第128話、ウィスタリアの書
少人数での懇親会翌日は、爽やかな風が心地よい晩夏の一日だった。
そんな穏やかな日に、元ジャーナリストの端くれ、マーガレットは約束通りにやってきた。
いつものように説明はフレデリカに丸投げして、冷静にキキョウ会に入ることのメリットデメリットを説明しておいてもらった。
だけど残念ながら、そのままの勢いでキキョウ会入りとはならなかった。今回は即答じゃなくて時間をくれと言われたんで、正式な返事はしばらく待つことにしたんだ。まぁ、じっくりと考えてくれたらいい。
そしてそんな良き日には、楽しい催し物の予定もあった。
なにかといえば、商業ギルドが主催する大規模なフリーマーケットのことだ。
前に裏社会の組織が主催した闇市に参加したこともあったけど、風の噂によれば主催をしてる組織でごたごたがあって、あの時以来は開かれてないらしい。楽しかったのに勿体ない。
その代わりってわけじゃないだろうけど、商業ギルドが大々的に宣伝したフリーマーケットが開催される。
当然だけど、人身売買や禁止薬物の販売なんかは取り締まりの対象となる。極端な例だけどね。
ただし、完全に真っ白じゃなきゃ許されてないってわけでもない。グレーなところは元より、大抵の商品の売買程度なら黙認される。盗品とか略奪品とか横流し品とかね。武器でも魔道具でも、一般流通しないちょっと怪しい物であっても、よっぽど目立つマネさえしなければ見逃されるって寸法だ。
商人にとってフリーマーケットってカテゴリーにおいては、それが常識なんだとか。
なんで私が知ってるかといえば、商業ギルドの理事に聞いたから。コネって素晴らしいわね。
フリーマーケットは基本的に誰でも出店自由、参加自由だ。出店する場合には、事前の登録と登録料が掛かるけど大した手間や額じゃない。
そんなこんなで、ウチのメンバーも不用品を処分するために出店するらしい。中古品とは別に、ハンドメイドの商品を売ったりなんだりする娘たちもいるんだとか。みんなが楽しそうに準備してたのは知ってる。
しかも開催期間は数日間に及ぶし、開催時間も朝から晩までやってるみたいだ。商店は入れ代わり立ち代わりするし、買い物客もどこかのタイミングであれば忙しい人でも参加できるだろう。
私は出店には関わらないけど、買い物客としては覗きに行くつもりだ。
「……ふぅー、疲れたー」
長時間集中してたせいで、なんか熱っぽい感じがするし、かなり肩もこってる。
「んーっ! あー、もうこんな時間」
背筋を伸ばしつつ時間を確認すると、もう夕飯には少し遅いくらいの時間。
みんなは楽しみにしてたフリーマーケットに出かけてるし、今頃は食事でもしてるかも。
私は一人寂しく、魔法薬の実験をしてたんだ。みんなが出る時には誘われたけど、ちょっと手が離せなくてね。
本部の中には待機組や休憩中の人もいるけど、各自、自室で思い思いに過ごしてるんだろう。
さて、私も腹ごしらえと、なまった体をほぐしに外に出るか。
魔道具のかんざしでまとめた髪を一旦ほどいてラフな部屋着から着替えると、また髪をまとめ直して出発だ。
最初は近所の食堂に寄って、ささっと済ませようかと思ってたけど、気が変わって足を伸ばした。
急にジャンクな味が食べたくなったんで、テキヤ街まで行くことにしたんだ。
遅い時間までやってるお好み焼き屋みたいな店に寄ってみると、ソースの香ばしい匂いでお腹が鳴る。
適当に注文してからそこらに座って食べてると、通りがかりの人の会話が耳に入った。
「お前さ、そんなもん買ってどうすんだよ?」
「だって凄いんだぜ、これ。動く魔道具人形なんて初めて見たわ」
「それにしたって、人形なんて年じゃねぇだろ。親父さんに怒られるぞ」
「あの親父ならもっとつまんねぇ物買って喜んでるよ。そんなことより見ろ、手足どころか口まで動くぞ!」
横を通過する若者同士の会話だ。どうやら手に入れたおもちゃの魔道具らしいけど。フリーマーケットで手に入れたのかな。そういや夜もやってるって話だったわね。
どうせだ、もう少し足を伸ばしてみるか。
キキョウ会の魔道具マニア曰く、魔道具の深淵は魔法よりも広く奥深いんだとか。
個人が持てる魔法適正は少ないし、汎用魔法では深淵に至ることはとてもできない。魔法は使っても普通は即興だし、長い時間をかけて練り上げるなんてことはない。実戦向きじゃないからね。
だけど魔道具は違う。個人、あるいは複数の専門家が、時間をかけて機構を作り込むことができる。
一種類の魔法では実現不可能なことであっても、複数の魔法を組み合わせれば可能になることだってある。
個人の魔力では不可能な出力を必要とする現象だって、魔道具ならば作り込み次第で実現可能になる。
それだけのことができる魔道具技師ってのは、国家に保護されるような重要人物らしいけどね。
生活に密接するような魔道具はもっと簡単で単純な物だからこそ、普通に市販されてる。それでも何の知識も技術もない人が見よう見まねで作れたりはしないらしい。
たしかにそう聞けば、あんまり興味のない私でも、魔道具って凄いなーとは思う。
エクセンブラ中央広場の近く。なにかの建設予定地らしいそこは、今は何もないだだっ広い空間だ。
そこを利用したフリーマーケットは、魔道具の灯りに照らされて明るいし、まだ意外にも多くの客で賑わってるようだ。滅多にない祭りみたいな感じで、盛り上がってるのかもしれないわね。
フリーマーケットはそこらのおじさんやおばさんでも店を出せるから、闇市みたいにどこの店でも目玉商品がある状況とは違う。
古着とか使わなくなった生活用品とか、そんな普通の物が多いはずだ。色々な人が入れ替わったりしながら出店するらしいけど、どうなってることやら。
今はもうピークを過ぎた微妙な時間帯だから、多少は期待してもいいのかな。怪しい店とかありそうだし。
足を踏み入れたそこは、誰もが想像できるだろう普通のフリーマーケットだ。
広げたシートの上や簡易的な机の上に乱雑に物が並ぶ。
生活用品なんか見ても欲しい物はないし、ざっと歩き回ってみようかな。
一応の棲み分けでもあるのか、入り口付近は素人の中古品販売みたいのが多くて、奥の方はプロの商人が多いみたい。
さらに奥まったところだと、イリーガルな商品が多くなってる印象だ。あくまでも雰囲気だけどね。
魔道具の小物やアクセサリーなんかがあれば買っていこうかなと思いきや、なかなか気に入るのが見つからない。
日が悪いのか、タイミングが悪いのか、他にもこれといって気になるものがないわね。
「んー、面白そうなものがないわね」
広い会場の全部を見て周ったわけじゃないけど、今日はハズレだったかな。
日を改めて出直そうかと思いつつ、遠回りで出入り口を目指す。
端っこの方の怪しい店を流し見しながら歩いてると、ふと気になった。
市場の隅の隅、まるで隠れるような場所に店を広げた老婆が居た。どうやら古書店らしい。それも相当に古い書物しかない。ビブリオマニアが歓喜しそうな書物が乱雑に積み上げられてる。
勉強家であり読書家でもある私は、当然のように食いついた。
「へぇ~、これはまた。面白い店もあるじゃない」
やっと興味深い店が見つかった。
ざっと見ただけでも凄い。実はかなりの値打ちものなんじゃないのこれって思う本が満載だ。古くても保存系の魔法の仕組みでもあるのか、多少の痛みはあっても体裁が崩れるほどじゃない。
まぁこの手の古い本にありがちな、古語で書かれた本ばかりで知識が無ければ読むことはできないけどね。
「おや、お嬢さんは読めるのかい? 嬉しいねぇ」
「昔ちょっとね。暇な時間に色々と勉強したから」
ぱっと見、歴史書が多いのかな。一つのシリーズで全何十巻みたいな本が、中途半端な巻数で色々と混ざったような感じだ。
この辺はまさに中途半端なんでスルーだ。興味深くはあるけど、そもそも第一巻にあたる物が見当たらないしね。途中から読むのはなんとなく嫌だし。
続けて多いのが魔法の世界らしく、魔導書っぽいものだ。かなり気になる。
「中、見てもいい?」
「構わないよ、どうぞご自由に」
とりあえず近くにあったのを開いてみると、どうやら初心者用の魔法の手引書みたいな内容だった。全部読めば面白い記述が見つかるかもしれないけど、ちょっと見た感じあんまり興味は惹かれないかな。
こっちは、どれどれ。おお、錬金術っぽい本ね。魔導鉱物について詳しく研究した資料本だ。なかなか面白そう!
ついつい夢中になって、色々とつまみ食いでもするように読んでしまった。やばい、楽しい。
「いいんだよ、暇だったからね。好きなだけ見ていくといいよ」
お婆ちゃんの厚意に甘えて、好きなだけ見せてもらう。こんな機会はなかなかない。だって、図書館にだってこんな貴重な本はあんまりない。そもそも価値の高い本は簡単には閲覧させてくれないし。
超機嫌のいい私は、戯れに超複合回復薬の入った小瓶をお婆ちゃんに渡してやりつつ、希少本を読み漁った。
しばし時間が経って、気が付くとある一冊の汚い本を、手に取って食い入るように見つめる自分がいた。
「お嬢さん、珍しいものに興味がありなさんね。見ての通りタイトルもないだろ? それは中身だって何も書いてない、ただ古いだけの白紙の本だよ」
笑いながら冗談のように言うお婆ちゃん。
いや、違う。悪いけどね、これはたぶん、白紙なんかじゃない。お婆ちゃんはタイトルもないって言ってるけど、タイトルはあるんだ。
微弱に感じる魔力から、魔力感知を集中してみれば答えは出る。
これは普通のインクを使って書かれた本じゃない。そんなことが再現可能なのかも分からないけど、どうやら魔力をインクのようにして記された本みたいなんだ。
怖ろしいほどに繊細な、極めて高度な魔力感知が使えなければ、文字があることにすら気が付けない。そんな書物なんだ。私でも本当にギリギリ分かる領域だ。多分、キキョウ会でも私以外には不可能だろう。
色あせた表紙には、そっけなくタイトルだけが記されてる。
多分だけど『ウィスタリアの書』と読める。似たような名前は知ってるけど、これだけじゃ何もわからないわね。
酷く古い書物のようで、四隅は欠けて表紙や背表紙もボロが目立つ。
だけど、なんていうか、物凄く気になるんだ。魔道具の一種らしく、インク以外にも違った魔力を感じる。微かでしかないんだけど、妙な気配なんだ。
これを売ってるお婆ちゃんは全然気にした素振りはないし、通りかかりにチラッと見て行く人たちも、特になんとも思わないらしい。
……ひどく惹かれる。なんなんだろう、これ。少し怖い。
そういえば、恐怖を感じるなんて久しぶりのことかもしれない。
――恐る恐る、それでもなにかに導かれるように、ゆっくりと本を開いた。
直後に感じる、意識に割り込まれるような強烈な不快感。
……なに、これ。場所、地形の説明?
いや、違う、なによこれ。私、今どうして分かったの!?
だって、読めるはずがない! 勉強家の私だって、こんな文字は見たことがないんだから!
なんでなんでっ!? なによ、これ!!
焦りも束の間、頭の中に何かが入り込むような、覗き込まれるような、強烈な不快感が増す。激しい眩暈に足元がおぼつかなくなって、倒れ込みそうになるのをギリギリで踏み留まる。
それでも手が止められず、目をそらすこともできない。次のページを捲ろうとして、
「ねぇ、ねぇったら! 大丈夫かい? どこかで休んだ方がいいんじゃないかい?」
お婆ちゃんの大声で我に返る。
「あっ」
帰って来れた。素直な感想を思い浮かべると共に、大きく息を吐き出した。
……我ながら現実離れしすぎてる。でも、帰って来れたとしか思えなかった。
密かに深呼吸してから、閉じた本に目をやる。これはヤバい。めちゃくちゃヤバいブツだ。
初めて見るけど、多分、これが本物の魔導書の類か。またファンタジーっぽいアイテムが登場したもんよね。
だけど不思議と手放す気にはなれない。なんとしても、これは私が確保しておかなければ。そんな気がしてならない。
正直なところ気持ち悪いし、二度と本を開く気はしないけど、私は自分の勘は素直に信じる。不思議とよく当たるしね。
ふぅ、これ以上立ち読みしたり歩き回る気力もない。結構な時間も経ってるし、そろそろ行こう。
「ありがと、お婆ちゃん。ちょっと立ち眩みがしただけだから大丈夫よ。いくつか買って、もう帰るわね」
「そうかい、気をつけるんだよ。それで、その白紙の本を買うのかい?」
この『ウィスタリアの書』は幾らであろうとも買う。他にも気になったのは買ってしまおう。もう二度とお目にかかれないだろう希少本だし、ちゃんと読み込みたい。
「うん、これとこれと、これも。あ、その辺のもまとめて買わせてもらうわ」
「そんなにいいのかい? お嬢ちゃんなら知ってるだろうけど、安くないよ?」
「こう見えても金持ちだから大丈夫よ。それで、いくらになる?」
お婆ちゃんは一冊ずつ、丁寧に勘定を始めた。どうやらどんぶり勘定で商売してるわけじゃないみたいね。
「この魔導書は高くて700万ジスト、そっちは両方とも300万、あれは180万と150万、えーそっちのは…………」
……めちゃくちゃ高い。想定以上に高い。安いのでも10万もする。
それでも感じる魔力や内容からして、どれもが本物だ。こういった古書の相場を知ってるわけじゃないけど、まぁこんなもんかなとも思える。
「全部で2,430万ジストになるね。白紙の本はオマケしてあげるよ。古いことにしか価値がないし、これだけ買ってくれるならね。それで、本当に買えるのかい?」
「……問題、ないわ」
買った。私は金持ちだし、金を使うのも大好きだ。興味深いもの、価値あるものに金を使うことには躊躇しない。お婆ちゃんの人柄もいいし、多少のぼったくりがあったとしても大目に見よう。
それにしても、想定外の出費に大荷物を抱えて帰ることになってしまったわね……。
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