第110話、無料という名の大きなツケ
王都の実権を握るための計画はすぐにでも動き出す。
私たちの出番は少し先になるけど、それまではお手並み拝見と気楽に構えていられる。準備という準備もないし、出番が来るその時に備えるのみだ。
話し合いが思ったよりも長引いて、昼食も摂らずに話してたからお腹も空く。
貴族、それも大貴族であるロスメルタの口に合うとは思えなかったけど、一応誘ってみれば彼女は嬉しそうに頷いた。そういや刑務所の中の屋敷で彼女と同席した際の朝食は、栄養豊富ではありそうだったけど、凝った料理はなく意外と質素だったことを思い出す。
ウチのメンバーが用意できるのも、せいぜいが家庭料理のレベル。不味くはないし、私としては満足できるけど、常識的には貴族に出すようなもんじゃない。だけど、ロスメルタは文句を言うどころか美味しそうに食べてしまう。こういったところも彼女の魅力なのかもしれない。
キキョウ会メンバー一同とロスメルタの子分共々で食事をした後、余人を交えず今は私とロスメルタだけで向き合ってる。彼女に話があると誘われたんだ。
何かを考え込んでたロスメルタから放たれた一言。
「さしあたって、ひとつお願いがあるのですけど……」
聞いた瞬間、こいつのお願いなんて嫌な予感しかなかったけど、無視するわけにもいかない。
「お願い、ね。私にできることなら聞いてもいいけど、なによ」
「この要塞、わたくしにくださらない?」
……くれと来たか。大きく出たわね。
短い付き合いだけど、私には分かる。この女は冗談を言うタイプじゃない。冗談のように聞こえたとしても、それは本気で言ってることなんだ。
「待って。そう簡単にはあげられないわ。ここを欲しがる理由は?」
「ユカリノーウェなら納得してくれるのではないかしら? その前にお茶を」
さすがに、はいそうですかと二つ返事で譲ってやるわけにはいかない。
入れ直したお茶で唇を湿らせてから語るロスメルタの口の上手いこと。だけど、理由を聞いてみれば、一応の納得はできた。
立場や身分から見て、問題となるのは体面だ。
伯爵家の当主代行であるロスメルタが決起するにあたって、刑務所の奥の隠れ家が本拠地じゃ具合がよくない。メンツって奴ね。
それに刑務所から赤い鎧の騎士団や私たちが出入りしてたらおかしいし、子供たちがいる隠れ家を万が一にも戦場にはできない。
そこで新たな拠点を欲してるってわけだ。
オーヴェルスタ伯爵家の本邸は病床の伯爵がいるから騒がしくしたくないし、新たに準備したのでは金も時間も余計にかかる。
要塞化したここをロスメルタの拠点にできれば無駄が省けるし、協力者となったキキョウ会を追い出すわけではないから伯爵家との連携も取りやすくなる。これから合流してくる戦力の収容にも問題がない広さだってある。なにより堅牢だ。
たしかに、ここをロスメルタが統括する勢力の反攻拠点にするのは合理的ね。
間借りではなく譲渡。ここにはキキョウ紋じゃなく、伯爵家の看板を掲げることになる。
合理的な話とはいえ、ここまで作り上げた拠点を易々と手放すのは面白くない。
だけど、考えてみれば私たちは用事さえ済ませれば王都を去ることになる。惜しくはあるけど、エクセンブラだけでもやる事は山ほどあるし、少数だけをここに残して箱だけ守らせるのもどうかと思う。何が起こるか分からないし、僅かな人員を残すと心配でもある。それに具体的な目的もなしに、そんなことに人手を割くことはできない。
つまり、キキョウ会はいずれここを放棄することになる。放棄といっても打ち捨てるわけじゃなく、どこぞに払い下げたり預けたりだろうけど。
去り際にどうするにせよ、どのみち放棄することは決まってる。そして払い下げる相手がロスメルタなら、取引先としてはこれ以上ない相手だろう。
そうはいっても、もちろんタダで譲ってやるわけにはいかない。この要塞には多大な労力というコストが掛かってるからね。コストを回収できるなら、それに越したことはない。売りつけられるなら売りつけてやろうじゃない。
……でも、待って。この伯爵夫人相手に金で片を付けるのは勿体ない気がする。それに、この要塞はちょっとの金で買えるほど安くはない。
考え込んでると、また提案される。
「ユカリノーウェ、その顔は納得はしたけど少し迷っているといったところかしら。もちろん、見合った額を支払う用意はあります。これほどの拠点を金銭だけですぐに手に入れられるのなら、いくら出そうと安いものだわ」
この拠点のクオリティを再現しようと思ったら、普通の業者には到底不可能なレベルにある。内装はともかく、外郭がね。
再現するとすれば膨大な希少魔導鉱物を用いらなければならないし、それを精製する能力だって必要になる。必然、実現には莫大な費用が掛かる。資材、人員、期間、どれも見積りだけで実現不可能と投げ出すだろう。
特に外壁と倉庫群の中心にある本丸。これは特別だ。一見、ただの石造りにしか見えないけど、その内部には対魔法対物理複合装甲が組み込まれてる。上級魔法だって跳ね返すし、通常の攻城兵器じゃビクともしないはずだ。プリエネたちが造った表面の石材だって物凄く硬いし、重厚感のある仕上がりで見た目にも優れる。
建物のリフォームだってされてるし、かっぱらってきたものだけど調度品だってたくさんある。
はっきり言って値段が付けられる代物じゃない。
ロスメルタがどれだけの額を支払う気なのか知らないけど、絶対に見合った額なんて出せるはずがない。
まぁ、ロスメルタに限らず、この要塞のインチキレベルの堅牢さを知ってるのは極限られた人しかいないから無理もないんだけど。
そうね。やっぱり、ここは少々の金をもらって終わりにする場面じゃない。
要塞を譲ることについては私は文句ないし、キキョウ会のみんなも納得してくれるだろう。頑張ってくれたプリエネたちには、ちょっと悪い気がするけど、道理を弁えない能無しはいない。
よし、決めた。譲ってやろうじゃない。それもタダで。
無論、世の中タダより高いものはない。そして、ロスメルタほどの女なら、その意味を履き違えない。
これは証文を残さない契約だ。裏切ったら敵に回るし、一切の容赦はしない。
「……金はいらない。貸しにしとくわ」
「あら。それなりの額は出せるつもりなのですけど」
ロスメルタは慎重だ。さすがに飛びついたりしない。金で片が付くなら、それで済ませたいと思ってるらしい。
「足りないわね。私たちが造ったこの要塞は見てのとおり堅牢で難攻不落よ。あんたが考えてる以上にね。きちんとした人員さえ配置できるなら、きっとどこの誰が相手だろうが落とせない。私を除いてね」
そりゃあ、核となる部分は私が造ったからね。私なら突破できるわよ。
「その証明になるかな。ロスメルタ、あんたにチャンスをあげるわ。それができたら貸し借りなしの、本当にタダでここをあげる。賭けに乗ったら、もう引き返せないわよ? 一切のしがらみなしに、ここをタダで手に入れるか。私たちキキョウ会に借りを作ってから、ここを手に入れるか」
本当ならこれは賭けにはならない。
なぜなら、私が勝つに決まってるから。
それでもロスメルタはどちらにしろ、この拠点を手に入れられる。悪い話じゃないはずだ。
相対する伯爵夫人は挑発的な笑みを浮かべる私を見返すと、間髪入れずに返答を寄こす。
「乗るに決まっています。わたくし、これでも賭け事は得意なの。それで、どのような方法なのですか?」
「簡単よ。要塞の外壁をクリムゾン騎士団に攻撃してもらうわ。どのくらいで壊せる?」
外壁の内部は、私が掛け値なしの本気で造ったんだ。戦闘中にやるような即席で作る盾とはわけが違う。破れるもんなら破ってみろ。
「……そうですね。邪魔さえ入らなければ、一時間もあれば」
「じゃあ三時間。時間内に穴を開けられたら、ここはタダであげるわ」
自慢の騎士団をある意味、愚弄するかのような発言だ。
でも、それだけの時間を与えて破れなければ納得せざるを得ないだろう。
そして、私たちにどれ程デカい借りを作ったのか、思い知ってもらおう。それだけこの要塞は強力なんだ。
ふふっ、王都を支配下に治めるであろう伯爵家に大きな貸しを作れるんだ。それは金では到底手に入らないものだ。そう思えば、放棄する予定だった拠点なんて安いもの。
あとは実戦でも活躍しまくって、さらに返しきれないくらいの恩を押し付けてやろう。
「ユカリノーウェ、上等です。その喧嘩、買いました。わたくしの騎士団の実力を知らないあなたでもないでしょうに」
どこか据わった目をしたロスメルタが少し怖い感じだけど、本気でやってもらわないと意味がないからね。
この分ならフランネルたちには強烈な発破が掛けられるだろう。
「場所はどこでも構わないわ。そうね、今から始めたら三時間後はちょうど夕暮れあたりまでになるかな。刻限は日が沈むまで。それでいいわね?」
「ええ、もちろんです。そこまでお待たせしないと思いますが、ユカリノーウェがそれでいいのなら」
「私はキキョウ会のみんなに説明するから、ロスメルタも騎士団に話してきて。それが終わったらもう始めちゃっていいから」
「ふふふふふふ、ユカリノーウェ。ここは、無料! でいただきます。後悔しても知りませんからね」
大貴族たるロスメルタは怒っていようとも悠然とした足取りは崩さず、それでもどこか荒れた雰囲気を残しながら去っていった。
情報班の一部と見張り役を除いて勢揃いするキキョウ会メンバーに向かって、この要塞をロスメルタに譲ってやる事を話すと、さすがに騒然とした。
まぁ、いきなり結論だけを聞かされればそうなるだろう。
ジョセフィンや一部の聡いメンバーは、いずれここを放棄することになる可能性は考えてたみたいだったけどね。
それでも理由さえ話せば納得してくれる。エクセンブラが私たちの本拠地なんだし、ここが仮の拠点みたいなもんだってのは大前提にあるし。キキョウ会にとって、王都攻略なんて目標はない。
大活躍してくれた即席の建築班は少し寂しそうだったけど、また別に活躍する機会が必ずある。
そんでもって拠点の譲渡についての条件、ロスメルタとの賭けの話をしたら一気に盛り上がってしまった。切り替えの早い奴らだ。
タイミングよく、爆発するような音が聞こえてくる。敵襲じゃなくてクリムゾン騎士団がやってるはずだ。
「すぐに見に行きましょう!」
「ユカリが造ってプリエネたちが強化した外壁だろ? 面白そうじゃねぇか!」
「お姉さまの壁を壊せるはずがありません」
「まぁ、お手並み拝見といこうじゃねぇか。たぶん、ムキになって壊そうとするだろうから、見てて面白いことになるぞ」
結果は見えてるけど、見物するのは楽しいかもしれない。
グラデーナが言うように、もしかしたらムキになって切り札のひとつも見せるかもしれない。ロスメルタが本気でやらせるだろうしね。
「やってるのは伯爵夫人お抱え、自慢のクリムゾン騎士団よ。どんなもんか見てやりなさい」
私はもう直接戦って実力が分かってるけど、みんなはまだこれからだ。せっかく手を組む相手がデモンストレーションをしてくれてるんだ。見逃す手はない。
攻撃の音がする方に向かって、みんなが出て行くのを見守る。
私はどうせなら攻撃してる外壁の上から見物してやろう。さすがに全員でそれをやっちゃ、喧嘩売ってるみたいになっちゃうからね。
「お姉さま?」
「行くわよ」
不思議そうにする残ったヴァレリアだけを伴って倉庫を出ると、ふたりで外壁の上に登った。
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