第13話 抜いてくれ

 魔ん獣まんじゅうは巨大なひよこ魔ん獣まんじゅうと化した。

 真っ黒いだけの目がキョウタを見た。少なくともキョウタは目が合ったと思った。

 まっすぐひよこ魔ん獣まんじゅうはキョウタに正面を向いた。

 ぴよ~~~~~~。

 一声あげると、頭頂高八メートルほどのひよこはこちらに向かってきた。

「なんで? 逃げて」

 疑問と逃走を促すのを順に言うキョウタ。同時に踵でマヴァロンの横腹を押す。

「戦わないのか」

と言う般若丸はやる気満々だったが、相手がキョウタだから仕方ないかとも思う。

「こっちに向かって来るし」

「おあつらえ向きじゃないか。を抜け」

 ひよこはそんなに速くなかったが、砂煙を上げてキョウタたちの方へ近づいている。このままだと轢かれるのだか食われるのだか。

「仕方ない。一旦距離を置こう」

とマヴァロンはひよこに背を向け走り出す。

「斬らせてくれ」

「般若丸ってそんなに斬るの好きなん?」

「刀は斬るものだ。洗濯機が洗濯するのと同じだ。洗濯できない洗濯機に洗濯機の矜持があるか。辛くないカレーライスにカレーライスの矜持があるか」

(そうか。俺の矜持は……)

 キョウタは自分の矜持がなんなのか考える。

「『消去法の結果 ルーザー 』の矜持やと逃げるで間違いない」

「私の出番は……ないか……」

 主と決めたキョウタの意見に背く意思はない。だが般若丸には忸怩たるものがあった。


 ひよこは地上から二十センチくらい浮いて走っていた。魔力の空中浮揚レビテーションというものであるが、低く浮くことで揚力を大きく得ているのだ。

 ぴよ~~~~~~。

 無表情なまま鳴くひよこ。キョウタたちを追いかける。


 シャイピオンはその様子を見ていた。

魔ん獣まんじゅうがキョウタを追いかけているのは、もしかして……。ファルス。巨獣車に戻るぞ」

「どうするんですか」

「巨獣車を、蓄魔池バッテリーをここに持ってくる」

 シャイピオンは走り出した。


      ※


 高さ八メートルのひよこ魔ん獣まんじゅう。遠目に見たらふざけているとしか思えない。しかしあの大きさのものが追いかけてくるというのは大変な威圧感である。

 まんじゅうの皮に電熱ニクロム線を当てて焦がしたような黒い目が、ずっとキョウタを見ている。感情というものがまったく感じられない。クチバシは斜め上を向いているのに、視線は下に、キョウタに向いているのが不気味だった。

「まんじゅうこわい。ひよこまんじゅうこわい。追いかけてくるで。ずっと追いかけてくる」

 キョウタはときどき後ろを見ながらおびえている。

「振り切らないように走ってるからな」

とマヴァロン。確かに最高時速二百十キロとは思えない速度だ。人が全力で走ったほうが速いくらいだ。

「なんで? 振り切ってよ」

 キョウタは涙目になっている。

「そうしたら街へ魔ん獣まんじゅうが向かうかもしれない。いいのか?」

「うう~」言葉に詰まる。手綱を握る手がぎゅっと固くなる。「わかった。街から離れよう。ずーっと離れて荒野に放置しといたら魔力尽きて消滅するかも」

「それは無理だ。こいつをラークンから出すには一旦街中を通るしかない」

 マヴァロンが言った。

 キョウタはうなだれる。が、顔をあげて、

「“超馬力斬”はなんで使わへんの?」

「残念ながら、効かないんだ」

 正面を向いたままの巨馬の耳だけキョウタのほうを向いている。

「わかるの?」

「“超馬力斬”に破魔の力はない。斬ってもまた餡子と皮が再生されるだけだ。再生に魔力を消費するだろうが、あれだけの巨体を無力化しきるだけ馬斬刀を振るい続ける力は私にはない」

「じゃあマヴァロンが般若丸を」

「無理だ」般若丸が口を挟んだ。「私の全力を発揮するにはあるじの手になくてはいけない。破魔の力は発揮した記憶はないが、おそらくキョウタが私を使わなければ無駄だと思う」

「それに私の蹄だと馬斬刀しか持てない」

(なんやこの、俺が般若丸を持って戦うしかないように誰かが仕向けてるかのような感じは……。絶対抜け道があるはず)

 キョウタの表情が真剣になった。

 やる気を出したのか般若丸とマヴァロンは思った。が、逆であった。

(なんとかして逃げたる。逃げおおせたる)

 いかにして戦わないかに真剣だった。


 ──それから十五分くらいマヴァロンはひよこを引き連れて駅建設予定地周辺をうろうろと小走りに走っていた。

「いつまでこうしてんの?」

 さすがにキョウタもだんだん状況に対する慣れと飽きが来たのだろう。

「では私を抜いてくれ。やつを斬ろう」

「えー?」

「何日も抜いてないんだ。そろそろ抜かないと破裂する」

(下ネタ? 般若丸も下ネタ?)

と思いながらキョウタは言い返す。

「変身するときに鞘から抜けてるやんか」

「あれは抜けてるであって抜いてるではない。手で抜かないと抜いたことにならない」

(これはほんまに下ネタやん)

「こんな恥ずかしいことは言いたくなかった。しかしここまで溜まるとは思ってなかった。傀儡がなくなって自力で抜けないのがこんなにもどかしいとは」

「このタイミングで吐露されても──」

「斬る機会が来たと思ったらこんなことになってるのだ。私の気持ちも察してくれ」

「え。あの……」

 キョウタは言葉に詰まった。般若丸は今日まで抜かなかったことに対する不満をおくびにも出さなかった。盗賊団相手にひゅんひゅんやってから二日しか経っていないが、あのとき実のところ誰も何も斬っていないのだ。

「あれを見ろ」

 マヴァロンが遠くから巨獣車が走ってくるのを見つけた。

 走ってきたといっても、牽引する巨獣は足が遅い。時速三十キロくらいだ。

 巨獣車から誰かが飛び出てきて、こちらに走って来る。ファルスだ。楽々とマヴァロンと併走する。並みの人間でも短時間なら可能なことだが、ファルスはそのまま息ひとつ乱さずにシャイピオンの意向を伝達する。

「もうすぐ巨獣車に積んである蓄魔池バッテリーが作動する。そうしたらあんたたちが逃げ回る必要はない」

「そんなことしたらあんたらが……」

 キョウタが言う。

「君が戦えないのなら、我々でなんとかする」

「なんとかってどうやって」

「巨獣車はスタミナがある。数時間は逃げ回れる。そのうちあいつの魔力も尽きていくだろう」

 こんな策しかなかった。しかし、大人がなんとかしないといけない。とファルス、そしてシャイピオンは考えていた。今日会ったばかりの少年が強い力を持っていたとしてもそれを発揮できないのならば頼るわけにはいかない。

 突然ひよこはキョウタたちを追うのをやめた。巨艦の砲塔が回転するように向きを変え、巨獣車めがけて鳴き声をあげて動き出した。

 ぴよ~~~~~~。

 巨獣車は向きを変え、ひよこを尻目に走り出す。


      ※


「彼らに任せていいのか?」

 マヴァロンが言った。

 巨獣車が動けなくなるのがひよこの魔力が尽きるより早かったら──。

「こわい。シャイピオンさんらがやられるのもこわい。けど、自分が戦うのもこわい」

「このあいだと同じか。何をしても怖いと。

 今が決断のときだ。キョウタが動かないのなら、私も前線に出る。この持久戦なら、魔力を削る役には立てる」

「私が、自力で動ければ。情けない」

 般若丸の柄がしおれて見える。

 そのとき、キョウタの頭が灰色に光った。強く、しかしあくまでグレーな光だ。

「魔那々?」

 魔那々の放つ魔力は、巨獣車の蓄魔池バッテリーのそれを超えた。

 必然として、ひよこはキョウタの方に向き直った。

 ぴよ~~~~~~。

「なんで……?」

 キョウタは魔那々に裏切られたと思った。

「あたしが戦うよ」

 キョウタの頭の上の灰色の光は物質化し幼女の姿に、いや、少女の姿になっていた。

「大きくなってない?」

「キョウタの魔力は成長するのっ。肉も食べたし」

 魔那々はキョウタより少し小さい、普通に人間の少女の大きさになっていた。

「マナの燃費のこともあるし、早速行くよ」

 魔那々はキョウタの腰から般若丸を抜──こうとしたがだめだった。

「しまった。そうか。破魔の刀に魔力が触れられるわけがなかった。

 じゃあ」

 魔那々はマヴァロンの背から飛び降りた。

 駅の建物へ走って行く。まだ建材として置いたままの石が積まれている場所へ。

 ひよこは魔力そのものである魔那々を追って向きを変えた。低く浮遊するその反作用で土埃が舞っている。

 魔那々は石をひとつ右手に握ると、左手をかさねて、野球でいうセットポジションに構えた。

 石は魔力を受け高熱を帯びる。溶岩になる寸前の熱石を振りかぶって豪快なオーバースローでひよこに投げつける。

 むぼふっ。という間抜けな音を立てて、熱石はひよこ魔ん獣まんじゅうの真っ正面真ん中、胸のあたりに突き刺さった。

 ぴよ~~~~~~。

 ぜんぜん痛がってる声には聞こえないが、反応はあった。速度が落ちたのだ。

「魔法は効かないんじゃ?」

「いや、あれは物理攻撃だ」般若丸が答えた。「あれはあくまで石を魔力で熱しただけで、その石には魔力は籠もっていない。炭火焼き肉は炭火で焼かねばならないが、最初の炭に火を点けるのはガス火でもいい」

 般若丸のたとえは正しいのかどうかわかりにくい。

 むぼふっ。

 むぼふっ。

 魔那々が熱石を作っては投げつける。

 石を加熱するため連射はできない。その間にも、のろまになってきたもののひよこは魔那々に近づく。

「魔那々! 逃げて!」

 珍しくキョウタが叫ぶ。その頭からはやっぱり魔那々とつながる灰色の糸が伸びていた。

 ひよこが魔那々に迫る。

 キョウタから、ひよこで魔那々が見えなくなる寸前、彼女は彼の方を向いてにやりとしたように見えた。

 魔那々は消えていた。ひよこに轢かれたのでも飲まれたのでもない。物理的に消えていたのだ。

 彼女は魔力である。ライトがスイッチを切ればその明かりが消えるように、魔那々がその魔力放出を切れば消える。魔那々の本質はキョウタである。別人格を持っているとしても、魔那々はキョウタである。あの灰色の少女の姿はあくまで魔力がつくりあげているものだ。

 ひよこは地に着いた。動いていたより盛大な土埃と地響きを上げて。浮遊するだけの魔力を失ったのだろう。

 魔那々の投げた熱石は高熱を持ったまま、ひよこの体内にとどまっていた。そのまま内部からひよこを焼き続けているのだ。

 そしてひよこ魔ん獣まんじゅうは、ぼろぼろと崩れていく。


「やった……」

 キョウタはつぶやく。

(逃げ切ったで、なんとか)

 魔那々彼の魔力が働いたので事実上魔法を駆使したことになるので、疲労もあるが、その顔はまるで自らの戦いを終えた戦士のようだった。

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