第3話 再会

 光の奔流に囲まれ、めまいを感じて一時気を失っていたのだろうか。アリエルが気づくと、頭の上には空があった。紫に染まった雲は、朝なのか夕方なのか。周りにそびえる木々が薄紅色の細やかな花を咲かせて、雲か霞のようだった。こんな密度で咲く花は、見た事がない。


(──きれい──)


 しばらく茫然と花を見上げていたのだが、ふと違和感を感じて、夢から覚めるように自分の状態に注意を戻す。石造りのトンネルにいたはずなのに、辺りのようすが一変していた。空の下、木々の間、座っているのは木材でできたベンチ。見た事もない場所である。


「ここは……どこ? 一体、何が起こったの……?」


 努めて心を静めて、観察の対象を木々の配置・樹形に移してみる。人の手が入っているのは明らかだった。木々の間を、これまた人工的に作られた道が通っている。

 そして彼女は感じていた違和感の原因に気づいた。魔素がない。大気中に、魔力の素となる物質を感じられない。それはイムラーヴァにおいては、かなりな異常事態と言える。人為的に魔素を除く結界でも張らなければ、あり得ない。一体どういうことなのか?

 たち上がってあたりを見渡していると、近づいてくる足音に気づいた。あわてて反対方向に飛びすさる。道の向こうから人族と見える男が一人、見たこともない服を着て、奇妙に規則正しい動きで駆けてくる。敵か? 味方か? 武器は……持っていない? ならば襲われたとしても切り抜けられるか? 全身の神経を張りつめ、身構えたのだが……

 ローブ姿で身構えているアリエルと視線を合わせると、男は怪訝な表情を浮かべたが、大回りして距離を取り、走り去っていった……

 完全スルーという予想外の展開に、安堵とも拍子抜けともつかない気持ちになるアリエル。


(……どういうこと? 今のは人族……よね? しかし私を無視していった?)


 とにかく、今起こった事にだけに考えを限るなら……人族と思える者がいて、そのうえ敵対的な態度は示さなかった。そうであれば、さし迫った危険はないと考えていいのだろうか? アリエルはしばらく考えたあと、ローブのフードをかぶり直し、男が走り去った方向に進んでみることにした。

 次に遭遇したのは少年が二人。これまた見たことのない服装で、互いにしゃべっている言葉がまた理解できない。アリエルの姿を見ると言葉を切って、薄気味悪そうな表情で足早に去って行く。その時のアリエルに自覚はなかったが、頭からつま先まで隠れるローブ姿は、現代日本ではかなり異様に見える。


(この場所は……イムラーヴァとは別の世界? 言葉がわからないならまだしも、魔素まで感じられないとなれば……)


 自分はあの時、「世界の壁」を越えたのか? タクマがイムラーヴァに召喚されたように。とすれば、この世界に私を召喚した何ものかがいる? しかし、この世界で最初にいた場所は、召喚魔方陣の中ではなかった。いや、魔力自体を感じなかった。そもそもこの世界に魔法は存在するのか? ここまで魔素が少ない、いや、感じられない世界で?

 困惑しながらあたりを観察するアリエル。次第に闇が濃くなっていくさまを見れば、時刻は夕暮れ時らしい。木々の向こうに人口の構造物らしいものが見えてきて、内側から煌々と光を放っている。その光からは、やはり魔力は感じられない。ロウソクやランプの光ではあり得ない。それでいて魔法でもないなんて?

 次に近づいてきたのは若い男の4~5人ほどの集団だった。話す言葉は理解できないままだが、ムダに大きい声や大仰な笑い方から、酒が入っているように思える。これは関わらない方がいいと距離をとったアリエルだったが、突然吹いてきた風に、運悪くフードがめくれ落ちた。夜目にもわかる涼やかな顔立ちを見て、男の一人が口笛を吹いた。顔をニヤけさせて近づいてくる。


「*■★☆#□○?」

「えっと……」


 かけてくる言葉は相変わらず理解できない。が、やはり吐く息から酒の匂いがした。どう対処したものかと迷うアリエルに、男はなれなれしく近づいて肩に手を回そうとする。思わずアリエルは伸ばしてきた腕を払ってしまった。反射的に習い覚えた護身技の型になり、男は足をもつれさせて転倒した。仲間からヒョーと煽るような声が上がった。立ちあがった男の顔が屈辱にゆがんでいる。


(いけない! やりすぎた!)


 声を荒げて迫ってくる男に背を向けて、アリエルは走りだした。男たちも走って追ってくる。体力にはそれなりに自信がある。つい最近まで実際に戦場に出ていたのだ。走って逃げ切れるはずだったのだが、これまた運悪く地の利がなかった。道の先が行き止まりだったのだ。石垣の下に水が湛えられており、安全のためかロープが等間隔に張られていた。男たちに追いつかれてしまった。アリエルに転ばされた男はまだ怒りがおさまらないようだ。かけてくる言葉の意味はわからないが、語調はかなりとげとげしい。一緒に追ってきた仲間たちは、むしろ彼をなだめようとしているように見えたが、男は仲間にも怒気を含んだ言葉を返す。どうすればいい? 戦って無力化できない相手ではないが、それをする事が、この異世界らしい場所でどういう結果をもたらすのか? 迷い、混乱するアリエルだったが、


 ピリピリピーーーーッ!


鋭い笛の音が響いた。今しがた走ってきた方角から、二人連れの男が駆けてくる。一見して兵士か役人という印象をもった。今まで会った「現地人」は全て服装がバラバラだったのに、二人とも同じ服装をしている。何らかの制服と思われた。役人? を見て、男たちの態度が変わった。明らかに下手したてに出ている。怒っていた男は、さすがにあっさりと態度が変わることはなかったが、彼らに対して語る言葉は、どこか弁解しているような口調だった。

 二人連れの片方が近寄ってきて、アリエルに声をかけた。初老の男だ。口調は柔らかく感じられたが、やはり内容は理解できない。助けられた形のアリエルだったが、しかし微妙な立場には変わりない。彼らが予想どおりこの世界の役人ならば、アリエルに対して下す処分によっては、一般人よりもさらに危険かもしれないのだ。


「*~@#&? ¥¥%$;?」

「ごめんなさい……わからない……わからないんです……」


 アリエルも混乱している。イムラーヴァ共通語が相手に理解されるはずがないとわかっていながら、「わからない」をくり返すしかない。「役人」たちも困り顔になりながら、制服のポケットから束ねられたカードをとり出した。そこに書かれている文字をアリエルに指さし示すが、理解できるものはひとつもない。なにやら、いろんな種類の文字がまとめられているのはわかるのだが……

 心細さに目頭が熱くなってきた時


「アリエル!?」


彼女の名を呼ぶ、驚きのこもった声。思わずふり返った先に、「彼」がいた。幾度も夢に見た、帰還した時の姿のまま、服装だけが「こちら風」で。その瞬間、アリエルにとって周りの全てが消えた。


「タクマーっ!!」


 まっすぐ彼の胸に飛びこんで、子供のように声をあげて泣きだすアリエル。タクマも語る言葉が見つからず、ただ彼女をきつく抱きしめた。若い男たちはやさぐれた視線を送り、警官二人は、やれやれといった表情を浮かべた。


 警官たちのいくつかの質問にタクマが答えて、二人はその場から解放された。彼らにはアリエルを、かつて留学でお世話になった家庭からきたホームステイと説明しておいた。まあ、まるきりのウソではない。タクマの家に向かう道すがら、アリエルはぽつりぽつりと、一別以来のイムラーヴァの事情を語った。彼女が使節に出た先で、正体不明の集団に襲われてほとんど死地にあった下りでは、肩に回したタクマの腕に思わず力がこもる。


「……タクマ……ちょっと……苦しい」

「ご、ごめん!」


 思わず力を抜くタクマ。と、今度はアリエルが、タクマの腰に回した腕に力を込めて頭をすりよせた。タクマの頬が熱くなる。かつて一緒のパーティーで戦っていたころも、こんな風に身を寄せ合ったことはない。しかしどちらも体を離す気はまったく起こらなかった。失ったもの。二度と会えないと思っていた人が腕の中にいる。少しでも身を離せば、それが幻になってしまいそうな不安を、お互いに感じていた。

 そしてアリエルの胸には、もう一つの懸念が……


「あの、タクマ……こちらからイムラーヴァに渡る方法って……」

「……ない。少なくとも、オレは知らない。残念だけど……」

「……そう……」


 半ば予期していた答えではあった。魔素がまったく感じられない大気。かつてタクマが故郷を「魔法がない」世界と言っていたこと。それらを考え合わせれば、イヤでもその結論に達せざるを得ない。


 家につくと、アリエルにはカルチャーショックの連続が待っていた。履き物を脱いで、一段高くなった廊下に上がる。建材はほとんどが木材らしい。通された居間で、ようやく彼女の認識に近いソファーを発見し、腰を落ち着けた。

 キッチンで湯を沸かし、タクマは手早くインスタントのココアを入れた。もう五月とはいえ、夜風はそれなりに冷たい。温かく甘い飲み物に人心地つくと、アリエルはこの家にタクマ以外の気配が感じられない事に気づいた。家の規模としてはかなり広い方だと思うのだが、このがらんどうな雰囲気はどういうことだろう? そういえば、自分はタクマが故郷でどんなふうに暮らしているか、ほとんど知らない。


「ね、タクマ。あなたの話を聞かせて? この世界に帰ってきてからの……」

「ん? そうだな……」


 求められるまま、タクマは自分の近況を語った。帰還した時、在籍していた学校の学生資格を失っていたこと。両親は既に他界しており(これはイムラーヴァでも仲間に話していたことだったが)、叔父一家と暮らしていたのだが、祖父からひとり暮らしをすることを命ぜられて、昔、親と一緒に住んでいたこの家に戻ってきたこと。予備校という学校の代わりのような施設に通い、大学という上級学校への進学を目指していること……


「じゃあ、上級学校の試験をひかえているのね? ……ごめんなさい、そんな大事な時に、その……こんな風に転がり込んできて……」

「ばか、謝るな! 大学なんかより、君の方がずっと大事だ! 君に……君の身に何かあったら、オレは……!」


 顔を向け合い、互いに合わせた視線がはずせない。アリエルは瞳を潤ませ、そのまま体を向けて座り直し、姿勢を正した。


「タクマ……言いたいことが……あるの……。あなたが帰る時、言えなかった……。言いたいけど、言えなかったこと……。わ、わたしは……あなたが……」


 その瞬間、タクマはアリエルの唇に人差し指をあて、言葉をさえぎった。


「タ……クマ……」


 拒絶かと思ったアリエルの瞳に、みるみる涙があふれていく。タクマもまた、アリエルに正面から向き合って座り直した。


「オレに先に言わせてくれ……」

「あっ……」


 タクマはアリエルの手をとって、顔を近づける。


「アリエル……君が好きだ。君が……大好きだ。オレは……どうしようもないバカだから、イムラーヴァから帰ってきた時に気づいたんだ。オレにとって、君がどれほど大切だったか。君を二度と……なくしたくな……」


 告白の最後はアリエルの抱擁で遮られた。タクマの耳元で嗚咽にとぎれながら、アリエルは言葉をつなぐ。


「叶いました……。わたしの願い……今、全部叶いました……。タクマ……好き、大好き。タクマ……タクマぁ……」


 アリエルの細い背中をかき抱くタクマ。彼の瞳も、うっすらとにじんでいた。長い抱擁のあと二人は顔を合わせて、最初はついばむように、そして深く、キスを交わした──

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