第16話 生肉が食べたい
キョウタたちはギルドに来ていた。
いつもの〈四番相談室〉に入っている。キョウタたちパーティはこの部屋を使うことにギルドの誰かが決めたのかもしれない。
女神ルミル。キョウタが元の世界──南海本線沿線──で死んだあとにこの世界に送り込んだ女である。
そして彼女はなぜかギルドの職員をしており、この世界に来てからのキョウタに干渉したりしなかったりしている。
「ラークンに来た魔王軍を見てこい」というのが女神の指示だった。
そしてマヴァロンが報告をした。
まあ、シャイピオンたちは悪い者ではなかった、とか、まんじゅうをやっつけたとか。
「戦った? まんじゅうと?」
ルミルは、
「戦ったといえば戦ったで」
キョウタは答える。戦ってないといえば戦ってないことになるなら童貞を取り戻すこともできるかもしれないと思ったが、ここでは戦ったことにしておいたほうが無難な気がした。
「般若丸抜いて? 楽勝やったやろ? ちゃんとした勇者、イージーモードやろ?」
確かに結果論として瞬殺であった。客観的にも「チートやん」と言われても仕方なかったかもしれない。
しかし、あれをもってイージーモードと言われてもキョウタには納得がいかなかった。
怖いのだ。
例えば、ものすごい確証ありげに、
「このナイフで腹かっさばいてみてください。ぜんぜん痛くありませんし、傷跡も残りません。もちろん死にません。なんともないですよ」
って言われて、目の前で一度腹かっさばいて見せられても、それができるか。
目の前で他人が大量の血とバケツいっぱいほどの内臓を一度ぶちまけたあと、それがビデオを逆再生するように回復して、けろっとした姿を見せられて、
「さあ、次はあなたがやってみてください」
と言われてやれるか。
そういうことなのである。痛くもなく傷も残らなくても怖いもんは怖い。
もちろんやれる人はいる。痛くないなら一度経験してみたいという人も一定数はいるだろう。しかしキョウタはそっち側の存在ではない。
これで腹かっさばける者が、どっちかというと勇者に向いている。
「ほな、今回はそういうことで、報酬として最初の借金チャラにしとくわ」
ルミルは言いながらよくわからない書類に何やら書き込んでいた。
「その予算はどこから出るんだ?」
般若丸が訊いた。
「ある程度はキョウタをこっちの世界に連れて来たことに出てる予算とかあるから、そこから出るんよ」
「まあ、そのへん、女神や神のやることなので、とやかく言わないが……」
一応、女神というのは庶民が意見していいような地位の低いものではない。〈神〉の名がついているのだから。
キョウタはこの世界での女神のヒエラルキーを知らない。あとルミルに女神の威厳がないのも悪い。
魔那々がルミルをビーム攻撃したのも、もちろん女神の地位など知ったことではないからである。
「キョウタはまんじゅうやっつけて、戦えるようになっ……てへんなぁ」
女神は少年の目を見て判断した。
「まあそう言うな。キョウタがいなければ
般若丸が主張する。もちろんこの日本刀も持ち主がちゃんと抜いて戦ってくれるほうがいいが、こんなやつであることを承知で
「いや、私としてもねぇ」ルミルは机にひじをついてペンで頭をかいた。「立場的には勇者に抜擢してしもたからには、キョウタに魔王を倒すとかしてもらいたいんやけどね。魔王のほうもどうも思ったほど悪いことしてる情報がなくてなぁ」
魔王軍の悪事の情報はほとんどがレーオネン王国発信のものであり、ネガティブキャンペーンの捏造でしかない可能性が高い。
ルミルの話は続く。
「私も中間管理職で、上のほうが何考えてるんかわからへんのよ。
一応は、立場上、抜擢した勇者には魔王を倒す方向に仕向けていけ、ってことになってるんやけどねぇ。その勇者がこれで魔王があれなもんやから話を進められへんのよ。ちょっと上司と相談せなあかんわ」
ルミルは鼻と上唇の間にペンを挟んでいた。
「じゃあ『
キョウタは無意識に薄笑いの表情をしていた。もちろんルミルを嘲るつもりはない。またこの女神から指示が出て、冒険に出ないといけないのが億劫だった。それを避けられる、という気持ちが出ただけである。
「正直言って、経験値積んで欲しいけどな」
ルミルが言う。この経験値というのはスペックとして強くなることではなく単に戦う意思を持てるようになるための経験のことだ。むしろキョウタがただスペックに頼って戦ってもすでに圧倒的に強い。
あと、この世界に数値がちゃんと出る経験値はない。ついでにいうとマジックポイントとかヒットポイントとかの数値もない。だから『勇者』に就職したときに何かのスキルは上がっているが、自覚できないこともあるのだ。たくあんを切ったときにつながった状態にならないスキルとか、トイレで紙がない状態の不運を回避する幸
キョウタが自ら戦わなくても、パーティーの他のメンバーが戦えば済むのならばそれでまったく問題はないのだが、そうもいかない。
パーティーのリーダーが直接戦闘に参加しないタイプの物語というのはある。西へ向かう僧侶がおともに妖怪を三体連れているもの。諸国漫遊する副将軍がおともにかなりの使い手のの二人がついているもの。これらのリーダーは後ろででんと構えていれば、戦闘要員が前に出て戦ってくれる。
キョウタの場合少し状況が違う。
西へ向かう僧侶がキョウタだと例えると、彼にはしゃべる馬としゃべる如意棒としゃべる仙術がお供ということになる。
マヴァロンは問題なく単独で戦える。魔那々はキョウタと一心同体のようで割と距離をとって戦うこともできることがわかったので、今後もそうしてもらいたいとキョウタは考える。ただ般若丸だけはキョウタ自身が振るわないといけないという問題があった。
そんじょそこいらの敵ならマヴァロンと魔那々だけで撃退できる。このあいだの
しかし、敵が般若丸を抜くまでもない場合であったとしても、マヴァロンと魔那々に戦ってもらうように指示できる気持ちもなかった。そんな権利もないと思っていた。
般若丸を抜いたらあとは半自動的に敵を倒してくれるのだが、それでもその刀を持って自ら敵に切り込むことになるのは怖かった。
面倒なパーティーリーダーである。
※
ギルドを出たキョウタたち。
「借金もなくなったことだし、たまにはご馳走でも買おう」
マヴァロンが言った。
「じゃあせっかくだからみんな人の姿になってよ。後ろ向いてるから」
「別に恥ずかしいことじゃないから後ろ向かなくていいぞ。ちょっと骨から構成していくだけだ」
「ちょっと裏返るだけだ」
キョウタの言葉に般若丸とマヴァロンが順に返す。
「慣れといたほうがいいよ」
頭の上に魔那々が現れて言った。その姿はむくむくと大きくなり、普通の少女のサイズまでになった。降りずに大きくなったのでキョウタが肩車してるような形になった。
キョウタは反射的に魔那々が落ちないようにその腿を手でおさえる。
冷静になれば、肩にかかる体重が異様に軽いし、魔那々はこの高さから落ちてどうにかなる体の構造でもない。
(
前世、引き籠もりになってから、人の体と触れることなんかあんまりなかった。女の子(かどうかは判断基準によるが)を肩車して腿や尻が密着するようなことは経験したことがなかった。
しばらくキョウタは固まっていた。
はっ、と気付いたときには、前にスリムな長身色黒美女と、真っ白な美少女が立っていた。
もちろんもうひとり灰色の少女は肩車したままだ。
白黒灰のモノトーンで統一された三人だった。
本気でその色のまんまなのはパンニャーだけなので実際はモノトーンではないのだが。
キョウタは三人と一緒に買い物に歩く。
着替えもなかったので、少し買った。
以前スウェットを買ったあと、替えの服を買う気持ちの余裕がなかった。というか、キョウタはファッションに興味がないので、買うのが億劫だったのが大きい。一張羅のスウェットだけでここまで過ごした。洗濯はしていない。
借家住まいが決まったときに食器などは買ったのに服のことにはまったく頭が回っていなかったのだ。
元々引き籠もりだったし、今まで異常な状況が続きすぎてそこまで考えが及ばなかった。
空腹感さえわからないくらいだったし、着たきりでも魔那々が黙ってキョウタの体や服を浄化していたので問題はなかった。
マヴァロンや般若丸も着替えを必要としないので、自分で服を洗濯したこともほぼない引き籠もりが気付かなくてもしょうがないといえる。
もちろん冒険者的に必要な防具などを買うこともない。
※
モノトーンの女の子三人と一緒に買い物。
褐色の肌に長身でスレンダーなマヴァロン。少し小柄で真っ白な肌に目と唇だけに色がついた作り物っぽいが綺麗なパンニャー。丸顔でぷにぷにした感じが可愛い魔那々。
三人に囲まれてショッピングである。
四人のうち一番まともに料理ができるのがマヴァロンであった。キョウタを含むあとの三人が自炊する必要がないままここまで生きてきたのでしょうがない。
キョウタはごく簡単な切ったり煮たり焼いたりするくらいはできるが、色々雑である。魔那々は料理するという考えがない。パンニャーは普通に食事する必要もない──いや、なかった。
市場で色々と食べ物を見てまわる。
「ご飯が食いたい」
「食事を買うんじゃないか」
キョウタの言葉にマヴァロンが返す。
「いや、米が食いたい。うるち米を炊いたのが食いたい」
このあたりの主食はパンであり、米はあまりなかった。
「キョウタ。米買っても炊くのはどうするの?」
魔那々が言う。
「うーん。炊飯器ないよなぁ……」
鍋で炊くこともそんなに難しいことではなかったがキョウタは知らない。昔、学校で行ったキャンプで
「それに、ジャポニカ米はなさそう」
と、魔那々が言う〈ジャポニカ米〉とは日本の一般的な米である。炊飯器で炊いて食べる日本の一般的な米の食べ方に向いたものだ。
この市場には〈インディカ米〉しかなかった。キョウタの言う〈ご飯〉とは違った。カレーライスのライスもインディカ米だ。元々カレーはインドのものなのだからインディカ米でいいんでぃか。
「じゃあ、炒飯でええわ」
キョウタは妥協した。
四人で買い物を続ける。
キョウタを囲む白黒灰の女子たち。
(なにこれ楽しい。ふたり色気ないしゃべりかたやけど、ええやん。これで骨や内臓見せたりするのとか裏返るのとか俺の頭から生えてくるのとかなくて、馬と刀のときは男声なことに慣れたらぜんぜんええんちゃうん? いや慣れるか? けど今楽しいやんか。魔那々だけ女の子っぽいしゃべりかたするけど、それはそれで不思議と色気ないけど立たんかったけど、慣れたらいけるんか? いや今でも楽しいけど。生きててよかった。マヴァロンに頭かち割られて死ななくて良かった)
色々頭に渦巻くキョウタであった。上記のモノローグの内容が理解できなくても問題はない。本人も混乱しているから。
「新鮮な生肉が食べたい」
パンニャーが少し遠慮気味に言った。
「生肉……?」
とキョウタ。
『抜いてくれ』発言以降、妙な不安定さを感じさせる発言が散見されるパンニャー《般若丸》である。
「食べるって? これまで食べてなかったのに。村のパーティーのときも、シャイピオンさんのとこでも……」
「茶は飲んだだろう。何か体質が変化してるのかもしれない。私自身もよくわからないのだ」
パンニャーはうつむいて目線を逸らして言った。こないだの『抜いてくれ』以降のときも恥ずかしがっていたが、今回はちゃんと表情があるのですごく新鮮だった。
結局、今日狩ったばかりだというウサギを吊していたのを買おうかということになったが。
「自分で狩って食べたいのだが」
白い頬を赤らめる。しゃべり方は全然女の子っぽくないが。
「それは生きたものを自分で斬ってワイルドに食べたいてこと?」
「そういうことだ」
「じゃあ、刀に戻って?」
「いや、このままでも十分狩れるぞ」
パンニャーは手刀を見せる。爪がしゃきんと伸びた。爪は人差し指から小指の先まで同化した一枚の刃となっていた。刃渡りでいうと五センチくらい、中指の先から切っ先までは二センチくらいである。
「ああ。そうなん……」
キョウタはどうしていいかわからなくなった。
「じゃあ、こうしよう」マヴァロンが間に入った。「パンニャーは好きなときに一人で狩りに行けばいい」
「ああなるほど」
ぽんと手を打つキョウタ。
「わかった。そうしよう。だが、日本刀の姿でキョウタが狩りをしてくれるのもいいと思うぞ」
屈託なくにっこりとした顔で、しかし声のトーンはあくまで色気なく言うパンニャー。
(やっぱり般若丸が一番要注意やんな。夜中にひとりで生き血を求めてさまよったりするんかな。辻斬りとかせんのかな。いや真面目やからそんなことせーへんよな。般若丸は持ち主によったらものすごい危なかったんやないやろうか。血ぃ見るの好きな奴の手に渡らなくてよかったわぁ)
と思いながら見る白い少女の笑顔は可憐に見えた。
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