第5話 ジャンクな初体験

 S市の繁華街、メインストリートにて。一組のカップルが歩いて行くさまに視線が集中した。「ザワッ」っという擬音が似合いそうな雰囲気がわく。

 視線の先はカップルの女性側。十代と思われる外人女性で、整ってはいるが、親しみやすさを感じさせる顔立ち。亜麻色の髪を際立たせる若草色のチュニック姿で、無防備な好奇心をのぞかせて、あたりをキョロキョロしている。

 腕をからめ合ってエスコートする男の方には、トゲの混じった羨望の視線がささる。こちらは普通の日本人顔。イケメンというより、感じがいいという表現がぴったりくる。まわりの視線が集中しているのを自覚しながら努めて無視しているようだった。女の子の発する細々とした質問に、逐一答えていく。


 今日はアリエルにとって、初めて街中に出てみる日。数日かけてテレビその他のメディアでもって、現代日本の基本常識を身につけて来た。そこで実地練習というかフィールドワークに、踏み切ってみたのだが……


「あ……」


 アリエルが声をあげ、ラーメン屋の前で立ち止まった。地元中心に展開しているチェーン店である。


「Jー麺屋、もう知っているだろう? よくニュースの時間にコマーシャル打ってるよね」

「……知ってる知ってる笑顔が知ってる、Jー麺ウマイと笑顔が知ってる……♪」


 突然彼女が歌い出したアカ抜けないCMソング。ビジュアルとの激しい落差に、あたりの男たちが軒並みコケた。タクマも赤面しながら彼女の手を引き、その場を離れる。

 その後もアリエルは、テレビでよく見るチェーン店前で、ついCMソングを口ずさんでしまう。CMソングって、しみじみ洗脳ソングなんだなあと、今さらな感想を持つタクマ。ついで、「アリエル・レコーダー」があちこちで起動するさまを見て、CMソングってこんな会社にまであったのかと、感心とあきれの混じった感情にかられた。さすがにそこまで集中的にテレビを見ていた覚えがないもので。


 通販では買いづらい細かな買い物を済ませて、アリエルがいかにも入りたそうにしていた牛丼店で昼食にした。本当は、高級とは言わないまでも、もうすこし雰囲気のいい店にしたかったのだが、ここ三日ほどテレビからの情報入手に浸りきっていたアリエルにとって、さすがに断ち切りがたい誘惑になってたようだ。

 並盛りを頼んで、アリエルの分にはスプーンをつけてもらった。おそるおそるといった調子で口に運び、にっこり笑って指で○印を作るアリエル。こんなしぐさもテレビ見てると覚えるんだなあ……。ほほえましく思いながらも、本当に今さらながら、メディアの浸食力に畏怖の念が湧く。


 ことさら味覚が合わないということもないようで、安心したアリエルはさらにメジャーなファストフードをリクエストした。マスコットキャラのピエロが微妙に怖いハンバーガーチェーンである。しかし、半分食べた所で挫折。そりゃ、牛丼一杯平らげた後じゃなあ……。残りはタクマがおいしく頂きました。

 帰りにもアリエルにせがまれて、なぜか飲茶も出すドーナッツチェーンでいくつか買いこんだ。……これは……早めに釘を刺しておいたほうがいいような……


「あ、アリエル、帰ったらヘルスメーターの場所、教えておくね」

「ヘルスメーター? 何それ、美味しいの?」


 ……わかって言ってるんじゃないかという疑惑がわいたが……


「……見た方がわかりやすいから」

「はいっ」


いつもどおり素直なアリエルだった。


 家につく。タクマは心を鬼にする気分で、正座しながら「それ」をアリエルの前に差し出した。


「……何、これ? 文字盤が動くのね?」

「ヘルスメーター。別名を、体重計と申します」


 アリエルがのけぞって硬直した。BGMに、バッハのトッカータとフーガ/ニ短調が鳴り響くかのようだった。


「……な……なぜ、そのような……」

「アリエル……テレビの健康番組も見たことあるでしょう? 『○して△ッテン』とか『◇んなの家庭の医学』とか。太りすぎはもっともポピュラーな成人病のきっかけで……」

「やめてぇぇぇぇ!」

「内臓脂肪の蓄積が、いわゆるメタボリック症候群を引きおこし……」

「いやぁぁぁぁぁ!」

「ああ、二の腕が、下腹が、アゴの下が……」

「ゆるしてぇぇぇ!」


 居間の絨毯の上でジタバタともがくアリエル。やがて顔をそむけてシクシクとすすり泣き始めた。タクマはそっと背後から抱き寄せて、肩越しに頬と頬を合わせる。


「大丈夫、アリエルは太ってないって」

「……ホント?」

「当然。オレが心配してるのは『これから』の話。今はむしろ細すぎるくらいだって」


 ジャンクフードに特有な「砂糖・油」のコンビネーションは、人間の味覚にとって本能的に旨いと感じるようになっているそうな。アリエルはそれに対して「免疫」がないわけだから、早い内から警戒しておくに越したことはない。


「……じゃ、その……もし……私が太っちゃったら……キライになる……?」

「ならない」

「ホント?」

「ホントにホント」

「ホントにホントにホント?」

「……えいっ」

「きゃっ……!」


 話が進まないので、タクマはアリエルを説得するのに、特殊な交渉術を使った。その詳細は極秘事項のため、お見せすることはできない。


 ◇


 ありがたい事に、アリエルはジャンクフードにずぶハマリする所までは行かなかった。一度食べてみて、「こういうものか」とわかれば十分らしい。


「砂糖や油脂が贅沢に使われているのはわかるけど……ちょっと行き過ぎと思うものもあるわ」


とのこと。なるほど、別な地域どころか、ほとんど時代が違うと言っていい別世界からきたお姫様にとっては、くどいと感じても不思議はないか。地球の中世ヨーロッパでも、塩をはじめとする調味料類は、今ほどバサバサ使える品ではなかったというし。


 魔素を回復するために近所の神社までジョギングするようになったのも大きかった。適度な運動を一日のスケジュールに組み込めたわけだ。ジョギングにはタクマもつきあうことにして、鈍りぎみだった体を鍛え直すことにした。五月の涼しい朝風の中で、一緒に同じ風景を見て汗を流すのは、実にいい。月並みな表現だが、心が洗われるようとはこういうことかと実感する。


 だがしかし……買って即食べるジャンクには、はまらず済んだのだが、作るほうはそうは行かなかったようで……


「はい、タクマ! 今日のお昼は○ッポロ一番みそラーメン! 定番だけど、ニンニクオイルを垂らすと、あら不思議!」

「アリエル……朝もラーメンだったんだけど……」


 自分で作って、色々とアレンジできるのが面白くて仕方ないらしい。袋ラーメンの他に、キッチンには怪しい調味料がどんどん増えていった。


「さらに○ャルメラにゆず胡椒を少し入れると、全く別物!」

「わかった……わかったから……」

「とどめのスゴ技! ゆでるときに重曹を少量入れると、なんと生麺風味に変身!」

「頼むから、ラーメンから離れてくれぇぇ……」


 一週間ほど袋ラーメンにはまってから、ようやくアリエルの興味は○ックドゥ(出来合い調味料全般)に移ったのだった……

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