第3話 彼女の涙
ピピピと、目覚ましのアラームが一日の始まりを告げる。今日も論文を書く一日の始まりだ。
食卓に向かうと、また珍しく父が朝食をとっていた。二日連続で、父と朝食時に会うとはいつ以来だろうか。今日は父が簡単な調理をしたのか、食卓にはトーストとオレンジジュース、簡単なサラダが置いてあった。母の命日を経て、父も再び家族とのつながりを持つように意識を変えたのだろうか。だが、父と特別話すことがあるわけでもなく、食卓は静かなままだった。
我が家の沈黙とは異なり、ニュースは一方的に世間の情勢を捲し立てている。
「おはようございます、市民の皆さん。朝のニュースです。新作戦展開後、ヴォイド戦線は現在膠着状態となっています。昨晩、太陽系外におけるヴォイドの第一波の猛攻を防ぎ切り、統和軍は艦隊編成を立て直し、次の攻撃に備えていました。現在第二派の攻撃を受けており、依然、太陽系外での戦闘が継続している模様です。」
防衛圏内に派遣されていた報道艦が撮影をしていた宇宙戦争の映像が切り替わり、見慣れた日本州の全景から、徐々に拡大されて、私の暮らす州を映し出す。近所の河川へとまで映像が拡大され、瓦礫が積み重なる倒壊した橋らしきものが映る。
「地域ニュースです。昨日未明、ガスの爆発により、軍事区、居住区を結ぶグレートブリッジが倒壊しました。現在、ガス爆発の原因究明のため、封鎖されている状態です。二次災害の危険を考慮し、管理局は、周囲の市民に近づかないよう呼び掛けております。」
父は、このニュースを聞いていたのか、食事に集中していたのかわからないが、机の上の一点を見つめて、しばらく後、私に顔を向けて話し始めた。
「修司、昨日の騒動は聞いたか。先ほど報道があって、あれは橋の倒壊ということになっている。」
父の表情が厳しいことに今気づく、発言に不穏なものが混じっている。軍属の父だ、何か機密情報を抱え、息子には何か伝えたいことがあるのだろうか。
「なっている、とはどういう意味?」
「詳しくは言えない。だが、察してほしい。大学と軍事区の間にある中央の環状公園を境に、軍事区側にあまり近づかないようにしなさい。」
父の語調は真剣そのものだった。もともと、あまり冗談を言うような人ではないが、普段よりもいっそう真剣さを感じた。
「軍事区に用があることなんてないから構わないけど、公園は通らないと大学に行き辛いかな。」
父は少し眉をひそめて、わずかに苛立ちのようなものをみせた。
「少し余裕をもって出て、迂回するなりあるだろう。とにかくあまり近寄らないことだ。」
私としては、遠回りになることもあって些か面倒ではあったが、父の雰囲気に押されてしまう。
何よりも、あの父が心配してくれているようだ。
「わかった。心配してくれて有難う。」
「あと、最近は共感派の破壊活動も活発になっている。早めに帰宅することを心掛けなさい。」
これで少し合点がいった。父はあまり関係のないことを口数多く話す人間ではない。おそらく、軍事区に対して共感派が破壊工作を仕掛けたことでも掴んでいるのだろう。軍事機密を話すことはできないが、騒動に巻き込まれないか息子を心配しているのだ。
「出来得る限りはそうするよ。研究の具合にもよるけどね。」
「では、私は出掛ける。暫く家を空けると思う。戸締りに気をつけなさい。」
父は落ち着いた所作で食器を簡単に洗い、食洗器へと丁寧に配す。父は私に忠告するために、外出を遅らせていたようだった。……ここまで息子思いの父親だっただろうか。少し感動している自分がいた。
「いってらっしゃい、父さんも気を付けて。」
普段見ぬ、父の、子を案じる姿に緊張していたらしい。ため息が出て、少し気が抜けた。そのままトーストを口に含み、オレンジジュースで流し込んだ。
……しかし、父はああ言っていたが、公園を通らぬわけにはいかなかった。
「八巻瑠奈」
彼女との緩く希薄だが、少し心躍る約束があった。父の言う通り軍事区で異変があったのであれば、軍属らしき彼女は公園に来ないかもしれない。それでも、淡い期待を抱きながら、公園に向かった。
……彼女はいた。
昨日と同様に、アイス屋の近くのベンチに座っていた。昨日とはうってかわった姿で、包帯を全身のいたるところに巻いていた。頭部、右腕部、左脚部。少し血がにじんでいる箇所すらある。私はその姿を見て、いささか動揺してしまい、つい勢い込んで尋ねてしまう。
「八巻さん!その姿……、大丈夫ですか。何かあったんですか?もしかして昨日の轟音が関係しているのでは。」
痛々しい姿の反面、彼女は昨日と変わらぬ笑顔で答える。
「実は、昨日大きな実験がありまして、劇薬を取り扱うものだったのですが、それが爆発してしまったんです。その時の落下物で、ケガをしてしまいました。でも、見た目ほどの重傷じゃないので大丈夫ですよ!」
彼女はニコッと笑って言った。その笑顔は大丈夫さを示しているように見えるが、小柄さと顔の幼さがケガの痛ましさを増幅させる。どうしたものかと自分が軽く狼狽していると彼女が言葉を続けた。
「さあ、今日はチョコミントを食べて頂く日ですよ。小笠原さんを待っていたんです、貴重な休憩時間ですからね。有意義に使わねば!」
グッとガッツポーズのようなものまで伴って勢い込んでいた。彼女はその小さな身体を精一杯広げるようにして、狼狽える私の不安を払拭させようとしたようだった。そのように彼女に取り繕われては、私は無理にでも落ち着きを取り戻さざるを得なかった。また、そのような健気な彼女の提案に乗ることが、礼儀のように思われた。
「八巻さんがそういうのであれば……、せっかく待っていただいていたようですし、でも、食べ終わったらなるべく安静にしてくださいね。」
「ふふっ、大丈夫です。有難うございます。……おじさん、チョコミントふたつください!」
彼女は、確かに動きに弱々しさはなく、滑らかな動作で財布を取り出し支払いをした。アイス屋の店主から受け取ったアイスクリームふたつのうちひとつを私に差し出した。私が一口二口食べるにつれ、彼女は得意げな顔へと表情を変化させ、私に勢いよく尋ねた。
「……どうです?おいしいでしょ!」
先ほど、痛々しい姿の彼女の提案を素直に受け入れた自分だが、今は少し困った。このチョコミントの味をどう表現したものか、困る。
甘さとこのミントの爽快感、合うようにも思うが、自分の好みではない。何よりもミントがそもそも好きじゃなかった。歯磨き剤を食べているように感じてしまう。
「う、うーん、突き抜けるような爽快感。歯が綺麗になりそうな印象を受けます。」
「そ、その反応。さては、あまり高い評価ではないんですね……。この癖になる味がいいんですけどね……。」
どうやら他の人間も私と同様なコメントをすることを経験済みらしかった。私の感想を、言葉通りに受け取るわけではなく、よく理解し、察した反応だった。
「き、嫌いなわけではないですよ。不味いだとかってわけでもなく……、ま、まあ僕はあまり好みじゃなかったかなという……ような……。」
「つ、次のチャンスを頂けると嬉しいのですが。小笠原さん挑戦してくださいますか……。」
彼女があまりに落ち込んだ様子を見せるので、つい調子の良い言葉を発してしまう。
「そ、そうですね!次は僕が奢りますよ!そうだ、いっそもうこのお店のアイスをコンプリートしちゃいますか!」
出会ったときに見た、あの太陽に花開いた向日葵の笑顔を見せる。自分の勢いに任せた提案は十分に彼女の琴線に刺さったらしい。
「……コンプリート!いいですね!今日はもう時間がないので、また明日以降にお願いします。楽しみです。」
彼女のクルクルと目まぐるしく変化する表情が楽しくて、つい少し意地悪な発言を挟んでみたくなる。
「チョコミントの二の轍を踏まないようなチョイスを期待します。」
彼女は、うっと少し呻きながら軽く肩を落とし、その後すぐに姿勢を正して返事をした。
「なかなかに、突き刺さる言葉を……。精進します!」
お互い笑い合う。
――――――――――――――――――――――
ああ、こういう関係はよかった。
男女関係がどうだといったことではなく、お互いが少し緊張し、次に期待をしている。
そうした距離感や感情の動き、得難いものなのだ。
訳もなく、笑いながら涙が出そうになる。
――――――――――――――――――――――
楽しい時間は過ぎるのが早く、お互いが自分の生活に戻る。
彼女にひとときの別れを告げ、大学へ向かう。研究室には教授がすでに来ており、デスクに座って沈痛な面持ちで何か思索に耽っているようであった。
「教授?」
私の存在に気づいていたが、声をかけられるまでは何かを考えていたかったといった様子と見えた。まるで、私に話すことがさも重大で、言葉を慎重に選びたいというように。
「修司か、今日は、論文の話は後だ。昨日の轟音の騒動は知っているだろう。あのことでな、君の構想への風当たりがますます強くなるかもしれない。」
「昨夜の轟音ですか。報道では、橋の倒壊が原因となっていましたが……。」
教授はうんうんと頷きながら、話を続けた。
「私の知り合いに軍属者がいてな、おいそれと公表することはできないものの、旧知の誼で、機密をいくらか教えてもらった。何よりも君と私に関係することかもしれないからな。」
「どういうことですか。」
「いいか、まず、我々の知っていることと知らないことを整理しよう。一般人はともかく、研究者であればまず知っていること。フォースは君も知っているだろう、一種の人工培養ヴォイドだ。」
『虚粒子兵器:フォース』
ヴォイドには通常兵器が通用しない。この難題を解決するための、悪魔の技術。ヴォイドを殺すためにヴォイドを用いる技術。
ヴォイドがどのような存在か、いまだに結論は出ていない。ヴォイドに対して、通常兵器は無効だが、ヴォイド同士ならば干渉することができると考えられた。人類に対し問答無用の敵意を持つ対象だ、無論、ヴォイドを説得して人類側に味方につけることなどできない。ヴォイドの細胞核の一部に処理を施し、人工的に培養する。ヴォイドは完全に消滅させない限り、すぐに復活してしまうため、細胞核もすぐに修復される。実際には細胞に制御ロッドを打ち込み、常に殺処理と培養の管理をしながら取り扱う。
そうしてヴォイドの機能を残しながら、人類がヴォイドを利用する兵器。それをフォースと呼んだ。
極めて厳重に管理されてるとはいえ、ヴォイドが身近にあることでパニックを呼ぶことが、軍部の懸念であった。故に、一般人に対して大々的に公表はされていなかった。もっとも、一定クラス以上の知識人や軍属者などの間ではよく知られた事実ではあった。フォース技術が、対ヴォイドにおいて、今までにないほど効果的で、今なお、より強力なものをと研究されている。フォースなしに人類はヴォイドに対抗できないとまで考えられていた。
「フォースの研究は軍でも最優先事項として進められている。今までは、たまたま上手いことフォースの管理ができていたようだが、昨夜の轟音は、新型フォースの暴走によるものらしい。戦線の後退、ヴォイド攻勢の過熱、これらを受けて、上層部はなりふり構わず、強硬な研究を進めているようだ。ゆえに、我々のようなヴォイドそのものを理解し、解き明かそうとする連中。君のように、ヴォイドにも感情があり、知性があるかもと考える存在は研究の邪魔になると看做されるだろう。知らぬが仏の方が都合良いと考える連中もいるのさ。」
教授の主張はこうだ。ヴォイド共感派は、ヴォイドは生物であり、理由があって人類を攻撃している、だから、ヴォイドとの戦いもやむを得ないが、調停の機会もあるはずだと考えている。そうした考えをもとに、ヒトによってヴォイドの同族同士を殺し合わせるようなフォースの利用には強い反発があった。
戦線に余裕のある時期はよかった。殲滅派と共感派も話し合いの機会を設けつつも、殲滅派が大多数であることで、ヴォイド研究、フォース研究の主導権を握り、周囲とのバランスを考慮しながら進めることができた。
だが、ヴォイドに連敗を続けている今、太陽系外での支配権を失った人類は、太陽系内へと徐々に防衛圏を退けつつある。ここ、地球までもがそのうち戦火に見舞われるかもしれない。
そうした状況を強く危惧した軍上層部は、この状況を打開するために、人類側の派閥バランスを無視して、フォース研究を強く推し進めだしたという。その中には、ヴォイド共感派の強い反感を生むものもあるのだろう。
私や教授のように、ヴォイド共感派の大義名分を幇助しかねない研究を行っているものは、軍から共感派のシンパシストとしてマークされ、妨害行為を受けることもあるだろう。教授は、学会でも強い影響力を持つ、軍にとって頭の痛い存在なのだ。なによりも、我々研究者に限らず、少数派のレッテルを貼られれば、それだけで生き辛い世の中だった。
「修司、これでは研究を進めるだけでも、危険思想と当局から監視されるおそれがある。君はこんな状況でも、まだ君の構想を捨てずに進めるつもりなのか。」
教授が、私の研究の是非について、軽くでも触れることは今までになかった。その教授が婉曲的にでも研究の破棄を進めるほどに、私の考えは世間からすると問題視されるものであり、私の周囲の事態が逼迫しているのだろうか。しかし、私を取り巻く状況がいまいち想像できないものの、この研究の完成が私にとって、人生の一つの大きな目標であることは確かだった。
実際に事の大きさが明確でない状況で、自分自身踏ん切りのつかない状態であったため、研究を深めた先の「発表」という段階までは、考えが及んでおらず、躊躇いがあった。
「はい、発表するかどうかはともかく、とりあえずこの考えだけは纏めたいと思っています。このために、大学院にまで進んだのですから。」
私の発言に対し、教授は眉間に皺を寄せる。察するに、教授は、私の言う「考えを纏める」ということにすら、危険性を感じていたようだった。しかし、自分の弟子たる研究者が、自分の研究をあきらめないことにも、期待していたのだろうか。
その二つの感情が入り混じった結果、少しほっとしたような、どこか憧れのあるような、そんな表情を見せて言葉を続けた。
「私は君のその意志の強さに感服するよ。君という弟子を持ててよかったように思う。自分の研究に殉じる覚悟というのは、……その、悪くない。私もできる限り、君をサポートしよう。」
教授は、素直で率直に感情を伝えるため、こちらが照れてしまう。少し弱気を感じたようにも思ったが、いつもの教授の芯が見れたようにも思った。
現在では、性差による待遇の違いなどはない。が、それでも性差による生物的な違いはある。
教授も女だてらに、研究者として大成するには多くの苦難があったことは容易に想像がつく。私の境遇と自分の過去を照らし合わせ、自分の昔と重なる部分があったのかもしれない。
哲学者シュプランガーによると、人間の価値基準は、6つの種類に分類できるという。
経済型、理論型、審美型、宗教型、権力型、社会型。
金銭を稼ぐ能力を人生の中心に据え、その物事が安いか高いか、割が良いか悪いか、その考えが多くの割合が占める人間を経済型と分類し、愛や友情といったものを重視する人間を社会型に分類する。研究者という連中は、理論型であり、自分の論理を組み立て理論を仕立てる。その理論が正しいかどうかを実証する、それが人生におけるひとつの大きな目標なのだ。
―――――――――――――――――――――
論理を信奉する研究者にとって、外的要因によって研究を捨てることは自分を捨てることだった。
私も、研究者を志した時点で、それに殉じる覚悟があったのだ。
教授は自分自身がそうであるように、私にも同じ道を歩んでほしいような気持ちを持つとともに、
研究者を突き詰めたがゆえに導かれる結末を危惧していたのだろう。
―――――――――――――――――――――
私の意志を確認した教授は、個人端末に昨日同様に目を遣ったかと思うと、片手を顔の前まであげて、謝るジェスチャーを取った。
「……すまないな、修司。今日も私は人と会う約束があるんだ。今日はもう論文指導の時間がない。また、次回にしよう。」
「いえ、教授を巻き込んでしまったようで、申し訳ないです。」
「私自身も、学会ではただの冷や飯食らいに過ぎないさ。気にするな。」
研究室の扉を開けて、出ていく際にそう言葉を残し、バタンと扉が閉じた。
ふーっと、一息つく。教授の話を聞いて、気持ちよく論文を進める気にならなかった。もちろん、自分の研究を否定する気はないし、辞める気にはならない。だが、これを利用する人間、これにより不都合を得る人間がいる。そのような状況下で、すぐに動ける気分にはならなかった。
人類の今の戦況では、ここもいつまで平和で研究を継続できるかわからない。研究への気分が乗らないことに少し焦燥感を感じる。
そのような自分だが、教授も父も私のことをよく心配してくれる。ありがたい話だ。私ももう22歳になるが、この社会では十分に成人として認められている。だが、父や師からすれば未熟な部分も多く、危なっかしいと思われているのだろう。大人になっても身を案じてくれる人間がいることは、感謝すべき環境で、大いに救われる。それは、この論文を完成させる推進力になる気がした。
そう、大人といえば、ここでまたも八巻瑠奈に考えが向かってしまう。見た目は、身長、顔つき、身体つき、どれをとっても10代前半の少女のようだ。だが、中身は立派に社会経験を持つ大人のそれだった。彼女にも、彼女の身を案じる人間が周囲にいるのだろうか。あの幼い容姿の彼女が軍属であることを選んでいることに、この社会の歪さを感じざるを得ない。彼女の両親や友人は、彼女に対してどういう感情を抱いているのだろうか。
ここまで思考して、自分は短い会話と三度ほど会ったことのみで、彼女のことをつい考えてしまう自分に気恥ずかしさを感じた。彼女の周囲の人間にまで、他人の私が勝手に考えを及ばせるなど、失礼な話だし、自分には過分な立場だ。いや、自分は彼女を心配しているのだ、なにせあの容姿だ。
そう、ひとりで恥ずかしがり、苦笑し、自分の心を分析していると、ピピピとアラーム音が自分を冷静にさせる。
「18時に飲み会」
時計を見ると、もう17時をまわっていた。急いで部屋を片付け、出かける準備をする。
教授の個人端末が今日もまたついたままだった。抜けたとこのある人とはいえ、二日連続とは少し違和感があったが、最近気忙しくしている教授だ。そういうときもあるのだろうと部屋を後にした。
約束の飲み屋に到着すると、既にほかの友人は集まっていた。
「おせーぞ、修司!」
既に十二分に飲んでいるのだろう、カレッジではお調子者で通っていた高原貴彦が出迎えてくれる。タカタカと苗字と名前が続くことをよく他人からからかわれていたことを思い出す。
そんな彼も今や統和軍の軍人、所属は機密だが階級は少佐だという。思い返せば、ふざけている様子に見えて、周囲をよく観察し、責任感を持った男だった。管理AIが彼に軍人の適性があると判断するのも納得感がある。
そんな貴彦も、今日は非番であるというし、久々にカレッジの友人との飲み会で浮かれているのだろう。この飲み会も彼が企画したものだ。
「おい、あまり飲みすぎるなよ。我々の生活を守る軍人様が醜態を晒すのは見たくない。何よりお前の吐き顔は汚いしな。」
口が悪く、はっきりと物事を言う、誠実で友人思いの権藤大。納得の医師である。その口の悪さは顕在だ。以前は病院での雇われ医師であったが、その才覚と貢献を認められ、今では自分の診療所を持つほどに、同窓でも出藍の誉れとなっている。
「そうだよー、貴彦君、修司君が来る前に飲みすぎだよ!」
大ともに同じ病院に勤めていたことのある看護士の圭子。美人というよりは、かわいらしいといった容姿。愛嬌があり、人当たりのよい性格だった。丸みを帯びた顔とおっとりとした雰囲気は人を安心させる。黙々とひとつのことに専念でき、カレッジでもどの科目も平均点以上を出していた。
自分を含め、この4人は特に仲が良く、カレッジではよく一緒にいた。自分もアルコールを体内に入れ、席に落ち着くと、自然と近況報告をお互いにしあうようになる。
「思ったよりも診療所は忙しい、統和政府下の病院は軍人の傷病対応で飽和してるしな。民間人の治療は、市中の診療所が対応するしかない。それでも、ようやく診療所の運営が軌道に乗ってきて、少し余裕ができたから今日参加できたんだ。」
その話の流れで、旧知の同僚たる圭子へと大は話題を振る。
「圭子も、今は戦線が後退したんだ、病院での仕事大変なんじゃないか。」
圭子は人差し指を顎に当て、考える仕草をする。こうした動作はいささか大げさなようにも感じられるが、圭子の持つ雰囲気にはしっくりと似合っていた。
「うーん、私は今精神科の社会復帰治療の看護士をしてるから、身体的に疲れるというよりも、精神的に気疲れしちゃう感じかな。修司君は最近どうなの?」
貴彦がジョッキを片手に持ったまま、絡むように言う。
「俺にも聞いてほしいなぁ。」
「軍人は何も話せないでしょ?」
そんな貴彦を私は片手を突き出して制止し、自分の最近を振り返る。
「俺は研究ばかりの毎日で変わり映えしないよ。自宅と研究室の往復、教授との意見交換。……そういえば昨日今日と、変わった女性と出会ったなあ。世の中広いもんだと思ったよ。」
先ほど勢いを制され、席に落ち着いてちびちびとアルコールを飲んでいた貴彦の目が、突如かっと見開かれ、再度身を乗り出してくる。
「修司に女の話題か!聞かせろ聞かせろ!」
「いや、そんなに大層な話じゃない。研究室へ行く途中の公園で、ひとりの女性とぶつかったんだ。
その人の見た目が10台前半にしか見えないのに、中身が大人、立ち振る舞いが淑女のようだった。実際の年齢も俺らより年上のようだったってだけ。」
「男はやっぱり見た目か……。」
カレッジでは密かに男性陣から人気のあった圭子も、最近は年齢を気にしているらしい。その様子を眺めて、大はワハハと笑っていた。
「いいな、修司もついに新しい恋か。医者は女受け良いといわれるが、仕事に忙殺されて出会う機会がまったくない。」
大はカレッジ時代に女性に大変モテていたからか、言葉とは裏腹に余裕が感じられる。それを受けて貴彦は、ジョッキを飲み干しながら言った。
「見た目若くて、中身大人か。おいしいじゃん?でも、そんな淑女は、なんか危険な香りもするなあ。今のご時世に、そんな大人の女性が公園をうろうろしてるもんかあ?」
確かに、職業管理が徹底されてる現在、あの時間帯のあの公園に大人がいることは珍しい。だからこそ、私はあまり周囲を気にせず全力で走ろうとしたのだ。もっとも、珍しいだけで休憩時間だったり、遅めの勤務時間だったりと、いくらでもそういう存在はいる。貴彦の軍人としての気質がまず疑うことを考えたのだろう。
その後も、八巻瑠奈のことを多く聞かれたが、私自身彼女のことがまだよくわかっていないのだ。暫くして、話題が移り変わり、カレッジ時代の貴彦の武勇伝へと話は移っていった。にぎやかで楽しい時間が流れていく。
「俺、そろそろ帰らねえと。独身軍人は寮生活だからさ、門限がうるさいのよ。」
貴彦は、先ほどまでのどんちゃん騒ぎの時の表情から、真面目な表情に切り替えて言う。軍人として生きている貴彦の生活が、垣間見えたような気がした。
「そうだな、俺も、明日も診療があるしな。圭子も途中まで送ってくよ。」
大も貴彦に賛同し、立ち上がって帰る準備を始める。
「ありがと、大君。修司君にも久々に会えて嬉しかったよ。また連絡ちょうだいね。」
圭子は自分に向き直って、真剣な表情でそういった。カレッジ時代に彼女を意識していた時期もあった。淡い青春時代を思い出してしまう。そういえば、学生時代に彼女の浮いた話は聞かなかった。あの頃を思えば、皆自分の生活を持ち、あの時の自分の感情にそのまま従っていればよかった時期とは変わったなと感じる。
それでも自分は何とか何気ない様子を装うことができた。
「まあでも、皆が元気そうでよかったよ。研究者ってなかなか人に会うことが多くないから、今日の飲み会は楽しかったよ。」
今日の飲み会は本当に楽しく、久々に昔の友達と会ったことで良い清涼剤となった。友人たちとの集まりは研究の方向性に悩んでいた自分を改めて見つめなおすことができ、またこれも推進力になる気がした。
母を幼いころに失い、絶望に暮れていただけの自分でも、このように気の置けない友人、幸せ時間を持てたのだ。父も、妻を失った苦しみから研究に逃げずに、妻の死と向き合い、親しき人と自分の人生を生きるべきだったと思う。今日の経験から私は、父がまた、いつの日か、息子である自分とも向き合って、もう少し打ち解けるようになってくれたらと、将来に期待をしていた。
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カレッジの友人たちは、本当にかけがえがないと改めて感じた。
居場所が異なっても、この息苦しい社会の中の戦友のような気がしていた。
お互いが苦しい時には、助けてくれる、そのような感覚を共有していたと思う。
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AIによって決められた住居へ、それぞれ帰路に着く。商業区の繁華街から、私の住居がある居住区へと向かうには、毎日通る公園を経由するのが一番都合がいい。
私は心地よい酔いを感じながらも、夜風に当たる気持ちよさを十分に堪能していた。
しかし、それを見たとき、私は少し高揚するのを感じた。夜道からでもその小柄なシルエットはわかった。八巻瑠奈だ。いつもの場所、いつものベンチに、街灯の明かりの下で、座って顔を伏せ、俯いていた。
「八巻さん……?」
体調でも悪いのだろうか。八巻瑠奈は、予期せず突然声をかけられたことに驚いた様子だった。ビクッと身体を震わせたかと思うと、ゆっくりとした動作でこちらに振り向いた。
「え、小笠原さん……?」
私の呼びかけに対して、八巻瑠奈はいつもの元気に満ちた声ではなく、か細い、絞り出したような声を出す。振り返った彼女の顔から、街灯の光で一瞬見えなかったが、涙が零れ落ちていた。瑠璃色の輝きを持つ美しい瞳は、涙で溢れ、その輝きを一層増していた。街灯の光を浴びて輝く、まさしく月であった。
「ごめんなさい、お恥ずかしい姿を。」
顔を上げた彼女は、涙を見せたことを恥じるかのような表情を見せ、すぐにハンカチを取り出し、目を拭った。
「でも、どうして小笠原さんがここに?」
心なしか、いつもよりも気の抜けた顔に見える。まだ少し目が赤い。
「友人と飲んでいました。その帰りです。それよりも、八巻さん大丈夫ですか?先ほど泣いていたように見えましたけど、何かあったんですか?」
ベンチに座る彼女と私では身長差があり、彼女の顔を覗き込むように、身体を傾けて尋ねる。
「いえ、そうたいしたことではなかったんです。気になさらないでください。」
弱々しい笑顔を見せながら彼女言った。いつもの向日葵ではなかった。また、冷静な様子を取り繕おうとしているようにも見えた。
「本当に大丈夫ですか?何か困ったことがあれば、僕でよければ相談に乗りますよ。話したら楽になることもあるかもしれません。」
顔見知り程度と自覚したばかりだったのに、つい聞いてしまう。
「そうですね、ほんとに他愛のないことなんですけど、お仕事が少し嫌になってしまって……。色々と考えているうちに涙が出てきてしまったんです。」
いくら適性によって判断され、職業の選択がなされるとはいえ、仕事は人間同士の営みである以上、様々なストレスが存在する。一般の仕事でもそうなのだ、軍属であるだろう彼女ならなおさらのことだと思う。
私は彼女の横に座りながら、大げさに頷いて、同意を示す。
「そうなんですね、八巻さんのお仕事をよく知っているわけじゃありませんが、仕事って辛いときがありますよね。僕の場合もそういう時があります。僕は、そういう時、仕事を徹底的に放棄するか、気分転換に他の事をするように心がけてます。」
陳腐なセリフしか出てこない。安い言葉をまくしたてるような、自分のボキャブラリーのなさが心許ない。だが彼女は、私の言葉を聞いて、右手の握りこぶしを顎に当て、少し考えるような仕草をした。それを見て、私は、特別な言葉ではないが、悩める彼女は、こういう同意や当たり障りのない言葉がほしかったのだと自分に言い聞かせる。
「そうですね……。気分転換いいですね。でも、なかなか休日が取れなくって……。」
軍属者は今のご時世、定期的な休みがないと聞く。先ほど貴彦も愚痴っていたぐらいだ。少ない時間でもできる気分転換は何があるだろうと考えていると、思いついたのがアイス好きの彼女の姿だった。
「例えば、明日はアイスを三段で注文するなんてどうですか!僕が奢りますよ!」
このいささか暗い雰囲気が変わってくれないかと、冗談のつもりで言う。だが、彼女はそれを聞いて、まさかそんな手があったのかといった表情をする。
「いいですね!それに決まりました!」
正直、少し単純すぎる気もするが、彼女がこれでその悩みを解消してくれるならそれでいい。
「小笠原さんお願いがあります。今朝の話、ちゃんと守ってくださいね!」
「コンプリートのことですか?約束じゃないですか、守りますよ。」
「有難うございます。……これを楽しみに、少しがんばれそうな気がします。」
彼女はそういっていつもの向日葵のような笑顔を見せたが、まだ目には涙が少しだけ滲んでいた。
また、彼女は今朝のようには包帯をしておらず、本当に軽いケガのようだった。
私は、彼女と明日の朝、また出会えることを楽しみにしていた。
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