第2話

海辺で猫が鳴いていた。

それを見ると、奴はなんだかむしゃくしゃして、涙を流していた。

一人の女の子がそんな奴を慰めている。


「いい気なもんだよな」俺のすぐ隣でケンタは言った。

「本当だよ」俺も答えた。


ここは古びたホテルの二階のベランダである。真っ白な外装は、ところどころ剥げていて無惨だ。

勝手に泊まっているが、管理人はいないから構わないだろう。食料だって自分たちで集めているんだし。


それで、俺はこの頃ここから見える砂浜にいる男を見るようになった。奴はよく泣く。

なぜだろう、別に悲しくもないだろうし、嬉しくもないだろうに。


「泣くのが好きなんだろうな。きっと」

ケンタは独り言のように呟いて、同意を求めるように俺を見たが、俺は何も答えなかった。


次の日、軽い地震が起きた。

どうしたのかとのそのそ起き上がると、目の前に生えていた一本のバナナの木が倒れていた。


どうやらこのホテル近辺だけ揺れたらしい。

こういうこともあるもんだな。


それから今日はケンタがずっと眠っているようだ。

いつもはあいつ、俺より遅く起きることないのに。何かあったんだろうか。…まっ、調べる必要もない。


久しぶりに外へ出てみた。

風が潮を含んでいて異臭が漂う。

フナムシなんぞは、よくこういうのに耐えているものだ。体が平らだから、大方、鼻も潰れているんだろう。


白い砂は太陽の光を反射してこれでもかというほどに輝いていた。

俺は目を細めながら前へ進む。

ザザン、と波が打ち寄せ、引いていく音がする。

気持ち良い音楽だと言われれば、そうかもなぁ、と返すだろう。

逆に、ノイズだ!と叫ばれれば、これも、その通り、と言うのだろう。

付和雷同?ちょっと違うな。あいつはみんなの意見に流されやすいことを言うのだ、恐らくは。


花びらが落ちてきた。

ピンクがかっていて、そう、それはどうやら桜らしかったのだが、どうしてこんな植物がここにあるのか分からない。


俺はため息をついて横を見た。

ずっと連なる線。

その先に、奴がいた。


昨日いた女の子を肩に乗せて、何やら喋っている。

あの子はここら辺の住民なのだろうか。

俺は憮然と掌を見た。

生命線は袈裟斬りに続いているが、はて、今自殺すれば手相診断の過ちというものを証明できてしまうんだろうか。


遠くにヨットが浮かんでいる。

こんな暑苦しい中、どうしてだろう。

ヨットなんかより、こうして。


俺は海へ飛び込んだ。

大抵それから気づくのだが、この海は生活排水がじゃんじゃん流れ込んできているから汚い。

海は青っぽく見えるけれど、いざ入ってみればゴミだらけだ。


クラゲもプカプカ浮いている。

こいつはキノコのカサみたいな部分をむしり取って足だけにしてもまだ元気に肌を突き刺してくるから注意だ。

俺はそのクラゲに唾を吐きかけて逃げた。


海の底は藻が当然のように生えている。

その間には小魚。

こういう汚水にもちゃんと生き物はいる。

侮っちゃあいけない。


プハッ

顔を上げて息を吸い込み、ついでにやっと女の子を眺める。

女の子はもう肩から降りて、手をつないでいた。


俺はそれを視界に入れると、また底へ沈む。

カニが横歩きしている。

それも忌々しい。

くそっ。


また顔を上げた、その途端、ザバン!と大きな波を不意打ちに食らって、咳き込んだ。


遠くでウォーターバイクが唸っている。

あの野郎、やりやがったな。


俺は苦笑いしながらまたゴホゴホと咳き込み、顔を手で拭った。

目は既に充血しているようだ。ジンジンしている。


「おーい」と呼ばれたので、そっちを向くと、ケンタが手を振っていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る