第3話 人生は灰色の液体

「あんたの『肩書きジョブ』は〈勇者〉や」

 受け付けの大天使が告げた。


「勇者……」

 キョウタの脳裏に、世界を救う主人公の姿が浮かぶ。

(けど、そんなものになれるんか? なってええんか?) 

と疑問のほうが大きい。


「勇者になれるん? なったらどうなるん?」

 キョウタはカウンターに両手をついて前のめりになる。これはやる気からではなく、こそこそ話をしたいから顔を近づけてるのだった。

「あのなぁ」職業安定所職員にして神に最も近い大天使ルミルは言う。「勇者は誰でもなれるんや」

 キョウタはよくわからなくて無言で続きをうながした。

「続きは別室にしよ。ちょっと待ってや」

 ルミルは立ち上がり背を向けた。書類の準備を始めたのだ。

 キョウタはどうしていいかわからずマヴァロンに視線を送った。

 マヴァロンは心配ないとでもいうようにうなずいた。

(どこまで知ってんの? このお馬さん)


「はい。じゃあ、『四番相談室』に行くで」ルミルは書類の束を脇に抱えていた。「そっちや」カウンターに向かって右側にドアがあった。

 ドアを抜けると廊下になっている。その向かい側の並びに相談室が四室あった。

 ドアの上に

『相談室4』

と書かれた部屋に入る。

 七メートル四方ほどの部屋であった。質素な木製の長机ひとつとそれを挟むように同じく木の椅子が三つ置かれている。壁のひとつの面には黒板があった。

 ルミルは黒板を背にする席に座り、書類を机に置いた。

 キョウタはうながされてその向かい側の席に腰をおろす。

 マヴァロンはその横に立っていた。馬だからいわゆる人間用の椅子に座れないのだ。

 ルミルはマヴァロンがついてきたことについて何も言わない。

「説明するとながなるんやけど──」

 面倒臭いのが素直に顔に出ている大天使。しかめっ面になっている。

「早い話が、あんたは勇者になって魔王を倒すんや」

「はしょりましたね……」

 キョウタが思わずつっこんでしまうほどはしょった。


「勇者って大層なもんやないんですか?」

 さっきは誰でもなれるんや、と言っていた。

「うんうん。誰でもなれる。『勇ましい者』やからな。要は気の問題や。まあ、キョウタはぜんぜん勇ましくもやる気もないけどなぁ」

 あはははは、とルミルは軽く笑う。

「ないです。うんうん」

 しっかりと肯定するキョウタであった。


「『戦士』は筋力も体格も必要。『格闘家』は柔軟性や瞬発力を求められる。『魔法使い』は細分化されてるけど、それぞれなんらかの魔法能力の素質がいる。その点、『勇者』は事実上なにもいらん。『勇ましさ』なんてあやふややし」

「じゃあ、この世界には『勇者』はいっぱいおるんですか?」

「おる。よーけおる。ただしや」ルミルはにんまりとした顔をしてみせる。「『勇者』の肩書きを持った庶民以下はかなり多い。むしろ一般職にさえつかれへんから『勇者』やってるんが大多数や」

「値打ちないやん」

「わかりやすい例えで言うと、『漫画家』『小説家』『お笑い芸人』なんかのフリーランスの職業の多くは、実際にその仕事をやってなくても名乗ればなれる。『事務所に所属せず、舞台に立たず、ネタも作らないお笑い芸人』でも職業や」

 この言葉に少し胸にずきっと来るものがあるキョウタだった。

 彼は隠れて小説を書いていた。絵を描くのが面倒だから文字の羅列だけでなんとかなる小説にしよう、というやつであった。そのことは両親にもわずかな友人にも秘密だった。もちろん投稿もしたことはない。


「ええかな?」

 キョウタの表情の変化を見て確認をとるルミル。

 うなずくキョウタ。


 話を続ける。

「『勇者』は誰でもなれるのに特典がつく。能力補正や。運も体力も魔力もその他も、補正がついて強くなる。もちろん、どの能力ステイタスがどれだけあがるかは個人差が激しいけどな。人によっては上がってもすべて常人並かそれ以下ってこともある。

 とにかく、何にもなれんのなら『勇者』になっとけというのがこの業界の常識や。

 平たく言うと最底辺の職業とも言えるのが『勇者』というもんや」


「知ってた?」

 キョウタはマヴァロンを見上げて言った。


 馬はうなずいて、

「『勇者』はときに才能にあふれた者が就く職能ジョブで、名を馳せたいわゆるいい意味の『勇者』ももちろんいる」


 この世界で『勇者』という言葉の意味は大きく分けて二種類ある。「世界を救える人」か「何者にもなれない人」である。


 いい意味の『勇者』は滅多にいないので「お前『勇者』やな」はほぼ悪口と言って間違いない。


「そやからキョウタは『勇者』になるしかないんや」

「適性検査とかないん?」

 ルミルの言葉にささやかな抵抗を見せるキョウタ。

「賽の河原ですませた」

 言いながらルミルは書類をキョウタの方に向けた。


 書類は透かしで紋章のようなものが入った紙。文面は『上記の者を勇者と認める』とでかでかと書いてある。その上に記名欄があった。

「はぁい。ここに署名してくださぁい」

 カウンターで『いらっしゃぁい』と言ったのと同じノリでルミル。

 ボールペンに酷似した筆記具を書類に添えて。


 キョウタは動けない。

 書類にサインするということが契約であり、契約によって縛られるというのは享年十七歳でも知っていた。 父親によく

「連帯保証人にだけは死んでもなるな」

と言われていた。

 「死んでも」だから今も連帯保証人にはなってはいけないのだった。

 この書類はもちろん連帯保証人になるものではないが。


 細かい文面がないのもかえってキョウタに二の足を踏ませる。


「これにサインせんとあんた無職やで」ルミルは低い声で言った。「何にもなれんやつが『勇者』になるんは、『無職』という選択肢がないからや。『肩書きジョブ』は戸籍みたいなもんやねん。法的には『無職』に人権はないねん」


 キョウタはマヴァロンに助けを求める視線を送る。


「キョウタが男に髪つかまれてぶらーりとしてたとき、あのまま殺されてたとする。だとしても、法的にあの男は咎められない」

 マヴァロンはうつむき加減で言った。でかいからキョウタからは見下ろされてる形である。


 キョウタは

(ルミルが俺に『勇者』になれ、言うんも俺のためなんか)

と考え、

「俺、『勇者』になってヒエラルキーの底で暮らすわ」

と、ペンを取る。彼なりに覚悟をした。


「ひょっとして」マヴァロンが付け加える。「彼女が『お前は勇者になって魔王を倒すんだ』と言ったのを聞いてなかったか?」

「……あー。そうそう。言われてみれば」

 言われるまで記憶から消えていた。

 正確には『あんたは勇者になって魔王を倒すんや』である。

「ということは、俺は『魔王を倒せる系勇者』で、『選択肢のない結果の勇者』やないんな。って、俺戦うん?」


      ※


 署名サインするまでそこから二十分くらいかかった。


 賽の河原でルミルに出した進路志望が受理されていたらしい。「楽勝に悪を成敗する生活がしたい」だ。

 受理されたかどうかわからないうちにこっちの世界の河原に投げ出されていたので、キョウタはよくわかっていなかった。というか自分がどんな進路を志望したのかも記憶が曖昧だった。

 しかし、魔王を倒すなどという大変なことをやるとなるとどうやって楽勝にできるのかとかなんとか色々もめた結果が二十分であった。


 大天使の、ギルドの事務員のルミルが請け負うというのでなんとかかんとかペンを握った。


 署名した直後、用紙が虹色の光を放った。同時にキョウタの脳内にファンファーレが鳴り響いた。


 ルミルとマヴァロンが一瞬目を見開いたが、キョウタはそれを見ていない。紙がいきなり虹色に光ってファンファーレが鳴ったんだからそれどころではない。


 光り終わってから、ひとつ咳払いをして、ルミルは、

「はい。これであんたは『勇者』なりました。おめでとう」

と、身分証明書となったその紙を渡した。


 キョウタが両手で表彰状のように受け取るようにそれは体に溶けこむようにして消えた。

「なにこれ?」


「心配ない。身分証は体と同化する」

 マヴァロンが蹄を優しくキョウタの肩に置いた。


 職能ジョブが決まるとそれは魔法的に体にデータを収納される。簡単な魔法でそれを読み取ることが可能なのである。

 これで「勇者」になったらしい。


 キョウタはまだどこかで納得がいっていない。しかし、流されて生きるしかない。流されて魔王を倒せるのかわからない。水は高いところから低いところに流れるしかないのである。


 低いところに魔王がいて、そこに流れていって、淀みになって、そこに魔王が溺れ死ぬのだろうか。

 なんか黒くて角が八本くらい生えたイメージの魔王が谷底にいて、流れこむ灰色の液体の中でじたばたしている姿をキョウタは想像していた。

 その灰色の液体がキョウタの人生である。


「俺、いつまでこの格好なん?」

 まあとりあえず全裸ではないが、パンツを履いていないのですーすーして落ち着かない。

「別の窓口に行ったら、職能ジョブの確認のあとで、ひとまず生活できるだけのお金を貸してくれるから」

「借金かぁ……」

「ちゃんとやる気出したらすぐに金持ちになるで」

とルミル。

 ちなみにその借金は一ヶ月は無利息らしい。


(俺はいずれ魔王を溺死させる男なんや)

 キョウタは一応内心そんなことをつぶやいてみたが、自分を説得しきれはしなかった。


 その別の窓口で無利子の借金をして、当座の生活を整えるために『シヅテ村職業組合及び職業安定所』を出た。

「服とかどこでうたらええんや?」

「付き合おう」

 マヴァロンが気さくな口調で言った。

 が、でかい馬である。彼がこのへんのショップ事情に詳しいとしても人間用の買い物にこのサイズの四足歩行生物は向いていない。ショッピングモール内を馬と買い物している少年の姿を想像してもらいたい。


「ありがとう」

 キョウタはでかい馬に買い物を付き合ってもらうつもりだった。共は彼しかいない。ひとりで行くのも心細いので選択肢はなかった。

あごの下を見てくれ」

 マヴァロンは首を下げてみせた。

「なに?」

 キョウタはマヴァロンの顎の下、のどを見る。

「手で触ってみてくれ。つまめるやつがあるだろ」

「うん? これ? のどちんこ?」

 たしかに何かつまんだ。ちょうど平たくつまめるようになっている。

「のどちんこが外側にあるか。それを下にひっぱって」

「こう?」

 まるでファスナーのように喉から胸元へすーっと開いていく。

「その開いたところに手を入れて、裏返す」

「ええーっ?」

「問題ない」

 キョウタはファスナーで開いた喉の暗い隙間に両手をつっこんで、がばっと開いた。すると、その裏側に巨大な馬の体は消えていき、手前に女が現れたのである。

「久しぶりにこの姿になったな」

 褐色の肌を明るいグレーのドレススーツで包んだ女だった。ジッパーを胸元から喉まで自分で引き上げた。

 馬が女に裏返って人間の女になったのだ。

「マバロン?」

「マ『ヴァ』ロン。下唇を噛んで『ヴァ』」

 女が下唇を噛んで見せた。

 髪はポニーテール。筋肉質で引き締まった体は、人の姿になっても長身で百八十センチくらいあった。胸はそこそこである。

 馬だからなのか黒目がちで大きな瞳をした美女だった。面長ではない。

「雌馬だったの?」

「私の馬並みなのを見た覚えでもあるか?」

 ちなみに馬の“それ”は普段体内に収納している。哺乳類の多くはそうだ。

 キョウタはマヴァロンがそんなこと言う馬だと思っていなかった。

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