駆け抜けた。

 光の収束を、瞼越しに感知した四人は目を開ける。そこには、ごつごつとした紅色の宝石のような物を両手で支える、フライアの姿があった。

 フライアは紅の宝石を優しく持ったままノルベルトへ歩み寄り、彼にそっと宝石を手渡した。


「……その宝石は?」


 呆然としながらも、何とかラディムが尋ねる。


「これは、およそ千五百年前――我らの祖先がムー大陸からの脱出時に、魔道士から奪ってきた物だ」


 紅の宝石へ目をやりながら、ノルベルトは淡々と続けた。


「魔道士はこれに、人体実験の過程を記録していたという」

「――――!」


 ノルベルトの言葉に、オデルがさらに大きく目を見開き、息を呑む。


「これ……に?」


 しかしラディムは、宝石を訝しげに見つめるばかりだ。どう見ても、ただの宝石にしか見えない。これに『記録』していたと言われても、彼はいまいちピンと来なかったのだ。

 ノルベルトは宝石に疑いの眼差しを向けるラディムに対し、深く頷いた。


「半信半疑なのも無理はない。ただムー大陸には、我々の想像すらできぬような技術が当たり前にあったという話だ。そしてこの宝石は、記録媒体として使われていたらしい」


 ラディムは小さくへぇ、と呟き腕を組むと、再度その紅の宝石をまじまじと見つめた。


「これに刻まれた記録を見れば、混蟲メクスが人間に戻るヒントが見つかるかもしれない――。そう考えた祖先たちは、何とかこれの『中』を見ようと試みてきたのだ。千年以上かけてな。だが、駄目だった。魔法的な力が邪魔をしていて、どの時代の誰がどうやっても、その力を排除できなかったのだ」


 魔道士は、結界をその記録媒体に張っていたのだ。それは魔道士にとっては、とても簡単なものだったのかもしれない。だが混蟲たちにとっては、その結界はとても強力なものだったのだ。

 何千、何万、何百万回と――混蟲たちは結界を解こうと試みてきた。しかし年月と回数を重ねる度に、混蟲たちの心には諦めが染み渡っていったのだ。


「王は昨日『今の我々の力では不可能だ』と仰った。なぜ研究なのに『技術』ではなく『力』という言葉を使ったのか少し疑問だったのですが、なるほど。そういうことでしたか」


 オデルはノルベルトと紅の宝石を交互に見つめ、苦笑した。知識としては頭の中にあったのだが、魔法という物を実際に目にしたのは、先ほどが初めてだったのだ。

 オデルの暮らす国では――いや、世界中のどこの国を探しても、魔法が使える者などいない。

 ……このテムスノー国を除いて。

 ノルベルトはオデルの言葉に頷くと、フライアの肩へ手を置いた。


「そして、この研究は終わりの時を迎えた。いや、研究にすら辿り着けなかった。だがいつ再開しても良いように、この宝石は王宮が保管することにしたのだ」

「でもどうして、わざわざこんな……。フライアの体の中に?」


 フライアの小さな体を見ながらラディムが問うと、ノルベルトは少し声のトーンを落とした。


「実は研究をやめた直後、一度これが賊に狙われたことがあったらしい。見た目はこのようにただの宝石だからな。しかるルートで売り捌こうとでもしたのだろう」


 目を伏せ、ノルベルトは続ける。


「幸い盗まれることはなかったが、そのことがきっかけで、先々代の王は厳重に保管できる場所を考え直した。そして、魔法を使って王族の身体の中へ隠すことを考え付いたのだ」

「どうして、そこまでして――」


 オデルが若干呆けながら疑問を呟く。いくら魔法が使えるとはいえ、人間の身体の中で保管するなど正気ではない。


「これは、我々が――混蟲が生きて来た証。この国の歴史そのものだから、な」


 ノルベルトがどこか遠くを見つめると、部屋に沈黙が下りた。

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