第3話

ざぁーっという雨の音に翔太は目を開いた。時計を見ると朝8時を回っていた。寝不足で重たい身体をゆっくりと起こし、昨日のことを思い起こした。


兄が車にかれた後、固まる身体をなんとか動かして救急車を呼んだが、もうどうやって電話していたか覚えてない。その間に帰ってきた父が通りかかり、色々対処をしてくれた。あのまま自分一人だったら、轢き逃げされていたかもしれない。あの時ばかりは父が弁護士であったことに感謝した。病院で医師によると、左手足を骨折、肋骨にヒビが入っていたが、命に関わることないと言う。頭から血が流れていたが、ブロック塀にぶつかった時に少し切れただけだったようだ。医師の話に安堵したのか、母はボロボロと大泣きして、父は母の背中を落ち着かせるように撫でていた。兄が突き飛ばしてくれたおかげでほぼ無傷だった翔太はその様子をぼんやり見ていた。しかし、兄の怪我した姿だけが頭に残り、なかなか眠りにつけず、最後に時計を見た時は5時になろうとしていた。


「水飲も…。」

昨日の出来事から逃げるように無理矢理、別の事を考えるようにした。心の奥底で渦巻く何かに体が支配されそうで、昨日の兄の姿を思い出したくなくて…。

「翔太、おはよう。」

階段を降りると、何故かバスタオルを持った父が洗面所から出て来た。翔太は父からの挨拶に少し間が空いてから「…はよ。」と小さな声で返した。父は翔太に優しく微笑んだ。

「昨日は眠れたか?」

「…眠れるわけねーじゃん。親父もどうせ眠れなかったんだろ?」

「…ああ。母さんもずっと不安定でなかなか泣き止まないし、眠れなかったみたいだな。落ち着いて眠るまで起きていたよ。」

「ふ〜ん…。んで、そのタオルは?」

「ん?あぁ、病院に持っていくタオル。しばらくあいつが入院することになっただろう?だから、その準備をしておこうと思って。母さんが起きたら、三人で見舞いに行こう。翔太、それまでにあいつの服を二、三着、用意して置いてくれるか?」

「…朝メシ食ってからな。」

「ありがとう。頼んだよ。」

ありがとうなんて久々に聞いたと少し心がむずがゆくなった。


***


久しぶりの父と二人きりの朝食に最初は何だか落ち着かない様子の翔太だったが、会話の弾まないただの問答をしているうちに、いつの間にか小さな話を咲かせていた。そのまま良い気分で自分の部屋に戻ろうとした時にふと兄の部屋が目に入った。

「そういや親父に頼まれてたっけ…?」

独り言を呟きながら兄の部屋のドアノブに手を掛けかけて思わず手を止めた。ある記憶がぎる。それはまだ翔太が小学生で兄が中学生だったときのこと。初めて翔太が兄に怒られた日だった。きっかけは見るなと言われたノートを無理矢理見ようとしたことだった。その日以降、兄が怖くて関わりを避け、それまで好き勝手に入っていた兄の部屋に一度も入ることはなかった。きっとそれからだろう、兄との仲が悪くなったのは。ふぅっと一息つき、ドキドキと冷や汗をかきながら扉を開ける。そこには昔と何ら変わらない景色があった。あえて変わったと言うならば、昔はおもちゃを置いていたところに大量の本が置かれていることだろう。

「そんな、変わるわけねーか…。」

兄の部屋を見回しながら入っていく。ふと、翔太がぶち当たった机からパサッと何かが落ちた。

「何だ、これ?」

落ちたもの、兄にしてはボロボロのノートを拾った。落ちたときに開いたのだろうか、開かれていたページを翔太は何気なしに見る。そこには———


——7月10日、佐藤が部活中に飛んできたボールで大怪我をする夢を見た。その日、冗談交じりに佐藤らにこの話をした。お互いに笑って話は終わった。


——同月11日、学校に登校すると佐藤が大怪我をして入院したという話を聞いた。夢と同じことが起きたことが原因だった。


と震えた字で書かれていた。他のページをめくってみても同じような、誰かが事故や怪我をする夢を見ては同じことが起こったと書かれている。パラパラとめくってノートの最後のページにたどり着いた。


——9月15日、翔太が車に轢かれて大怪我をする夢を見た。目の前で手を伸ばしても届かずに翔太が跳ね飛ばされた。あまりの恐怖に跳ね起きた。汗びっしょりで、体の震えが止まらなかった。吐き気もした。同時に、翔太だけでも守りたい、助けなければと思った。最近は、喧嘩も多い仲になってしまったが、翔太をうしなうのは怖いし、何があっても嫌だ。だから、ここで誓う。きっと、今日は夢と同じことが起こるだろう。その時は俺の命を引き換えても、翔太を喪わさせない。何が何でも守り抜く。


ブワッと翔太の体が暖かくなった。兄の素っ気ない態度の裏にこんな風に想われていたなんて、思いもよらなかった。そして、あの兄にこんなことが起きていたなんて全く気がつかなかった。今までの兄への態度に反省するとともに、尚一層、兄を喪いたくないと強く思った。ポタポタとノートにしずくが落ち、文字がにじんでいく。パッと顔をあげると、翔太の顔が映る窓の向こうにやわらかな雨が降り注いでいた。

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