第2話 アリエルの遭難

 フェルナバール王国の辺境砦が炎に包まれていた。王国側の護衛兵による剣戟の音はすでにまばらになり、襲撃者の怒鳴り声だけが響く。


「王女を探せ! 生死は問わんが、生かして捕えた者には金貨三十! 見つけただけでも十枚だ!」


 王国使節団が駐留した砦は、夜半に正体不明の武装集団に奇襲を受けた。国家外交の常識からすれば、対話のために遣わされる使者を襲うなど、事態を泥沼化させかねない愚策のはず。まして使節団長アリエルは、イムラーヴァ人族全体の英雄と言ってよい。その認識がかえって油断につながった。使節団を守る兵力は少なく、アリエル・フェルナバールは四聖戦士の一人とはいえ、得意とするのは神聖回復魔法。襲撃を撃退するには戦力が足りなかった。別な見方をすれば、最初から使節団の戦力を超えるように武装集団は組織されていたとも言える。


 目立たぬ色のローブをまとった女が一人、砦の要人脱出坑道を駆けていく。はらりと、頭部をおおっていたフードが落ちてのぞくのは、亜麻色の髪にまだあどけなさの残る端正な面立ち。護衛兵の懇願に近い要請に負け、ひとり脱出したアリエルだった。


(待っていてみんな、必ず援軍を連れて帰るから……!)


 それを心にくり返し、坑道をひた走る。が、しかし


「なぜ……こんな……」


脱出坑は人為的に途中でふさがれていた。まるでその襲撃のために準備されたように。やむを得ず引き返そうとしたアリエルだったが、入り口付近は火災のために既に崩れてしまっていた。進退きわまった。火の手が鎮まらなければ、数時間たたないうちに窒息してしまうだろう。彼女の魔法では、大質量のガレキを排除することはできない。その場に力なく座りこむアリエル。これが……自分の最期なのだろうか?


 脳裏をよぎる思い出は、勇者パーティーに加わり旅をした半年余りの出来事。生真面目で堅実な騎士ロレント、大ざっぱでいながら比類のない天才魔術師カレン、そして……異国から来た勇者タクマ・シドウ。強制的にイムラーヴァに召喚された事に反発し、幾度もフェルナバール王国首脳と対立しながらも、結局は聖剣の力を受け入れ、人族の未来を守ってくれた黒髪の少年。彼とともに戦い、傷つき、成し遂げたまぶしい日々。いつしか、彼と同じ景色を見て同じ風を吸い、彼の声を聞き続けたいと願うようになっていった……


「会いたい……タクマ……」


 勇者帰還のあの日、のど元まで出かかっていた言葉を伝えられなかった。魔方陣の中央に立つ彼の瞳を見、胸の内に狂おしく繰りかえすだけで、その想いを伝えられなかった。自らの都合で彼の意志に関係なく、元の生活をねじ曲げた自分たちに、それを願う資格はないのだから……

 だがしかし、これが自分の、この世に残す最後の言葉ならば……


「会いたい……タクマ……タクマっ」


 伏せた顔を振り上げて、叫びとなってほとばしる想い。


「好きでした! 大好きでした! ずっと一緒にいて欲しかった! ずっとあなたのそばにいたかった! 身勝手でも……わがままでも……タクマっ……あなたが、好き!!」


 その瞬間、アリエルは光の奔流に飲み込まれ、次元の壁を越えた。


 ◇─────◇


 予備校から自宅に帰ってきた志藤拓磨は、留守電が入っているのに気づいた。心当たりは田舎の祖父母か叔父夫婦。いまだ携帯電話になれていない人たち。返信すると叔母の史子が電話に出た。


「ああ、拓磨ちゃん元気? ごめんなさいね、別に用ってわけじゃないんだけど……」


 あれこれと気遣わしげな叔母に、相づちを打つタクマ。独り暮らしを始めてから、数日おきにかかってくる定期電だ。


「……おじいちゃんが、また、ガンコでねえ……。機会を見つけて話してはいるんだけど……」

「大丈夫だよフミコばさん。おじいちゃんは『シャキッとせい』って事なんだろうし、そう考えるのはしかたないと思う」

「それにしたって……何も大検ひかえている拓磨ちゃんをひとり暮らしさせなくても……」

「今は大検じゃなくて高認だよ。身の回りのことは適当にこなしてるから……」


 なおもタクマの身辺を気遣う叔母と二言三言、言葉を交わし、タクマは受話器を置いた。中学に上がる直前に事故で両親を失ってから、親代わりになって育ててくれた叔父夫婦だった。高校三年の半ばより、ほぼ一年にわたってタクマが失踪してから、叔母の心配性はさらに度を加えたように感じる。


(無理もない……か。失踪の理由が『異世界に行ってました』じゃなあ)


 元の世界に帰ってきて、歓喜とともに迎えられながらも、それまでの行動を問い詰められたタクマは、一応自分の身に起こったことを包み隠さず話した。親族会議の場は微妙な沈黙に包まれ、あまつさえ


「そういうことは、余所では言っちゃだめよ? 拓磨ちゃん……」


叔母の史子に釘を刺される始末だった。


 居間に入って、座椅子に腰を落とすタクマ。テレビの対面だが、スイッチを入れるでもなく、ぼんやりと視線を宙にさまよわせる。

 イムラーヴァから帰って、何もかも積極的に関わる気になれないタクマだった。胸の底に座る冷たい思いは……喪失感。召喚された頃は元の世界に帰ることばかり考えていたのに、それが叶ってみると、自分の中で「彼女」の存在がこれほどまでに大きくなっていたことを気づかされたのだった。


(アリエル……会いたいな……)


 フェルナバール王国第三王女という身分にもかかわらず、気さくで明るい少女だった。亜麻色の髪に、掘りの深すぎない面立ち。初めて出合った時には一瞬、メイクが濃いだけの東洋人かと思ったものだ。実際は、公的な場のほかは滅多に化粧もしない娘だったのだが。好奇心旺盛で、コロコロとよく変わる表情。自分の意志を無視した形で異世界に引きずり込まれ、孤立しかけていたタクマに対して、彼女は一番最初に「味方」になってくれたと思う。文字通り、神聖魔法を極め彼のパーティーに加わる事によっても。彼女の身分からいえば、そんな無謀に近い荒行を修める理由などなかったはずなのだ。次第に彼女の存在自体が、タクマがイムラーヴァ人族のため戦う理由になっていった。……一度も口にしたことはなかったが。

 いや、イムラーヴァにいたころは、はっきりとそれを自覚できなかったのだ。魔王を封印し、現代日本に送還されて……初めて自分が大きなものを失ったことに気づかされた。それは、幼い頃両親を亡くした時をも超える喪失感だった。体の底から動力源を引き抜かれたようで、何もやる気が起きなかった。


 タクマの祖父は田舎で古武術の道場を開いている武道家である。叔父夫婦と同居しており、タクマを引き取ってから「男子のたしなみ」として武術を教えてきた。一年の失踪期間を経て帰ってきた孫が、以前とはケタ違いの腕前になっていたことから、よほどの事情があったとは察している。だがしかし、同時に孫が陥っているどうしようもない無気力状態を歯がゆく思い、タクマが昔、両親と暮らしていた家での独り暮らしを命じたのだった。まあひとり暮らしとはいっても、叔父一家の家から二〇キロ程度しか離れていない地方都市だが。今は祖父の考えも理解できる。あのまま叔父一家と暮らして、身の回りのことを祖母や叔母がやってくれる環境だったら、なにもしないで生きているだけになってしまったかもしれない。


 高校の卒業資格を得られなかったタクマだが、高認の資格を得て大学に進む事を一応の目標と定めた。予備校に通い自活を始めて、曲がりなりにも新生活をスタートさせたが……五月に入っても胸の空白は埋まらないままだった。

 天井を見上げて声に出してみる。


「会いたいな……アリエル……」


 二つの世界で同時に発せられた言葉が鍵となったのか。その瞬間、タクマの住む地方都市に、魔力の衝撃波が走った。


「なっ!」


 思わず跳ね起きて、家の外に飛び出すタクマ。「こちら側」に帰ってきて、こんな現象に出あったことはない。目をつぶり精神を研ぎ澄ますと、魔力の波が小さくなっていくのが感じられた。池に投げられた小石の起こした波紋のように。中心は──


「城跡公園!」


 三キロほど離れた繁華街に近い公園めがけ、タクマは走りだした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る