第8話

 写真館を営むお父さんが楽しみにしていることがある。私たちの成長を自分のスタジオで撮ることだ。それは、赤ちゃんの頃からずっと続いている。そして今も続いている。お父さんのスタジオで、私たち二人の生まれたままの姿を撮り続けている。だから、私と歩のヌード写真が我が家にはたくさんある。私もこの行事をとても楽しみにしていた。そのことを友達に話すと、大抵驚かれる。でも私と歩は生まれた時から続けてきた行事なので、何の抵抗もないし、当たり前だと思って来た。

 私たちはいつも並んで写っている。こわばった二人、しかつめらしくしている二人、微笑んでいる二人、大笑いしている二人、どれも私と歩で、どれも裸で写っている。そのアルバムは、二十五年前から私たちが一緒に生き続けてきたのだと確信させてくれる。幼い頃の写真を観ると、私たちは似ていない。私はお父さん似だけど、歩はお母さん似だ。お母さんのくっきりとした目鼻立ちが歩に継承されている。歩の方が女の子っぽい。この頃は、まだ歩は自分が女の子だと思っている頃かもしれない。おちんちんが萎んでなくなると信じていたかわいい歩だ。中学生になった頃から、私の体は女になっていく。どんどん丸みを帯びていく私の体の横で、痩せっぽちな歩が笑っている。高校生になって、女性ホルモンを服用するようになってからの歩は、身体の線が柔らかくなって胸が膨らんでいるのがわかる。あの頃はそんなに思わなかったが、こうやって中学生の頃と高校生を中退してからの歩とを見比べてみると、随分女の体に変っている。中学生の頃も十分女の子だと思っていたが、女性ホルモンを服用してからの歩とは全然違う。私の身体はどんどんお尻が大きくなって、胸も大きくなって、肉づきが気になる。細く華奢な歩の身体が羨ましいくらいだ。お父さんの真新しかったスタジオも、少しずつ年季が入ってゆく。

 自分たちのこのアルバムを見るのが好きだ。歩とは違う自分の体を見て、私は安心する。何より、私の視線が留まるのは下半身だった。歩はまぎれもなく男の子だ。萎んで無くなるはずだったペニスがある。小学生のような無邪気な姿のそれは、歩の証明だった。私が見続けてきた歩の姿だった。私の股間には陰毛が少しあるだけだ。それを見て、私は何故だか安心する。女で良かったと思う。中学生に入ってから、胸が大きくなり始め、お尻が大きくなった。最初は、このまま成長していくのが嫌だった。大人になるというよりは、女になるという気がして恥ずかしかった。体の形が変わらない歩が羨ましかった。けれど、今は優越感に浸れる。歩には絶対に手に入らない自分の体を見ると、胸がすく気持ちがする。だから、私はお父さんが撮る二人のヌードを観るのが好きだ。

 写真はきちんと父のアルバムに整理され、幼い頃の写真はパネルになっているものもある。さすがに最近は誰に話しても驚かれるので、自分のヌードを父親が撮っていることを他人に話したりはしない。お父さんは、自分の老後の楽しみにでもするつもりかもしれないが、密かに私も老後の楽しみにしていた。私は長生きする。別に百まで生きようと思っているのではない。歩よりも長生きするつもりでいるだけだ。何の根拠もないが、そんなつもりでいるのだ。歩が死んだ後、私はあのアルバムを見る。その時、私は何を思うのだろうか。ひょっとしたら、老人ホームの仲間たちに見せているかもしれない。双子の弟を女の子に生んでやれなかったことを、自分たちの責任のように思っている親が撮った写真なのだと言って、笑ってやるかもしれない。私はその時を密かに楽しみにしているのだ。

 そのアルバムの中に、私と歩とが一緒に写っていない写真がある。高校三年生時代の二回分だ。私が歩と写るのを拒んだのだ。その頃の私は、歩が重荷になっていた。いつも私について来る歩が邪魔だった。二十五年間の中で、歩と縁を切りたいと思ったのはこの時だけだった。

 私は好きな男の子に振られた。アイザワ君という同級生だった。どうして好きだったのかは、今となってはさっぱり憶えていないが、その時は、その人しか考えられないくらい好きだった。振られた理由は、その男の子が歩の存在を知ったためだった。振られたと言うと、つき合っていたことがあるようだが、実際は告白したこともない。ただ一方的に憧れているだけだった。ある日、アイザワ君が私の家に来て、その日以来私に話しかけてくれなくなったのだ。憧れのアイザワ君が、どういう経緯で私の家に遊びにくることになったのかは、もう思い出せない。もしかしたら勉強をしに来たのかもしれない。ひょっとしたら、文化祭か何かの打ち合わせだったかもしれない。とにかくその時、私は浮かれていた。もちろん、一人で来たのではなかった。他に男の子が二人いたと思う。メガネをかけたダサい男と、丸坊主のもっとダサい男だった。アイザワ君と二人きりになれるわけではなかったが、それでも私は浮かれていた。好きな男の子が家にくるなんて、小心者の私には一大事だった。その日が来るまで、私はアイザワ君を部屋に招くシミュレーションを幾度となくやった。服は大人っぽいものより、かわいい系にしようとか、アイザワ君は椅子に座ってもらって、自分がベッドに座ろうとか、アイザワ君の目につくように自分がよく聴くCDを机の上に出したりとか、色々私なりにその日の作戦を練って挑んだ。結局、私たちは何をするでもなく、ただお喋りをして過ごしただけだったのではなかったか。ただ、それだけだった。なのに、何故か私に対する苛めがその後始まった。と言っても、何かが無くなったり、壊されたり、リンチに遭ったり、ということがあったわけではなく、ただ単に無視されたのだ。誰も私に話しかけてくれなくなった。仲良くしていたグループの女の子たちからも締め出された私は、誰とも喋らず一日を過ごさなければならなかった。毎日ひとりぼっちになった。友達と一緒にいるのが楽しかった私にとって、それは地獄のようだった。

 苛めは、立花にはニューハーフの兄弟がいる、という噂がきっかけだった。私はアイザワ君を疑った。彼が来た日、興味本位で顔を覗かせた歩は、私の腕に自分の腕を絡ませて座り自己紹介をした。歩が姿を現したのはその時だけだった。たったそれだけのことだったにもかかわらず、私とつき合う男の子は、家に連れ込まれてニューハーフの餌食になるというような幼稚な誹謗中傷が出回った。

 高校では男は男として扱われ、女は女として振舞う。中間はない。制服は生徒を抽象化して、強引に男と女とに振り分けてしまう。色に例えるなら青と赤。それ以外の色は認めようとしない。人間を二色に分けることしか知らなかったアイザワ君たちには、歩は見たこともない特殊な色に見えたに違いない。

 それから私は、その噂を否定することもできず、悶々と一人で過ごしたのだった。最初は男子がニヤついた顔で、私を見るようになった。女子に広まると、私への態度は露骨になった。汚らわしいものでも見るように私から視線を背けた。私はその中で、敵のいない戦いを毎日しなければならなかった。

 後日分かった話だが、噂を広めたのはアイザワ君ではなかった。私の他にもアイザワ君のことを好きな女の子がいて、その子が歩の存在を使って、私を陥れようとしたのだった。私の家にアイザワ君が、遊びに来たことに嫉妬しただけだったのだ。さらに、その女の子のことが好きな男の子がいて、その男の子がアイザワ君を陥れようとしてアイザワはニューハーフにぞっこん説を作ったのだった。アイザワ君は、立花の家にはかわいいニューハーフの弟がいる、と言っていただけだったことも後からわかった。もちろん、歩の餌食どころか、歩はみんなと挨拶を交わしただけだった。

 そんな裏事情も複雑な人間模様に自分が巻き込まれていることも、全く知らなかった私はただ歩を憎んだ。アイザワ君でもなく、誹謗中傷を噂にした女でもなく、私が憎んだのは歩だった。歩がいなければ、こんなことにはならなかったのだと思った。私は歩と話さなくなった。お父さんの撮影も、歩と一緒に写るのは断った。もちろん、お風呂も一緒に入るのはやめた。歩はそれでも私にまとわりついてきたが、私は学校が忙しいふりをして逃げた。自分がこんなに苦しんでいるのに、気楽に生きている歩が信じられなかった。

 学校でも家でも一人きりになってしまった私は、ある日、あまりにも陽気な歩を見て爆発をした。何も知らない歩に腹が立った。何も知らずに生きてゆける歩が許せなかった。辛い思いをしないように常に親が先回りをして守って来たことも、歩のために私が我慢を強いられて来たことも、歩は知らない。

 歩のことは守ってやるのに、私が苛められても知らん顔な両親も許せなかった。大声で怒鳴り散らし、泣き喚いた。どうして歩はそうで、私はこうなのかと叫んだ。

 歩には何で私が怒りだしたのか、分かるはずもなかった。もちろん、お母さんもお父さんも、私の豹変ぶりに驚いた。歩は責める私を見て、反論も言い訳もしなかった。歩は何も悪くないと分かっていたが、私は歩を責めることを止めなかった。どうして歩ばかりが守られるのか。どうして私が歩を庇わなければならないのか。歩が勝手に自分のことを女の子だと思いこんだだけなのに、被害にあったのは私なのに、一体だれから庇うのか。庇ってもらうのは私じゃないなのか。私は一気に言葉にした。自分の言葉で自分の気持ちが増幅され、一体だれに向かって言葉を吐いているのか分からなかった。歩は成す術もなく、私の豹変振りを見守っていた。歩が男の子だと分かってしまったあのときの、逃げ惑う私のようだった。

 次の日、歩は私の学校の前にいた。予備校の仲間と一緒だった。予備校の仲間は、坊主頭と茶髪のロン毛とオールバックだった。色白の坊主頭は、病弱というよりは、切れたら怖いという感じだった。校門の前に、ヤクザと間違えられそうな男が三人。そして、歩が一人立っていた。

 歩たちは友達と二人でいるアイザワ君を見つけると、取り囲んで連れ去った。私は、その光景の一部始終を目撃していた。心底、うんざりした。またこの噂も広まって、ますます私は孤立すると思った。私はその場から逃げるように家に帰り、自分の部屋で布団に潜って泣いた。これから何度も同じ思いをすることになるのだと思った。歩と一緒にいたら、私は幸せにはなれないと思った。

 歩は夜中になって帰って来た。一人ではなかった。仲間を連れていた。アイザワ君たちがどうなったのか気になったが、歩のところへ行く気にはなれなかった。大声で「夜空のムコウ」を歌い、時折、「やりてー」とか「女欲しー」と言った合いの手が入り、歩の仲間は馬鹿丸出しだった。お母さんの、あらまあ、歩のお友達?という声がして、男の子たちの輪に入ろうとする媚びた声が響いてきた。私は暗い部屋の中で、その様子を伺いながら、アイザワ君を心配した。アイザワ君は正直言って、腕っ節は強くなさそうだった。一緒にいた男の子も、喧嘩は駄目そうだった。警察沙汰になっていることは無いだろうが、後で面倒くさいことになるのではないかと不安だった。明日から、より一層苛められるのではないか。後で仕返しをされるのは私ではないかと妄想は大きくなる一方だった。結局、私は歩の尻拭いをさせられるのだと、悪い方へばかり考えが行った。底なしの暗闇のような布団の中で、私の気持ちはどこまでも沈んでいった。

 男たちで騒がしかった一階は、しばらくすると寝てしまったのか、物音一つしなくなった。私はこっそり、階下へ降り、リビングを覗いてみた。暗いリビングの床で思い思いに寝転んでいる男たちを見て、私は驚いた。ヤクザ三人組と一緒に寝ていたのは、連れ去られたアイザワ君とその友達だったのだ。結構広いと思っていたリビングも、男が五人寝転ぶと、テントの中のように狭く感じた。ヤクザ三人組の合間を埋めるように、アイザワ君とその友だちは寝ていた。

 さっき大声でわめいていたのは、アイザワ君だったのかもしれない。男たちの寝息のする中、私は唖然と立っていた。冷蔵庫のコンプレッサーの音が、大きく響いていた。アイザワ君の寝顔はかわいかった。ヤクザ三人組も、子供のような顔をして寝ている。庭でコオロギが鳴いていた。皆が寝転んでいる姿は、すっかり打ち溶け合った仲間のように見えた。こうやってみると、アイザワ君もヤクザ三人組もなかなか珍しい色をしている。制服を着ていた私たちは、制服を脱げはみんなそれぞれの色がちゃんとある。もっと、違う自分を見せることができるのだと思った。

 五人の男たちが酔いつぶれ、気持ちよさそうに寝息を立てているその横で、食卓に座る歩を見つけた。エアコンの涼しい風が顔を打つ。歩と目が合った。

「えへへ」

歩は笑い、私の方を見る。

「どこへ行って来たの?」

「カラオケ」

「こんなに飲ませて……。歩は予備校生だからいいけど、アイザワ君たちは高校生なんだから、補導でもされたらどうするの」

「ごめんね」

すっかり酔っ払った歩は、涙を流しながら言った。ごめんねを、何度も繰り返した。

 文句を言ってやりたかった。怒りたかった。ヒステリックに騒ぎ立て、できれば手当たり次第に物を投げつけてやりたかった。けれど、私は歩を抱きしめた。涙を流す歩が愛おしかった。五人の男たちが深い眠りに落ちているその横で、私も歩も泣いていた。

 その日、私は歩と一緒にお風呂に入った。久しぶりに一緒に入るお風呂で、私は癒された。

「愛ちゃん、綺麗だね」

歩はそう言って、私の胸を手で覆った。私は歩の髪を洗ってやり、体を洗ってやった。子供の頃のように二人で洗いっこをした。歩の胸はまた少し膨らんだような気がした。

 真夜中のリビングで私と歩はタオルを身体に巻き付けたままの姿でビールを飲んだ。

「明日、アイザワ君たちに、愛ちゃんがここで裸でビール飲んでいたって言っちゃおうかなあ」

歩は悪戯っぽく笑う。

「悔しがるかな?」

私は自分で言って、バカバカしくなって鼻白んだ。

 歩は私のベッドに潜り込んで来た。私は歩に抱きつくようにして寝た。枕に染みたさっき流した涙が、頬に冷たかった。

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