第4話 日本刀である。名前はまだない。


 馬が裏返って美女になった。


 キョウタはそのことに驚愕はしたものの、異世界の常識というものを知らない。


「この世界じゃ、馬は裏返って人に変身するん?」

「おそらく世界に私だけだ」

 周囲に人がいないのはそのせいらしい。


 キョウタは気付かなかったが、マヴァロンが裏返り始めた瞬間から、周辺の人たちは異変を察知して距離を開け、馬面が無理矢理美女面の裏側に収まろうとしているあたりですでに気配を消しつつ逃げていたのだ。

 この世界に暮らしていると怪異に触れる機会が多い。キョウタの元いた世界であるかないかのオカルトなことに誰もが生涯に数度くらい遭遇する。だから人々は馬が裏返るというただごとでない怪異に身の危険を感じ、誰も声もあげずに離れるのだ。

 驚いて腰を抜かしたり叫び声を上げる者から順に怪異の犠牲になる。

 「気配を消し」「逃げる」というのは戦う手段を持たないものが身を守るシンプルな方法である。


「馬じゃなかったら、他に裏返って変身──」

「する生物はいない。私の知る限り他に存在しない」

 キョウタの質問にかぶせて答えるマヴァロン。

 キョウタ少年は身長164センチ。その正面に立っているマヴァロンは身長183センチである。

 キョウタは大柄なわけではなかったが、これほど近距離で綺麗な女性の顔を見上げたことはなかった。


「そろそろ腹が減ってるんじゃないか?」

 マヴァロンが微笑して下目遣いにキョウタを見た。見下ろしてるともいうか。

 ちなみにこの姿になったマヴァロンは声もちゃんと人間の女性のものになっている。アルトだ。

「うーん」

 キョウタは両手を腹に当てた。

 空腹は感じていなかった。なんだかんだで緊張が続いていたせいだろう。


 賽の河原で進路相談し。

 知らない世界の河原に突っ伏し。

 大男に首根っこつかまれてぶら下げられ。

 直立した馬に助けられ。

 ギルドで『勇者』に就職し。

 馬が裏返って美女になった。


 とりあえず、最後の「馬が裏返って美女に」なってる途中の姿は食欲をなくす原因だったかもしれない。


      ※


 マヴァロンの提案で、とにかく何か腹に入れておくことにした。空腹感はなくても体にはエネルギーが必要だ。

 シーツをかぶってくくっただけでは食堂に入りづらいので、まず服を買った。服を買いに行く服はなかったからしょうがない。

 動きやすいスウェットっぽいシンプルな服装だった。色は紺。飾りに襟がついているだけで他に装飾はない。


 食堂に入り注文する。

 キョウタが生前、いや前世でいた頃の飲食店は、ほとんどが客がメニューから選ぶものだったが、この食堂は店側が用意できるものでメニューを勝手にみつくろうシステムだ。

 客に選択肢を与えて残飯が増えるシステムを採れるほど豊かなところではないのだ。


 マヴァロンと向かい合わせに座るキョウタのテーブルに、給仕の若い女性がパンとスープとソテーした肉を並べてくれた。

「これ、いくらするんかな」

 決して豪華には見えない。しかしキョウタはこの世界の貨幣価値も知らない。

 働いて稼いだ経験はないが、経済的な感覚がないと恐ろしいことはキョウタの知識でもわかった。流される人生の中で彼は「カネ」と「契約」にだけは比較的慎重なのである。

 手持ちの金はしばらく生活できるくらいらしいが、借金した金とは計算上マイナスなのだ。

「今回は私が出す。なに、そんなに高いものじゃない」

「出す? どこから?」

「ポケットに財布が入っている」

「馬のときは?」

「ファスナーの中に入っているが」

 当たり前のように顎の下のファスナーを開いて見せる。中は真っ暗だった。

 この世界には不思議がいっぱいだ。



      ※


 食事があらかた済んだ頃、店に何かが入ってきた。


 一言で言えば『人型をしたゴミ』。土塊つちくれや瓦礫や紙くずやらを固めて人の形をしたモノが食堂に入ってきた。


 そのゴミ人間は、腰に日本刀を携えている。日本刀だけはゴミでできていない、しっかりとした物だった。むしろ立派でさえあった。


 客のまばらな店内が静かになる。二度目の体験でキョウタにもわかった。警戒と逃走のコツはこういう経験を繰り返して上手になるのだ。

 わけのわからないモノであっても、いきなり暴れるでも攻撃するでもないモノから走って逃げたりしない。

 特に商売人は。一応ちゃんと入り口から静かに来店した者はまず客とみなすのだ。

「いらっしゃい……」

とマスターは言った。四十がらみの小太りのおじさんである。声におびえはあるが。

 金さえ払えば客である。客である可能性が充分あるかぎり接客モードを解くわけにはいかない。「その種族」を顧客とするチャンスがあるのだ。

 一部の人類は「同類」以外に販路を広げ損ねている。

 

 『人型をしたゴミ』は

「スープの……ような……ものを」

と普通に注文した。たどたどしい、というより言葉が出にくいのか。しわがれた声だった。

「あいよ」

 マスターは愛想良く返事して、厨房に向かう。

 帯刀したゴミは、つかつかとキョウタたちのテーブルへ近づいてくる。

「なんでしょうか」

 キョウタは言った。勇敢なのではない。流されての発言である。黙ってるほうが怖いのである。

 ゴミは右手首をへこへことさせて敵意のないゼスチャーをしながら、当然のようにキョウタとマヴァロンのテーブルについた。

 その様子に敵意はまったく感じられなかった。ちなみに臭くはない。生ゴミが交じっていないのだ。


「相席を求めるなら挨拶はないのかな」

 マヴァロンは落ち着いていた。

「失礼……したヌ。……これまで……人と……会話を……したことが……あらぬので……」

 ゆっくりと文節ひとつずつを探しているかのような言葉遣いであった。

「どういうことかな」

 褐色の肌の女の言葉に、少し間を置いてゴミ人間は答える。

「エネルギーが……足り……ヌくて……言葉を……出すのに……タイムラグが……。少し……食べ……れば…………スムーズに……話せ……る……かと……」

 マヴァロンはその言葉をあまり理解できなかった。キョウタは『タイムラグ』のところから聞いていない。

 ほどなく雑炊がテーブルに置かれた。

「いた……だきますヌ」

と言って、雑炊をスプーンですくい、瓦礫や土でできたその顔の口に当たるところに持っていく。隙間でしかない「口」に雑炊は入っていく。

 キョウタとマヴァロンはその様子を見つめていた。

 三口ほど食べると、ゴミ人間は話しだした。

「カロリーと水分が足りなくなっていて、言語出力処理が落ちていたヌ。この体はうまく扱えないところがあるヌ」

 合間に雑炊を口に運びながら彼は話した。食事をたからから声からしわがれたものはかなり薄れていた。

「拙者は日本刀だヌ。名前はまだあらぬ」

「日本刀……?」

 キョウタはゴミ人間が携えている刀に目をやった。同時にぼんやりと

(なんで『吾輩』って言わへんの?)

 と、思ったが黙っていた。

「どれぐらいかの時がたち、自分の中に何かの力が蓄積されているのを感じたヌ。それを使ってこうしてありもので人の形だけ借りているのだヌ」

(なんでこのひと「ヌ」って言うんやろう?)

 キョウタはとりあえずゴミ人間の話の内容は理解してなかったので余計なことを考えた。


     ※


 名前のない日本刀は、どこかで生まれ、なんらかの方法で神通力じんつうりきを会得し、蓄積し、その力で、「帯刀する人の体」を周囲の瓦礫などで構成して自由に動けるようになった。

 『ゴミ人間』は傀儡かいらいでしかなく、本体は日本刀であった。傀儡のほうに食事をさせるのは神力だけで動かすより効率が良いからだそうだ。

「ここで出会ったのも何かの縁だヌ」

「他に縁はなかったんですか?」

「こうして落ち着いて会話を交わしたのは君らが初めてだヌ」

 まあ、ゴミ人間が帯刀して歩いてたら警戒する。無理もない。

「この体を保持し続けるのも無駄が多いヌ。君に所有者となってもらいたいヌ」

 日本刀の言葉に、キョウタの脳内を「それはない」「銃刀法違反」「そんな刃渡り長いの持ったら怪我する」といった言葉が走る。

「俺はあかんでしょ~」

 キョウタは両手の平を見せて左右に振って拒否を示す。

「君が剣を振るったことはないのはわかるヌ」

「操られるのは勘弁して」

 意外に考えられるところをみせるキョウタ。逃げるためのことはまあまあ頭が働く。

「持ち主の意に反することはせぬ。約束するヌ」

 ちなみに否定の語尾の「ぬ」はひらがなである。

「こっちの人は?」

 キョウタは横の長身女性を指した。たしかにマヴァロンのほうが色々と素質が高そうなのになぜキョウタに持ち主になれと言うのか。

「君には何かとんでもない力が潜んでるヌ」

(それってちゃんとした勇者になる力? じゃあ魔王と戦うための武器なん? このひと)

 キョウタは勇者という灰色の淀みに自分がなっていく想像をして頭を抱えた。

「それに、こちらはすでに大変な業物わざものを持っているヌ」

とゴミ人間の顔はマヴァロンに向いた。

「わかるか」

 にやりとするマヴァロン。褐色の肌に白い歯が映える。

 主とする武器はひとりにひとつである。「武器には魂がある」というのは例えであることも多いが、この日本刀にはまぎれもなく人格がある。

 自分の所有者が自分とは別のものを主武器メインウェポンとして持つことは彼には許せない。


 「業物」と聞いて、

(やっぱり馬並みなものを持ってんのかもしれん)

とキョウタは思った。


 『契約』。

 この生きた刀リビングソードの所有者となるのはつまりそういうことだ。

 神力という不思議な力を帯び、しかも意思をもつ刀と契約するのは覚悟が必要になる。それを主武器メインウェポンとするのは同時にパートナーとすることでもあるのがまたキョウタに負担だった。


 生きていくためには『契約』と『カネ』が必要なのだ。書類を交わすだけが契約ではない。『約束』と言ってもいい。口約束さえしなくても、信頼が発生した相手とはゆるやかな契約を結んでいるとも言える。だからキョウタは前世で友達がほとんどいなかった。


 マヴァロンは自分にとって保護者みたいなものだとキョウタは思っているが、なぜ彼女がそばについてくれてるのか、これから関係がどうなるかは考えないようにしていた。


 『契約』をするかしないかは自分で判断しないといけない。

 マヴァロンは武器ではない。

 武器と契約するということは、武器を揮うことになる。戦うことが密接に関わる。

 戦うとは端的に言うと「傷つけ合う」ことである。少なくもキョウタはそう思っていた。

 背中が冷たい汗で濡れていることに彼は気付いた。


 そのとき、半鐘の音が鳴り響いた。


『警戒警報! 警戒警報!』

 村内放送が流れる。

『敵襲です! 盗賊団、その数約三十。村の東入り口に到達まで約八分! 各自警戒して対処してください!』

 放送の仕組みはキョウタにはよくわからないがとにかく村内放送だった。


「八分か。私を振るって戦うか。それとも逃げるか」

 日本刀はキョウタに促す。躊躇する時間はあまりない。

「逃げる!」

 即答した。

「じゃあ、行け」「早く逃げろ」

 ↑日本刀。 マヴァロン。↑ 二人が同時に言って立ち上がった。


「ごめんなさい。あとお願いします」

 キョウタはすぐに店を出ようと──。


「『勇者』がここで逃げていいならな」

 マヴァロンが言った。その目はキョウタではなく日本刀に向いていた。行きがかり上だが共に戦うのだから。

「逃げます!」

 きっぱりと言ってキョウタは振り向きもせず足も止めず店から走って逃げていった。

 たいしたもので本能的に逃げた方向は敵襲と反対の西の方であった。


 『勇者』には大きく分けて二種類いる。

 『世界を救う者ブレイブ』か『消去法の結果ルーザー』かだ。


 全力で戦いを避けるキョウタは――。

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