第8話 宝石の目(2)
「それで――。どうして君は、あんな時間にあんな場所で溺れていたんだ。まさかその年で、命を絶つつもりだったわけじゃあるまいな?」
兵士の言葉に、ラディムは堪らず俯き、表情を曇らせる。
「あそこが城に近い場所だったなんて、全然知らなかった。迷っていたんだ。そして水を飲もうとして、誤って落ちた。死ぬつもりはなかった。だけど――」
「だけど?」
このまま死んでもいいと、一瞬思ったのは事実だ。だが助けてもらっておいて、その言葉を口に出すのは
ラディムは迷っていた。母親との件を、初対面の人たちに話すべきか否か。
自分が
言葉を途切れさせ、毛布を強く握るラディム。兵士とイアラは一瞬だけ顔を見合わせた。
「いや、言いたくないのなら無理しなくていい。だが見たところ君は混蟲で、しかも二種混じっている。もしそれで悩んでいるのなら、俺も先生も力になるぞ」
「あ……」
「どうやら図星みたいだな」
ラディムの反応を見た兵士は、溜息交じりに微笑した。
「安心しろ。少なくとも俺とイアラ先生は、君が『混蟲』だからといって非難したりはしないよ」
「――!」
兵士の言葉を聞くや否や、ラディムは二人に頭を下げた。
「だったらお願いだ! 俺何でもするから、ここで働かせてくれ! いや、働かせてください!」
突然大きな声で懇願するラディムに目を見開き、再び兵士とイアラは顔を見合わせる。
「……お前に事情があるのはわかった。ま、助けたついでにそのへんは俺が何とかしてやるよ。だが、もう夜も深い。今日のところはゆっくり休め。というわけで、イアラ先生よろしくお願いします」
兵士は小さな子供をあやすようにラディムの頭を軽く叩くと、扉の向こうへと姿を消した。
「そういうこと。とにかく今は寝なさい」
イアラにも優しく諭されたラディムは、素直に白のベッドに体を沈めるのだった。
翌朝ラディムが目を覚ますと、イアラは昨晩と同じく白衣に身を包み、机の上で何やら書類を眺めていた。ラディムが目覚めたことに気付くと彼女はすぐに立ち上がり、綺麗に畳まれた服を差し出してきた。
「ちょうど良さそうなサイズがあったわ。まだあなたの服は乾いていないから、とりあえずこれを着ておいて」
「……ありがとう」
イアラから服を受け取り、すぐに腕を通す。見た目は地味で街の人たちが着るような物と変わらぬ感じだが、生地はなかなか上質な物らしく、肌触りは良い。さすが、城の人間の着る物は違うなとラディムは感心する。
着心地を確かめるようにベッドから出て立ち上がると、小さな丸テーブルの上に食事が置かれてあるのを見つけた。ラディムのために、つい先ほどイアラが兵士用の食堂から分けてもらってきたのだ。
「食べていいわよ」
イアラの許しが出ると、ラディムはすぐさま食事に飛びつく。スープは温かく、それでいて空の胃にスッと浸み込むような優しい味だった。
丸いパンは少し硬かったが、スープに軽く浸すと味も硬さもほどよい感じになり、それもあっという間にラディムの口の中へと消えていく。
デザートは生のオグニル。果肉は柔らかく、果汁も申し分ないほど甘かった。ラディムは瞬く間に食事を平らげた。
「あらあら、いい食べっぷりね」
イアラは感心しながら、空になった食器を重ねていく。
「ご馳走様でした」
イアラの動作を目で追いながら、少年は感謝の念を込めて挨拶をした。湖の水は意図せず大量に飲んでしまったが、 それでも昨日の朝以降何も食べていない状態だったので、ラディムが思う以上に食事は喉を通り、腹へと収まったのだった。
イアラが笑顔で食器をトレイに乗せたところで、医務室の扉が二回ノックされた。
「どうぞー」
間延びした返事でイアラはノックに答える。間もなく扉から現れたのは、金の刺繍が施された服と赤のマントを
「あら王。こんな朝早くからお出でになるなんて」
「えっ!? お、王!?」
イアラの口から出た単語にラディムは
「えっ、えっと、あの、俺……」
街で暮らしていたラディムにとって、王はとても遠い存在だった。
年に一度開催される創立際で、城のテラスに立つ王をとても遠くから――王の姿が
テムスノー国は、ムー大陸の魔道士の実験から逃れた者たちだけで作られた国。最初のうちは王族や平民などという地位は、当然なかった。しかし、人が集まり生活していくうえで、リーダー的存在は必要不可欠。皆をまとめる者が自然と発生し、そして長い年月を経て、王族と平民という階級に分かれていったのだ。
まさか、こんな間近で王を見ることになるとは微塵も考えていなかったラディムは、どう挨拶をすればよいのかわからず、言葉に詰まっていた。
「なるほど。その少年か」
王ノルベルトは、ラディムの顔と腕の部分に目をやり、一人納得し呟く。そしてラディムの近くまで歩み寄り、彼の目線に合わせるために膝を付いた。
「名は何と?」
「ラ、ラディム・イルギナです」
「まぁそう硬くなるでない。私の名はノルベルトと言う。お主のことは今朝聞いたところだ。無事で何よりだった。早速だがラディムよ、私の娘に会って欲しいのだ」
「えっ!? あ、は、はい」
否定の答えを口にするという考えは、頭のどこにもある筈がなかった。
「そういう訳でイアラ、連れて行くぞ」
ノルベルトはラディムの腕を掴みながら立ち上がり、イアラに告げる。そしてイアラの反応を待たず、ラディムを連れて足早に医務室を後にした。
「いってらっしゃーい」
イアラはノルベルトの背に向かい、まるで友達に言うかのように軽い口調で手を振った。
二人が出て行き静かになった室内。扉を見つめつつ、イアラはふと気が付いた。
「あらあら。そういえばあの子の名前、さっき初めて知ったわ」
ラディムがノルベルトに連れられてやって来たのは、豪華な装飾が彫られた扉の前だった。他の部屋の扉とは、明らかに雰囲気が違う。
この中に王女様が――。
意思とは関係なく、ラディムの喉が小さく鳴る。緊張を隠せぬ硬い表情のまま、ラディムは隣のノルベルトへと顔を向けた。
「あの、どうして俺なんかが王女様に?」
「…………」
ノルベルトはラディムの質問に答えず、無言のまま扉をノックする。中から少女らしき者の小さな返事が聞こえた。鍵はかかっておらず、ノルベルトはそのまま扉を開けた。
ラディムはノルベルトが答えてくれないのは、自分が無礼なことを聞いてしまったからだ――と居た堪れなくなった。その気持ちを誤魔化すべく、促されるまま部屋の中へと一歩進む。
その時だった。突然後ろから、肩を抱き寄せられたのは。
「友達に、なってやってくれないか……」
ノルベルトは低い声で優しく、でもどこか哀しげな声でラディムに呟く。ラディムが顔を向けた時には、ノルベルトは既に彼から離れていた。
いきなり王女様の友達になれだなんて、どういうことだ――。
何だかとんでもないことを言われてしまったのではないかとラディムは困惑するが、今は現実に身を委ねるしかない。
「あ、お父様」
部屋の奥から、清流の如く透明な声が聞こえた。間もなく、肩まで伸びた紫紺の髪を持つ少女が姿を現す。彼女を見たラディムのコバルトブルーの眼が、大きく見開いた。
おそらく、ラディムより二つか三つ年下であろう少女。背の部分が大きく開いた服を着ており、思春期男子にはなかなかに目の毒だ。しかし、彼が瞠目した理由はそれだけではなかった。彼女の背中から、大きく美しい蝶の
紛れもない、
ラディムはなぜノルベルトが自分を彼女に合わせたのか、瞬時に理解した。
「お父様、その人?」
「ああ、そうだ」
少女はラディムに近付き、屈託のない笑顔をノルベルトへと向ける。それだけで、部屋の中が春の優しい陽だまりに当てられた雰囲気になった。
深い海のような色をした
可愛い――。
率直にラディムは思った。
「私、フライアっていいます。お兄ちゃんは?」
「……ラディム、です」
「ラディム……。どうぞよろしくね」
噛み締めるように名を確認するフライアの声はまるで楽器のようで、ラディムの鼓膜を心地良く震わせる。思わず彼女の唇をじっと見つめてしまったラディムに、フライアは何か察したらしい。
「あ、えっとね……。この翅、ちょっと前に急に生えてきたの」
その視線を自分の翅に向けられたものだと勘違いしたフライアは、簡単に彼に説明をする。
混蟲には二種類いる。生まれた時から混蟲の人間と、ある日突然混蟲になる人間。ラディムもフライアも、後者だった。
自身の背中に目をやった後、フライアは薄紅色の目を兎のように丸くし、突起の生えたラディムの腕を見た。
「わ。とげとげだね」
「あ、あぁ……」
率直に言うフライアに、ラディムはどんな反応をすれば良いのかわからなかった。戸惑うラディムの反応などお構いなしに、次にフライアはラディムの顔をじっと見つめ始める。
「な、何だ?」
艶の良い唇のような色をした、フライアの目。幼い容姿の中に混じる、僅かな色っぽさ。その目で真っ直ぐと見つめてくるフライアに、ラディムは急に心の奥の方がむず痒くなり、意図せず頬がほんのりと朱に染まった。
「それ、なぁに?」
フライアは首を傾げながら、ラディムの『複眼』を指差した。少し
「これは……目だよ。
「へぇ。見えてるの?」
「あぁ、真後ろ以外なら」
「そうなんだ。すごいね」
フライアは感嘆し、尚も彼の複眼を見つめ続ける。
自分の顔を凝視する少女に、ラディムはある疑問を抱き、気付いたらポツリと洩らしていた。
「……気持ち悪くないのか?」
「どうして?」
フライアは心底不思議そうに聞き返す。ラディムは『
今、目の前にいる少女も混蟲なのだ。それは言ってはならない言葉だ。知らぬ内に母親の影響を受けていたのを自覚したラディムの心が、チクリと痛む。
「だってラディムのその目、とってもきれいだよ」
目をキラキラと輝かせながら、フライアは心の底から嬉しそうに言った。
「きれ……い?」
ラディムはフライアの言葉を、呆然としながら復唱する。自分の複眼にそのような形容詞を使われるなどとは、思ってもいなかったのだ。むしろそれとは対極の『醜い』ものだと、無自覚に思っていたものだから。
「うん。周りの景色が色々映り込んでいるの。それにね、見る角度で色が変わるんだよ。宝石みたいで、本当にすごくきれいだよ」
そう言って彼女は、太陽みたいな笑顔をラディムに向けた。
フライアの言う通り、彼の複眼は光の加減でその表情を変えていた。何て素敵なのだろう、と零し、フライアはしばしラディムの複眼に見惚れる。だが突然、彼女の目が驚愕で見開かれる。
ラディムの目の端から、涙が溢れ出したのだ。
「えっ? ラディム、どうしたの? な、何で泣くの?」
「……え?」
言われてラディムは、慌てて手の甲で頬を拭う。
「あ、あれ。何で泣いてんだ、俺」
そう言いながら、ラディムは必死で目を擦る。でも、彼の目から溢れる涙は止まらなかった。
「あの、もしかして私のせい?」
「いや……違う……」
ラディムはそう言うのが精一杯だった。声を押し殺し、肩を震わせながら、ただ静かに泣き続けた。
フライアは最初こそ困惑していたが、やがて何かを察したのか、精一杯腕を上に伸ばす。そして自分より年上の少年の頭を撫で、ただ無言で慰めた。
本当はラディムも、理由はわかっていた。
嬉しかったのだ。
身内にすら否定された自分を――、混蟲である自分を、彼女が受け入れてくれたこと。それがただ、嬉しかっただけなのだ。
ラディムは感謝していた。イアラ、兵士、ノルベルト、そしてフライアに。
自分の存在を、この姿を受け入れてくれる人がいる。それはこんなに嬉しいことだったのだ。感謝は歓喜に、歓喜は涙となって、ラディムの頬を伝い続けた。
ノルベルトは、ラディムに無条件で城に居ていいと言った。だが、ラディムはそれを断った。ただで飯を食う訳にはいかないと、頑なに。
ノルベルトは悩んだ揚句、ならばフライアの『護衛』になるように告げた。フライアが混蟲になってしまってから、城に勤めている多くの者に、彼女は奇異や侮蔑の視線を向けられるようになってしまっていた。その視線の盾になってくれないかと。
ラディムはそれを喜んで受け入れ、そして自分を助けてくれた兵士の指導の下、護身術やその身体を活かした戦闘技術を身に付けることになったのだった。
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