第103話、ストレスの蓄積

 無言で淡々と刑務官の顔面を破壊していく私に対して、女囚たちに恐怖の限界が訪れた。

 ひとりの悲鳴と逃走をきっかけにパニックに陥る。女囚に用はないから特に構わない。

 大した時間もかからずに邪魔者を排除し、逃げる女囚が去っていくと、倒れ伏した刑務官と一部だけ残ってる女囚がいた。


 残った女囚は六人。誰もが興味深そうに私を見ていて、余裕のある態度だ。雰囲気からして傭兵とか冒険者とか、戦いを生業にしてる女だと思う。

 別に誰だろうが、こっちは興味ない。あ、そうね。わざわざ残ってるなら、ちょっと働いてもらおうか。

「そこ、ちょっと手伝いなさい。こいつら邪魔だから外に出すわよ」

 倒れたままで気を失ったり、苦しんでうめき声を上げる刑務官を外に出したい。ちょうど洗濯部屋にいるんだし、返り血を浴びてしまった服を洗いたいんだ。服を脱ぎたいから邪魔なんだよね。

 言いつつ転がってる刑務官を掴むと、開いたままの扉から外に向かって放り捨てる。

「……皆も手伝ってやれ。マリアは外で見張りに立て。また刑務官どもが来るだろうし、外で適当にあしらって怪我人を連れて行かせるんだ」

「了解」

 仲間なのかね。女囚六人組はリーダーと思われる女に従って私の手伝いを始めた。


 リーダーっぽい中年くらいの年に見える女は指示を出すだけで、自分はこっちの様子を見てるだけだ。それにしてもこの女、魔道具を持ってるわね。どんな効果かまでは分からないけど、囚人の癖にどんな手を使ったのやら。

 みんなでやれば後始末は早い。外に出た女もどうやってるのか、刑務官は中には入って来ず怪我人を運んで忙しそうだ。


 扉を閉めると、返り血の付いた気持ちの悪い服を脱ぎ棄て下着姿になる。

 まだこっちを見てる女囚どもを無視して洗濯だ。手伝ってくれた礼は、私の下着姿の鑑賞だけで釣りが来るでしょ?



 洗濯は手洗いだったら面倒だなと思いきや、そんなことはなかった。

 それもそのはず。魔法がある文明社会でそんな原始的な洗濯の方法は、刑務所であっても行われない。

 浄化魔法が発動する魔道具にぶち込んで終了の、誰でもできる簡単な仕事だ。魔法文明バンザイ!


 一着の洗濯などすぐに終わってしまうから、洗われたばかりの囚人服を再び身にまとう。着替えを見られるのって妙に気恥しいわね。

「いつまで見てんのよ?」

 いい加減に見守られてるのも鬱陶しい。

 特にリーダーっぽい中年女。ジロジロ見んな。

「ふふん、なかなか色っぽい体してるじゃないか。顔もあたし好みだ。おまけに根性も座ってるし、なにより強い。気に入ったよ」

「私は別に気に入られたくないけどね。で、あんた誰よ」

 偉そうな女だ、囚人のくせに。まぁ、人のことは言えないか。

「あたしはこのムショの牢名主のようなものをやってる女さ。ここでは"鉄血"と呼ばれてるね。お前のことは知ってるよ」

「へぇ。私の何を知ってるって?」

 牢名主って本当に存在すんのね。ちょっとだけ興味深い。そんな立場にいると、新入りの囚人の情報も入ってくるんだろうか。

 それにしても"鉄血"ってなによ。まさか私にもそう呼べってことか。

「泥棒だったかい? それはないね。お前がそんなチンケな罪で捕まるような女とは思えない。本当は何をやったんだ?」

「あんたの知ったことじゃないわ。じゃあ、もう行くから」

 誰であっても、あんまり関わり合いになるつもりはない。ムショはすぐに出て行く気だし、慣れ合いすぎて変に情が湧くのもね。

 女囚たちに背を向けて外に出る。あ、この後の予定って本当だったら何だったかな。



 本来の刑務作業だと、洗濯後に洗濯物に書いてある記号や番号に従って振り分けをしたあと、畳んで配達までやらねばならない。

 午前中は洗濯、質素な昼食後に振り分けと休憩、そして配達して仕事は終わる。

 今日はもう仕事どころじゃないだろうし、どうするんだろうね。昼食はちゃんと食べたいんだけど。


 なんかもう今更ルールに従うなんて馬鹿らしいわね。

 暴れてどうでもよくなってしまった私は強硬策に出ることにした。

 昼食を食べる。美味しいものを、外で。


 洗濯小屋から出ると、人気のない方に向かう。

 適当に人目がないところまで来ると、塀を崩して何気なく脱獄した。もちろん塀の修復もやっておいたけど、全てはわずか数秒の出来事だ。

 紺色の囚人服のまま適当に歩いて飯屋を探すと、結構な距離を歩いてようやっと酒場兼飯屋のような店を発見できた。

「ここでいいか」

 これ以上探し回るのはお腹が空きすぎて無理だ。せめて不味くない飯屋であることを願おう。


 飯屋に入ると中はガラガラ。中途半端な時間だからかな。

「初めて見る姉ちゃんだな。姉ちゃんよ、それって囚人服か?」

「そう見える? この服が気に入ってんのよ、気にしないで。それより注文いい?」

 魔法封じの腕輪も袖に隠れてるし大丈夫だろう。店主のおっちゃんを適当にあしらうと、軽い酒と空腹であることを伝えて適当に料理を出してもらう。

 特に美味くも不味くもない、量だけはたくさんある料理をお腹一杯に食べて満足する。


 食後にコーヒーも注文してふと思う。あ、レコード持ってないや。しまったな。

 うーん、食い逃げってのもね。カッコ悪すぎる。

 どうしたもんかと、とりあえず注文したカップに口を付ける。おっと、料理はイマイチだったけど、コーヒーはなかなかイケるわね。


 カップのコーヒーを半分ほど減らした頃、飯屋に来客があった。

 カウンター席に座ったまま背中を向けてるから、どんな奴かは分からない。そいつは店主のおっちゃんとは顔馴染みらしく会話が始まった。

「よぉ、今日は遅いな。これから昼飯か?」

「ああ、トラブルがあってな。まったく、とんだじゃじゃ馬どもだ」

 話しながらも近寄ってきて、遅い昼食の時間らしい客は、私とひとつ間を空けた席に着いた。

「そういや、そこの姉ちゃんが囚人服を着てるんだよ。もしかしたら、知り合い同士だったりするか?」

 ちらっと横を見ると目が合った。あ。

「なっ!? お、お前、どうやって」

 偶然隣り合ったのは、刑務所の所長だった。なんたる偶然。

 だからといって焦りはしない。脱獄して何が悪いってのよ。むしろ、ちょうどいいタイミングね。

「あんた、ちょうどいいところに来たわね。おっちゃん、私の代金はこの所長からもらっておいて」

「……い、いいのか? 俺は料金さえ払ってもらえるなら誰からでも構わんが」

「はぁー……。少しは大人しくできんのか」

「うっさいわね。ちょっとした息抜きじゃないの。ガタガタ抜かすんじゃないわよ。じゃ、私は戻るから」

 疲れたようにため息をつく所長と、困ってる店主のおっちゃんを放って店を出た。ふぅ、まさかの遭遇だったわね。

 まぁ食い逃げせずに済んだし、良しとしよう。



 宣言通りにムショに戻ると、そのまま何気ない足取りで自室の独居房にもこっそり戻った。

 しばらくすると、朝と同じように点呼をされて夕食が配られる。朝に比べれば、少しだけスープの具が多い気がするけど、全く足りない。強制的にダイエットでもさせるつもりか。


 それにしても食堂でみんなで食べたりはしないようね。思ってたのと違う。

 女子再教育収容所だと、そこで喧嘩があったり友達ができたりして面白かったんだけどね。

 食後は消灯まで特に何もないし、風呂は一日おきにシャワーをわずかな時間だけ。不潔な奴らだ。

 こんなことをいつまで続ければいいのやら。



 あの事件以降、私は特に悪目立ちするようなことはせず、平穏無事に見えるところでだけは模範囚のように日々を過ごす。

 大人しくしていても、毎日顔を合わせていれば知り合いくらいはできるし会話もする。改めて所長が言い含めてくれたのか、刑務官は最低限の事務的なこと以外じゃ私に近寄って来ないし、話しかけても来ない。


 さらに、所長がこっそりと私のレコードカードを返してくれて、遠慮なく外出しての買い食いが可能になった。

 昼は抜け出して普通に食事をし、夕食後も抜け出しては近所の酒場に通ったりで、自由というか緩い囚人暮らしを送った。


 緩い生活を送っていても不満は募る。具体的に言えば、私は物凄くストレスがたまってるんだ。自覚できるほどに。

 原因だって分かってる。それについては自分でも度し難いと思ってるけどね。


 女子再教育収容所時代は魔法が使えなかったし、毎日が喧嘩やゼノビアたちとのトレーニングで充実してた。

 キキョウ会を作ってからは敵がたくさんいたし、訓練でも存分に暴れることができた。ウチの幹部は強いしね。


 だけどここには、なにもない。

 私に喧嘩を売ってくる奴はひとりもいないし、ムショ内では表向き魔法を使えないことにしてるから、自主的な訓練も目立たないよう地味なものになる。

 囚人は雰囲気からして生活に困窮した軽犯罪者しかいないようだし、凶悪犯にありがちな荒っぽいのはいないから平和なもんだ。平和すぎる。前に見掛けた荒事に強そうな女囚六人組も、あの時以来姿を見かけないし、私から喧嘩を売れるような相手もいない。


 戦う相手がいないんだ。魔法をどんと使うこともできない。

 私のストレスはピークに達しようとしていた。



 ストレスを抱えながらのある夜。

 時刻は真夜中。寝入ってからどれくらい経ったのか分からないけど、不穏な気配に目を覚ます。

 招かれざる客か。寝込みを襲われるなんてね、いったい誰だろう。鍵開けができる奴なんていたっけな。私は寝た振りをしながら様子をうかがう。

 それにしても、襲撃を受けることに胸がときめくなんて、我ながらどうかしてる。


 私の部屋の前に立ち止まった客は、静かに開錠を済ませるとドアノブを回す。

 おかしい。普通に鍵を使ったような開け方ね。

 薄目を開けて侵入してきた不審者を観察する。暗がりでよく見えないけど、これって。

「ふひひ、ここなら逃がさねぇぜ。今度こそ俺の女にしてやる。初めて会った時の礼もしなきゃな」

 誰だか分からないけど格好からして刑務官だ。私を見下ろしながら気持ち悪い独り言を呟いてる。


 手には刑務官標準装備の金属棒まで持ってるみたいね。痛めつけてから女を抱こうってのか、どこまでも趣味の悪いゲス野郎だ。

 しょうもない相手の登場には、ガッカリした気持ちになってしまう。

 私の寝姿は毛布を肩までかぶった色気のないものだけど、しばらく眺めて満足したらしい。おもむろに金属棒を高く上げると、私のお腹の辺りに向かって振り下ろした。


 迫りくる金属棒に恐怖を感じることもなく、無造作に掴み取る。

「なっ、このっ、離せ!」

 力任せに引っ張るのに合わせて手を放すと同時に、毛布越しに蹴りつけて突き飛ばしてやる。

 起き上がると一応聞いてやる。

「で、こんな夜中に何の用よ? そもそもあんた誰よ?」

「忘れたとは言わせねぇぞ、俺だよ! くそっ、ヤッてやる!」

 全然わからん。俺だって言われてもどこの俺よ。

 刑務官だってのは分かるけど、刑務官とは特に交流もないし、さっぱり分からないわね。別に分からなくてもいいか。とにかく不埒者には制裁が必要だ。もう話をする気はない。


 意味不明の訴えを無視して近づくと、我武者羅に振り回す金属棒を煩わしく思って再び掴み取る。

 力任せに奪い取って、今度はこっちが金属棒を叩きつけた。

 この期に及んで嫌らしい目つきをする刑務官に強い嫌悪を感じて、容赦なく金属棒で滅多打ちにする。


 ちょうどいいし少しはストレスの発散に付き合ってもらおうかと思いきや、やっぱりこんな雑魚相手じゃもっとストレスがたまるだけね。

「……ふぅ、まぁこんなところか」

 動かなくなった馬鹿を見下ろしてひとつ溜息。適当に切り上げたし、魔法は使ってないから十分に手加減はしてる。まぁ今回も半殺し程度で勘弁しといてやろう。

 でも、監督責任は追及したいわね。今後もこんなことがあったんじゃ、睡眠不足になってしまう。成功する確率はゼロだったけど、私にしようとしたことは許し難いしね。


 何の気負いもなく半殺しにした刑務官の襟首を掴むと、引きずるようにして所長室に向かうことにした。

 独居房を出て廊下を進むと、早くも誰かに遭遇する。

「だ、誰だ!? おい、お前、止まれ!」

 当然だけど見回りをしてる刑務官に呼び止められるものの、今の私は止められない。正義は我にあり。

 見回りの刑務官の呼び声に応じて、集まりつつある刑務官が私の行く手を阻もうとする。

「貴様、自分が何をしているか分かっているのか!」

 今の行動か、引きずってる半殺しにしたこいつの事だろうか。


 こいつらに何を言ったところで話にならないだろう。人の訴えに耳を貸す連中だとは、とても思えない。

 ただ、もう雑魚を相手にするのは飽き飽きしてる。ストレスがかさむ現状には我慢ができない。半殺しで済まそうとしても、勢いあまって手加減も利かないかもしれない。


 その時、非常灯のような暗い灯りから、煌々と照らす灯りに切り替えられた。

「ひっ!?」

 武装した刑務官が私を咎めたり、要求は何かと聞いたりと忙しそうにしてる。灯りが点いた瞬間、恐怖の声を上げたような情けないのもいたようだけど。


 私の房から所長室までの距離はそれなりにあるけど、誰が立ちはだかろうと関係ない。

 歩みを止めることも、緩めることもなく進み続ける。


 それもそのはず。刑務官は私に向かってこない。青い顔をして一定の距離を保ちつつ、下がるだけだ。

 煩わしい問いかけには一切答えず、目的の所長室まで到着した。

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