第9話 夜の密会

 パイプ製のベッドと小さなテーブルだけが置かれた簡素な部屋が、ラディムに割り当てられた個室だった。

 他の兵士たちは城の右翼側に集まり、三、四人程度の部屋割りで寝泊りしている。しかし混蟲メクスであるラディムに配慮し、王は城の中央に彼の寝床を用意した。元は倉庫であったので大変に狭いが、元々彼は、突然転がり込んだ身。雨風を凌げる寝床を用意してくれただけでも、彼は感謝していた。場所もフライアの部屋とそう離れていないので、有事の際にもすぐに駆けつけることができる。

 その狭い部屋の一角。ラディムは何とか眠りに落ちようと、ベッドの上で試行錯誤していた。

 深い群青色がすっかり空を染めきってしまった時刻だが、一向に寝ることができないでいたのだ。

 砂を撒いたようにザラザラした過去は、時おりラディムの睡眠を妨げてくる。

 右へ左へ転がり体勢を変え、目を伏せて心を無にしようと試みる。だが意識をすればするほど、思いとは裏腹に雑念は洪水のように湧き上がり、頭は冴えていった。


「あーもう、眠れん!」


 歯痒い思いを言葉に乗せ、勢い良く上体を起こす。頭の後ろを掻きながら壁際の小窓に顔を向けると、下弦の月がちょうど目の高さにまで上がっていた。

 あの日の月は丸かったなと、ラディムは湖に落ちた日のことをふと思い出した。

 あれ以来、彼はすっかり水が苦手になってしまったのだ。苦い顔をしたまま、両腕へと視線を落とす。

 今、その腕に蟷螂かまきりの突起はない。だがなくなってしまったわけではなく、単に引っ込んでいるだけだった。あれから腕の突起は、どういうわけか自分の意思で出し入れできるようになったのだ。


「変な体だよなぁ……」


 自嘲気味に小さく笑うが、それに答えてくれる者はいない。


「散歩でもするか」


 ここまで頭が冴えてしまったら、しばらくは眠れまい――。

 そう結論付けたラディムはベッドから降り、部屋を後にした。






 城の廊下をぶらぶらと当てもなく歩き続けていたラディムだったが、中庭まで来たところで何かの気配を察知し、ふと足を止めた。気配のする方へ目を凝らすと、中庭の木々の下に置かれてある小さなベンチに、誰かが座っているのが見えた。


(あの後ろ姿は、カエル王子か)


 人間とは違う形の大きな頭は、彼以外にいないだろう。胸中で呟き、そっと近付いて行く。

 ラディムの足音に気付いたオデルは振り返り、彼の姿を確認すると小さく笑みを浮かべた。


「やぁ、こんばんは。今日の月は欠けているけれど、とても綺麗だね」

「男にする挨拶としてはどうなんだ、それ……」


 まるで口説き文句の冒頭のような挨拶に、ラディムは半目で返事をした。


「む、そうかい? 事実だしまぁいいではないか」


 細かいことは気にするな、と言わんばかりにオデルは適当に言う。ラディムは小さく肩を竦めると、彼に訊いた。


「隣、いいか?」

「もちろん、どうぞ。ははっ。君のそのフランクなところは見習いたいね」

「あー……。どうも丁寧な言い方ってのが苦手で。スンマセン」


 ラディムは頭を掻き謝罪しながら、少し距離を開けてオデルの隣へと腰を下ろす。


「僕は構わないよ。ほら、見た目はほとんど同じ歳じゃないか」

「いや、わかんねーから」


 オデルの言葉に、ラディムはすかさずツッコんだ。オデルの実際の年齢が幾つかは不明であるが、このカエルの風貌がラディムと同じ年齢のものかどうか、当然ながら皆目かいもく見当は付かない。


「まぁ冗談は置いおいて。それで、君も眠れなかったのかい?」

「君もって、あんたもか」

「色々思い出してしまってね」


 オデルの笑顔に少し影が差したように見えるのは、きっと暗さだけのせいではないとラディムは思った。


「僕は、ね」


 ぽつり、とオデルは小さく呟く。細い月に語り掛けるかのように。


「この姿、別に嫌いではないんだ。だからこのままでも良いかな、って正直思っていたりしてね。どうせ元も大した容姿ではなかったわけだし。ほら、壁もスイスイとよじ登れるから、子供達にもきっと人気が出ると思うんだよね」


 声を弾ませ、おどけたように言う。だがラディムは、彼の言葉に小さな引っ掛かりを覚えた。彼の大きな目に宿る寂しさは、誤魔化せていない。


「それは本当に、あんたの本心なのか」

「ハッキリと痛いところを突くね」


 眉間に皺を寄せながら問いかけるラディムに、オデルは参ったと両手を軽く挙げ、嘆息しながら答えた。


「白状すると、そりゃ元の姿に戻りたいさ。ただ……」

「ただ?」

「覚悟を決めておいた方が、ダメージが少ないと思ってね」

「二度と元の姿に戻れない、という覚悟か?」

「そう。でも、まだまだ腹を括り切れていないみたいだ」


 生温い風が中庭を吹き抜け、ラディムの髪とオデルの服を揺らし、木々をざわめかせる。

 両者とも言葉を発さない。聞こえるのは夜の静寂しじまの音と、木々の葉と葉がこすれる音のみ。

 張り詰めた糸のような時間が過ぎていく。

 時間にして短く、感覚としては長い――、長い沈黙の後。


「自分の家族に拒絶されることが、想像以上に辛くてね」


 ようやくオデルが口を開いた。


「……拒絶……されたのか」


 ラディムの言葉に、オデルは軽く頷き、そして語り出す。


「この姿になってから、僕は城の外どころか部屋からほとんど出して貰えなかったんだ。特に、姉上と二番目の兄上の拒否反応は凄かったよ。まぁ当然の反応だとは思うけれど、僕はそれでもショックだった。姿が変わっても、家族だから無条件に受け入れて貰えるはずだと、淡い期待を抱いていたんだ」

(――同じだ)


 ラディムは幼少期の自分をオデルの話しに重ね合わせ、同調した。

 ラディムも心のどこかで期待はしていたのだ。あれほど混蟲メクスに嫌悪感を示していた母親。それでも、自分の子供ならばいつか受け入れてくれるだろうと。

 その淡い期待は、脆くも崩れ去ったわけだが。


「で、しばらく幽閉状態で過ごしていたんだが、さすがに何ヶ月も国民の前に姿を見せないままなのはどうか――と父上と一番目の兄上に言われてね。巷では暗殺説まで流れ始めてしまっていたらしい。それでさっさと元の姿に戻る方法を見つけて来いと、半ば勘当された形でここに来たわけさ」


 オデルは目を細め、再び空を見上げた。国から出てきた時の事を回想しているのであろうオデルを、ラディムはしばし無言で眺めていた。

 もし、元の姿に戻れる方法がなかったら、このカエル王子はどうするつもりなのだろうか――。

 ふとそんなことが頭を過ぎる。だが口には出さなかった。出せなかった。希望の芽はまだ完全に摘まれてはいないのだから。

 それとは別に、ラディムは昼間のフライアとのやり取りを突然思い出した。オデルとヴェリス、二人の関係。野次馬根性に逆らえず、ラディムは率直に訊いてみることにした。


「そういや、あの学者さんとはいつ知り合ったんだ?」

「ヴェリスかい? 僕がこの姿になる少し前だね。城の図書館で会ったんだ」

「城の中に図書館があるのか」

「そう。かなりの広さでね。色々な分野の研究施設も何部屋か備えている。国の学者達は皆そこに集まっていたんだ。資料が近くに沢山ある方が研究もはかどるだろう、という先代の王の意向さ」


 そこでオデルは、少し誇らしげな顔をする。レクブリックは別名『学問の国』とも呼ばれているんだよ、と付け加えた。


「僕の趣味は考古学だと言ったよね。と言っても本格的に調査に行くわけじゃなく、文献を片っ端から漁る程度なんだけどね。それで図書館に毎日通い文献を読み耽っていたところ、ヴェリスに声を掛けられたわけさ。あなた毎日いるわね、って。彼女は僕が王家の三男坊だと知らなかったみたいでさ。自己紹介した時の彼女の顔は、そりゃあ見ものだったよ」


 オデルはその時のことを思い出したのか、くくっと小さく思い出し笑いをした。


「そして彼女は、僕がこんな姿になった後も変わらぬ態度で接してくれた。姿が変わった僕を見て最初に言ったのは『良く見えそうな大きな瞳ね』という言葉だったんだよ。あの時、本当に僕の気持ちは救われたんだ」


 オデルの黄の瞳が若干揺れる。


(あぁ、やっぱりこの人は)


 その横顔を見ながらラディムは思った。


(俺と、似てる)


「それから僕は、元の姿に戻る方法を見つけるため、皆の寝静まった深夜に図書館に篭ることにしたんだ。彼女もそれに協力してくれた。そしてある日、国の森の中で凄い物が発見されたと、彼女が教えてくれたのが――」

「あの日記、か?」


 こくん、とオデルは大きな頭を縦に振る。


「彼女がいなかったら、この国に来ることはおろか、存在すら知ることができなかった。本当に彼女には感謝しているんだ」


 そこでオデルは微笑んだ。

 カエルになっても、オデルの表情は豊かだなと、ラディムはその微笑みを見ながら思った。でもそれはきっと、ヴェリスがいたからこそだろう。その姿をあるがまま受け入れてくれる人がいるからこそ、彼は今、こうやって笑っていられるのだ。そして、自分も。

 ラディムは、無性にオデルの役に立ちたいと思った。この目の前のカエルの王子は、姿は違えど、自分と同じに思えたからだ。


「明日……。元の姿に戻る手掛かりが見つかるといいな」


 慰めではなく、ラディムは心からそう思い呟いた。


「そうだね。ありがとう。……ところで、僕からも一つ訊いていいかい?」

「何だ?」

「君と王女様って、どういう関係なんだい?」

「えっ!? ど、どういうってその。お、俺はただのあいつの護衛で――」

「その割には君たちの主従関係は希薄というか。むしろないように見えたんだよねぇ」


 狼狽するラディムの反応を楽しむかのように、オデルはニヤニヤと彼を見ながら追い討ちをかける。


「そっ、それはっ! 俺はあいつとはもう五年くらい一緒にいるから……。つ、つまりアレだ。もう俺とあいつは兄妹みたいなものなんだよ!」

「へぇー?」


 身振り手振りで必死に言葉を探すラディムに対し、オデルは生暖かい返事をした後、肩を震わせ笑い始めた。


「…………」


 今何を言っても揚げ足を取られるだけだと踏んだラディムは、沈黙したまま苦い表情でふいと顔を横に背けた。赤くなった顔を見られるのが嫌だったのもあるが。


「いや、すまない」


 ひとしきり笑った後、オデルは顔を背けたままのラディムに言葉を投げ掛ける。その大きな目は、月の光の祝福を受けたかのように優しいものだった。


「君と今、このように話ができて本当に良かった。今まで誰にも胸の内を打ち明けられなかったからね。その、今日の密会の記念に、良かったら僕のことを名前で呼んでくれるかい?」

「密会って、誰かに聞かれたら誤解されるような言い方をするなっての! たまたま会っただけだろ。……でも、まぁ、あんたがそれで良いなら」

「ありがとう。そういうことで、改めてよろしく、ラディム」

「よろしくな、オデル」

「…………」

「…………」

「……えーと」

「うん、なんつーか……」


 互いに名を呼び終わったあと急激に気恥ずかしくなってきた二人は、へらへらと笑い合ってその気持ちを誤魔化したのだった。

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